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返事が・・・・ キター!!! 嬉しい。嬉しい~。ドキドキの開封。 今の時代のメールも来れば感激ですが、好きな女性からの手紙がくるのは格別の感情がわき上がります。縁切りの内容かもしれないので、少しの不安はありますが、とにかく彼女の自筆の封筒がこうして手元にあることが無上の喜びです。早速開封しました。近況報告でした。親元を離れて一人でアパート住まいをしていること、正採用の社員となって働いていること、職場での悩みも少しはあることなどが記してありました。彼女からの手紙は読んでいてほんとに楽しい。面白かったエピソードや同僚との笑い話など、便箋に書き表すにはもどかしいものでした。もっと話を聞きたい。もっとこちらのことも話したい。どんなことがあったの?どんな生活だったの?3年間の積もり積もったことを聞きたい。今のように携帯があれば電話代がいくらになるか分からないぐらい話すでしょうね。彼女の住んでいたところはスキー場が近くにあるので、スキーに行くことを理由に年末に会いに行くことにしました。 当時はスキーブームで用具の発達と共にスキー人口が年々増えていました。同僚たちと県内のスキー場には何回も行っていたし、正月休みには仲間達と信州まで毎年行っていました。もちろんバイクじゃありません。車ですよ。あのバイクが壊れてからしばらくして車の免許を取りました。学生時代に先輩の車でスキーに何回も行っていたので、雪道の運転は結構なれています。(後部座席でのことですよ)その年も年末の30日から4日間のグループツアーを予約していました。でも、それでは彼女に会うことはできません。正月は彼女だって実家に帰るわけですから。そこで、もう25日には出発しました。(行動だけは早い。)クリスマスを一緒に過ごすことはできませんが、一日も早く会いたい。普通なら出発までは慎重に準備したりするのですが、この時はスキー用具と着替えを用意して早速に出発しました。3日間の予定です。もちろん一人です。車で行くとさすがに早く着きますね。わずか8時間で着きました。飛ばしましたね。だって早く会いたいですから。彼女の今度のアパートには電話があったので、着く直前に家の場所を確かめました。今回は面会拒否はなさそうです。3年前には会えませんでしたから、卒業以来で5年ぶりの再会になります。それらしい建物を見つけて、ついにドアの前に立ちました。コンコン。「ごめんください。」感動のシーンが・・・・。
2007.11.02
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あの日から3年が過ぎた。仕事にも慣れてくると職場の若い同僚たちの結婚の話があっちこっちで賑やかに聞こえてくる。自分の職場も結構若い人がいるのですが、どうも結婚する相手となると波長が合わない。まだ心の中にひかるが存在している。しつこいですね。ニュースなんかでストーカーの事件が報道されていますが、なんとなく気持ちは分かります。でも、「もう会いたくない。」と言われて、未練たらしくつきまとうのはだめでしょう。「見切り千両」みたいなものです。諦めることが肝腎です。そうは思っても、すんなりと諦めることができなかった。だって、仕方ないよ。好きになったんですから。好きになるというのは不思議ですね。なんせ理由がない。きれいだからとか、美人だからとか、金持ちだからとか、そんなことは関係ない。あるとすれば、自分が相手を思いやり、相手が自分のことを思いやる。そんなお互いの気持ちが一致したときに「好きになる」という感情が湧いてくるのだろう。そんな考えに至っている。しかし、「好きになってはいけない人を好きになる」と苦しみます。まさか自分が「星影のワルツ」の歌詞と同じ気持ちになるとは予想もしていなかった。 別れることはつらいけど、しかたがないんだ君のため 別れに星影のワルツを歌おう 一緒になれる幸せを二人で夢見た微笑んだ 遠くで祈ろう幸せを、 遠くで祈ろう幸せを、 別れに星影のワルツを歌おう (1番、2番ごちゃ混ぜ)自分を納得させて気持ちをきれいに整理したかった。そして、新たな人生を進んでいきたいと思っていた。だから思い切って手紙を書いた。惨めなバイク旅行から3年後の晩秋のころでした。
2007.11.02
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原付バイクによる惨めな信州旅行でしたが、最終結論はまだ先です。3年後の出来事を後日談の仕上げとします。自分の青春に別れを告げた思い出です。いつ書こうかと思っていたのですが、やはりこのまま一気に書き上げた方がいいのかなと思いまして、頑張って書きます。あの頃、ひかるは体調を崩して実家に帰っていると聞いていました。精神的な悩みでもあったのかなと心配であの時、訪ねてみようと思ったんです。実は事前に電話をかけていました。でも、名前を告げたとたんに電話が切れた。かけ直してもダメ。会いたくないならはっきりと断る人ですから、何も理由を言わなくて連絡を絶つのは不自然に感じます。会って話がしたかった。話が始まると終わりが無いくらいに話題が尽きない二人。睡魔が襲って目が閉じても話し込んだ二人。別世界に育った二人がお互いを知り合うのに時間はいくらかけても足りなかった。悩みが有れば聞いてあげるし、心が病んでいれば手を握って元気を与えたい。そんな気持ちでバイクを走らせたんです。面会拒否という仕打ちを受けた自分ですが、なおさらひかるのことが心配でした。心配ではあったが、こちらのショックも結構大きくて、立ち直るに時間がかかりました。 信州から帰ってから違う職場で働くことになり、自分の生活が変化しました。仕事は正社員ではなく、臨時雇用の状態でした。次の春にめでたく正採用となって、責任ある仕事を任せられるようになった。新人として何度も研修会に参加するなど自分の仕事を覚え、こなしていくのに力を注いだ。だから、ひかるさんのことは暫く考えないことにした。手紙も出さないようになった。あの日から3年の月日が流れた。
2007.11.01
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病院に運ばれました。交通事故の救急患者ということで早速見てもらえました。診察台に上がって、何処が傷ついているのか調べます。左手が手のひらを少し擦りむいています。右手は大丈夫。肘のあたりがひりひりします。ちょっと、擦り傷でした。ズボンを上げてみると、膝のあたりにも少々擦り傷あり。消毒と赤チンみたいなものを塗ってくれます。手当をしながら医者が尋ねます。「ヘルメットもかぶらずに、自動車にぶつかって、5メートルも飛んで、それでこの程度?」「う~ん、もう少し怪我してた方がよかったですか?」医者は笑うし、看護婦もげらげらです。「それで・・・、兵庫県からバイクで来たんですか?」「そうですよ。おかしいですか?」「普通はそんなことする人はいないよね。」 「まあ、そうでしょうねえ。」めずらしい飛び込みの患者に看護婦たちは、ぞろぞろと集まっています。まるで、めずらしいパンダを見にきているみたいな雰囲気です。平日の昼過ぎのことですから、僕が何者なのかが興味あるのでしょう。なんと、暇な病院でしょうか。平和ですねえ。 「学生さんですか?」 「いいえ、働いていますよ。」「今日は休み?」 「ええ、休みですけど。」「職業は?」 「○○○です。」「え~~。」 周りは大爆笑。看護婦さんは左手に包帯を巻きながら、笑いすぎてきちんと巻けない状態。そんなにおかしいかなあ。僕の心の状態を知らないから、みんな気楽に笑っている。そりゃ、バイクがグシャとなり、飛ばされてこの程度の怪我で済んでいるのだから、笑ってしまうのも仕方ないかもですけどね。治療が終わって、事故の相手と事後処理について相談しました。バイクはこっちで処分すること、保険で治療費を出し、バイクは過失割合分を保証してくれることになりました。 入院治療費はいらないし、まあ安くて済んだ事故です。 病院は塩尻駅の近くだったので、関係者たちに別れを告げて、列車で松本まで行きました。バイクならすぐに着く距離が歩きだと時間がかかります。あんな事故にもかかわらず、事故の反省や後悔はほとんどなかった。予定が狂ったのが大きい。もちろん彼女に会えなかった心の痛みが一番大きい。 寮には知っている友だちがまだ数人残っていたので、旧交を温めまして、懐かしい話やら、先輩達の話に花がさきました。でも、もう一つの目的地の方が行きたいメインでしたから、残念の一言です。電話で様子を聞くと、「先輩、待っているんですよ。どうしたんですか。」「事故でなあ、行けなくなった。すまん。」「え~、こっちの寮祭は盛り上がっていますよ。残念ですねえ。じゃあ、お元気で。」後輩の元気な声を聞いて逆に意気消沈です。もう、ここに留まる理由もない。夜行列車で帰ります。いったい何をするために信州に来たのだろう。目的は全て達成できなかった。虚しさだけが残った。愛車のメイトはスクラップ。手には包帯。 おふくろの言葉が思い出された。「行きはバイクで帰りは汽車にはならんときよ。」出かけるときの元気はどこにいったのか。惨めな思い出だけが残った旅だった。ちくしょう。(悔しい時にいう捨てゼリフ。現在は死語?)これが青春だあ!! 初めての長編シリーズでした。読んでくれた皆さん、ありがとうございます。
2007.10.31
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ショックで悲しみに落ち込んでいる僕に追い打ちをかけるような事故だった。涙で視界がはっきりと見えていない状況で運転をしてはいけませんね。ぶつかる瞬間まで気が付かなかったので、ほとんどノーブレーキです。勢い余って反対側車線まで飛びました。幸いにも反対側も渋滞していたので、かろうじて轢かれなくて済みましたが、危機一髪とはこのことなんでしょう。僕の怪我は・・・・奇跡? 手足のかすり傷だけ。当時はまだヘルメットの着用が義務ではなく、僕も着けていませんでした。さらに手袋もしていない。普通は長距離のドライブともなると、ヘルメット、手袋を着装して運転するもんですよね。まあ、気軽に考えている愚かな若者でした。愛車のメイトは前輪がグシャとなっています。車体全体が「くの字」で修理不能の状態。ところが自分の体は奇跡でしょうか?おまえはまだ死んだらいかんと神様が言ってくれたのかどうか、軽傷で済みました。 このときほど柔道の受け身をありがたいと思ったことはありません。高校、大学と柔道は得意というか、受け身は巧かったですね。ぶつかって、5メートルほど飛んだんですが、そこで見事な前回り受け身。頭が道路に当たることもなく、自力で起きあがれました。「あ~あ、やっちゃった」でも、この事故のことよりも面会拒否にあった悲しみの方が大きいので、大変な事故を起こしたなんて、深刻には思っていませんでした。 とりあえず、愛車を道ばたに避けまして、救急車を待っていました。先に警察がきました。事故の状況検分をしたあと、聞いてきました。「このバイクは君のかね」 「はい」「ナンバーは兵庫だが、学生かね?」 「いいえ、働いていますよ。」「なんで兵庫ナンバーがここにいるの?」 「走ってきたんですよ。」「え~!!。この原付で?兵庫から?」 「そうですよ。」「うそだろう。こんな原付で。」信じてもらえません。まあ、普通は考えられないよね。「昨日出発して、名古屋で一泊して、それで今ここにいるのです。」「え~~、兵庫からだとずいぶん距離があるよ~。」「そうですね、500kmぐらいかな」「仕事は?」 「○○○です」「ほんとに?」信じられない話のようですが、僕はまじめに答えているものですから、信じるしかない。あきれかえった顔で悩んでいましたが、他に真実はなさそうですから、やっと、信じてくれたようです。もう一人の警官も笑っています。でも、あきれていました。周りで話を聞いていた野次馬さんたちも笑っています。まあ、怪我がたいしたことなくて済んだし、僕は相手を非難することもなく、相手さんも「ほっと」していたみたい。相手の車の方が可哀想です。とんだ災難ですね。でも、交通法規上は過失は相手側が大きいのです。こんな時は徐行です。対向車線側が譲ってくれたので、急いで曲がったそうですが、運悪く前をよく見ていない(見えていない)僕のバイクとぶつかってしまった。しばらくして救急車がきた。いつか乗って見たいとは思っていましたから、初めての乗車はうきうきです。「横にならなくていいですか?」「大丈夫ですよ」 病院でもまたまた、爆笑さわぎになった。
