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中年よ、大志を抱け!
アプローチの季節
1、「チューリップとの出会い」
高校での2年目、クラスが変わって雰囲気が変わると、なんとなく今までとは違ったような感じになり、新しいクラスメートの中には、それ以後、今までずっと交流のある奴もできたりして、僕は1年生の頃に比べると、冗談を言ったりと、だんだんと明るい感じになりました。
部活も、嫌な先輩達もいなくなったんで復帰しました。って、熱心と言うわけではありませんでしたが。
また、恋、というほどではなくても、それに近いような気分を味わった事もありましたが、学業的には、相変わらず生物以外の理数系の勉強はほとんどせず、うちでは好きな本だけを読んでギターを弾くという生活パターンが続きました。
この高2時代は、爆発的に千春さん以外の音楽がどっと入ってきた時代でもありました。まるで、生物史における先カンブリア紀みたいな感じで、邦楽では松田聖子、河合なお子、ユーミン、中島みゆき、長渕剛、矢沢栄吉、オフコース、サザンオールスターズ、横浜銀蝿、浜田省吾、洋楽ではカーペンターズ、アバ、ビートルズ、サイモンアンドガーファンクル、ベイシティーローラーズ、シーナ・イーストン、・・・とにかくジャンルを問わず、一度にすごい量の音楽情報が入ってきたわけです。
理由は、前の席の女生徒が、別に頼みもしないのにやたらとテープを貸してくれたからなんですが、僕はそれを聞いては、返す時に感想を述べる、という、まるで宿題みたいなことをさせられてました。
しかし、彼女のお蔭でさまざまな音楽に触れることが出来ました。今まで知らなかった世界がパーっと開けた感じでした。・・しかし、どれにものめりこむって言う感じではありませんでした。サザンが人気がありましたが、歌詞がよく聞き取れないので、もう、それだけで僕の中では「没」でした。・・・音楽的にも、詞的にも、まだ松山千春さんが、僕の中では最高だったわけです。
そんなある日、新しく友達になったK君が、「お前、この歌知っとるか?」と、何やら歌い始めました。
それが、そいつ、すごくヘタなんです。それで、「なんだかさっぱり判らんわ、知っとるかもしれんけどお前の歌じゃわからん」と言うと、これはチューリップって言うんや。ええぞぉ」と言うわけです。
チューリップ? 初耳でした。
「それっていいんか?」と聞くと、「ええぞ、ええぞ」と言うわけです。
それで、「それ今度テープ持ってこいや」と言うと、翌日アルバムを吹き込んだテープを持って来ました。
アルバムのタイトルは「チューリップガーデン」。
第一印象はよくありませんでした。メロディ的にはいい曲もあったんですが、千春さんを聞きなれている僕としては、声に迫力が感じられませんでしたし、コーラスももうちょっとで崩れそうに聞こえたし、無理やり転調してる感じの曲もあるし、詞も今イチに感じました。
それで、それを正直にK君に言うと、「アホかお前は。チューリップの良さが分からんようで音楽を語る資格無しやぞ。」と言うわけです。
なんで俺がそんなことまで言われなあかんのや、と思いましたが、K君が、明日別のを持って来るでもう一回聞けや。というので、「それじゃ、持ってきてみぃ」と言ったわけです。
それで次の日、彼が持って来たのが「ライブアクトチューリップVOL2」というライブアルバムを吹き込んだテープでした。
「これで分からんかったらもう知らんでな」、と、K君に渡されたテープを聞いて見ると、昨日聞いたのとは全然違う感じでした。最初に借りた「チューリップガーデン」は、シングルのA面とB面を集めたアルバムなんですが、そのアルバムに入ってる同じ曲も、ライブで聞くと全然違ってすごい迫力なんです。声が力強く伸びていて、聞いてるうちに体がかっと熱くなるって言う感じでした。詞も、大した事ないと思ってたものが、曲に乗ると力を発揮する、という感じでした。
