のりきちのへや

のりきちのへや

2号の場合

2号の場合

1号のとき不妊治療をしたことから、
多分次も病院にいかないといけないだろうな~と思っている矢先に妊娠。
どうも体質が変わってきたようです。

とりあえず経過は順調でした。例によってつわりも少なかったし。

しかし、1号を抱っこしたりしていたのがいけなかったのか、
産休に入る少し前の検診で子宮頚管が短くなりつつあると指摘を受け、
その日から1号の抱っこは禁止。
職場でもできるだけ移動が少なくなるように机の配置を換えてもらうことにしました。
そして、体をいたわりつつ何とか産休の日を迎えることができました。

今回は里帰り出産の予定なので産休に入った翌日には海を越えて実家へ行きました。
うちの母は心配性なので、子宮頚管のことを話したら
実家についてからは検診に行く以外は外出禁止、家事の手伝いも禁止になってしまい、
出産の日までずっと食っちゃ寝の生活になってしまいました。楽は楽でしたけどね...。

そうして何とか39週までたどり着いたのですが、
9月11日の朝、トイレに行って少し力んだら、
いきなり股の間に挟まったものが...。
同時にものすごい痛み(陣痛ですね)が始まりました。
私はもちろんのこと家族もパニック状態。
救急車を呼んで何とかそのまま病院まで搬送しようとしたものの、
救急車に乗り込むのすら間に合わず、
エレベーターをおりたところで産まれてしまいました。
胎盤だけは病院につくまでおなかの中にあったので病院で処置してもらいました。
救急隊員さんも「こんな体験は初めてですよ」といってました。
そりゃめったにあることではないでしょうね...。
多分一番びっくりしたのはマンションの管理人さんだろうなあ。

しかし、屋外で生まれたせいなのか、
それとも胎内ですでに病気になっていたのかは定かではありませんが、
2号は泣き声もほとんどなかったし、
おまけに細菌感染して保育器でしばらく過ごすことになってしまいました。
腕に点滴針が刺さらなかったといって額に点滴が刺さっている姿は
非常に痛々しかったです。
感染の原因がわからなかったので最悪の事態も覚悟したものの、
抗生物質が効いたようで、なんとか3日間で保育器から出られました。
心配して駆けつけていたオットと義母も一安心して愛媛に帰ることができました。
人生の始まりから大変な目にあっている2号です。

教訓
1.お産というものは想定外の出来事が起こりうることを頭の中にとどめるべし。
  覚悟だけはしておいたほうがいいかも(^^;)




《おまけ》
 2号はこれだけではなくて1ヶ月検診のときにも心雑音があるといわれ、
 調べてみたら肺動脈が普通より少し細いようでした。
 これは3ヶ月くらいにはもう直っていたようですが。
 おまけにアレルギーにはなるし、痙攣は起こすし、中耳炎にはなるし、
 産まれてからほとんど病院と縁が切れたことがないんじゃないか、って言うくらい
 病院に通っております...。


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