とことんスムージーなサウンドに歪曲させる
(その様に鳴らす)のが、
私には好ましいオーディオです。
音数や温度感などのコアな項目などは
当然一定のレベルをクリアしての前提です。
仕事柄、粗探しや何らかの質に対する物差しが必須でした。
私は不快音無き鑑賞にベクトルを向けてました。
行き着くのは、個人の好みを飛び越えた
“聴覚に負担をかけない”という音楽の聴き方
(それの為の装置選び)。
大自然の中に立ち尽くすのが 耳にとっては最良ですが。
音楽だけでいえば会場で生演奏に尽きます。
人間社会で時間などの制約は逃れられません、
だから楽器以外の音楽装置があるのです。
いかんせん、この5年間で
私の耳はナーバス/ナイーヴになりました。
よく言えば繊細、悪く言えば軟弱ひ弱打たれ弱い。
だからこそ他の方とは少しだけ違った
角度からの選ぶ基準が備わりました。
刺々しい大艦巨砲主義にはウンザリなのです。
それに賛同して下さった方々に毎日のように感謝してます。
此度の震災で多くの音楽愛好家、
に限らず皆が歌が好きなはずですから。
皆さん音楽を聴く手段を失われ、
更に鑑賞する気分も失った方も少なくないはずです。
私如きでは察するにも図り得ない胸中でしょう。
自身もうまくまとめられません
今や娯楽や芸術の根本が
存在意義を少しずつ薄らいでいる。
仕方ないんですよ 今はね。
しても良いのです、してはいけないなんて無いです。
ただ、それらが備えている説得力が通用しないんです。
必ずしもではありませんが。
高校野球を観るとそう思えてしまいます
タイラオス・ミャンマーでM7.7
先ほどから関東も揺れてますがいつまで続くのでしょう。
長々と続くのはこたえますね