翌日、「ええやん、これ」とK君に言うと、「な、そうやろ」と彼は得意顔でした。「他には持ってないんか?」と聞くと、欲しいんやけどもうない。今度レコード買いに行こうか? と言うわけです。
1ヶ月のお小遣いが2000円だった僕にとって、レコードは高すぎましたんで、「う~ん、欲しいんやけど、今は買えんなぁ。」と答えました。
こうして、チューリップに出会ったんですが、その頃はまだ、いつも聞くのはまだ千春さんがメインでした。
そして高校3年生。自分の進路について否応なく考えさせられる時がやって来ました。どうしようかな、なんて思ってた夏、妹が、「初めてレコードを買っったんだけど、これ聞いてみる?」と持って来たのが、「THE LOVE MAP SHOP(ザ・ラブマップショップ)」という、チューリップのニューアルバムでした。
その時の事を今でもはっきりと覚えてるんですが、レコードの針を落とすと、始め、ギチギチとかいう音がするでしょう? あ、レコード聞いた事無い人は分からないか・・・CDではそんな音ないですもんね。
僕はレコードよりもCDの方が使いやすいし、いろいろいい面があると思っていますが、なんといってもレコードのそのあたりが好きなんです。
最初に聞こえるギチギチ言う音は、これから始まる音楽のプレリュードを告げてるって感じで、期待感が盛り上がってくるような気がしますからね。
ええ、それはともかく、それで、そのギチギチ音の後、すっと静かになったかと思うと、チュンッ! と軽いギターの音が聞こえて、すかさずジャーンジャ~~ンと前奏が響き渡り、続いて
他人が作った レールの上を
歩いて行くのは たやすいものさ
たまには自分の 作った道を
進んで行けよ まっすぐに
・・・
と歌が入るわけです。アルバムのタイトルと同名の「ザ・ラブマップショップ」というその歌は、音楽の力と言うものを感じさせてくれる曲でした。歌詞だけ見ると、強烈なメッセージは感じませんが、それが曲に合わさると、詞と曲が絶妙なコンビネーションの光をはなって、ズシンと心に響いて来ると言う感じでした。
チュ―リップのアルバムは、K君に借りた初期のもの二つしか聞いた事がなかったので、それらのアルバムを吹き込んだ頃から5年以上経っているニューアルバムは、声も音も前のとはかなり違って聞こえました。
そして、エンディングのシャウトは、にぎやかで、思わず微笑んでしまうような感じがしたわけです。2曲目の「さよなら道化者」という曲は、失恋を歌った詞のバラードなのに、エンディングは一種のおふざけみたいなものが入っていて、音楽遊び、という感じがしました。(これは、アルバム版だけで、シングル版はまじめで通してます。)
音的には、ドラム、ベース、エレキギター、アコースティックギター、ピアノ、シンセサイザー・・・という「バンド」の音で、それ自体は別にまあたらしくもなく、それまでにも他のアーティストでいくつも聞いていましたが、チューリップのは、僕がそれまでに聞いたどのグループよりも各パートが集合体としてしっくり合っていると言うか、アンサンブルが非常に良いと思えました。
いってみれば、ただ音が鳴ってるって言う感じじゃなくって、音に命が吹き込まれてるって言う感じに思えたわけです。
つまり、曲自体の力と言うか、音楽性のすごさに心が惹かれたわけです。今思えば、その頃のチューリップは結成10年を目前に控えた、油の乗りきった頃でしたから、バンドとしての質は非常に高かったんだと思います。そのレコードに続いてかけたシングル、「虹とスニーカーの頃」も、音がカッコ良かった、と思いました。
とにかく、僕は、こういう音楽があるのか…と思ったわけです。千春さんとはまた違う、メッセージの投げかけ方が・・・と。