2007.10.30
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やっと着きました。着いたぞー。バイクを押して最後の坂を上り庭先に止めました。これからの話をどう書き綴ったらいいのか少々悩んでいます。だって人生の思い出の中で忘れられない出来事なのですから。心はドキドキです。誰でもそうだと思うのですが、好きになった女性の自宅を初めて訪問するときの心の昂ぶり想像してみてください。厚かましくて、図々しい僕が慎重になりました。 彼女の名前が何回も出てくるので、仮名をつけますね。宇多田ヒカルがお気に入りなので、ひかるさんと呼ばせてもらいます。まずはこの家が彼女の家かどうか確かめます。広い庭先を進んで玄関までいきました。表札は確かにひかるさんの自宅でした。ほっとしました。「ごめん下さい。」 返事がない。「ごめん下さい。」二度目も返事がない。あれ? 自宅に帰っているという噂を聞いていたので、在宅の可能性が高いはずなのですが留守なのでしょうか。しばらくして縁側の方へ回ってみた。「あっ。」人影が見えました。たしかに誰かいます。そして、家族の方ならすぐに出てくるはずですね。玄関から再度呼んでみました。玄関のドアは鍵がかかっていなくて、少し開くことができました。「ひかるさん」、「ひかるさん」「たぬきです。」(もちろん本名を言いますよ)返事はありません。「どうして?」・・・・・・ また縁側の方へ回ってみます。そのとき玄関に人影が。 ドアを開けて「え~、こんにちは、どうしたのよ急に?」という光景を一瞬想像しました。けれど・・・・ その人影の行動は予期せぬものでした。スリガラス越しに見えた小柄な女性が玄関に鍵をかけたのです。茫然自失とはこのときの自分のことです。もう、言葉が出ません。驚きと悲しみで涙があふれます。「うそだろう。なんで?うそ~。まさか。」立ちすくむ俺。なんと言ったらいいのか?どう行動したらいいのか?納得できないけど、どうすることもできない。何回も声をかけました。虚しくなるばかりです。ほんとにどうしたらいいんだ。こんなこと全然想像してなかった。思考がまとまらなくて、錯乱状態になった。自分が分からない。落ち着くまでに時間がどれだけ過ぎたんだろう。バイクに乗らなくてはと思っても、すぐにはエンジンをかけることができない。でも会えないことが確実であることは分かった。苦労して上ってきた坂道を意気消沈して下っていった。 道路に出て家が見えなくなるときから涙がとまらない。拭いても拭いても涙がとまらない。前が見えない。運転できない。「なぜ?なぜなんだ。」あれこれと理由を探してみるが、納得できない。なんとなく、理由らしきことは想像できるのだが、それでも・・・・ 「悲しみに打ちひしがれた○○」という表現はドラマなどで見たり聞いたりしたことはあるが、まさか自分にこのとき、この場所でこの状況におこるとは想像もしなかった。数年ぶりに訪ねた僕への冷たい仕打ち。バイクを運転しながら涙で前が見えない状態。このままでは事故してしまう。そう思いながらも、なんとか北へ北へと走らせた。何度も涙を拭きながらアクセルを回していた。何とか塩尻峠を越えて塩尻市内へ。この頃にはもう涙もなんとかおさまってきた。小雨が降ってきた。俺の気持ちを慰めてくれているのか?松本へ続く国道は渋滞していた。愛車のヤマハメイトは渋滞している自動車の左側をすいすいとすり抜けていく。ある車が前の車との間を大きく空けていた。冷静な時なら「あれ!」と思うだろうが、ひかるさんに訪問を断られた悲しみで正常な思考力はなくなっている。それに渋滞の車で反対車線の車なんか見えない状況。対向の右折してきた車と、「ガァッシャーン。」5メートルぐらい飛んだ。初めて救急車に乗った。
2007.10.28
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いざ行かん信州へ。ぐっすりと眠れたので元気回復です。木曽川沿いの国道を北上します。春日井、多治見を過ぎて恵那市まで来ると、いよいよ標高が高くなったのが感じます。中津川も懐かしい思い出のある町です。大学に入った時の5月まで中津川と塩尻までSLが走っていました。6月から中央西線が電化されることになっていましたが、南木曽駅と田立駅の間は新線を別ルートで作ることになっており、旧線部分は電化のための架線がなく撮影には好条件ということで、人気の撮影場所でした。ぼくも5月の連休を利用して撮影に行きました。このときの写真がまた傑作です。何千枚もの作品の中でおそらくNO.1の出来です。ここに出せないのが悔やまれます。いつか出しますね。さて、中津川をすぎると、旧中山道の有名な馬籠宿です。せっかくバイクで来ているのですから、見学していきます。馬籠峠を過ぎて今度は妻籠です。ここは東の天竜川へ抜ける清内路峠への分岐点。ひとしきり有名な宿場町の雰囲気を楽しみました。さっきの馬籠峠も結構な坂道でしたが、これからの坂道は予想がつきません。覚悟はしていたけどね。順調に東へ向かっていたのですが、そこに罠があった。だんだんと道が狭くなっていく。あれ!!!ちと不安になってきましたが、とりあえず東に向かっているのは確かだったので、そのまま進んだ。舗装はされているがこの坂はきつい。トップギヤーどころかセカンドギヤーでないと進まない。いつまで続くこの峠。ついにはローギヤーでないと止まってしまう。ローで回転数を上げてセカンドに。すると、また上れない。またまたローに切り替える。これの繰り返し。えらい峠です。道はくねくね。行き交う車もほとんどない。こりゃ、間違えているぞ!。ここまで進んだらもう引き返せない。どうせ予定の峠でも似たようなもんだと思ったので、そのまま進むことにした。後で確かめたら予定の清内路峠は一度南下していくんですね。途中の分岐点で間違えてしまった。真横に横断したので距離的には近いようだが、坂のきつさにはまいった。太平峠というのでした。木曽峠ともいうそうです。そのかわり、峠を過ぎて見えた景色はすばらしかった。木曽川の谷筋は渓谷が狭いので何となく暗い感じがしますが、こちらの天竜川の谷筋は幅が広いせいか明るく感じます。峠は上りも大変ですが、下りはより慎重にしないと怖いです。今度もローギヤーでエンジンブレーキを利用して下ります。飯田市の街並みは市といっても土地の広い田舎ですから、開けた明るい印象です。信州といっても、北信の長野が中心の善光寺平、中信の松本盆地、南信の飯田、伊那盆地と、縦長なんです。気候も全然違います。さて、やっと飯田市までたどり着きました。腹減った。でも、もう少しで会えるとなると、飯を食う時間も惜しい。目的地の一つはもうすぐです。1時間ぐらいの再会を予定していました。夕刻には松本まで行かなければと、思うとのんびりとはできません。もっとも、彼女の家で長居をするかもという、期待はあるのですが。ここで、しばらく北上を続けました。まばらな集落をすぎて、地元の方に聞きました。「そこなら通り過ぎていますよ。もっと南です。」あれ?このあたりに家なんてあるかなあ。そういえば、昔の彼女の話を思い出した。「私の家?すっごい山奥のいなかだよ。」たいがい川から標高の高いところにいるのに、まだあるの?住所の番地からすると、どうもこのあたり。見上げると山肌に一軒の家が・・・・・・あった。あれかな。とりあえず、行ってみるべえ。でもどこに道があるの?どうやってあがるの?やっと見つけた。でもローギヤーでも上がれない。両足でこぎながら、駄目なところは押していった。なんだ坂、こんな坂。着いたあ~。
2007.10.27
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隣に住んでいるというだけの理由で、どこの何者か分からない男を独身の若い女性が部屋に招き入れる。現在では(いや、たとえ昔でも)考えられない状態ですよね。でも、何となくすんなりと部屋に上がり込んだんです。ほんとに厚かましいと思います。ひとしきり○○さんとの関係を説明しまして、要するに単なる知り合いなんです。学生時代に3年間ほど、僕の友だちの彼女というわけで、親しく話はしていたし、年下の妹みたいな感じで接していたものですから、遠慮はありません。会えば「やあ、元気か」程度の挨拶をする間柄でしょうか。隣人の彼女は夕ご飯はまだみたいで、当然僕もですよ。というわけでご馳走になりました。(いいのかねえ。)話も尽きたあたりで、もう10時を過ぎています。○○さんはまだ帰ってきません。(言いにくいのでこれから別の名前でいいます。中島みゆきさんが好きなので、みゆきにします。)どうしましょう?(この厚かましい男、おいとまする気配もない。でも今更出て行けとも言いにくい。)僕は実は疲れていた。なんせ10時間以上もバイクに乗っていたわけですから、そりゃ疲れますよ。もう少し待ってみようと、なったんですが、11時になってもみゆきさんは帰ってこない。こうなりゃ、どこでも寝る僕のこと、頼みました。「あの~、すみませんが、ここで寝かせてもらえませんか?」「いいですよ。じゃあ、ベッド使ってください。」「え~、いやいや、ソファでいいですよ。どこでも寝られますから。」それでも彼女はお客さんに親切な対応をするやさしい性格の人なんでしょうか、結局僕がベッドで、彼女がソファで寝ました。もうすごい睡魔でしたから、この状況を冷静に判断できませんでしたが、据え膳を食う状態だったんでしょうね。若い女性の一人住まいに、男が泊まり込んでいる。で、結果は・・・・・ふかふかの布団で感激でした。わあ~、さすが女性だなあ。俺のせんべい蒲団とはえらい違いだ。気持ち良かった。ぐっすりと寝た。(爆睡)朝は彼女よりも早く起きた。隣のみゆきは帰ってきたのかと、確かめたが結局帰っていなかった。彼氏のところでお泊まりだったのかな。まあ、どうでもいいや。ようするに、目的地に行くにあたり、難関の一泊をクリアできたということです。普通の人なら知らないところで泊まるというのが抵抗あると思いますが、僕の場合はこんなことに慣れている。SLを撮影旅行していたので、駅の待合室だろうが、倉庫の中だろうが、夜露さえしのげれば、何処でも寝ることができる。また、知らない人とすぐにお友達になって、厚かましく願いを達成してきた。九州で撮影旅行のときも食堂で知り合ったおじさんに一晩泊めて貰った。常識では考えられない行動をしますね。我ながら呆れています。さて、これからどうするか。もちろん彼女に会いにいくために、ここまで来ているわけですから、早々にここを引き上げることにしました。みゆきの隣人さんは急な災難が降ってきたわけですが、どんな気持ちで寝たのでしょう。起こすのも悪いような気がしまして、書き置きをして出発することにしました。「見ず知らずの男に一泊のお世話をしていただき、ありがとうございます。たぬき」一宿一飯の恩義は感じても、何もお礼をしない男でした。「据え膳食わぬは男の恥」という言葉がありますが、う~ん、恥ばかりかいているね。彼女の名誉のためにいいますが、彼女は美人でした。優しくて、料理は上手で、すてきでしたね。出発にあたり、名前と住所が知りたかったんですが、(後でお礼の手紙を出そうと思いましたよ)結局、起こさなかったので、知らずじまいでした。さよなら、見ず知らずの優しい人。みゆきさんとはその後も音信不通です。さあ、出発。いざ難関の山国へ。
2007.10.26
