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サイボーグ009完結編最終話を読んで。
あの話を読んで少々違和感を感じたのでひとネタにします。
違和感とは、ギルモア博士の事です。
ギルモア博士は彼らの理解者であり、ドクターであり、父親であり、作戦指揮官だった。
ここぞ!と言う時にはギルモア博士はキーマンとなって彼らを導いたりしていたものだ。
が、そのギルモア博士は完結編の物語では空回りの役になっていました。
ジョーやフランソワーズの腕をマシンガンアームに交換したり、フランソワの両目をロボットアイに強化したりと、ギルモア博士に出来うる事を最大にやったのです。
が、今回の敵は神の様な輩であり相手が違いすぎた。
レベルの違う相手にギルモア博士は出来うることを精一杯やり続けたが、結局は空回りしつづけただけなのでした。
それでも今までと同じく、自分に出来る事を精一杯やる。それがギルモア博士の戦いでもあったのです。
しかしそれは全く通じない、無駄な抵抗そのものでした。
そして辛うじて対抗しうる力を・・・彼らに与えたのが超能力ベイビー001イワンだったわけです。
超常的なパワーで対抗する以外になかったのでしょう。
こうすることで、普通の人間には手が届かない今までとは次元の違う事件なのだと言うことを暗に示していると思います。
ギルモア博士は歯向かうことすら空回りする『我々人類の代表者』だったのです。
かくして、009たちの最後の戦いは幕を閉じました。
空回りするギルモア博士がストーリーそのものから『脇役』であり続けた事が、世界の危機すぎる危機である事を晒していたのでした。
ギルモア博士が主要なストーリーに絡んだのは導入部だけだった…といっても言い過ぎではないかもしれません。
本来、もうちょっとじっくりと描くことが出来れば、ギルモア博士が敵側に寝返ったあたりの展開も描けたのでしょうし
それが008と共同の作戦となって自己犠牲の精神で敵を破るきっかけとなった部分ももっとお盛り上がったのかもしれませんね。
サイボーグ戦士たちに常に無理難題を押し付け続けて来た”主犯” が自分であった事を、常に心の中に持ち続けたギルモア博士のせめてもの侘びとしての行動だったことは009歴のながい我々にはもうわかっていました。
今こそ自分も戦いに飛び込むべき時なのだと言うギルモア博士の一世一代の作戦が裏切る事だったわけです。
サイボーグ009の登場人物で、常に彼らの苦しみを与え、それを見続けて来たギルモア博士の葛藤がここに凝縮されてることも感じることができたはずです。
サイボーグ009の物語は常に苦しみ続けたギルモア博士の葛藤の物語だったとも言えるわけです。
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