デラシネの日録

デラシネの日録

「ブタヤマさんたらブタヤマさん」の巻


 やっと、ブタヤマさんが気がついたときには、おばけも鳥もセミも、ねずみもバッタもいない。おっきな魚、おっきないもむし、おっきないか、かえるにへびにふくろうに。なあにどうしたのとブタヤマさんが振り向くときには、もう、何もいない。ブタヤマさんは、また、ちょうちょをとりにでかけるのでした。おわり。

 この絵本は、河合隼雄が京都大学を定年退官するときに、最終講義でとりあげた作品である。このときの話はよくおぼえていないが、この作品のインパクトはあった。まず、色使いである。青と黄色を中心としたもので、おちつかないことはなはだしい。大胆な筆使いといい、エネルギーを感じる。そして、話の中で唯一、記憶にあるのは「ちょうがこころあるいは、たましいの寓意である」ということである。それなら、ブタヤマさんは「こころあるいは、たましい」にかまけていて、後ろからせまる「現実」ー鳥やセミやねずみなどーに気がつかない人なのだろうか。 そんなことは河合先生は言っていなかったけれど、だからといって、ブタヤマさんのことをほめてもいなかったような気がする。
 こころの問題にかまけて、現実の仕事がおろそかになってしまう人。みなさんの周りにもいませんか?私の周りにもいるなー。いそうな気がする。えーとね、その人はね、えーとえーと。私だー。

 「ブタヤマさんたら、ブタヤマさん」のくりかえしも、しょうがないわねのニュアンスでよむか、あぶないよのニュアンスで読むかで、印象がずーいぶん、変わってしまう。

 と、気がつくと、ブタヤマさんに親近感がわいてきた。同じような色使いで、何冊かの絵本があるのに気がついた。どうなるのブタヤマさん。

つづく。

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