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亀山から名古屋へ向かう道に迷ってしまった。地図によると国道があるので、この道で行けば確実だと判断しました。なんせここからは初めての道ですからね。大きな国道に入ってすいすいと気持ち良く飛ばしていきました。快調に走っているんですが、なんとなくおかしい。なにがって、だって道沿いに店がない。自転車も走ってない。バイクも走ってない。おかしいなあ、おかしいよお。とまあ、疑問には思いながらも心は早く名古屋に着くことを考えていました。家を出発してもう10時間は走っています。そろそろお尻が痛くなってきました。柔らかいシートですが、さすがに長時間乗っていると痛くなりますね。分岐点もなくひたすら北上を続ける僕と愛車のヤマハメイト。(銀行マンがよく乗っているバイクです)途中の休憩をするところもなく、(する気もなかったのですが)、やっと名古屋市内の標識が見えた。このあたりで、誰かに聞くことにした。ガソリンスタンドがやっと見つかったので、そこで聞きました。僕 「名古屋市内はどちらですか?」店員「あっちだよ、あー行って、こう行って」僕「ありがとう。」店員「ちょっと、あんたこの道路を通ってきたの?」僕「そうですよ。なにか?」店員「あなたのバイク50ccでしょう。」僕「そうですよ。」店員「え~。(あきれた顔)あんたの通ってきたこの道路は自動車専用道路ですよ。50ccじゃ通行できないんですよ。」僕「え~。そうだったんですか。」店員「違反ですよ。よく捕まらなかったね。」やはりおかしいと思った。予感は当たりました。でも、どこで入り間違えたのか、自分でも分かりません。そういえば、途中でびゅんびゅんと追い抜いていくトラックにクラクションを鳴らされたことが何回かありました。(「こら~。おまえこの道通ったらあかんやろ。」と言っていたんでしょうね)今から思い出すとぞっとします。要するに国道の標識はありますが、バイパス道路だったんですね。高架道路でなかったので別に自動車専用道路を走っている感じはなかった。ただ、お店がなかったのは気が付きましたけど。まあ、済んだことはしゃあない。無事に一般道路に降りられたんだし、めでたしめでたし。 さて、そろそろ薄暗くなってきました。ここで今夜の宿泊先を訪ねて行きます。大学時代の知り合いが名古屋にいることは知っていたので、そこに泊まろうと考えていたんです。もちろん、連絡は・・・していません。飛び込みです。なんという厚かましい男でしょうか。住所も電話番号も知りません。どうしてたどり着くかって?実家は知っていたんですよ。そこで実家の電話番号を105で聞いて、住所を聞き出したんです。電話は当時は引いている人が少なかったので、直接に訪ねるしかない。 (なんという無計画、そろそろ呆れている人が多いのでは?)やっと、住所を探すことができました。もうあたりは暗くなっています。「ピンポーン。」あれ、留守だ。隣の住人に聞きました。若い二十歳ぐらいのお嬢さんでした。「○○さんはいないのですか?」「そうですね、彼女は今日は遅いと思いますよ。」「こまったなあ、今夜泊めて貰おうと思っていたんですけど。」彼女は僕のことを○○さんの彼氏だと思ったんでしょうか。「帰ってくるまで、私の部屋で待ちますか?」(お~、なんと優しい。)「はい、お願いします。」 ( 厚かましくて、ずうずうしい人間とは僕のことをいいます。)信じられませんね。長くなりました。今宵はここまでにしとうございます。
2007.10.25
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前の内容に事故のことを書いていましたが、もう少し詳しく書いてみます。笑い話のようで悲しい思い出なんです。大学を卒業してもまだなんとなく学生気分が残っていました。秋には大学で学園祭やら寮祭が開かれます。後輩達にも会いたいし、ちょうどその頃に1週間ほどのまとまった休みがとれました。500kmも離れているわけですから、普通なら列車で行くのが常識というものです。でも、原付の免許を取って1年ぐらいだったし、元気というか無鉄砲というか、まあそんな人生を歩いてきたわけで、ここは一つバイクで信州まで行こうと決めたんです。おふくろはもちろん止めましたよ。でも、なにを言っても思い通りのことをやる男ですから、気にしません。おふくろ「行きはバイクで帰りは汽車にならんときよ」この言葉は強く印象に残っています。だって、その通りになったんですから。(汽車という言葉はなんとなく蒸気機関車をイメージしますね。当時はすでに電化されていたので電車が似合う言葉なんですが、おふくろの言葉では未だに汽車を使います。)「大丈夫だよ。」ほんとうにそう思っていました。国道2号線をひたすら東へと進みます。途中には警察のねずみ取りが頻繁に行われているのでスピードが出せません。信号もあるのでどうしても平均時速は30km以下ですね。神戸、大阪と排気ガスを吸いながら東へ東へ。京都を過ぎて草津からルートを南へと変更しました。国道沿いの景色が悪いし、信号も多い。なにより関ヶ原の難所を原付が越えられるか心配でした。自動車ならなんと云うことのない坂ですが、なんせ50ccのバイクです。長い坂を走るのはやばいと、野生の感です。それに5年ほど前までSLを撮影するために草津から柘植そして亀山までは何度もかよった土地ですから懐かしさも加わって、かつての撮影場所なんかをたどって行きました。「ここでD51の貨物列車を写したなあ」ヒッチハイクで無理矢理乗せて貰い、あげくは「あのSL列車を追い越して下さい」なんて、高校生のすることじゃなかったね。亀山では参宮線(亀山~伊勢市)最後のSLとなった列車を写すために、一晩泊まりました。どこに?もちろん駅の待合室です。9月29日のことです。そして早朝一番の列車で亀山から二駅のところへ行き、目的の列車を撮影しました。たった一本の列車のために一泊するとはなんというバカ。あきれますね。このときの写真は僕の写真集の中でも自慢の作品なんです。いつか載せますね。話がそれてしまいました。亀山からの続きは次回にします。では、おやすみなさい。
2007.10.24
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僕の好きな歌手はと聞かれたら、やはり「かぐや姫」学生時代に初めて買ったレコードが「三階建の歌」これは4枚目のリリースでした。次に3枚目の 「かぐや姫サード」を買った。つま恋コンサートの実況ライブをFMエアチェックしてカセットに録音しました。当時はオーディオブームでもあり、アンプ、チューナーなどの製品がどんどん性能アップしていましたね。メーカーもトリオ、サンスイ、デンオン、ナカミチなど職人が腕をふるっていい製品を出していました。今では没落のメーカーとなっている会社がほとんで寂しいかぎりです。さて、今の自分にはこの曲です。さっき、風呂でゆっくりとした気分でこの歌を思い出しました。かぐや姫の「好きだった人」名曲がたくさんあるので、その影に隠れて有名ではないけど、若者の恋の歌には欠かせないもの。それは失恋。 好きだった人、ブルージーンをはいていた。好きだった人、?????思い出せない。失恋という言葉は知ってたけれど~、失恋という言葉は知ってたけれど~好きだった人いつもけらけら笑っていた寒い冬はどてらを羽織っていた子どもの頃の話を楽しそうに話してくれた学生寮の劇で一緒に演技したねストーブを囲んで夜更けまで話したね腹減った俺に寮で内緒の食事を作ってくれたフレアースカートで一回転した君が輝いていた外国の文学作品を情熱的に朗読してくれた会っているときは夢心地そして憧憬君をポケットに詰め込んでこのまま連れ去りたいあ~だから今夜だけは君を抱いていたい明日の今頃は僕は汽車の中 (チュ-リップの歌)500キロも離れたあなたに原付バイクで会いに行ったなのに居留守・・・なぜ?かなわぬ恋は見切るべし?涙がとまらないそして事故行きはバイクで帰りは電車松本の女鳥羽川からの常念岳が忘れられない笑い話のような悲しい青春の思い出そして、また・・・・・返事がない・・・・
2007.10.22
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もう10月も下旬ですよ。なのに、まだ太刀魚を釣っていない。様子を探りに行ったが残念ながら「アジ」釣りの人ばかり。たまに太刀魚を狙っている人もいますが、「だめだねえ、さっぱりや」今年の夏は異常な高温で残暑も長かった。やっと秋らしくなったが水温が下がるのはもっと先。メバルかガシラを狙っていくかな。セイゴやチヌは釣っても家族が食べてくれないので、釣る気がしない。鰯と鰺は食べるけど、バケツにいっぱい釣ると逆に不評です。釣ってきた魚は基本的に全て私が捌きます。魚は箸の使い方が正しくないと食べにくいという理由で食卓に上る回数が少ないのです。私はきちんと出来ますよ。でも、料理長の配偶者が・・・・・。箸の持ち方は子どもの頃にしっかりと仕込むべきですね。テレビの料理番組でも箸の持ち方が正しく出来ている人がほとんどいない。昔はそれが恥ずかしいことだと思われていたもんですが・・・。ということは、鉛筆や毛筆の持ち方も変なのでしょうか?箸と共通ですからね。小さい頃にスプーンでも食べられるからと安易に考えて、指の訓練をしないからでしょうね。箸を正しく使って、健康のためにも魚さんを食べましょう。tulipuでした。
2007.10.22
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半年前に引っ越しで倉庫に移したパソコンを2台出してきて使うことにした。ところが、ショックを与えてしまったのかHDDが壊れていた。修復のためのフロッピーを探してなんとか初期化できた。でも不良セクタがあり満足な快適さは望めない。日曜日だというのに、朝から職場に出かけて修理、修理、修理。好きなことには時間を忘れて熱中しますね。ついでにメモリも増設することにして、昨日買いに行った。年々安くなっていますね。ところが古い規格のメモリは生産されていないために高い。中古を置いている店に行って探すとありました。なんと!安い!!。以前は高くて手が出なかったのに・・・・・1Gを思い切って奮発しました。Pen4の2Ghzでもメモリさえあれば快適です。でも、でも、新しい規格のメモリはもっと安いんです。僕のブログに来てくれる方の記事によれば今が最安値とか。とりあえず、家のPCも1G、今回のも1Gずつ増設できました。パソコンはどんどん進化しているけど、もう性能向上はやや鈍化傾向ですね。それに比べて、ソフトの向上にびっくり。ワードもエクセルも今までの変化がマイナーバージョンアップのように感じる今回の新製品。別にマイクロソフトを勧める気はないのだけど、高い金をとるだけのことはあると思うぐらい改良されていた。でも、でも、これで、またまた解説書やら雑誌がいろんな記事をこれでもか~と、出版されるわけだ。う~ん、パソコン業界に振り回されているような気がしますね。次々と買い換えないとサポートされなくなるので、買わざるを得ない。ウイルスソフトも必要だから買う。これって、いつまで続くの?早く Linux が普及しないかな。辞書はATOKを載せて快適なPC生活がしたい。ソフトはアメリカに牛耳られて、ハードは海外で安く量産される。日本は金を出すだけ。惨め、みじめ、悲惨。これも、もとを糾せば中曽根首相とレーガン大統領とのアホな密約からこうなったんです。このことについては長くなるので、次の機会に書きます。まあ、なんとかこれ以上に出費をしないように自制します。買い出すと見境なく買ってしまいますから。え~い、買っちゃえ。と、ね。昔、誰かが言った。「男は自分の趣味には盲目的に金を使う生き物だ。」反省。
2007.10.21
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30年ぶりに手紙を書いた。(いや、25年かな)今みたいにメールやら携帯なんかない時代ですから、通信手段としては手紙しかない。自分の気持ちを伝える手段としては最善、最高、そして究極の方法ですね。でも、欠点があります。それが起きてしまったんですね。二人の問題に解決できない事態が発生する。近くにいればなんとか解決の糸口を見つけたり、相談したりできるのですが、遠距離の場合はそれができない。諦めの気持ちになって、ついには破局。気持ちの整理がつくまでに時間がかかりました。手をつないだこともないくせに、この人と一緒に居られたらいいなあ、と思っていた硬派の俺。今の若者には分からない、信じられない心境かな。それから25年の歳月が経ちました。偶然にも彼女の消息を知ることになり、連絡をするべきか悩みました。電話番号も分かっているんですが、やはり手紙ですよね。文通していた昔を思い出しながら、一晩かかって書き上げました。相手も結婚しているし、迷惑かなあと悩みながら、でも出さずにはいられないこの衝動。わざわざ、便箋を買ってきましたよ。文房具屋にもあまり種類がありませんね。そりゃそうでしょう。このご時世ですから。封筒に入れて、切手を貼って、いざポストへ。あ~あ、出しちゃった。30代、40代の頃は今を生きることに懸命で昔を振り返ることはあまり無かった。時々、どうしているんだろうかなあ。と思うがそれだけ。行動を起こすことは無理。でも、50を過ぎると昔のことをよく思い出す。死んだ親父も若い頃のことや海軍時代のことをよく話していた。俺も同じ年頃になったんだなあって思う。親父が病床にいたときに突然「海軍のセーラー服はどこにやった」と、母親に詰問していた。「そんなのずっと昔に捨てたやないの」「ああ、九州に帰りたか~。」死期を悟った親父がふともらした言葉。俺も近頃、無性に九州に帰ってみたくなっている。せめて母親には思い出の炭坑町を見せて冥土のみやげにして貰おうかな。( 画家の中島潔さんと同じなんですよ。作品に描かれている、相知・岩屋・厳木の地名は中島さんも同じふるさとへの郷愁を強く持たれているからなんでしょう)俺自身がふるさとへの郷愁を感じているのかもしれない。第三のふるさとの信州の景色をもう一度見たい。
