つぁひ→た~く→らずぴぃのおへや

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そのじゅう ~ちゅうぼう~

最後の最後で就職する事になった私。
せっかくかなった夢のダウンタウンバンクーバーでの生活も経った1ヶ月で終了(笑)。でも、実はあのダウンタウンの高層マンションに引っ越した時、あそこで暮らすのは長くない、と言う予感がしていました。帰国になるか、どこかに引っ越すかはわかりませんでしたが、どちらにしろ引っ越した早々近いうちに出て行く事になるだろう、と思っていました。その予感、的中(笑)。

さて、そんなこんなで採用通知の電話を貰ってから1週間で荷物をまとめ、ルームメイトに車で送ってもらいました。それまでに持っていた家具やら大きいものは全てルームメイトに譲り、必要最小限の荷物だけを持って人口1,100人の小さな町へいざ出発。

さて、引越先のTofinoというところは、昔からの漁村で、カナダを横断している国道1号線の終点です。バンクーバー島の最西端にあり、隣町までは、車で国立公園を突っ切って30分かかるところにあります。雨林地区で、海に囲まれていて、Tofinoの西は太平洋を挟んで日本があります(笑)。いや、これ、本当です。人口は1,100人ですが、そのうちの1/3はボートで暮らしていたり、町の近くの名もない離島に住んでいるので、実際町内に住んでいるのは750人程度。要するに、みんながみんなを知っている状態です。町のハイライトは、中心地にある生協と酒屋(爆)。

そんなところに、いきなり日本人が引っ越してきたら、当然話題になります。
採用が決まって私が実際にその町についた頃には、私の事は町中に知れ渡り、着いた日の翌日に街中に買い物に行ったら、
「あら、あなた、今度来たホテルの菓子職人さんね。ようこそトフィーノへ!これからも宜しくね♪」
と、私が顔を出したところ全部で言われました(笑)。小さな田舎町、恐るべし。最初はかなりびっくりしたけれど、何だかみんなが笑顔で迎えてくれたというのが嬉しかったです。

さて、私が職場で任されたのは、製菓部全部(汗)。正直あせりました。でも、シェフの命令ですから、責任重大です。もちろん私が専門学校を出たてのド素人だと言う事もわかっていての決断ですから、シェフもかなり冒険したもんです(笑)。私の前任者は、私に色々と引継ぎをしてからすぐに辞めていかれました。1人になったとき、なんとまあ心細かった事か…

そんな訳で、私の主な仕事は、朝1番にキッチンに入り、全ての火と電源を入れ、まずその日のランチとディナーサービス用のパンを焼きます。ランチは1種類、ディナーは2種類。夏の間はコンチネンタルブレックファストも担当になるので、マフィン、デニッシュ、フルーツポンチ、カットフルーツ、フレッシュジュースを朝食サービスに間に合うように用意します。それがひと段落着いたら、デザートとアイスクリーム・ソルベの補充。アイスクリームは4種類(バニラ、チョコレートともう2種類)、ソルベは2種類。デザートは、その時のメニューに載っているものですが、アイテムそのものや、それに必要な飾りやソースなどが足りなくなったら補充します。これ以外に、ケーキの注文、バンケットのデザートやケーキ、特別企画(週末ビュッフェや、イースター・クリスマスなどの季節イベント)のデザート等も作ります。製菓部で必要な材料管理も途中から任され、週に2回の食材注文の時には、私が責任を持って足りないものを発注したりしていました。季節ごとにメニューを変える時には、デザートに関しては、シェフ達と一緒に1日缶詰になってメニュー開発をしました。

こんな事を毎日繰り返していました。私のシフトは朝6時から午後2時半まで。本当は休み時間をとってもいいのですが、とてもそんな余裕はなく、ほとんどは休む事無く、ぶっ続けで仕事をしていました。しかも、最初のうちは製菓部担当が私1人だけだったので、2時半にあがる事はまずありませんでした。しんどかったぁ。
でも、シェフは本当に素晴らしい人で、色々と私に自由にやっていいよ、と言ってくださったので、パンも、アイスクリームも、ソルベも、注文のケーキも、私が思うように作らせてくださいました。わからなくなればシェフに相談すればいつでも気さくに相談に乗ってくださったし、私がドつぼにはまってしまった時は、いつでも助けてくださいました。もちろん厳しい方でしたから、私としてはもの凄く緊張の毎日でしたが…

そんな毎日を送っていましたが、問題がありました。
実のところ、私の上司は、口先ではうまい事を言っていながら、私の就労ビザの手続をいつまでもほったらかしにしていたのです。
上司にはころあいを見計らって、チクチクと私のビザの事を聞いていましたが、聞くたびにはぐらかされ、そんな事を言っているうちに、私の滞在ビザがきれそうになりました。
話せば長くなるので、ここでは割愛しますが、結局の所、上司は何もしなかったので、私の就労ビザは結局申請されることはありませんでした。今考えたら、いいように使われてしまったのかもしれませんが、ま、それでも1年強はいい経験ができたと思えば、それはそれでよかったのかもしれません。

そんなこんなで、まだまだ青かった私は、上司に対してぶち切れし、日本人を舐めるのもいい加減にしろよ~!! とちゃぶ台を投げつけてやりたかった(爆)気持ちを抑えつつ、日本に永久帰国する事を決心しました。

こんな形で私のカナダの生活を終わらせる事になろうとは…
正直もの凄くショックだったし、それよりも何よりももの凄く悔しかったので、いっぱい泣きました。両親に永久帰国する事を話したときも、あまりの悔しさに、電話口で泣いてしまいました。さすがの両親もこればかりは何もできなかったので、いたたまれなかったのか、
「ご苦労さん。今までよく頑張ったよ。ま、いいじゃないか。」
と言ってくれました。

こうして私のまる8年のカナダの生活は終わったのでございます。

後悔は全くありません。この8年間に私が見て、聞いて、体験した事は、今の私の基盤にもなっているわけだし、本当に色々な事を吸収できたと思います。日本にいたら、きっと出来なかった事もたくさん出来たし、私の人生の中で、本当に大切な部分です。

この8年は両親があの時反対もせずに私を送り出してくれて、ずっとサポートしてくれたから経験できたわけで、一生かかっても感謝し切れません。
父よ、母よ、本当にありがとう。


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