ひめあんどぴー

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~長い入院生活~その1


手術の痛みは、翌日まで続いた。痛み止めの注射は3本まで
と決まっていて、後は座薬を5時間おきに2度入れてもらい、
ウトウトしながら一日を過ごした。
しかし夕方になると嘘のように痛みが引き、ようやく落ち着いた。
夜になると、手術後初めて流動食が出た。(スープ、おもゆ、紅茶、
カルピス、お茶)
あの時は、あの痛みは痛み止めを打って貰わないと
とても耐えられないと思ったが、
どうやら痛み止めを打てば打つほど回復が遅れるらしい。
微熱が1週間も続き、めまい、頭痛に悩まされた。
腸の癒着が起きないようにと、頻繁に体位を変えさせられる。
これがまた痛くて、むりやり左にさせられたり、右を向かせられたり。
そのたびに一度外に出した腸が、ぐにょぐにょって言う感じで
動いて気持悪かった。

7月28日から30日まで夫の母が付き添って、いろいろと
面倒をみて下さった。心強くて有り難かった。

8月2日
抜糸 さんざん母に痛いよーって脅かされていたが、
思っていたより痛くは無かった。
でもお腹に大きな傷が出来たのはやはりショックだった。
もう温泉には行けないなのかなぁ・・・なんて考えていた。
尿、血液検査。貧血が分かり、増血剤を飲む事になる。

8月3日
手術後8日ぶりにシャワーを浴びてよい事になり、母に付き添ってもらって、
髪も洗いさっぱりする。
夕方父がお見舞いに来てくれた。何年ぶりかの再会である。
父と母は、私が15歳の時に離婚して、私は母に引き取られた。
20歳で大学を卒業するまでは生活費、養育費を受け取る事もあって、頻繁に
会う事が出来たが、父も再婚して、相手の人が私と会う事を
嫌がっていたようなので、会う事はほとんどなくなってしまった。
私は子供の頃から父親っ子で、やさしい父が大好きだったので、
正直言って淋しかった。
でも父に迷惑をかけたくなかったし、困らせたくなかったので、
自分から連絡する事は今でもない。
ただこの時はもう死んでしまうのかもしれないなんて思っていたし、
どうしても父に会いたくて、手術の前日に電話をしてしまった。
でも・・・父は困っているようで、かけた事を後悔していた。
だからこの日来てくれた父を見て、嬉しくて30才も過ぎていると言うのに
父の暖かい手を握って、ぽろぽろと泣いてしまった。
本当に本当に嬉しかった。

8月5日
個室から大部屋(6人部屋)へ。
窓際のベットが退院するまで2ヶ月間の、私のお城となる。
同室の人は2人。外科からの居候だった。
この日からいろいろな人との出会いが始まった。
そして、夫や母はもとより、夫の両親、弟、
親友、友人、会社の同僚、同室の方、看護婦さん・・・
大勢の人に支えられて長い入院生活は送れたのだと思う。

8月6日~8日
外泊許可が出たので、家に帰る。
やはり家はいい。



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