2007.10.14
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総合病院に行きました。でも、胃カメラには抵抗があるし、すぐに癌が増殖もしないだろう、なんて勝手に自分の都合でへそヘルニアだけの診察にしました。結果はやはり、「しばらく様子をみましょう。」でした。受付で簡単な問診を受けました。すると「皮膚科に行ってください」 「えっ!皮膚科?」まあ、いいや。診てくれた先生は若い美人でした。まあ皮膚科はそんなに血を見ることも少ないので、女性が多い分野だとは思いますが。それにしても美人だった。もう一人の先生も女性です。こちらは30才前半ぐらいか?で、シャツをあげてへそを見せました。初めて診る症状みたいで、柔らかくて飛び出している部分をかわいい指先でそーっと押しています。「これは外科の領域ですよね。なんで皮膚科に回ってきたのかな。」そんなん、知らんがな。俺だってなんで皮膚科に行くのか疑問だった。「外科はすぐ隣ですから、そちらで待ってください。」この皮膚科の廊下で30分以上待ったのに、またか!初めの問診の担当者。出てきて謝れ!と、ぶつぶつと心の中で文句はいいますが、美人の若い先生に診て貰ったので、少し心うきうきです。程なくして、呼ばれました。「どうされました?」 「うーん。これは・・・・・」 「エコーで診ましょうか」ひとしきりエコーで腹部をスキャンしていましたが、腹膜なんかの薄いものが見えるはずもなく、しばらく動かしてあたかも見えるかのように動かしていました。でも、結局わからずに終わり。結論としては、「手術するほどではないので、悪化しないように努力してください。」自分で考えられる程度のことを医者から言われて確認しただけのものでしたね。つまり、肥満を解消すること、タバコを止めること。喘息の治療をしておなかに圧力をかけないようにすること。これも想定したとおりだった。穴があいた腹膜は縫えないこと。自然に結合しないこと。などの話を聞いてなるほど。肥満のみなさん、気をつけましょう。腹膜が伸びて弾力がなくなるうえに、年齢を重ねるともろく弱ってくる。そこに激しい咳をしたり、重いものを持ったりして、腹部に圧力をかける状態になると、どこか弱いところから腸などが出てくるようになる。主に下腹部が多いが、まれにへそにも出てくる。よーく分かりました。でもどうやってタバコを止めるかですね。いろいろあるそうです。同僚もピタッと止めています。まずは、爪のあかをいただいて、煎じて飲みましょう。次は恐怖の内視鏡です。一度病院の中を探検して、胃カメラを飲んだ人に聞いてみよう。そして上手だったら受けてみようかな。危機感のない自分が情けない。いまだに子どもみたい。
2007.10.11
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いろいろと具合の悪いことが発生しています。原因は肥満とタバコです。最近の不調をあげてみますと、4月 転勤の作業で腰を痛めた。6月 寝違えて首の古傷(頸椎ヘルニア)が再発7月 虫歯の治療にて、神経を刺激。それに伴って帯状疱疹8月 水虫が広がる。 喘息がひどくなる。9月 へその凹みが一部凸状になる(ヘルニアと判明)10月 集団検診の結果、胃に潰瘍が発見される。要精密検査の診断というわけで、明日仕事を休んで病院に行くことになりました。さて、どちらを先に診てもらうのかな?胃カメラには嫌な思い出があるんですよ。昔は今と違って大きかった。太かった。診察台に上がると1メートル以上の内視鏡が横たえてあった。「これが入るのか?え~!こんなに長いの?」そんなことはないだろう。半分くらいかな?と、思っていたら、なんと全部入れるのです。食べ物はなんでもガツガツと、入れてきた胃袋ですが、こんな太くて長いものを食べたことはなかった。医者はもっと、もっと先までとひねりながら、ぐいぐいと押し込んでいきます。「やめて、やめてくれ~。」声が出ないので懸命に手で合図しました。目からは涙、涙。うっうっ。苦しい。胃の出口あたりまで突っ込んだ医者は「じゃ、このへんで止めましょうか。」あの長さの内視鏡が口から入っていったいどこを、ぐるぐるとめぐっていたのか?不思議です。だって、180cmぐらいの長さですよ。俺の胃はそんなに長いの?信じられん。結果はただの良性ポリープだった。でも、今回は受けた方がよさそうな気がしている。不安ですよ。癌は怖いけど、内視鏡も怖い。どうすりゃいいのさ、この私。今はもっと細くなっているという、皆さんの意見を信じていきます。でも、もし太かったら・・・・う~ん、止めます。もう一つのへそヘルニアは・・・・・たばこの吸い過ぎで、喘息ぎみなんです。冬になるとひどい咳が出ます。気楽に咳をしていたんですが、なんとえらいことになっていまった。へその一部が少し膨らんできた。「ここまで脂肪がついてきたのか。やばいなあ」と、簡単に思っていたら、最近咳をするたびに腸がへそから飛び出そうとしていることに気が付いた。「なんじゃ~、これ」 「やば~い」今は咳をするたびにへそを押さえています。普通は口を押さえて咳をするもんですが、私の場合はへそを押さえます。昼間の意識のあるときはいいのですが、寝ているともうダメ。咳き込むたびに、へそが膨らみます。笑ってしまいますね。でも笑えないのですよ。深刻な悩みですよ。昔の健康な体がなつかしい。無理をしすぎたね。好きなだけ甘いものを食べ、タバコぷかぷか。高脂血症、高血圧、肥満、喘息、不規則な生活、ストレス・・・書いていると気持ち悪くなってきた。明日、起きたらどっちにするか決めます。へそヘルニアで腹を切るか、内視鏡で癌が見つかって腹を切るか。どっちにしても腹切りの結論しかなさそう。悲しい。
2007.10.10
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最近の記憶はどんどん忘れていくものなのに、忘れない記憶というものがある。子どもの頃の記憶は不思議なことにいまだにはっきりとイメージが残っている。自分にとっての一番古い記憶はなんだろうかと、辿っていくと、赤ちゃんの頃にたどり着く。まだ言葉が出ない四つんばいで「はいはい」している頃の記憶である。九州の炭坑町で生まれた僕は炭住と呼ばれる長屋の社宅に住んでいた。裏庭には小さいながらもいろんな花や植物が植えてあった。そこに降りるには、踏み台があるのだが、そこによく落ちたというのである。四つんばいでとことことスピードをあげて縁側からドスンと落ちる。それを何度もするものだから、ついには腰にひもをつけられ、柱にくくられた。それでもひもをほどいてまた縁側に突進する。そして落ちる。「なんでこんなことするとかね。ばかやろか。」親の冷たい言葉。いまだに覚えている。「そうじゃないんだ。」言葉を出せない僕は苛々するが、いかんせん気持ちを表すすべがない。自分の気持ちはこうでした。ゆっくり進めば端で止まることはできる。それに飽きたらずにレベルアップしてスピードをあげ、そしてそこでピタッと止まってみたかった。失敗してドスンと落ちても、「ちきしょうめ。またできなかった。よーし、今度こそ。」親にしてみたら、落ちてけがをするかもしれないし、ひやひや、はらはらの状態ですから、何度も落ちまくる僕をなんとか落ちないように紐でくくるというのは理解できます。でも僕は挑戦したかったんです。母によれば歩き出したのが10ヶ月の頃といいますから、それ以前の記憶なんです。しゃべれない僕は自分の気持ちを理解してもらえなくて悲しい気持ちでした。「そうじゃないんだ。そうじゃないんだ。」心の中でさけんでいた。子どもはたとえしゃべれなくても、親が話しかけることによって言葉を覚え、発音できるようになっていく。親はいろんな言葉を話しかけることが大事だといわれている。自分の子どもが0歳児のころに、自分の小さい頃の経験を思い出して、今こんなことを願っているんだな、と思えた。世の中の暗いニュースの中に、子どもが泣きやまないからと虐待する親がいるが、子どもの思考や気持ちは育っているんです。まだしゃべれないから泣いているんです。赤ちゃんは泣くという行為で自分の意志を表現しているんです。それは本能であるかもしれないし、また発音は出来なくても親が話しかける言葉を経験から理解し思考しています。大事なことは話しかけながら、行為を実行するということです。たとえば、お乳がほしいと思ったら、「おっぱいがほしいの?」と、話しかけておっぱいを飲ませるんです。この話しかけと行為が一致していくことが、赤ちゃんの経験なんですね。表情や言語といえない発声の赤ちゃん言葉を理解するのが親でしょう。まだしゃべれない赤ちゃんでも頭脳の発達は着実に進んで、思考しているんです。僕の一番古い、生後10ヶ月以前の記憶でした。
2007.09.23
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やっと秋の風情が漂ってきましたね。夜風が気持ちいい。庭の虫たちの声も落ち着いた感じで聞くことができます。玄関先でのタバコの一服も気持ちいい。蚊に刺されることもなく、風は爽やか。待ち望んでいた秋ですね。春夏秋冬それぞれに風情があって四季を楽しむ。でも、冬と夏が体に堪えるようになってきた。若い頃はスキーブームで、車にキャリヤーをつけたり、スノータイヤに変更するのが楽しみだった。夏はもちろん海やプールに行きまくった。過ぎ去った青春の思い出です。老後はおとなしく過ごします。でも、でも・・・・もう一度北海道にスキーに行きたいなあ。退職したらやりたいことがたくさん有りすぎて悩みます。体が二つ欲しい。体重は二人分なんだけどね。どうも分割ができないみたい。( あたりまえか?)とりあえず、猛暑が終わりと言うことでめでたし、めでたし。
2007.09.23
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異常気象?うんざり警報発令中。こんな暑い日を望んでいたのに、いざ暑い日が続くとうんざりですね。風があると結構涼しいのですがね。太った体には暑さはこたえます。暑さはもうええから秋になってんかあ。たしか梅雨の時もこんなことを言っていたようだ。そしたら梅雨が終わったね。ということは、・・・・・そろそろ夏が終わるのでしょうか。そうしましょう。そうです。来週から秋にしましょう。いつまでも夏の衣装では、困ります。(衣料品を売っているスーパーの店員さんの言葉)さて、夏の気分で深夜喫茶に行って読書に行きましょう。読む本はいつものパソコン雑誌。でも、昔みたいには長く読めません。なんせ老眼ですから。辛いもんですよ。細かい文字が見えませんから。さあ、お勉強します。このパソコン業界は常に勉強してないとついて行けませんからね。老体にはそろそろ引退の文字がちらちらと、、、、、
2007.09.20
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すごい気候変動です。この時期に猛暑日?昼の日差しを受けたら痛いほどだった。明日も暑いとか。まだ、「つくつくぼうし」が鳴いている。1ヶ月ほどずれ込んでいるね。しばらくすれば一気に秋となるのでしょうか。近くのスーパーで夏物商品のバーゲンはすでに終わっている。けど、秋物は売れていない。清涼飲料メーカーはウハウハですけど。暑さに負けて、炭酸系の飲み物がまだ欲しい。おかげで太りました。夏前には順調に減量できていたんですけどね。アイス、ジュースにおいしい果物。暑くて運動もままならない。ウーン、太ったのは気候のせいです。涼しくなったら減量に再挑戦します。?????はたしてうまくできるのかな?
