つぁひ→た~く→らずぴぃのおへや

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ばんがいへん ~ぼらんてぃあ~

ボランティア活動というものは、日本にいるとあまり身近ではないのですが、カナダにいると、結構色々なところで気軽に参加できるものです。


私が一番最初に本格的にボランティア活動をしたのは、大学に入った時。短大から大学に編入したのはいいものの、とにかく日本人がいないので、日本語を話したくて仕方がなかったんですね。で、とりあえず、大学内で何かないかと思って、色々探したわけです。


校内新聞を見てまず目に付いたのはラジオパーソナリティ。

大学内ラジオ局があって、講習を2回受けてデモテープを作り、許可が下りたら自分の番組がもてる! という事だったので、面白そうだからやってみようと思い、とりあえず講習は受けました。でも、自分ひとりだとちょっと大変そうだなぁ、と思って、結局デモテープを作るまでは行かずにそこで断念。(詳しくは、 そのご ~だいがく ぱーと1~ をご覧ください。)



そんなことをしている間に、大学の東洋学部日本語学科では日本語を習っている生徒のために週に1時間ほど時間を設けて、日本語クラブと称して日本語の会話の練習ができる場があり、そこで日本人のボランティアを探しているという情報をどこかから聞いてきて、そこに通うようになりました。


やっとそこで日本語を話せる仲間を見つけ、とりあえず授業以外に何かすることを探す事ができたので一安心。

世都とあったのもここです。そうそう、ママ友の。彼女とはここで出会って、ものすごく仲がよくなったのですが、彼女は秋セメスターが終わった頃に帰国していまい、2003年の母親学級でばったり再会するまで音信不通だった訳です。


世都が帰ってしまってから少しして、なおよさんからの電話があり、とんとん拍子でラジオデビューが決まり、学校の勉強以外に日本語クラブとラジオ番組をして、結構充実した生活を送る事になったわけです。

さて、1年経ったところで、音楽学部への編入も決定し、それと同時にボランティア活動ももっと活発になりました。。(詳しくは、 そのろく ~だいがく ぱーと2~ をご覧ください。)


まず、日本語クラブのボランティア活動を認められ、日本語のティーチングアシスタントとして正式にお仕事をいただきました。日本語クラブはそのまま続行でボランティア活動として続けました。ラジオも順調に進み、ずっとテープ録をしていましたが、ひょんなことから生放送をする事になり、それからはずっと生放送をしていました。


バイトとして紹介された表面上のボランティアであった、地元高校の合唱部の伴奏とボイストレーナーも始めました。それとは別に、なぜか日本人ESL生のランゲージパートナーになったり(本当はカナダ人がなるものですが、人手不足って事で、借り出されました)、個人的に日本語を教えたりもしました。

大学4年になる年の正月に、付き合っていたカナダ人に捨てられて(笑)かなり落ち込んだ私は、忙しくする事で立ち直る事を決心します。

そこで、今までの仕事以上に自分でできる事を探し始め、急募していた地元のコミュニティセンター主催の寿司講座の講師をしたり(爆)、同じ学部の人に誘われて、地元オペラソサエティに入ってコーラスで舞台に乗ったり(ミカドというギルバート・サリバンのオペレッタ。日本のお話なのに、スタッフを含めて生粋の日本人は私だけ!)、ほぼボランティア状態であった必要以上の伴奏(学部必須のコースの1つにスモールアンサンブルがあって、ピアノ選考の私は伴奏をしなければいけないのですが、2人でいいところを8人ほどしてました<爆>)、もともとやっていた日本語クラブやラジオも含めて、家にはほとんどいませんでした。友人にはよく怒られました(笑)。電話しても家にいる事がほとんどなかったから。


怒涛のごとく大学生活が終わり、調理学校に行き始めましたが、調理学校でもボランティア活動は続けました。

学校内で、本科とは別に一般向けの単発のコースがあり、そのコースのアシスタントをする事ができるというシステムがありました。もちろんボランティア好きの私は頻繁に参加し、調理学校時代の後半では、そのコースの先生からご指名をいただくほどにまでなりました。


後半では仕出し屋でのボランティアとしてのバイトが始まって、単発コースのボランティアが頻繁にできなくなってしまいましたが、両方とも程よく参加しました。


菓子職人として仕事を始めてからは、最初のうちは特に何もしていなかったのですが、クリスマス前ごろにクリスマス会で伴奏を頼まれ、そこからピアノを教えてほしいという依頼を受けたので、ピアノを教えていました。


カナダにいた時は、短大で音楽学部に入ってからずっと結婚式で歌ったりピアノを弾いたりするボランティアを続けていました。友人がよく教会に行く人で、その彼女から頼まれてずいぶん色々な教会で演奏したものです。彼女はピアノ弾きなので、私が歌うときは彼女が伴奏したり、時には連弾する事もありました。楽しかったなぁ。


日本に帰ってきてからは、残念ながらボランティア活動をしていませんが、これから機会があったらまた地域に貢献しようかなぁ、と思っています。




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