千春さんの歌の場合、詞がとっても重要なものだと思うんですが、歌詞に曲がついていると言う感じで、聞くほうの僕としても、彼のメッセージをがちっと受け止めようとする態度で聞くと言う感じでしたが、チューリップの場合は、曲に歌詞が乗っていると言う感じで、音に身をゆだねるというか音に浸ると言う感じでした。
そして、僕はその新しい音にすっかり夢中になってしまいました。毎晩、千春さんのアルバムを一つ、チューリップのアルバムを一つ、というように、聞いたわけです。
そしてその年の冬、さらにチューリップは、僕に音楽の素晴らしさを教えてくれる事になるわけです。
で、高校3年生。当然、進路と言う問題が大きいわけです。
ところで高校3年の時、その後少なからず影響を受け続け、今でもお互い「ライバル」だと言い合っている、Tと言う奴と友達になりました。Tは、自主映画を文化祭で発表したり、市の写真展に出品したりと、独自の自己表現をしていましたが、学校でもなんに対しても積極的で活発で、はつらつとしていました。
最初、僕とは全然違うタイプでしたから、僕の方が気後れしていたって言う感じでした。
ところが、席が近くなり、同じ班になると、彼とよく話すようになりました。きっかけは、僕が本田勝一氏の本を読んでいたことでした。
「おめえ、本田勝一読んどるんか?」と彼が話しかけてきて、それに対して本の感想なんかを話しているうちに、歴史や社会動向、国際問題、なんて、それまで誰ともした事のなかったような話しをしたわけです。
Tは、「俺は日本や世界のいろんな所に行って、みんなに知って欲しい事を写真にとって、文章にも書いて、って言う、そういう仕事をしたいんや。」と言いました。
Tのうちに行くと、彼は、几帳面にも日記を書いていたんですが、自己の分析、学校での出来事、社会情勢に対する彼の意見、見たテレビ番組や読んだ本の批評、などなどが書いてあり、新聞の切抜きを集めたスクラップブックや、内外の写真家の写真集、タイム誌、なんてものがあり、「俺は、世界の真実をつかみたいんや」と熱っぽく語るわけです。・・・ちなみに僕は、日記は彼に影響され、それ以来ずっと書いてます。僕の場合、日記と言うよりも思いつ記ですけど…
とにかく、同級にこんな奴がいる、と僕は心の中で驚きました。
Tと親しくなったある日、Tは、「おめえ、何になりたいんや?」と、聞いてきました。
僕は、「俺か…俺は…その…えーと…松山千春みたいにさぁ…」と答えました。初めて、他人に向かって、僕が自分の本当の夢をもらしたわけです。
Tの奴、笑うかも、と僕は思いました。・・・しかし、Tは、感心したように、「そうか、ああいうふうになりたいんか、ええやんか、お互い頑張ろうな」、と言いました。
こいつ、俺の事を笑わんのか?と、僕は、初めて僕が認められたような、そんな気がしました。・・・当時、僕はまだ人前で歌ったことなんてなかったんで、Tも、僕がどれほど歌えるのか、どんな歌を作るのか、全く知らなかったんですけど…
Tは、その後また僕に影響を与えるんですが、それはまたいつか…
さて、進路です。
先生も両親も、どうするんや?と聞くんですが、その頃、漠然と千春さんみたいになりたいと思っていた僕ですが、まさかそんな事を言えるわけもなく、・・・アホかいって言われるだけでしたし・・・それに、歴史や生物をもっと勉強してみたいと言う気持ちもまだありましたし・・・
それで、先生にも親にも、「教育学部に行きたいんです」と言ってたわけです。
学校の先生になりたい、と、強く思っていたわけじゃありませんでしたが、教育学部なら歴史も生物も学べるし、高校での僕の日本史の先生や、生物の先生を尊敬していたので、ああいうふうになっても良いな、なんて思っていたからでした。
しかし、両親は、それなら国公立の大学に入れ、と言うわけです。
国公立大学には、共通一次試験というものがありました。
5教科7科目、つまり、数学も英語も物理も化学もあるわけです。
これが突破できるか!?・・・今回は出来ないだろうな、というのが、先生と僕の一致した意見でした。