2007.09.19
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息子がバイトをしています。今までは何もしなかった。学生になって1年も経つのにバイトを一つもしないのは異常です。「なにかやれ!」稼がない分を倹約生活でしのいでいましたが、家でごろごろしていても仕方がないので無理矢理に知り合いのリサイクルショップに働かせることにした。今までバイトなんぞしたことがないので少し不安だったが、まあなんとかやっているみたい。私の少年の頃はバイトするのが当たり前だった。(でもないかな?)中学時代は新聞配達。高校時代は鮮魚市場で走り回っていた。朝というより夜の3時から働いて、7時まで。それから学校へ行っていました。大学時代にはいろんなバイトをしましたね。いい思い出です。次回にはいくつか紹介します。さて、息子のバイトは時給750円。6時間しか働けないから1日に4500円。週休2日ですから5日働くとして、月に20日ほど。22日働いたとして9万9000円。1年間で120万円弱となる。世の中の格差社会について政治批判をしたり、経済について学んでいるが、実際の労働と収入については実感を持っていなかったようだ。「年収300万円時代を生き抜く」という本を読んでも、気軽に自分が300万円を手にすることができると考えていたようだ。実際に働いてみて、300万円の年収を得ることが難しいということを知った。バブル崩壊後の「構造改革による経済の立て直しを」という小泉内閣のスローガンの実態を知らない多くの国民は小泉内閣を支持してきた。そして郵政民営化選挙で圧勝したが、その陰に隠れた格差社会のあまりの痛みにやっと気が付いた。おろかなり日本人。あちこちで「困った、困った」と嘆く国民のニュースを放送しながら、放送局に勤務の人々は腹の中で笑っているでしょう。自分たちは高給取りですから。情報操作によって政府に具合の悪いことは知らせない。国民の知らないうちに、いろんな法律の改悪がなされて、気が付けば多くの国民が貧しい生活になっている。「ドラゴン桜」のドラマでの第1回目にびっくりするセリフがあった。茶髪、金髪で化粧している高校生相手に、「おまえらはバカだ。政府に騙されているのがわからんか。もっと勉強しろ。そして、勝ち組になりたかったら東大へ行け。」 と。そこから東大受験の物語が進んでいくのだが、このセリフに唖然とした。このことは、支配階級の人間にとっては知らせてはいけないことなんです。一部の金持ちが金持ちであり続けるためには、多くの国民にほんとうのことを知らせてはいけないのです。知らない内に国民から搾り取ることを目指し、金持ちはより金持ちに、貧乏人はひたすら貧乏生活を送り続ける世の中。現実になってきたこの格差社会。やっと国民が気が付いた。でも、もう遅い。大企業は空前の利益を上げながら国民にはその実感がない。こんな世の中に誰がした?こんな政府を選んだ国民です。自分は勝ち組になるんだ、という賢い人と政治に無関心の人々によって格差社会は拡大していった。面白いですね。政治と経済は。さて、息子はどうするのでしょう。なにができるのでしょう?愚痴ばかりを言い続ける生活か、それとものし上がるか。今年の夏は息子にとって有意義なものになったようだ。
2007.08.31
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皮膚科の病院へ行ってきた。まだ痛い。医者曰く「痛んだ神経が再生するのに約2,3ヶ月はかかりますね。それまでは痛みを抑える薬でしのいでください。」ほんとにこれでいいのかなあ。まあ、医者を信じるしかないし、経験者のアドバイスでも我慢するしかない。これしかない。とほほ、、、、、歩いても、車の運転中も、ズキズキと痛みが出る。まあ、割と一般的な病気なんでしょうね。病院の待合室にはこの帯状疱疹の説明記事が大きく掲載されています。試練でしょうか?しばらくは柔道の練習も止めてのんびりしましょう。みなさん、気をつけて下さいね。運のいい人は罹らずに済みますからね。罹った人は連絡ください。慰めてあげますから。
2007.08.30
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はっきりした季節ですね。あんなに暑かったのに、夕立・突風で真夏日が終わってしまった。今年の夏こそという思いは見事に空振りでした。減量も7月までは順調に思えたのに、暑さに負けて、ジュース、アイス、コーラ、かき氷、缶コーヒーを飲みまくり。そりゃ、ふとるわな。反省。反省はするが実行は無し。昔、反省だけなら猿でもできる。と、いうのがありました。今までの人生で一度も夏痩せの経験がない。ひたすら夏太り。帯状疱疹のせいで運動がままならぬ状態ですから、摂取カロリーも控えなくてはいけないのですが、なにせ暑かったもので・・・・・。これからの季節をどう乗り越えましょうか?今年の秋の味覚はきっと糖度の高いおいしい果物がいっぱい出回るでしょう。なにせ、「天高くブタ肥ゆる秋」秋の終わりの体重計がこわい。しばらく押し入れにしまいましょうかね。
2007.08.29
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久々の更新ですね。 真夏日が続いて体が疲れていたのです。帯状疱疹という病気にかかりました。暑いので寝るときにクーラーをかけていました。起きてみると、心臓のあたりがなんとなく痛い。前日にタバコをバンバン吸いまして、これでは肺ガンになるなあ、と思いつつ、吸い続けるバカな俺。胸の痛み、心臓か?肺か?ついに壊れたかな?と心配。地元の循環器病院に行きました。胸のレントゲン、心電図、血液検査をしまして、待つこと1時間。先生「胸を見せて下さい。あ~、これね。帯状疱疹ですね。心臓は大丈夫。肺もいいよ。」ほっとしましたが、なに?それ!帯状疱疹?先生「皇太子妃の雅子さんがかかった病気ですよ。」なんじゃ、それ。先生「今すぐに皮膚科に行きなさい。」やれやれ一安心。皮膚科に行きました。丁寧な説明で納得です。子どもの頃にかかった水ぼうそうの菌が体に潜んでいて、疲労や老化から菌が再活動したものということです。脊柱の神経に潜んでいた菌が体を丸く取り囲んでいる神経に沿って帯状に発症するのでその名がついているということです。要するに老化しているんです。暑さでクーラーをガンガンかけているのも神経にはいけないという。反省します。この年になって反省が多いですねえ。というわけで、今夜はクーラーなし。ぬるま湯に長く入って疲れを癒やし、体を温めます。年寄りは体をいたわるべし。若い人もいつかはかかりまっせえ~。
2007.08.24
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お盆ですね。親父が他界するまでは、お盆といえば休日でした。でも毎日仏壇に手を合わせている母には大事な行事です。無沙汰の親不幸息子もこのときばかりは、母の願いをくんで行動しています。七回忌の法要もすんで、日がそんなに空いていないので、墓参りも連続の感がしますが、親父に感謝していることを態度で表します。たしかに今の自分の平穏無事な生活は親父のおかげです。やはり先祖や親に感謝の気持ちを持たないとだめでしょうね。分かってはいるんですが・・・。日頃の行動に表されていない。反省。明日は墓の掃除をして、母と食事を一緒にします。たまに見ると一段と背が低くなっています。腰椎が縮んでいるので神経を圧迫しているらしく、常に足がしびれると言っている。俺もこの2ヶ月間、腕のしびれで苦痛の毎日。やや良くなってきているが、ときどきしびれている。こうして体の自由が利かなくなって老人になっていくんですね。まさに老人への道まっしぐら。後は子どもに託します。たのんまっせ、子ども達。自分が親の面倒をしっかり見ていないくせに、子どもには期待している。あつかましいねえ。因果応報ですからね。これからです。親孝行は。はい。がんばります。
2007.08.12
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初めての経験。いつか息子が二十歳になったら飲みに行きたいと思っていた。俺自身が飲めないので誘うこともない。今日は昔の知り合いと飲もうということになって、ビアガーデンに行った。息子は大学でも飲むことは全然していないので、どの程度か心配だった。ジョッキにビールをついで、一口飲んだ。「まずい。苦い。なんでこんなもんがうまいのや。信じられん」他のアルコール類もだめ。どうやら、アルコール拒否症候群みたい。アルコールの臭いだけで吐き気がするそうです。なんとも、扱いにくい奴です。こんなんで、社会人になれるのでしょうかね。アル中にはなりそうもないが、それでも付き合いのビールの1杯ぐらいは飲めよ。なにかにつけて心配の息子です。まあ、すこしづつ飲めるようになるでしょうかね。知り合いの連中は俺とは初めての酒の席ですから、懐かしい昔話に花が咲きまして、楽しい話やら、ぎょっとする暴露話もありまして、「時効じゃあ」と開き直っていましたね。ほどよい酒は楽しい。久々の愉快な酒の宴でした。来年もというか度々飲みたくなりましたね。
2007.08.04
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いい加減にしろ。と、いいたいですね。去年もだらだらと長雨でした。今年の夏の長期予報では猛暑と、なっていましたが、はずれですね。家電メーカーは猛暑をあてこんで、クーラーを増産したということですが、売れ残りが心配ですね。夏至の頃から八月末までは、せっかく日照時間が長いのだから、この時期に晴天が欲しいですね。夏至までが梅雨で雨はこの時期にまとめてふるべし。ただし、災害が起きない程度で、時々中休みをいれるべし。夏至を過ぎればかんかん日照り。適度に夕立があれば、なおよろしい。九月になれば秋。さわやかな天候になるべし。台風は来なくていい。こんなうまい具合になったらいいなあ。今年の夏こそ、どこぞに旅行に行きたい。いつも旅行記を書いてくれる○○○さんが、羨ましい。若い頃に旅行をしすぎた罰なんでしょうか。このところ県外に出ることがほとんど無い。定年になったら、あっちこっち行きたいと願っている。でも、心配なのは親父と同じで定年前にガンに罹ることかな。その可能性も多々ありますね。やばいよ。あと、8年です。いや、年金の受給が5年遅れるから、13年。それは無理ですね。それまでに死ぬ可能性あり。今の政治は年金を受給する頃には、受給者を減らす作戦ですね。具合の悪いことは先延ばし。そして、社会保険庁のように悪事がばれたら、それを口実に増税とか、受給を減額するとか、うまくやっていますね。政府は。だけど、こんな政治を良しとする国民が多いのだからまいった。具合の悪いことは隠す。それをマスコミも追求しない。追求しても尻すぼみ。やばいときは、情報操作。政府もNHKも。世の中、騙す人と騙される人。搾取する人と搾取される人。少数の勝ち組と多数の負け組。賢い人は勉強して勝ち組になることに努力する。勉強しない人は負け組になっていることを知らずに貧乏生活。それでも文句をいわない。こんな世の中だめでしょう。もう少し貧乏人が増えて革命の機運が上がらなければ、世の中変わらんかな。南米の諸国みたいに貧しきものを救う大統領が出てくるのはいつのことか。これだけ多数のフリーターやパートの人たちが何故に今の政治に反対しないのか。そんな境遇になってしまった諸悪の根源に反対しないのか。不思議ですね。構造改革?聞こえは良さそうだが、その中身は国民の多数が不幸になることなのが理解できていない。格差社会、アメリカの思うつぼ。愚かなり日本人。さて、今度の選挙の結果はいかに。
2007.07.22
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呆れてしまいますね。この長雨。たしか2年前にも4月から7月まで雨だらけの日々でしたね。鬱陶しいのはもう一つ。首の痛みですね。首の牽引をしても痛みが取れない。慢性化しているということで、医者曰く、完全なヘルニアですと。常に右腕にしびれがあるので、心が落ち着かない。ちょっと体を動かすと激痛がおそってくる。その度に首やら肩を動かしてこきこき。そしてため息。いいニュースが一つ。体重の減少です。なんと新記録。前回の87キロ後半から、さらに87キロまで痩せました。う~ん。感激。何となくズボンがゆるくなったような、気がします。癌の家系なので痩せるばかりがいいとは限りません。ちと不安もあるがとりあえず痩せることは至上命令なので、少し喜びます。では、遠慮しながら、バンザ~イ!( やや小さな声で )
2007.07.14
