魂の還る場所

魂の還る場所

笑顔の破片-シアワセのカケラ。-

 いつの間にか降り出した雨。空が明るかったから、全然気付かなかった。
 今日の天気はなんだか違う。真夏の雨のように、夕立が通り過ぎただけだった。
 小さな庭に咲く草花たちは、嬉しそうに、楽しそうに笑い合っている。シャワーの通り過ぎたあとが太陽の光を受けて、ささやかな輝きをふりまいていた。庭へと続く大きな窓を開けてしゃがみこんで、頬杖をついて眺めてみる。
「…見せてあげたいなぁ…」
 この家の主は、頑張って働いている時間である。今日は「残業も寄り道もしませんから」と言ったから、合鍵を預かって、留守番をすることにしたのだ。「夕飯いっしょに食べようね」と約束して。
 昼前にふらりと来て、何か仕事はないかな…と探してみたけれど何もなくて、仕方なくぼぉー…としていたら雨音に気付いた。…かなり遅れて。
 リビングのソファーにクッションを抱えて胡座をかいて座りながら見ていたら、すぐに雨は止んでしまった。しばらくすると、陽(ひ)の光がみんなを照らし、輝かせた。それはとても綺麗な光景で、見せてあげたいと思ったのだけれど。
「…うーん…」
 帰ってくる頃には見せてあげることは出来ない。写真でも上手くすれば伝えられるだろう。けれど、これは彼女のこだわりで、「写真も絵も綺麗なものはたくさんあるけど、ほんものには敵わない」と思う。だから、「本人の目で、目の前で、ほんものを見てほしい」のだ。
「…こんなに綺麗なのに…」
 庭に広がる視界の中で、蝶がひらひらと舞っていた。

「ただいま帰りました」
 彼が帰ってきた時、彼女はまだ頬杖をついていた。
 庭はすっかり乾いて、太陽はベッドに入る準備を始め、裾に僅かなオレンジ色を残した空は、群青色に細い月を飾っていた。少しずつ色を変えていく世界は、それはそれでとても綺麗で、そのまま見ていたのだ。
 玄関で扉が開く音がして、続いて声が聞こえる頃には、大急ぎで出迎えに向かった。廊下にパタパタパタ…ッとスリッパが鳴る。
「おっかえりなさーい!」
 タックル並みの勢いで駆け寄ったら、彼がクッションになる。抱き留めてもらって見上げたら、もう一度「ただいま」の声。
 言葉の代わりに腕を伸ばして、頭をくしゃくしゃと撫でた。

 帰宅した彼の次の行動。
 それは、着替えと、夕食の支度、である。
 お菓子ならばいくらでも作る彼女だったが、きちんとした食事、というものには手出ししなかった。
 これには、理由があるのだ。
 …レパートリーの乏しい彼女が、将来の心配をして、出した結論。
 そんな訳で、遊びに来た彼女の分も作るのは、彼の日常の中では当たり前のこととなっている。一人分も二人分も変わりはないし。一人でも…むしろ一人の方が不自由ないのではないかと思うほど家事もやってのけるから、それはそれで未来は大問題かもしれない。
 ごはん作ってもらったから、せめて洗い物くらい…と担当して振り返ったら、大きな背中はテラスにあった。
 忍び笑いと猫の足で近付いて、「わ…ッ!」と抱きついてみたら、少しだけ驚いた様子を見せた。
「もっとびっくりすると思ったのに。つまんない」
 腕を放して顔を覗き込んだら苦笑が浮かんだ。
「これでもかなり驚いたんですが…」
 返ってくる声まで落ち着いていて、この攻撃も効かないな…と心の中にこっそりメモする。
「何してたの?」
 そのまま夜空を見上げたら、彼の手が真っ直ぐ伸びて指さした。
「月ですよ」
 綺麗だったからそのまま見ていて、声を掛けようと思ったところで抱きつかれたから驚いたのだ、と笑う。
 嬉しくなった。
 同じものを見て、同じくらい、同じことを思うんだな、と思ったら。
「…そういえば…」
 夕方のことを思い出した。結局、目に焼きつけただけだったけれど。
 雨が降って、キラキラしてて、庭のみんなも楽しそうで、すごく綺麗だったんだよって話してみる。
 ちょうど会社の周りの街路樹もそんな感じでしたよ、と振り返った姿に思いついた。
「あのね…」
 実行して、試してみる。
 …額と額をくっつけたら、みんな伝わると良いのに。
「…うーん…やっぱりダメか…」
 そうだよね…無理だよね…当たり前だよね…と呟いたら、目の前で不思議そうな表情をしていた。
 だから説明してみた。そうして、見たことが正確に伝わったら良いのにって思ったのだと。
「ちっちゃい頃そんなアニメ見たな、私…」
 彼は笑っていたけれど。
 そんな、いいものをたくさん見ることが出来たら良いのになー、と思う。見逃したなら勿体ないし、凄く残念だし。
 …仕事もあるから、そんなこと言っていられないけれど…。
「もっと、のんびり出来たら良いのにねー、みんなが」
 花が含んだ雨が一粒、葉を伝って落ちていく。


 ---今日も一日、お疲れ様でした。---




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