なんせ理数系の成績が生物以外極端に悪いので、国公立大学なんて無理も無理でした。
しかし、その頃の私立大学は、まだ共通一次試験を採用していない所が多く、ためしに私立大学用の模擬試験を受けて見ると、結構有名な大学でも、学部によっては楽々っていうわけじゃなくても入れそうな事がわかりました。
しかし、父親は、私立大学はダメだ、というわけです。お金がなかったわけです。
そして、もしも国公立大学に受からなかったら、大学進学はあきらめて働け、と言うわけです。
それで、苦手な教科を仕方なく勉強しはじめましたが、今さらやってもって言う感じだったわけです。それでも、毎日好きな本を読む事を半分くらいにして、学業に励んだわけです。
そして、共通一次試験が目前にせまった暮れも押し詰まったある日、新聞を見ているとNHKでチューリップのコンサートがあるという事が書いてありました。
そうか、チューリップが出るのか!、と思いました。チュ―りプも、千春さん同様、テレビにはほとんど出ないグループだったんで、やった!と思ったわけです。
で、夕方、妹と一緒に見たわけです。テレビなんか禁止だって両親に言われてましたが、これだけだから、と、頼んで見せてもらったわけです。
初めて見る、動くチューリップ。
まず思ったのが、アルバムと違って、コンサートでの声の迫力でした。歌い方が違うんです。それともう一つ、5人のメンバーが、本当に生き生きと楽しそうに演奏し、歌ってるって言う、アットホームな感じでした。
見終わった後、深いため息をついて思いました。
俺は、絶対バンドをやる、と。
そして共通一次。自己採点は680点ちょっと。これじゃ教育学部は厳しいな、と先生はいいました。しかし、農学部の林学科ならもしかしたら行けるかも、と言うわけです。
りんがくかぁ? 初めて聞くような感じでした。
しかも二次試験は数学と英語と生物と化学の筆記試験。
勘でどうにかなるってもんじゃありません。
受けるには受けましたが、当然のごとく落ちました。
そうと決まれば働こう、とあっさり思いつつ、試験発表の帰り、こりゃ父に怒られるな、と思い、重い足取りで帰宅したんですが、報告をすると父は、まあいい、と言いました。
そして、「誉められたもんじゃないが、去年から見たらよく頑張ったとは思う。もう一年やってみろ」と言うわけです。
でも、今度が最後や。とことんやってみ、と言うわけです。
うるさいばっかりの父がそんな事を言ったのは意外でした。
こうして、苦しい家計の中から予備校のお金まで出してもらい、浪人生活が始ったわけです。
親に悪いなぁ、と思う反面、バンドはまだまだ出来んなぁ、と思いながら…
2、「大学生になる」
同じ予備校に、Tも通うようになりました。Tは二つ私立の大学に受かっていましたが、第一志望の大学には落ちてました。それで、もう一回挑戦すると言うわけです。
僕は、前回受けた大学の、農学部の獣医学科に挑戦しようと思いました。先生になりたいと強烈に思っていたわけではありませんでしたし、その頃見たドキュメンタリ―番組で、農業の重要性を認識し、獣医となって畜産や、堆肥を使った有機農業にかかわっていきたいと思ったわけです。獣医なら、手に職を持つわけですから仕事に困る事はありませんし、動物は好きでしたし、千春さんやチューリップの財津さんみたいにカッコよくもなかった僕は、小椋桂さんみたいに仕事をしながら音楽活動も出来るだろうし、なんて思っていたわけです。(いえ、その、小椋桂さんがカッコ良くないってことじゃなくって、、、、だって、スターって言う感じじゃないですもんね、あの人)それに、獣医なら、海外青年協力隊にもなれるし、なんて思ったわけです。
その頃は海外青年協力隊にもあこがれていたわけです。なんか、世の中のために世界にはばたくって言う感じがしてたわけですね。現実の僕はあまりにも情けない感じだったので、その裏返しだったわけです。
