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2025.01.15
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カテゴリ: プロレス



アントニオ猪木は、プロレスラーになりたかったのではない。

『プロレスラーにスカウト』されたのだ。


ブラジルへ移民して、数年後に猪木は『力道山にスカウトされて』日本に逆輸入。

プロレスラーになるべく努力したということではなく、 プロレスが向こうからやってきた。


その後、力道山のもとに弟子入り。

理不尽な暴言やシゴキに耐える日々が続いたそうです。

そして力道山が亡くなるほんの少し前に、相撲の親方が「力さんこいつはいい顔してるね」と言われ。

力道山が「そうだろう!」と満面の笑みで答えた。


これがなければ猪木青年は、「力道山に自分はどう思われているのか?」と言うことを知らないまま過ごすことになったことだろうと言います。


その後、プロレスと言うものの表と裏も
猪木は全て知った。

猪木は70年代に『カリスマ』と呼ばれる存在になった。

そしてアントニオ猪木は、80年代にプロレスブームを起こした。


90年代に入り、「プロレス界全体を仕切って見せろ!」と三銃士の世代に発破をかけた。


アントニオ猪木は、プロレスラーになろうとしたのではなく、プロレスラーにスカウトされた稀有な男だった。

そして、身も心も世界が認めるプロレスラープロモーターとなった・・・。


あ、そういえば”アントニオ猪木”のアントニオなんですが

猪木さんは「ブラジルで言えば太郎みたいな男の名前で、アントニオはなんとなく名乗った」と昔に言っておられましたっけ。

しかし、なんとなく名乗った名前ですがもう誰も文句の言い様がない

ビッグネームとなりました。


凄い人でしたね。



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最終更新日  2025.01.15 15:00:12
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