専業トレーダー DaTsU

男たちの大和  YAMATO


ニッポンのために敵に向かっていく。その乗組員達は、大半が15歳から20歳の若者達。奇しくも抵抗虚しく枕崎湾岸にて
沈没してしまったYAMATO。

角川映画。
主題歌、長渕剛。CLOSE YOUR EYES
主演、反町隆史、中村獅童、松山ケンイチ


もう夏前から楽しみにしていた映画であった。角川の大作には昔から異論があると思うが、
邦画として日本映画に寄与してくれたことは間違いない。

本当にオープニングから、ラストの長渕の主題歌まで、息抜く暇なく見ることができる。
是非とも大スクリーンにて見ていただきたい。

YAMATOのかっこよさを伝える映画でもない。
当然戦争という愚かで野蛮な行為を戒めるため、
特に10代、20代の若い世代に見てもらいたい。


この現代の超がつくほどの平和国家にいて、
60年前島国を守るため、決してもどることはできない
故郷に別れを告げ、死ぬためにYAMATOに乗船した、10代の若者達。
今の日本の若者誰一人としてこの心境を理解することはできないだろう。

生きておめおめと帰ってきたことが恥とも言われ、その苦悩を現代になっても
ひきづっている方もいる。

このYAMATO沈没後、原爆2発で無条件降伏を余儀なくされた日本だが、
どうしてこのようなことが人間は起こすことができるのだろう。
今もまだ、無差別テロや、イラク等外国では内戦状態が続いているところもある。
本当にいつの日か、贖罪という形で、地球が人間に対して怒るのではないだろうか。

中村獅童の演技力は、群を抜いていた。
是非とも、こういう役をこれからもたくさん演じてもらいたい。
「死んだら戦えん、生きるために戦うんや」
「俺は決めた。大和が突っ込むんなら俺も突っ込むんや。」

60年前YAMATOの乗組員だった方の声を聞いた。
今大和ブームであるが、一過性に終わらず、永遠と忘れないでいてほしい。ブームの後には
忘却が、忘却の後には、愚かな人間の過ちがある。と。それは当然戦争行為である。


鹿児島県・枕崎で生きてきた老漁師の神尾(仲代達矢)は、内田真貴子(鈴木京香)と名乗る若い女性に懇願され、東シナ海を西へと、小さな漁船を走らせていた。「内田二兵曹……」。
神尾の胸に、鮮やかに、そして切々と甦ってくるのは、60年前の光景、戦友たちの姿……。

昭和19年2月、神尾たち特別年少兵が、大和に乗組む。その威容に、10代の少年たちの目が輝く。がそれも束の間、厳しい訓練が始まった。彼らの前に、際立って魅力的な、かつ尊敬できる上官が二人現
われる。機銃射手
森脇(反町隆史)と内田(中村獅童)は、配属場所こそ違え、気心の知れた仲で、柔道で激しい申し合いをするなどお互いに切磋琢磨し、大和の下士官の中で異彩を放っていた。である内田二兵曹と、烹炊(ほうすい)所の班長を務める森脇二主曹。

同年10月、レイテ沖海戦に出撃する大和は、襲来する 米軍機の激しい爆撃、機銃掃射にさらされる。負傷した内田を戦時治療室に運んだ森脇は、初めての実戦に戸惑う神尾(松山ケンイチ)ら特年兵たちを叱咤激励し続ける。事実上連合艦隊が壊滅に追い込まれたこの海戦で、重傷を負った内田は、呉の海軍病院送りとなり、大和の任務から外れることになった。
翌20年3月、乗組員たちは出撃前最後の上陸を許される。まだあどけなさの残る恋人との逢瀬、苦労を掛けた母との再会、馴染みの女との一夜……。あまりにも短く、切ない時間を過ごし、大和に戻っていく男たちの群れに、軍規違反を覚悟で病院を抜け出した内田の姿が混じっていた。
4月1日、米軍機が沖縄に来襲、参謀長より遂に伊藤司令官、有賀艦長に対して、沖縄への大和の特攻の命が下される。

各々の覚悟と想いを胸に秘めた3000余名の乗組員たちが前甲板に勢揃いする。

4月6日、いよいよ大和以下10隻の艦隊が、豊後水道を南下、翌7日、その動きを察知したアメリカ軍艦載機が来襲。全速力で進む大和に、次々に襲い掛かる、爆撃機、雷撃機。迎え撃つ46cm主砲が火を噴く。

応戦する大和艦内各所で、乗組員たちの、最後の奮闘が始まった……

昭和16(1941)年12月16日、広島県・呉市の海軍工廠で極秘裏の内に完成した、全長263m満載重量72800t最高速51km/hの「世界最大最強の戦艦」大和は、世界最大の46cm主砲9門を備えるなど、その類を見ない破壊力によって日本を勝利に導くべく、連合艦隊の旗艦に就任した。しかしガダルカナル島の敗退、連合艦隊司令官・山本五十六のソロモン諸島での戦死など、戦局は悪化の一途を辿り、大和が初めて出撃した昭和19年6月のレイテ沖海戦でも、姉妹艦 ・武蔵を失い、敗退を余儀なくされた。そして、運命の昭和20年4月6日、沖縄に向けた「水上特攻」の命を受けた 大和は、召集後まもない10代半ばから20代の若者たちが大半の3000余名の乗組員たちと共に出撃、翌7日、アメリカ 軍艦載機延べ300機の激しい爆撃と、魚雷攻撃を受け、午後2時23分、轟沈した。生存者はわずか270余名、さらに戦 後60年を経て、その内の20数名が、「大和の最後の真実」を知るのみである。


 原作である辺見じゅん著『男たちの大和』は、生存者と遺族への膨大な取材によって完成された傑作ドキュメント。
その視線は、徹底して下士官たち、そしてごく一般人である遺族 たちに向けられており、『空海』『敦煌』などを手掛けた 巨匠、佐藤純彌監督が、克明かつ力強い人間描写力で、“亡き魂への鎮魂歌”に取り組む。
そして東シナ海の水深350mの深海底に没した大和が、戦後40年目の1985年7月、『海の墓標』委員会の尽力により、発見され、初めて一部遺品などが引き揚げられた。その委員会の陣頭指揮を取った角川春樹が、『鉄道員』『半落ち』の企画者・坂上順と共に、プロデュースにあたる。

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