そんなある日、パルコでチューリップのフィルムコンサートが開かれました。デビュー10年を記念してのイベントでした。
再び見る動くチューリップ。
伝説の雨のすずらん高原での野外ライブなどをしていましたが、とにかく感動しました。僕の中で、音楽に満たされた空間を創造したいという気持ちがいやがうえにも盛り上がった感じでした。
彼らに後押しされるような感じで、今はともかく大学には入れるよう頑張らなくっちゃ、と、Tとお互いの夢を語り合いながら、比較的まじめに勉学に励んだわけです。
そして、ギターの練習もしました。チューリップは、それまでのフォークソングでよく使われているようなコード進行の曲もありましたが、今まで僕が知らなかったようなコード進行の曲が多く、新しいコードも覚えなければなりませんでした。
いくつか覚えたんですが、「B♭」が弾けませんでした。僕は指が太いので、人差し指でセーハーしてから、薬指一つで3つの弦を押さえるんですが、それがなかなか出来ませんでした。出来るようになったのは大学に入ってからでしたね。それまでは、「A♯」が同じ音が出るので、それで代用してたわけですが、それでかなりの曲が弾けるようになったわけです。
そうこうしてるうちに、受験シーズン。
共通一次試験です。自己採点では800点ちょっと。
獣医学科に入るには厳しいですが、二次試験の結果によってはなんとかなるかもしれない状況でした。
2月、すべり止めにもう1校、私立の大学を受けました。親はダメだと言ってましたが、バンドをするためには、メンバーが必要だし、就職してもできない事はないだろうけど、行っておいた方が、俺と同じような奴もいるかもしれないし、いいだろうと思い、もし親がお金を出してくれなくても、自分で何とかできる一番学費の安い所を受けました。獣医学とは全く関係ない、経済学部でした。
それは受かり、少なくともバンドは出来そうだ、と思ったわけです。
で、二次試験。
結果は…落ちました。
そうなると、もう、獣医はいい、と思いました。・・・その程度だったんですね、つまり。
で、「僕は○○大学に行く。学費は後で返すからちょっと貸して欲しい」と親に言うと、学費だけは出すが、後の事は自分でやれということでした。
こうして、僕は大学生になったわけです。
Tは、希望通り、第一志望の大学に入りました。
彼が東京に行く時、僕ともう一人の友人とでささやかな送別会を開きました。
Tは、俺は必ずいっぱしの写真家になるから、おめえも必ずミュージシャンになれよ、と言い、僕も、おう、おまえもがんばれよな、と言いました。
千春さんによって触発され、チューリップによって夢を膨らませた僕は、Tに負けないようにしなけりゃ、と希望を胸に、千春さんとチューリップのアルバムをひたすら聞きながら、希望を胸にエネルギーを充てんしていたのでした。
3、「バンドを組む」
第一志望ではありませんでしたが、良くも悪くも気分の切り替えが早い僕は、とにかく大学生になれて、ほっとしたり嬉しかったりでした。
とにかくバンドをしたい、と思い、軽音楽系サークルの新入生勧誘会場に足を運んだわけです。
僕は、うちでは小さな音でギターを弾き、小さな声で歌ってましたので、実は、千春さんやチューリップみたいに大きな声で思いっきり歌った事が一度もなかったわけです。作曲も、幼い感じの曲を2曲作っただけで、もちろん、誰にも聞かせたわけじゃありません。
今思えば、なんにも経験がないに等しいくせに、ただ、「俺はあんなふうになりたい、今までしたことないけど、やればきっとできる。」と、裏づけのない自信だけには満ちていました。そして、大学にはきっと僕のような奴がいるはずだ、と思っていたわけです。
さて、3つの軽音楽系サークルが、新入生の勧誘コンサートをやってました。
そこで僕ははじめて、生のバンド演奏を見たわけです。
