たぬきぶたの日記2

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溝口での最終撮影



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溝口での最終撮影




昭和47年(1972)3月14日

いよいよ今日が溝口での最後の撮影になります。

この日は途中での撮影をできるだけやめて、本命の場所に賭けることにした。

でも途中の香呂駅ではC11の発車までは間に合うので、ここでの発車を撮ることに

したのです。これです。けっこう面白い写真になりました。



早朝の雰囲気がうまく表現できたのではないかな。続いて発車です。



あと一駅です。自転車をこぎます。バイクがあればもっと動き回って

いい場所に行くことができますが、残念ながら高校生には無理。

目的の場所でまずはC57の客車を写します。



もう少し北側だったら煙が出ていたのではと今になって思っている。

狙いの構図の場所に行きましょう。

僕がこだわっていた好きな場所です。



せっかくの写真ですが、こうしてみると不満があります。左の松に

こだわって後補機が消えている。もう少し右に寄って撮影すれば

良かった。なぜなんだろう。後方の鉄塔などが気になったのかな。

そうすれば、連続シャッターで写した前のコマも作品としての価値が

出たように思う。それでも、まあ思い入れのある場所で、狙った構図で

写せたのが満足でした。細かい不満はあるのですが、これが当時の僕の

レベルです。作品の出来よりも、撮影の行動に価値を見つけたい。

次の写真がパネルにした作品です。



この日が最終列車ということで、機関士も気合が入っていたのか、

すごい煙でした。普通ならもっと手前で煙が途切れるのですが、

この日は僕が撮影していることを知っているかのように、サービスしてくれました。

この後補機列車は何度も撮影したが、最後の最後ですばらしい写真を

手にすることができました。今までよくがんばったなあと、感無量でした。

この後の昼の列車がないところから、おそらく学校には行ったと思う。

でも、少し疑問がある。機関区でのさよなら行事を写しているのです。

可能性としては高校入試で休みだったのかな。

このときの写真は多いので次回にします。



この列車の撮影後日談をひとつ。

同じクラスの生徒の父親がこの列車の機関士だったんです。

あまり話はしたことがない人だったが、新聞でこの最後の列車のことが

話題になったときに、「私の父が運転していたのよ」と、のたもうた。

「そうだったんですか。へぇ~、それはそれは、どもども。」

この後のさよなら列車も牽引したそうです。

「ふ~ん、さよか。煙をありがとうと言うといて。」

この写真をお世話になった機関区にプレゼントしようと、

いう気持ちはあったが、実現しなかった。

なぜって、写真を焼かなかったから。金と時間がない。

いつの日にか、と思っていたらもう時期を失っていた。



気に入った場所でしたが、もうここに来ることはないだろうと思った。

実際にこの後はここに来ていない。

C57はまだ運用があったのだが、どうしても家の近くか、遠い生野まで足を

伸ばしていた。溝口あたりでもっと撮影していればと思うが、それとて難しい。

なんせ、金のない高校生です。これが限界でした。

次はさよなら列車です。

印象と記憶に残っていない撮影ですが、今回スキャンしてみて驚きのコマでした。

僕自身も初めて見る写真なのです。では、おやすみなさい。


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