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このところの仕事の追い込みで、ついに夜勤をしてしまった。仕事は家庭に持ち帰らないことを原則にしていましたが、なかなかねえ。昼間は客への応対で忙しいので、事務処理なんかが、ついつい後回しになってしまう。首の調子もよくないので、根気が続かない。キーボードに向かうと、つい首が前に傾いて、肩こり、骨の変形へと進んでいく。この数日は夜中に激痛で起きることが少なくて、まあ眠れるようになった。でも、2,3回は寝相が悪いもんですから、枕がずれて激痛で目が覚める。経験者の意見を聞くと、みなさん同じような苦しみを経験しているんですね。手術しなくて済むようにこまめに首つりに行っています。夜勤というか、残業は新しい職場の書類作成が様式が違っているので、とまどっていることが原因なんですが、何かにつけて、忙しいときにかぎってスムーズにいかないトラブルが発生するもんです。話題が面白くないので、病院でのことを一つ書きましょう。そこの外科は評判がいいのですが、近頃患者がもっと増えた。若先生とよばれる息子がすこぶる評判がいい。親父さんも地域では有名だったんですが、息子が手伝うようになって、そちらの方が患者の信頼もいいし、なにより看護婦が若先生を尊敬している。へえ~と感心していたんですが、それの根拠が分かった。治療に慣れてきて、周りを見渡すゆとりができて、ふと壁のかざりをみると、そこにはいろんな写真が飾ってある。近寄って見ると、なんと、有名人とのツウショットやらサイン色紙が並んでいる。陸上でオリンピックに出たITOさん、マラソンのミズキさん、サッカーのカズ、ミヤモトなどおいおい、すごいじゃん。この若先生の説明が納得できるんですね。症状と治療方針の説明では、十分に納得できるので信頼できる。こりゃ、患者が増える訳だわ。看護婦もベテランが大勢いるし、忙しいけれど楽しそう。今までは、数回通ったらなんとか痛みが取れて、完全治療までしなかったんですが、ここまで悪化すると、長期に治療する必要がありますね。まあ、ぼちぼち、気長に通うことにします。できれば、夏の暑い日差しが来る頃には元気になって、青春したいものです。気分だけはいつも若いつもり。えへっ。
2007.07.12
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今日は記念するべき日なんです。そうです、トリプル7の日です。2007年7月7日近くのパチンコ屋では普段からぞろ目の日がサービスデーなんです。とくに今日は777の日です。行かなくては。ところが残念なことに、腕を動かすことが苦痛な状態です。この2週間というもの、苦しんでいます。 体にガタがくるとあっちこっちだめになりますね。テレビを見るときに肘をついて寝ころんで見るくせがありまして、そのまま寝込んでしまった。朝が起きられない。やばいと思いながらもこのところの仕事の忙しさで、病院に行くことができなかった。昔からの持病で、そのうちにと思っていると来てしまった。手がしびれて寝るのもつらい。寝返りができない。熟睡できることが幸せであることが痛感できました。徹夜状態、次の日が1時間ごとに起きて、これまた寝不足。整形外科を2つもはしご。接骨院でマッサージ。首のつり上げをしても以前のようには回復しない。痛みが残って、腕がしびれる。パソコンに向かうなんて無理無理。今日は痛みが治まりだして、痛み止めの注射をしたせいで、なんとか腕が上がるようになった。キーボードに向かって今もしびれがある。長くは出来ません。ついに終わったか。たぬきの日記も。いやいや、痛みさえ取れれば、復活じゃ。元気出せ~~。と言うわけで、当分病院通いです。楽しい夏が・・・うっうっ。(悲)おじい、おばばの通う外科病院の常連になります。元気になったら病院の様子なども書き込みしますね。楽しい看護婦さんが多いから、結構面白い話もありそうです。
2007.07.07
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忙しさにかまけてサボっていました。気にはなるのですが、どうもです。みなさんは記事がないときはどうされていますか?この2週間は仕事が忙しいこともあり、更新ができませんでした。前回の鹿を見つけた記事の次の日に、またまた見たんです。でも、それも運悪くデジカメを持っていなかった。さらに、4日前には敷地内に入り込んで、散歩としゃれ込んでいました。なんとか追い出して山の中に帰ってくれました。聞くところによると、他に猿もいるという話。鹿、猿、狸がいるこの自然に恵まれた環境はすばらしい。いつか裏山の中を探検してみたい。さらに、会社の中にはブタが4匹います。もちろん、その中の1匹は私です。
2007.06.24
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ついに見ました。鹿です。同僚からの証言によると、会社の裏手にある山に鹿が住んでおり、時々水を飲みに小川に出没するということでした。今日は暇だったんで、カメラを持って外で待機したんですが、午前中は来ませんでした。午後からは諦めたというか、忘れてしまい携帯しかもっていませんでした。という訳で、写した写真は携帯画像です。何となく分かるかな。明日は望遠付のデジカメを持ってアップの写真に挑戦します。なお、撮影場所は公開出来ませんが、40万都市の市街地です。3枚目の写真の後方のマンションの後ろは2号線です。なんで、こんなところに鹿がいるの?まだ2才ぐらいかな。
2007.06.12
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8年間の練習の成果がこの日に結果として出ます。それをどう受け止めるかは、本人にしか分からない。でも、なにかを得たと信じている。一回戦は並の強さのチームなので4-0の勝ち。娘も二本勝ちでほっとした表情。次が私学の強豪でした。結果は1-0の負け。娘は引き分け。よくぞ一本取りました。なんとか逃げ切ってチームのリードをとってほしかったが、取り返された。今まではあっさりと負けるパターンが続いていたが、気合いの入った試合運びで、ビデオ撮影しながらも声を出しそうになりました。むかし、息子が地区大会で決勝戦まで進んだときに、感動のあまり、撮影しながら声をばんばん入れてしまいまして、後でビデオを見るときに家族から猛烈な非難を浴びました。でも、ついつい出てしまうんですよね。「よっしゃ、そこだ。」とか、「がんばれ」とかね。今日の結果は上位にはいけませんでしたが、それなりに善戦したんじゃないかな。帰りに話をしても、結構満足のいく試合結果に納得していたようです。よかったなあ。親としてはもっと早くこの実力を発揮して欲しかったんですが、あまりプレッシャーをかけても嫌気がさしてなげやりになるのが怖いので、なにもいいませんでした。このあたりが難しいですね。期待しすぎると競技が楽しくないし、本人の実力と自信を見定めながら、適当にアドバイスしたり、励ましたりします。これで剣道からは足を洗います。剣道を通じて10年間続けた子どもたちとの会話も、もう終わりです。今度は孫とやりましょうかね。何年先の話だろう。そのころにはもうこの世にいない可能性が高いね。でも、できたらいいなあ。家の隣に道場があればいいと思いますねえ。夢。いつか、かなえたい夢。あとは子どもたちが自分で選んでいく人生。今日は私の人生の中でも、区切りの記念すべき一日でした。2007、6、8 宝塚にて。
2007.06.08
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訪問者の数が5000人を超えましたので、一応お祝いと言うことで、バンザイ! ばんざい! 万歳!パチパチ、わあ~、わあ~、ピュー、ピューと喜びました。それで、楽天ブログサイトの方以外は書き込み禁止としていましたが、やはり自由に書き込みできるのが、いいと思いまして解除します。といいつつ、やはり再度の禁止にするかもしれませんが、しばらく様子見ですね。他の方々も結構迷惑メールを受けているんですね。でも、そんなことは承知の上で、さっさと削除して心穏やかです。私はそれを知って愕然としたんです。「わあ、強いなあ。これぐらいの心を持つべきなんだな」と。という訳で、私も少しぐらいの迷惑メールに、おたおたせずに悠然と構えていたいと思いました。それが、当分の間がたった1日になった理由です。すこし、気持ちが強くなったような気がします。この心を娘に捧げる。明日は最後の試合だよ。泣いても笑っても自分の結果です。都合8年間の結果が明日の試合で終わる。一人の親として観覧席からその試合ぶりを観戦します。ビデオを持つ手が震えるだろうなあ。長女が中学から始めた親子の剣道の時間。ついに終わりです。長かった。いや短かったかな。私にとっては我が子と竹刀を交えて同じスポーツをすることが出来たというのが、一番の財産なのかな。これが子育ての楽しさ。振り返れば、いい思い出でした。3人とも賞状を1枚ずつ手にしましたから。「人生は思いで作り」少し満足。結果は後日に。
2007.06.07
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最近は訪問してくれる人が多くなりまして、大変嬉しいのですが、反面気楽に書けなくなってしまうような、そんな気がしています。そんなこと気にしてたら、かっこつけた文章しか書けないので、今まで通りに自分流を貫いていきます。そうですよね。気楽に、気長に、気持ちよく、やっていきましょう。楽天以外の方にお詫びです。このところ、提示板に不快な書き込みがありましたので、停止しました。するとコメントも同時に書き込めなくなるんですね。ごめんなさいね。でもしばらくはこのまま、禁止措置をとります。近いうちに解除の方針です。それまで、見るだけになりますが、ご了承ください。
2007.06.06
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このブログは面白い話題やずっこけ話が少ない。でも、ほんのさっきの出来事は笑った。例によって、我が家は女達が先に風呂に入る。娘が入り始めた。風呂場のドアを開けた瞬間、「ぎゃ~。」その後の言葉がなくて、静まりかえった様子に、「なんや、どないしたん?」「あれ、あれ見て。なに?」湯船の中になにやら動いている小動物が・・・・・。よく見るとトカゲでした。気持ちよさそうに泳いでいます。ほんとは、逃げだそうと必死でもがいているんでしょうが、上がれないので、しばし四つ足を伸ばしたりして、気持ち良さそうに浮かんでいます。「なんとかして~。」つぶして殺すのも可哀想だし、なにで取り除こうかな。バケツですくいまして、外へ持ち出しました。よくみると、トカゲなんですが色が白い。こんな白いのは初めてです。ドアを開けたショックで天井から落ちてきたということ。娘はひどくショックを受けていましたね。もし、これが湯船に入っていたときだったら・・・そりゃ~びっくりしますわな。気持ちよく、湯につかっているときに、目の前にトカゲが、ぽとりと落ちてきて、自分の方に接近したらそりゃもう、パニックですね。この出来事は娘には一生残る記憶になるでしょう。人生、いろいろあるもんです。今日は私は風呂はパスです。ほとぼりが冷めた頃に入ることにします。
2007.06.04
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なんと、なんと、忘れていました。自分の結婚記念日。この夫婦が単なる戸籍上のつながりだというのがまるわかりです。このところの、忙しい毎日でゆとりをなくしていますね。結婚記念日についてはいやな思い出があるんですよ。1年目の時でした。その日は記念日だなあと、職場で同僚と話をしたら、配偶者と共通の知り合いでしたから、花壇に咲いていたバラの花をいくつか上司が切ってプレゼントしてくれたんです。きれいな花を選んで包んでくれました。包装は新聞紙しかなくて、それでも気持ちのものですから別に気にもとめずに、うきうきとした気分で帰りました。団地の庭で近所の奥さんたちと話し込んでいるところに、「ただいま。」「なに、それ。」「バラだよ。」「なんでまた?」「だって、今日は結婚記念日だよ。」「え~。そうだったけ。」喜んでくれると期待した私は次の言葉に愕然。「やあ~ねえ、新聞紙で包むなんて」もっと他に言うことないか?(怒)結婚記念日を忘れるだけでなく、花を持って帰った旦那に言う言葉が、それか?文句や非難ばかりが先に出るいやな奴。少しばかり頭の回転はいいようだが、ものごとの本質を理解しようとしない奴。自分の世界の価値基準しか認めないバカ。結婚一年目から喧嘩ばかりだったけど、女性の優しさも愛情もかけらもない言葉をいっぱいもらった。その度に落ち込んだ。悲しい結婚。やり直したい結婚。婚姻届けを出すときに感じた一抹の不安。予感は現実だった。幸せな結婚生活のみなさんが羨ましい。今年は俺も忘れてしまった。もうだめだね。ちなみに、配偶者が記念日を覚えていて、なにか言葉かけをしたことは一度もない。熟年離婚は目の前です。早く自由の身になりたい。また、暗い話をしてしまった。ごめんなさい。みなさんは幸せにね。