最初入ったところでは、長い髪を振り乱して、ハードロックをやっていました。とにかく音が大きくって、うるさかったですね。こりゃ、こんなことしてたら耳が悪くなるんじゃないか、と思いました。
腕前は、まあ、こんなもんかな、って感じでした。下手じゃなかったですよ。でも、ハードロックだったんで、趣味に合わんな、って思いました。
次の所は、ジャズをやっていました。先ほどと違ってうるさくはなかったですが、ジャズはどうもって言う感じで、次に行きました。
最後に行ったところが、フォークソングとかオフコースとかしていて、ジャンルとしてはまあまあ趣味に合いそうだったわけです。
ただ、そこは、3つの軽音楽系サークルのうちで一番小さい所で、どれもこれもちょっと下手でした。でも、一生懸命歌ったり演奏したりしてる姿に、もしかしたらここなら僕と一緒にやってくれる奴がいるかもしれない、と思ったわけです。
それで入りました。あんまりレベルが高くないから、俺でもやれるって思ったわけです。
サークルの会長に、「で、君、何したいの?」と聞かれたんで、「松山千春さんみたいにギターで歌を歌ったりするのとか、チューリップみたいなバンドをするのとか、そういうのです。」と言いました。
「千春とチューリップか。そういや、今年、チューリップが好きって言ってたSって奴が入ってきたけど、ここならそういうの、出来るよ。で、君、なんか楽器出来るの?」って聞かれたんで、「ピアノとフォークギターをほんのちょっとだけです」と答えました。
すると、「ええ?! ピアノ!」ってみんなが感心して言うじゃないですか。大体ピアノとかキーボードって、女のこが多くて、男でピアノを弾けるというのが珍しかったんですね、その頃の田舎のバンド状況は。
それで、入れ入れ、という事で入れてもらったわけです。
そのサークルのしきたりとして、とりあえず新入生は、新入生ばっかりでバンドを組むという事になってたんですが、僕は、先輩に決められて、ドラムのH、エレキギターのK、チューリップが好きだというベースのSとともに最初のバンドを組んだのでした。その中で、全くバンド経験がなかったのは僕だけでした。
で、年上のHがリーダー格となり、曲決めをし、当時流行っていた「初恋」(村下こうぞうさん・・・亡くなりましたね。残念です)とか、4曲することになりました。チューリップの曲も一曲「銀の指輪」と言うのをしましたね。
ボーカルはHとSで、僕の担当はピアノとハモリでした。
なにしろ、してみたかったバンドをすることが出来る、というだけで嬉しかったですね。
それで、6月の初めに行われる新入生バンドの発表会に向けて、練習をはじめたわけです。
練習は、校内にある特別音楽室と呼ばれた所に、アンプとかドラムセット、エレキピアノなどの機材を運びこんで1週間に2~3度の割合で、一回1時間半ほど行うわけです。
とりあえず、コピーする曲のテープを聞いて、ギター譜などを参考にコードを確認し、こうだろう、ああだろう、って言いながら練習するんですが、もう、ものすごく楽しかったですね。初めて、こんなに楽しいものを知った、という感じでした。
メンバーはじめサークルのみんなはみないい人たちだったので、なんか、ほっとするっていうか、とても居心地がいい感じでした。
ただ、僕にとっては初めてのバンド経験。後々の事もあるし、これを、体験出来て良かった、で終わらせちゃいけないと思っていたので、とにかく自分のパートは絶対に間違えないようにしなくちゃ、と思い、みんなとの練習以外にも、個人練習をしたわけです。
その大学には、女子短期大学部(保母さん育成の)があり、ピアノ棟とよばれる建物があって、短大生じゃなくても使っていい事になっていたので、そこで毎日練習をはじめたわけです。
バンドのピアノって、クラッシックと違って、コード、いわゆる和音を知ってないといけません。
たとえば、Cと言うコードは、ハ長調のド・ミ・ソを一度に弾いたもの、とかいうことを覚えないといけないわけです。
