つぁひ→た~く→らずぴぃのおへや

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そのいち ~しゅっぱつまでのはなし~

なぜカナダなのか? 留学ならアメリカなんじゃないの?! という方は本当に多いのでございます。留学するんだ、というと、アメリカのどこに行くの?と聞かれる事が多かったのには本当に驚きました。

では、なぜカナダに行く事になったのか?
これは、私の両親の恩師であり、その当時都立高校の校長先生をなさっていた小林さんという方が、カナダ西部に視察に行かれて戻ってきた時に我が家に遊びにいらした時の事でございます。

「いやぁ、やっぱりカナダはいいねぇ。教育環境も整っているし、教育水準もアメリカよりも高い。治安も悪くないし、気候もマイルドだしねぇ。留学するにはもってこいだよ。」

とおっしゃいました。

私の中では留学するに当たってはアメリカに行くつもりは毛頭なかったので(へそ曲がりなんです、私…みんなのすることとは違う事をしたいタチでして…)、ちょっと困っていたところではありました。そこにこんな話が舞い込んできたので、単純な私は、「これはカナダ西部に行くしかない!!」なんて思っちゃったんですね(笑)。でも、その後両親に留学したい事を告げたとき、カナダ西部に行きたいといったら、両親は安心していたようだし、実際行ってからも、カナダを選んでよかった、と思えたので、あの頃の単純な私の直感は間違っていなかったのかもしれません(笑)。という事にしておいてください(爆)。

さて、小林先生のお話を伺ったとき、私はまだ両親に留学したい事を伝えてはいませんでした。まだ迷いがあったからです。でも、自分の中で場所を決め、どうしても留学しなければ学べない事をしたいという気持ちが固まったとき、両親に切り出しました。ある日の夕飯時だったと思います。
私は昔から何か大切な事を伝えるときは決まって緊張してしまい、どうも顔がこわばるらしいのですが(笑)、その時もかなりこわばっていたようで、母が私の様子がいつもと違うのに気がつきました。

母「何かあった?」
私「あ、うん…実はさ…」
母「な~に?」
私「私、留学したいんだけど…」
両親「・・・」

両親のこの沈黙は5秒だったか10秒だったか忘れましたが、この沈黙ったら血の気が引くほどこわ~い沈黙でした。次に何を言われるかわからなかったからです。実のところ、両親にこの事でそれまでに全く相談をした事がなかったので、この時に私が本当に留学したいと思っているのを知ったのは多分初めてだったと思います。口にしたのが初めてでしたから。だから、反対されるのを覚悟で両親に言ったわけです。この沈黙の後、最初の一言は父からでした。

父「…そっか。」

…へ?! それだけかいっ?!

母「なんとなくそうかなぁって思ってたけどね。」

さすがは母。やっぱり隠せないんだ。
で、反対はされず、快く行ってこい!! と言ってくれました。

ところが…

父「でもね、条件があるから。」
私「条件?! 何それ?」
父「何らかの卒業証書を貰うまではうちに帰ってきちゃダメ。」
私「えぇっ?!うちに帰ってきちゃダメって、1回も?!?!」
父「いやいや、一時的に帰ってくるのはいいけれど、自分で行きたいって言うんだから、ちゃんとその責任を果たす意味でも卒業して来なきゃだめ。」

ごもっともでございます。その方が私も途中で簡単に挫折しないでいいですから。 そんなわけで、留学する事を決めたのはいいのですが、学校の担任からは怒られました。なんてったって、担任にこのことを報告したのは、最終進路決定の三者面談の直前でしたから(笑)。その時は留学先の学校も決まっていなかったし。「決まっていないのはお前くらいだぞ」なんていわれちゃいまして(ちなみにこの担任、女性です)、1月までに学校を決定する約束をしました。
さて、この最終進路決定とは11月に行われるものでございますが、私に残されたのは1ヶ月。この間、私は留学雑誌を熟読し、留学センターに何度も足を運び、知り合いに資料請求の手伝いをしていただき、12月末にはめでたく学校を決定する事が出来ました。ESL(English as a Second Language)があり、終了時には大学編入コースを引き続き受講できる短大で、いい音楽プログラムのあるところを探し出し、ぎりぎりで5月からの申し込みに間に合いました。

1月からは授業がないので、推薦枠で進学が決定したり、他の理由で受験しない生徒たちは週3回学校で行われるセミナーもどき(コンピューターやらなにやら…だったと思います)を受けるわけですが、私は担任に頼み込んで、TOEFLの勉強をするべく、トフルゼミナールというところに毎日通う事にしました。4月までにTOEFLを毎月受験し、できるだけ点数を上げる約束を、短大の留学生担当であるInternational Educationのディレクターとしていたからです。

…余談ですが、4月受験の時、東京会場が満員で、名古屋か仙台であれば受験できます、と言われた事がありました。当時はもちろんCBT(コンピューター版)などはなく、毎月交互に土曜日受験と金曜日受験がありました。確か奇数月が土曜、偶数月が金曜だったような気がします(逆だったりして)。とりあえず、この時は金曜受験だったので、どちらに行くにしてもかろうじて受験可能な場所だったので、迷った挙句、父が仙台に出張があるらしいと言うのを聞いて、単純に仙台に行く事にしました(笑)。たかがテストのために仙台まで行くとはね~(^^;)。新幹線がなかったら行ってなかったと思います。ほんと。

話がそれてしまいました。
というわけで、トフルゼミナールには4ヶ月間お世話になり、そこで出会ったカナダ人講師2人には本当によくしていただきました。カナダの事もたくさん聞くことが出来てよかったし、勉強嫌いのこの私でも、英語を楽しく勉強する事が出来ました。ちなみにそこで私は同姓同名の人とであったのですが、性格も見た感じも似ていたのでまるで兄弟のよう(笑)。でも同じ名前だから兄弟はありえないのですが…。彼女は今アメリカでグリーンカードを取得し、シカゴで仕事をしていると思います。

そんなことをしているうちに高校も卒業し、いよいよカナダに行くわけですが… そうそう、中学以来の親友であるたかざわ氏は、私が出発をする日に空港までわざわざ見送りに来てくださったのでございます。あれは本当に嬉しかった。忘れもしない4月30日のことでございました。私はいろんな事で頭がいっぱいで、あまり周りが見えていなかったかもしれないのですが、彼女が見送りに来てくれたことで気を引き締められたのを覚えています。私は出発するときは絶対泣かないと決めていたので、ぐっと歯を食いしばっていましたが、彼女は思わずぽろっと…え~っ!ルール違反だよそれー!!なんて私が言ったりして、どっちが出発するんだか、と言う感じになってしまったりして。出発時刻が迫って、私もとうとう出国という時、私も家族もたかざわ氏もまるでなんでもないかのように

私「んじゃ行ってくるね。」
皆「うん。気をつけてね。」

と言う会話を交わした後、皆が見えなくなるまで振り向いては手を振っていましたが、とうとう見えなくなって出国手続きをした後、あぁ、とうとう一人になってしまった、と思ったら、涙がつぅっと頬を伝いました。いかんいかん、こんなことでめそめそしているわけには行かない…と思いつつ、何も無かったように搭乗口まで歩いていった私でございました。

いよいよカナダに到着し、そこで私を待っていたのは…


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