2007.06.03
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待ちに待った金曜日。ぼーーと過ごす土日。月曜の朝は早く金曜にならないかな。と思い、あわただしく火曜、水曜と進み、あと2日だ。と気合いを入れて、明日になれば待ちに待った金曜日だ、と思う 1週間。早い。早すぎる。子どもの頃の1年は、いろんな思い出がうかんでくる。高校も3年間の思い出が1年ごとに印象に残っている。大学も同じ。あの頃の1年は強烈な印象を残して記憶に残っている。勤め始めて2年間の出来事も記憶に残っていますね。しかし、30才を過ぎてからの1年のサイクルはあまりにも短い。日々の生活にたいした変化がないからなんでしょうね。せいぜいが、子どもの成長に合わせて記憶を辿るようになっている。子育て真っ最中のみなさん。今が楽しいのですよ。来年はついに下の子どもが家を出て行くだろう。そうすると家に残るのは2人だけ。寒い、寒い、寒~~い!夏でも寒い。家が北極にあるみたいな寒さです。あったかい所に引っ越したいですね。どこがいいでしょうか。もちろん、私一人でですよ。こんな家、誰か買ってちょうだい。嫌な思い出の家は出て行くにかぎります。放浪の旅もいいもんでしょうね。どこかで、のたれ死にするのが、似合っているのかな。寂しい話でした。
2007.06.01
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久しぶりにプログラムを作ってみようかと思い立ちまして、C++を動かそうと思ったが、ない! ない!倉庫のPCには入れていたが、出すのも面倒。というわけで、無料のborlandのC++をdownload しようとサイトを訪問しまして、いざDLを。ところが、なんとできない。うあぁ。もう終わっている。あんなにほしくても高価だったので、自費で買うのは気が引けた。それが無料で手に入ったのに。新しいバージョンのビルダーに移行して無料サービスが終了している。残念。と、落ち込むのはまだ早い。きっと書店でC関係の書籍があるはずだし、それに付録で付いているものがあるはず。というわけで、本屋を探し回りました。やっと見つけた。CD付の解説書。まあ、解説書はどうでもいいのですが、肝腎のCDがないとどうしようもありませんからね。40代まではバリバリにプログラムを組んでいたが、年取ったせいもあるし、職場で雑用ばかりの仕事しか与えられなかったから、もうあきらめています。コンピュータはソフトが命です。この世界は100人の凡人より1人の天才が切り開いていく世界なのです。もっとも、現在はソフト開発もチームで作業をするのですが、やはり難しいところは、チーフが一人で悩み、胃潰瘍になって作り上げるものです。プログラミングの楽しさは出来る者にしかわからない。そして、難しさも分からない。時間をかければできると考える文系人間には理解できない世界。いうなれば、数学の問題を解いたり、理科の実験をやっているようなものです。うまくいくとは限らない。膨大な時間が必要なんです。試行錯誤の繰り返しですから。この歳でどれだけできるか分からないが、まあ、年寄りの趣味ということでのんびりやりましょう。できてもいいし、できなくてもいい。これも自己満足の世界なんです。金が絡んで受注したら大変です。納期もあるしクライアントの要求も聞かなくてはいけないし。改良に次ぐ改良の繰り返し。こんなに難しい仕事なのに、文系人間は理解できないから、正しい評価ができない。また愚痴になってしまった。古人曰く 「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す。」現代は「プログラマーは死んでソフトを残す。」 (ノースビレッジの言葉)有用なものはごく一部。多くは忘れ去られる運命。ソフトの進化の過程で多くの駄作ソフトが作られ、そして消えていった。 はかない自己満足の世界。 この文もしかり。
2007.05.29
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職場のHPを少し変更して、感激したついでに我が家のHPを覗いてみた。まあ、元気で存在していたというか、なんと7年も前の記事をそのままにしていました。ブログの方が更新の度合いが高く、また普通にHPを載せたところで、そんなに新規に改訂することもないし、忘れられた存在になっています。見るだけのHPはもう役目を終えたのでしょうか。人間は日々生活し変化があり、その時々の気持ちを表現しようとすれば、ブログの方が絶対にいい。欠点はただ一つ。招かざるHサイトがのぞきに来ていることかな。見るだけなら、まあしゃあない。俺のブログを読んでくれているんだから、・・・あれ、?PCによる自動巡回なのかな?書き込みもあるので、それなりに社員が覗いて、書き込みしていると思うのですが、・・ 先ほど書き込みがあったので削除したけど、こんな迷惑行為は法律を厳しくして、排除するべきでしょうね。身内が警察官になってどこに配属されるかですが、私としてはハイテク犯罪対策室を希望するようには言っているんですがね。証拠として私のブログを見せることになるのかな?ちょっとやばいよ。それ。だって、配偶者への愚痴というか、悪口が少しあったように思うので、・・・「おかあ~さん、親父のブログに悪口が書いてあったでぇ~。」やばい! 離婚の時にもらえる慰謝料が減額されてしまう。招かざるお客さん! 気分の悪くなるような書き込みはやめましょうね。しつこいと、恥を忍んで子どもに捜査を頼むことになってしまう。証拠は残さないようにしましょう。では、さようなら。
2007.05.27
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PCの終了ができない。最後のメモリチェックでハングアップすること数しれず。最後の手段として再インストールしたのだが、やっぱりだめ。単体ではまともなんだが、ネットワークに接続していると、だめ。なぜ?サーバーにチェックを行っているときにうまく応答ができていないのかな?このPCはリース契約しているので、僕が解体して検査するわけにはいかない。大阪から一日がかりであれこれやっていたが、やっぱりだめ。ウーン。仕方ない。私よりも専門家が出来ないというのだから、我慢して使うしかない。こわれてもいいから俺にやらせてくれ~。きっと原因を突き止めるから。と、思ってもだめか。あきらめましょう。で、いやですねえ。PCをダウンするたびに強制終了しかないとは。スイッチを4秒間押している時間の長いこと。みなさん、知ってますか?パソコンはスイッチを4秒間押したままだと、強制的に電源が切れるんです。これを続けていると、だんだんシステムがだめになりますね。そして、重症患者はついにご臨終となるわけ。で、またまた再インストール。いやな世界です。こんなにうまくいかない世界があるのを、管理職の方々は知っていますか。分かるわけないよね。CPUもメモリも形状も規格も変わっているんです。外見しか興味がない人が多いからね。まあ、それでいいのかも。愚痴をこぼしてしまいました。明日になったら、治っているだろう。そんなことないよね。あはは。
2007.05.23
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今日の一日はなんだ。祭りにも行かず、昼間でごろごろ。飯食ってごろごろ。タバコぷかぷか。コーヒーがぶがぶ。メールにしがみついていた。そのせいかな、目がおかしい。極端にピントが合わなくなっている。運動不足。ほんとは、希望としては音楽の実習に行こうかと、思っていたんですが、娘が帰ってきていたもんで、やっぱり家に居なくてはいけないのかな?とか、変に気を回してしまいました。で、昼頃勝手に帰った。(芦屋大学の近くの寮に)もう、今度からは単なる宿泊者扱いじゃ。飯代取るぞ。お城と祭り屋台の写真は撮りませんでした。ごめんなさい。県内の方は新聞で見ていると思いますが、他府県の方はまたの機会に。(秋の祭りの時期に)今日の私は何も変化のない一日だったんですが、ちょっと他人さんのことで、感動したことがありまして、少しいい気分でゆっくりと風呂に入れそうです。
2007.05.20
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今度の職場は土日ごとの仕事が少ないので、今日も休みでした。嬉しい反面、休みの過ごし方を知らない中年は持て余している。年に一度のお祭りがお城で行われている。有名な城と祭りを同じ場所で楽しめる企画で、好評につき毎年行われるようになった。でも、私は行かなかった。大勢の見物客の雑踏の中に入るのが苦手な人間になってしまっている。昔は野次馬根性丸出しで、「それ行こう」と行動を起こしたもんだが、歳なんでしょうかね。もし、明日元気になったら、行ってみようかな。そしたら写真をアップしますね。ほんとに、このブログは文字ばかりで面白くない。自分でも分かっているんだが、つい文字ばかり。ついには文字バカ狸( 「り」と、読んでください)そんな、ぐうたらな生活をしていて、減量はさっぱりです。見習うべきすばらしいアスリートさんのブログを見るたびに、自己嫌悪になります。さっき、テレビで血管年齢のことを放送していた。高血圧の自分はドキッとしましたね。早速、血圧を測ってみると、上が170、下が100でした。危ないなあ。いつ死んでも不思議でない。それを見ていた配偶者は、にやりと。『早く死ね~~。』と喜んでいるような・・・・。ちくしょうめ。簡単には死なないぞ。と、思うだけで健康について何も実行していない。やはり、短命であったか。南無阿弥陀仏。みなさん、今から香典を受け付けております。遠慮なく送金して下さい。
2007.05.19
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寒い。五月にしては寒いと思いませんか。いや、こんなもんかな。自動販売機の缶コーヒーがほとんど冷たいものばかり。だけどまだ、あったかいものが飲みたくて、あっちこっち探し回った。お店の人も天候を考えてほしいよ。それが商売の秘訣じゃないかな。季節の変わり目は年を取ったおじんには、少し応えている。若い頃にはさほど感じなかったんですがね。母の日に他のことをアップしたけど、ちゃんと親孝行しました。もっとも、いっしょに食事に行っただけなんですがね。それでも、いろんな話ができてよかった。昨日から、我が家では母を殺して首をバッグに入れて警察に自首した高校生の話題で、考えさせられた。警察の受付の人もびっくりで、さぞやしばらくは食事がおいしくなかったでしょう。事件だと分かって現場に行くのと違って、受付でまさか首の入ったバッグを見ることになった警察官は仕事とはいえ、お気の毒様です。事件の背景についても考えるのですが、警察官の心情も考えるようになったこの頃なんです。身内に警察官になった者がおりまして、志願した動機が「踊る捜査線」というテレビ番組で織田祐二がかっこいいとか、室井さんがいいとかドラマの中の警察をイメージして憧れたばか。実際はそんなもんじゃないだろう。自分で選んだ人生だから、好きにしたらいいけど・・・。それにしても、いつか自分も子どもに疎ましいと思われて、殺されるのではと不安が少し。いやな世の中になりましたね。やはり世の中全体が閉塞感に苛まれている。もっと、親子の会話、級友、友だち、社会の大人も子ども達の世界で話し合いができて、腹を割って自分の思いを出すべきなんでしょうね。出さないから悶々と自分だけで悩んでしまう。私だって、このサイトで言いたいことを吐き出しているから、少し気が紛れて落ち着いて居られるんじゃないかな。悩める皆さん、ブログで思い切り、愚痴を出して、涙を流し、そして面白いことには、声を出して笑いましょう。そして、みんなで幸せになりましょう。辛いことを2人で共有すれば、半分で済む。楽しいことを2人で共有すれば2倍になる。大勢で共有すれば悩みは和らぎます。喜びは満ちあふれます。みなさん、そうしましょうね。よろしくです。
2007.05.16
