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ミュンヘン MUNICH1972


そして、その後の報復、暗殺、あまりにも暗い物語は、家族、国家、民族
を超えて、そして日本で生まれて日本で育った日本人にはわからない
葛藤をスピルバーグはうまく描いてくれた。会心の一作、さてアカデミー
賞は再度輝いてくれるのだろうか。

1972年ミュンヘン・オリンピックで起こった史実、イスラエル選手団襲撃事件。凄惨な事件の後何が起こったか・・・スピルバーグ監督がモチーフにしたのはイスラエル政府による報復<神の怒り作戦>。連綿と続けられるパレスチナ問題と、暗殺チームに選ばれた青年アヴナーの心の鳴動を描く。


主人公はイスラエル情報機関「モサド」の一員アヴナー(エリック・バナ)。アヴナーは妊娠7ヶ月の妻と暮らしているが、モサドの上官から暗殺チームのリーダーになることを命ぜられる。生きていくためには断ることができないと悟ったアヴナーは出産間近の妻にも真相を語ることができないまま、パレスチナゲリラの主導者暗殺の旅へと身を投じる。

彼に与えられたのは4人の仲間。それぞれ特技を持つ個性的な面々。好戦的な車輌屋スティーブ、消極的で失敗ばかりの爆弾屋ロバート、几帳面な事後処理屋カール、物静かな文書屋ハンス。その面々を演じる俳優たちが、実に的確な演技で重厚なストーリーに幅を与える。

序盤から高いテンションと緊張感が続く164分の長編。事件や報復作戦としての抑揚よりも、この物語の起承転結は、アヴナーの心理状態にあると感じた。使命感と重圧に不安ながらも任務を始める序盤、そして確実に任務を遂行しながら暗殺に対するある種の麻痺を描く中盤までは、物語はアヴナーにとって堅調に進む。中盤から終盤にかけては、アヴナーの心理状態は揺れに揺れる。周囲への不信感、仲間の焦り、自分自身が報復にあうかもしれないという恐怖・・・そして新しい命の誕生、家族への愛。エリック・バナはこの揺れを見事に表現している。

ヨーロッパ暗殺行脚の途中、パレスチナ青年達と同宿するシーンがあるが、国を持つイスラエル人と国を持たないパレスチナ人の対比が興味深く描かれていた。日本に住む我々には実感を得にくいが対立の構図の根深さを垣間見る思いだ。この映画での焦点は、国対家族と個人、そして暗殺を引き受けざるを得なかったアヴナーの苦悩にあるのだろう。職務として暗殺を粛々と遂行するが、後釜が、さらに過激な後釜が次から次にと現れる。また仲間も次々と殺されていく。やっていることに何の意味があるのか。イスラエルにとっては国のメンツに関わる11名の暗殺だが、駒となる個人は真実を知るに連れやるせない思いが募る。

いくつかの爆破シーン、衝撃の爆裂シーンがある。。ラストはニューヨークブルックリンで、この物語は終える。


「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」のスティーヴン・スピルバーグ監督が、1972年のミュンヘン・オリンピックで起きたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手殺害事件とその後のイスラエル暗殺部隊による報復の過程をリアルかつ緊迫感のあるタッチで描いた衝撃の問題作。原作は、暗殺部隊の元メンバーの告白を基にしたノンフィクション『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』。主演は「ハルク」「トロイ」のエリック・バナ。

生まれる前なので、ミュンヘンオリンピック事件は知らない。

 1972年9月5日早朝、オリンピック会場内のイスラエル選手村に、武装した黒い九月メンバー8名が乱入した。犯人グループはイスラエル人選手とコーチの2名を殺害し、残りの9名を人質に取った。これによりオリンピックの競技は中断される。

黒い九月は犯行声明を発表し、イスラエルに収監されているパレスチナ人234名の解放を要求した。イスラエルの首相ゴルダ・メイアはこの要求を拒否すると共に、イスラエルによる事態解決を西ドイツに打診するが、西ドイツは自国で対応するとしてこれを拒否した。交渉の末、西ドイツ当局と犯人グループは飛行機でエジプトの首都カイロへ脱出することで合意する。選手村から飛行機の用意されたミュンヘン国際空港までは2機のヘリコプターで移動し、その後は用意された飛行機に乗り移って国外に脱出する手筈であった。だがこれは表向きの話で、実際は空軍基地に移動させて犯人を狙撃し、人質を解放する計画だった。

ヘリコプターがフュルステンフェルトブルック空軍基地に着陸し、犯人のうち2名が用意されたルフトハンザ機を確認しヘリコプターへ戻ろうとしたその時、狙撃手が発砲。しかし銃弾は犯人グループ全員を倒すに至らず、生き残った者が応戦を始めて銃撃戦になってしまう。犯人らがヘリコプター1機を手榴弾で破壊するなどして銃撃戦は長時間に及び、人質となった9名全員及び警察官1名が死亡するなど事件は最悪の結果で終結した。犯人側は8名のうち5名が射殺され、残りの3名は逃走を図るが逮捕された。だが、この3名は1972年10月29日のルフトハンザ機ハイジャック事件で解放されることになる。

翌日、イスラエル選手団の追悼式が行われ、オリンピックは34時間ぶりに再開された。

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