コピーと言うと、楽譜を見ながら練習するって思われるかもしれませんが、実際は、どの曲にもバンドスコアー(楽譜)があるわけではありませんし、あったとしてもとっても高いんです。また、正確でもありませんでした。肝心の所で with feeling なんて書いてあったりするんです。
それで、歌の本のコード譜を見て、あとは何度も曲を聞いて耳で覚えないといけないわけで、今まで僕がしてきたような調子ではありませんでした。
それで、コードを覚える事からはじめたわけです。
幸い、僕はフォークギターである程度コードを知ってましたので、それをピアノで表現すれば良かったんですが、やっぱり初めての事、練習の必要がありました。たとえば、ただジャンとコードを弾くにしても、Cというコードなら、ド・ミ・ソと弾くのか、ソ・ド・ミと弾くのか、ミ・ソ・ドと弾くのか、ド・ミ・ソ・ドと弾くのか、って言う事がありますし、コードでリズムを刻むにしても強弱というものがありますし・・・というわけで、テープを聞き聞き練習したわけです。
で、そのピアノ棟では、ピアノ一台があるだけの小部屋が20くらいあるんですが、予約制になってたので、小部屋のドアの所に何時から何時まで、だれだれ、と書いて予約しておくわけです。
しかし、まあ、男でそこを使ってるのは、その頃は僕だけでしたね。
それで、じろじろ見られるわけです。
高校時代は、そういう視線に耐えられなかったんですが、その時は耐えられました。・・・というか、部屋に入る時にはすごく嫌だったんですが、弾き始めるとそんな事気にはならなかったんです。
没頭・・・という感じでしたね。
面白かったんです。ピアノ弾く事が。
毎日、予約の限度の2時間は必ず弾いてました。部屋が空いてる時には、授業時間以外はずっと。
どちらかというとめんどくさがりやで、三日坊主な僕にとって、それは画期的な事でした。
僕達がやった曲は、それほど難しいものではありませんでした。
2ヶ月くらいの練習の後、発表。出来は、完璧ではありませんでしたが、一つの事をやり遂げた、という感じではありました。
いやあ、楽しかったですね。バンドの楽しみを知ってしまった以上、もう、それなしにはいられなくなってしまいました。
子供の頃、ピアノが重くのしかかっていたのに、その頃はピアノ無しには僕の生活は無い、というくらいになってたわけです。
ちょっとしたピアニスト、って感じでした。
その喜びは、別の喜びも連れて来てくれました。高校時代の僕は、引っ込み思案で、対人関係も全体的に良好と言う感じではありませんでした。僕は病気と言うほどではありませんでしたが、躁鬱質で、躁的になった時にはバカみたいにはしゃぎ、鬱的になった時にはどんよりして話すのも嫌、というふうでした。
約束の時間なども守らない方で、いいかげんな奴。居ても居なくてもどっちでもいい奴・・・と言うのがそれまでの僕でした。
それが、バンドでピアノを弾く事によって、だんだんと性格が積極的になっていきました。自信みたいなものが出来てきたんですね。僕の居場所がある、っていう。責任感といったものも出来てきました。
音楽療法というのがありますが、僕の場合、自分で、一種の音楽療法をしていたのかもしれません。周りに温かい人達がいてくれたから出来た事ですけどね。
そして発表会。夢中のうちに終わり、一つのことをやりとげたという、それなりの達成感を得ることができました。しかし、アンサンブル、テクニック、パフォーマンス等々いくつかの課題もあり、今後もっと頑張らないと、と思ったわけです。
さて、この最初のバンドの発表会は、いわば自己紹介と言うべきもので、それを見た後、気が合う者同士が組んだり、先輩のバンドに入れてもらったりして、本格的な活動が始るわけです。
続く…
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