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懐かしい友に会った。35年ぶりなんです。高校の同じクラブでした。写真部に所属してまして、勉強はそっちのけでカメラに夢中でしたね。というよりはSL(蒸気機関車)にはまっていました。彼は1級下なんですが、当時はSLブームということで、彼にも私の影響がじわじわとしみ通りまして、ついには一緒に九州まで撮影旅行となったんです。その思い出話に花が咲きまして、さっきまで話し込んでしまいました。たった、1年ぐらいの付き合いでしかなかったんですが、強烈な思い出なので、ちょっとした昔の武勇伝みたいな感じで懐かしさが増幅されました。若い頃の思い出というのは、ちょっとしたことでも自分の人生の大きな思い出となるものですが、さすがに高校生の分際で親の反対を押し切って、1週間の撮影旅行というのは、当時としては大それた冒険でした。金がないので、寝るのは基本的に列車の中。今みたいに携帯もないので、途中ではぐれてしまい、心細い中、撮影旅行を続けました。3人で出発したんですが、途中で僕一人がはぐれてしまい、他の2人がどうしているか、心配はしてもどこで落ち合うとか決めていなかったんで、仕方なく撮影を続行しました。もう一人は僕と同じぐらいのベテランでしたから、まあなんとかやっているだろうと、気楽なもんです。後で話を聞いたら結構スリルのある旅行だったようです。職場が変わって、通勤途中に彼の家がありますので、これからは時々訪ねていこうかと思っています。今日は、その後の人生をどう生きてきたかに時間を割いたんですが、今度はその当時の写した作品を持ち寄って、思い出話を聞きたいもんです。今となっては記憶が薄れて、どういう行程だったのか思い出せません。撮影したネガを見ながらの、記憶の掘り起こし作業になりそうです。言えることは、僕は後輩に悪影響を与えた悪い先輩だったと、いうことです。まあ、時効ですよね。彼もそこそこ立派な大学に進学できたし、めでたしめでたし。でも、懺悔しなくてはいけない人がいます。それは母親です。3年の夏休みに進学先を話し合う3者懇談会があります。先生と親と本人の3人で、大学の検討会ですね。どこにするとか、第1志望がここで、第2志望がどこでという、大事な話し合いですよね。それを、私はすっぽかしまして、母親だけが学校に出向いたんです。「あれ、息子さんは?」「あの、カメラを持ってSLを写しに九州まで行っています。」「え~!。話になりませんな。」 ばたばたと資料をしまって、「お母さん、お帰り下さい」母は泣きながら帰ったそうです。なんという、親不幸でしょうか。こんなことする高校生はいますかね。信じられないでしょう。考えられないですよね。地域でも名だたる進学校で、その大事な進学についての懇談会を自分の趣味を優先させてサボるとは。今だったら、校長訓戒か学年主任訓戒の処分を受けるぐらいの罪ですね。成績はどんどん下がるし、学年でも下から数えた方が早い順番まで下がりきっていた。さすがに、1期校(昔は国公立は1期と2期に分かれていた)を落ちてからは、やばいと思って、勉強しましたね。1ヶ月間ほんとに必死だった。でも、ネガの記録を見ると、入試の1週間前にも奈良まで撮影に行っている。やはり息抜きは必要です。(危機意識の欠如も甚だしい。反省!)かろうじて合格できたからいいけど、ほんとに危なかった。 担任に合格を報告したら、「おまえなあ、おまえみたいに成績が下がった奴は初めてや。さんざん遊んで、なおかつ、国立に合格だと?人生をなめとるな。」でもね、これで終わったんではないんです。大学に入ってからも、あっちこっち行きましたからね。完全にバカです。もう一つ。この担任に20年ぶりに会ったときのことです。その先生のいる学校に偶然に仕事で行きまして、またまた偶然その先生に会いまして、「お久しぶりです。お元気ですか。」「やあ、どないしとるん。」「ええ、今年から転勤して○○で働いています」「なに~!おまえなあ、人生なめとるやろ。」それなりに苦労はしているんですけどね。そんな風に見られますかね。やっぱり。反省、反省!
2007.05.13
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2007年5月9日 23時から30分間のチューリップのテレビコンサートがNHKで放送された。一度は解散したバンドが再結成されて、青春の思い出を全国に届けてくれた。ちょうど自分が青春時代だったこともあり、よく聞きましたね。そのころは、オーディオブームでもあり、FMエアチェックが流行りでした。「昼の歌謡曲」ではいろんな歌手のヒット曲がオンエアされました。夜はクラシックのオーケストラの演奏会などがよく流れていました。いい曲が多かったですね。今も現役で活躍しているシンガーも多いです。名曲といわれるような心に沁みる曲が数多くありました。その中でも、チューリップの曲は良かった。「青春の影」を先ほど聞いたけど、涙が出てきた。音楽は人が生きてきた時代と共に、その人の人生の思い出になっている。いろんな人生の節目で思い出の曲がうかんでくる。いいメロディーがたくさんあった。著作権の影響で同じフレーズが作れないので、今の曲はテンポだけの歌が多い。自分には騒音にしか聞こえない。ヒットしているのは、はやり一部にだが独特の特徴あるフレーズを持っているものばかり。音楽はメロディーですね。今の若者はその点でかわいそう。それなりに心に残っているとは思うが、口ずさんで歌えない。昔のヒットしなかった曲の中にもいい曲はたくさんあるので、リバイバルでいいから、歌ってほしい。結構ヒットすると思うのだが。どうなんでしょう。
2007.05.09
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4日も休んだというのに、体は休まっていない。不規則な生活だったので、逆に疲れている。若い人達も眠いとか、グターとしていましたね。明日からはペースが戻っていい感じになるのかな。明日は夏日の予想です。楽しみですね。衣替えで、半袖にして出勤しましょう。敷地内にある木々の新緑がきれいです。会社のすぐ裏が山なので、ウグイスの声もよく聞こえます。同僚の話では、鹿が水を飲みに降りてくることも時々あるそうです。一度は見たいですね。どんな田舎だろうって?人口40万人の都市ですよ。でも、野生の動物はすごいですから。それなりに、生きて居るんです。たぬきもよく見かけます。夜になると、猫かな?犬かな?と、よく見るとたぬきさんでした。おなかは出ていませんけど。まだまだ、減量は不十分ですね。夏に向けておなかを凹まさなくては。がんばろう。大好きなコーラとジュースを減らします。(目標は達成できないから目標なのだ!)反省、反省・・・・・
2007.05.07
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4日連続の休みなんて、信じられないよ。そうか、世間一般はこんなに楽しいからゴールデンウィークと呼んでいたのか。やっと分かったぞ。時代に取り残された生活をしていたもんで、世間の常識が理解できていなかった。でもね、私の感覚でいくと、もっと分散してほしい。海外旅行に行く人はまとまった今年のGWは良かったのでしょうね。あ~あ、うらやましい。私は来週からの仕事の準備です。計画的にしないとね。その準備はちとムズイ。ネットでいろんなサイトを巡って、資料を漁るわけです。まあ、明日があるから。娘が去年の夏休み前に川柳を教えて貰っていた。「明日から勉強しよう。」を40回唱えると、夏休みは終わる。と・・・日本人はすごいね。私は若い頃に、反対のことばを知りまして、紹介しましょう。ある国の格言「明日、出来ることは今日するな」日本では、「今日出来ることは明日に延ばすな」対照的ですね。私は当然、国際化の時代ですから海外のものを取り入れて生きていきたいと、思っておりまして、明日になればなんとかなるだろう。植木等流の考えを持ち込みましたね。日本では、この考えは通用しないことを最近知りました(ウソ)仕事しないと給料もらえませんからね。がんばりましょう。で、気が付くと、なんとアクセス数が4000を超えました。ほんとにびっくりです。近頃は初めての方の訪問も多くなりまして、ちょっと気合いを入れて書き込みしなくては、と。では、最後の1日を有意義に過ごしましょう。
2007.05.05
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負けました。あっさりと。時間は4分1本負けなんですけど、内容がよくないね。でも、しかたない。そんな練習しかしてこなかったんだから。今日の結果についての話は御法度の様子で晩ご飯。黙々と食べます。明日の団体戦のために、気になるのか今日の試合のビデオを見ている。竹刀を持って構えをチェック。なにもアドバイスはしないつもりだったが、聞かれたらつい、無視もできないし、それで急に剣道教室の開催です。試合の時しか見ることができないので、その都度悪いところを指摘するのだが、いかんせん、普段の練習でそれを解決しているかですね。それが、まったくだめ。2年前も1年前も同じことを言っている状態。言葉で理解できても、自分の体がそれを会得できているかは、実際の練習を一緒にしないと分からない。自分が中学や高校の頃は指導者がいなくて、我流でやってましたね。見よう、見まねの手探りで悩みながらやってました。体で覚えるスポーツは日々の練習が正しく効率よくできているかで、同じ2年間でも結果が違ってきます。教えながら涙が出ました。泣き虫ですね。もっと、一緒に練習できていたらもっと強くなれているのにと、あ~あ、ほんとため息です。もっと親子の絆があれば、もっと一緒に練習ができたのに、いろいろと悪条件が重なりまして、できませんでした。本人のやる気も問題ですし、年頃の娘が友だちの目を気にしているのも、仕方ないことなんでしょう。アニマル浜口親子のようにできたらいいなあ、と思ったこともあるけど、そこまででなくていいから、親の助言を受け入れてほしかった。明日の団体戦で負けられない相手と対戦することが分かり、急遽、教えてくれと。遅いわ。今更じたばたしたところで、体が理解できない。とりあえず、基本練習を少ししたけど、あとは自分のやる気と根性です。見苦しい試合になるけど、それしかない。練習や努力は裏切らない。真剣に努力したものに神様は褒美をくれる。努力しないものには、さびしい結果を突きつけられる。それが、勝負の世界。
2007.04.28
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娘よ、明日は最後の個人戦だよ。がんばれ。小学校から兄や姉に続いて剣道に打ち込んできた。あんまり格闘技には向いていないことは、分かっていたけど、家中で父親と同じく剣道の話や兄、姉の試合での活躍などを見たり、聞いたりして育った娘にはいつのまにか同じように竹刀を持って、試合に出るようになった。親父としては、ほんとに嬉しかった。でも、おまえは他の競技をしたかったんだよね。バレーボールやらテニスやら球技がよかったのかな。でも、俺の喜ぶ顔を見てがんばってくれた。ほんとにありがとう。近頃はなんとなく惰性で部活動をしているのが分かる。俺もプレッシャーになるようなことは言わない。おまえの好きなようにやりなさい。今までの練習の成果を明日は発揮してほしい。そして、納得して競技生活を終えてほしい。けっこう嫌なことが多かった部活動だったね。中学校でも高校でも楽しくやっているようでも、それなりに苦労しているのがよくわかった。つらい思い出だったかもしれないが、なんらかの成長の糧にはなったと思う。そうであってほしい。今までは父としては、観戦できなかったが、明日はただの親父になって、おまえの試合を応援するよ。ビデオもうまく取れるようにがんばるよ。きっと、涙が出て応援の声も聞き苦しいとは思うが堪忍だよ。最後に一緒に練習したのはいつだったかな。道場で二人きりで汗を流したのは。もっとやりたかったけど、なんとなく恥ずかしがって、少ない回数だったね。でもいい思い出になった。いつの日か、俺との二人きりで練習したことがいい思い出だよと、言ってくれる日があることを願っている。今日は竹刀の手入れをしながら、今までの試合のことや、練習してきたことの思い出が、いっぱい思い出されて、二人とも無口になってしまったね。ほんとは、自分で出来るようになることが望まれるけど、親ばかもこれぐらいはいいじゃないか。俺がしてあげられることは、これぐらいしかないから。俺の気持ちを察してくれているのはよく分かるよ。自分が納得する試合ができたらいいじゃないか。精一杯がんばれ。8年間の練習の成果が明日だよ。おまえに贈る言葉、「1000日の稽古、勝負は一瞬」悔いの無いようにやれ。
2007.04.27
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