うりぼうず

うりぼうず

イラン編ーーなぜか北京。


 ロクに英語もしゃべれないので、(もちろん、ペルシャ語も)ツアーで。
 最初からトラブった。中々イラン航空の飛行機が飛ばない。なんでも、エンジンの不調だとか。中近東の航空会社なんて、整備がいい加減そうだよな。(子どもが一歳ちょっとだったので)「生まれたばっかりなのに、落ちたら大変だよな」(もちろん、子どもと奥様は同行しない)と、若干不安に。
 結局14時55分発の予定が、18時10分発に。もうすでに夕方になっていた。
 4時間ほど(22時35分)で、経由地の北京着。しかし、なんか変だ。機外を見ると、消防車のようなものが、左のエンジンに放水している。「オイ、オイ、エンジンが過熱して爆発するんじゃないか」と不安はいっそう募る。そして、飛ばない。機内で待たされること数時間。その間に食事も出る。結局日付も変わって午前2時20分に結局「きょうはもう飛ばない」ということになり、空港ロビーへ。しかし、ホテルは決まっていない。ここでも数時間待たされ、北京空港からホテルへ向かったのは、もう空もしらみ始めている時間だった。なぜ、ワタシは中国にいるんだ。

 結局、午前6時ごろ(多分北京時間)に寝て、8時40分には起床。それでも、夕方にならないと飛行機は飛ばないらしい。しょうがないので、ホテル周辺を散策。昔のイメージだと、洪水のように自転車があふれているのかとおもったが、さすがにそれほどではない。それでも、山のような荷物を積んだり、巨大なリヤカーを引いたり、まだまだ自転車は健在と言う感じだった。
 また、近くの両都公園では、太極拳らしきものをやっている集団もあったが、ラジカセを中心に社交ダンスをしている中年グループも。

 その他、工事現場の足場って、十階以上のビルでも、竹を使っているとは。さすがに竹の国。それにしても、そこら中で工事。どんどん、新しいものを建てている。いろいろな意味で「普請中の国」だった。結局、14時30分、北京空港着。だが、ここでもすぐには飛ばず、離陸したのは18時20分(記録はあるが、東京時間だか北京時間だかよく覚えていない)。

 それでも、北京からイランに向かう機中から見たタクラマカン砂漠(本当にそうなのか不明)だか、カラコルム山脈だか(同前)の眺めは良かった。こんなところに人間がいるんだろうかと思われる場所でも、時々道らしき直線が見えてくる。人間の偉大さというか、どんなところにも住んでしまうゴキブリをはるかに上回る生命力に感心してしまった。
 とかなんとか言っているうちに、テヘラン着(テヘラン時間22時45分)。入国ロビーには、山のような出迎えの人々。日本などへの出稼ぎの男たちの出迎えなのだろうか。多くは女性で、あの黒一色のチャドル姿。黒尽くめの衣装から、顔だけが浮き上がって見える。手には薔薇の花束を抱え(イランの薔薇は有名)、家族の絆の強さは、日本の比ではないものを感じた。
 バスで宿泊先のアザディグランドホテル(革命で接収したヒルトンホテル)へ。0時すぎに到着するが、隣の遊園地は、真夜中でも営業していた。シエスタではないが、暑い昼はあまり活動せずに、家族連れでも真夜中の遊園地で遊ぶ人たちが多いようだ。

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