三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

お経を唱えることは説法を聞くことと同じ



もともと仏教では説法ということが重視されています。
読んで字の如く仏「法」を説くことです。

ですから何かの機会につけ法を説いていました。
ところがそれがいつしか読経に変わったといわれています。
何故でしょうか?

お経は「如是我聞」(このように私は聞いている)という
はじまり方をします。(全部ではありません)
お経はお釈迦さんあるいは大日如来の説法を
聞いたものなのです。
自分でお経を読むわけですが、一方耳でそれを聞いています。
すなわち、お経を唱えるということは、お釈迦さんまたは
大日如来の説法を聞くことなのです。

また、般若経典(空を説いています)ではお経を読むことの
功徳が書いてあると言われています。

般若心経には「よく一切の苦を除く」とありますし
理趣経にも読むことの功徳が説いてあります。

そのようなことを頭に入れながらお経を読んでください。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: