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講談・四谷怪談「お岩様誕生」最終回 ( 第四回 ) 2025/12/10 開始
改めて書くが、「俗説」として語られて来た講談の「四谷怪談」では、悲劇のヒロインお岩様は夫・伊右衛門に謀られて毒を飲まされる物語にはなっていないし、顔の半面が無惨に腫れる描写もない。
ただし誠に不思議なことながら、全くの正反対のこととして「実は夫婦仲は円満だった」、「お岩様は良妻賢母で、妻の鑑のような婦人だった」と評価する空気もある。
私見によれば、この「四谷怪談」一つが数百年の時を超えて未だ祟ることが事実としてある限り、お岩様を貞女の鑑として強調する風潮は、あるいはそれを言う者どもはうろんであり、面妖であり怪しい。
さらに改めて書くが、「四谷怪談」の登場人物は特に件の夫婦は実在の江戸時代の二人がモデルであり、この二人とそれを取り巻く人々のあいだに、尋常ならざる人間模様があった。
繰り返すが、今以て祟りがあると語られるのは「四谷怪談」ただ一つだ。もちろんあれこれ言う輩は必ず「ほかにもある」と反論して事例を挙げるが、この手の話に疎い人が表層だけは知識にあるということは無い。
江戸時代を中心とした怪談の中で古典怪談と言われるものも、いくつかあるが、これとても例えば三大怪談、四大怪談と定義されているわけではない。
これまた独断で枚挙すると、「真景累ケ淵 ( しんけいかさねがふち ) 」、「牡丹灯籠 ( ぼたんどうろう ) 」、「番町皿屋敷 ( ばんちょうさらやしき ) 」などが有名だが、これらのいずれにも今に至る祟りの話は無い。「四谷怪談」ただ一つが不気味に存在している。
「四谷怪談」ただ一話に、映画・演劇関係者の事前のお参りが不可欠だという風潮あるいは事実は、モデルがあること・曰く因縁の深い実話、逸話が存在したことが根底に厳然とあるはずだと私は見る。
この話を始めると、それだけでブログの一テーマになるほどの長さと内容になるが、内容はともかく複雑怪奇で、祟りがあるのにもかかわらず、その根拠、元々の話は諸説あって謎に包まれたままだ。

例えばこの怪談の講談語りで有名だった故・六代目一龍齋貞水
(
いちりゅうさい・ていすい
)
師匠の語り口の見事さもさることながら、七代目・一龍齋貞山
(
いちりゅうさい・ていざん
)
師匠の「四谷怪談」も講談史上に名を残すそれは見事な講談だった。「お化けの貞山」との異名をとるほどで、講談語りの「四谷怪談」がこれほど怖いムードに仕上がった嚆矢
(
こうし
)
、はしりと言えようか。
つまり初めは普通に語り始めるが、いよいよ亡霊と化したお岩様登場となると、場内の照明は消して真っ暗にし、貞山師匠が語る周囲だけ、それもいかにも恐ろし気な青い照明を下から照らし、これが師匠の顔をたちまちに不気味極まる面相に変える。さらにお岩様が現われる場面となると、貞山師匠が工夫した面をかぶるので、もはや劇場映画のお岩様を見るが如き恐怖を味わえる。
さらにさらに、お弟子さんたちが細い糸などで吊るした火の玉を真っ暗な場内に釣り具のさおのようにしなう木製の棒で操るから視覚効果抜群で、客席の女性客の悲鳴すら聞こえて、クライマックスに達したことも確かめられる。
さて、この貞山師匠が、ある時から講談で「四谷怪談」をやるためのお参りをしなかった。やがて夏が近づいて、演芸場の玄関正面には名だたる講談師、落語家などの名前を書いた提灯が飾られたが、この時不思議なことに貞山師匠の提灯だけが、何が原因か都合何度か落ちた。係りの人はほかの演者の提灯もていねいに飾り付けるので、これはもはや怪異だ。
しばらくして自宅から、師匠死去との連絡があった。
怪談物語のモデルも土地も時代背景も実在するのに、そのモデルの人々の確かな記録がない。それにもかかわらず、事前のお参りを怠った時は、役者などに祟りが現実に起きている。中には悲劇のヒロイン役の女優が亡くなるなどの最悪の不幸もふりかかる。そして怪談をあるいはホラーを制作せんとする人たちは途切れることがなく、しかも一度は「四谷怪談」に挑んでみたいとさえ言う。
さて、長い前置きになったが、ここから本編を始めたい。
〇簡単なあらすじ〇
「ひょんなことから夫婦となった伝助とおつなだが、伝助は安芸の国から毎年春ごとに江戸に来る大名の家来たちの米飯を炊く仕事を得て働いていた。
ところがある時、借金返済を巡るいざこざから、金貸しの伊勢屋重助を斬殺して死体を二階のざるに隠していた足軽小頭・高田大八郎の罪を見つけ、高田に因果を含められて命拾いするが、この死体の始末を命じられ、うろうろするうちに、何んと己れの自宅に運び込むという面倒なこととなった。」
講談・お岩様誕生「最終回・第四回」
「おつな、今帰 ( けえ ) った、おつな、今帰った」
「伝助さんかい、今帰ったじゃないよ、お長屋の衆は口がうるさいんだよ。伝助さんはどこへ行っちまった、どこへ行っちまった、虫がかぶって来そうだってのに、どこへ行っちまった。言い訳をするのに困るじゃあないか・・何んだ、何んだいその包みは」 ( 註 ; 虫がかぶる / 産気づいて陣痛が起こるの意 ) 。
「いや、な、何んでもない、何んでもねえんだ。高田の旦那にな、ふとんの洗濯頼まれたんだよ。いや、今じゃなくていいってんだ。お前が、お前が丈夫な赤ん坊生んでからでいいってからよお、いくらかになるんだよ。初めて生まれて来る子だよお。人様からいただいたもの着せるよりゃよ、安いもんでも働いて買ったもの着せてやりてえと思うじゃねえか。だから、だから頼まれたんだよ。
あ、お産が済むまでな、これ、預かっとかなきゃなんないんだけど、生 ( なま ) もんだから、腐っちゃうと具合が悪いなこれ。お、おつな、その押し入れの下、貧乏所帯だ、何もへえってねえや。そこへこれ入れるから、だ、大丈夫だ、大丈夫だよ、一人で出来るよ、触んじゃねえってんだよ。お腹 ( なか ) でもぶつかったら、どうなんだよ。大丈夫だってんだよ、触るじゃねえっつってる、触んじゃねえ、触んじゃねえってのに」
どっこいしょと、これを押し入れの中に。
「伝助さん、お前さ、お腹がすいてんだろ。ご飯にしよ・・」
「ええ、いい、いらね、いらね。高田の旦那んとこでごちそうになったんで、腹 ( はら ) すいてねえんだよ。か、かまわねえから、おめえだけ食べてくれ」
「そんなこと言わないであたしがこんな体だから、何もしてあげられないけど、夕げの膳のしたくはしてあるんだから、一 ( ひと ) わんでもいいから、食べておくれよ」
「そ、そうか。だったらマネだけでいいや、おめえが食べろよ、いやいっぺえ食わねえと、滋養がつかねえと、丈夫な赤ん坊生まれねえって言うからさ、少し、あっとそんなにいっぺえよそったって食べられねえよ」
夫婦さし向かいで食事、無論伝助、これがのどへ通らねえ。おつなの顔を見て、伝助が考えた。おつなは世が世であれば四谷左門町三十俵三人ぶち、田宮又左衛門という立派な御家人侍の娘。己れのような飯炊きと夫婦になったればこそ、亭主は夫だと思って、大きなおなかをかかえて、こうして食事のしたくをして待っている。夫婦の情だ。人の心が「今頃、殺された伊勢屋重助さん、おかみさん心配してんじゃねえか、旦那がけえって来ねえ、ツルみてえに首長くして待っていなさるだろうに。いくら待ったってふるしきにくるまれてんだよ、帰っちゃ来ねえよ。そうだ知らせよう、知らせよう、伊勢屋重助さんのおかみさんに知らせよう。知らして死がいを引き取ってもらおう」
「おつな ! えれえことしちゃった、忘れ物しちゃったんだ。いや、高田の旦那に頼まれたことづけがあんだよ。ちょいとあの、霊岸島まで行って来る」
「伝助さん、やめておくれよ。今にも虫がかぶって来そうだし、夜も遅いしさ、雨も降りそうだし、夕方から変なカラス鳴きの声がしてるし、外は気持ちが悪いよ」
「家 ( うち ) ん中のほうが気持ちが悪いんだよ」
すぐに帰って来るからと、伝助が出かけた。
ところがこれ人間知らないというのはこわいもの。この時に伊勢屋重助のかみさん、あの高田大八郎に殺されていて、この世の人じゃあなかった。というのは、自分の亭主が高田のところへ行ったきり、帰って来ない。
こらあ夫婦ですから心配になってわざわざ霞ヶ関の足軽小屋までむかえに行ったんでございます。
「あの、宅がおじゃまをしておりますはずで・・・」
『亭主が来たの知ってやがる、生かしておいちゃあこっちがあぶない』と、抜き打ちにただ一太刀、さっきまで亭主の死がいを入れておいたあのカッパざる、これへ今度は女房の死がいを投げ込んだ。
亭主は京橋五郎兵衛町、伝助のうらぶれた長屋の押し入れ、女房は霞ヶ関、大名屋敷の足軽小屋の薄暗い二階のカッパざる。共に死がいになって、横たわっていた。
とは知らないから、伝助が出かけて行ったあと、残ったおつながひとりさびしく
「どこへ行きなさったことやら、早く帰りゃあいいのに」
今に帰るか今に戻るかと待っているが帰って来ない。
「何をしていなさるのやら、やがてもう九つだろうに」
どこの寺で打つのか、時を知らせる鐘の音 ( ね ) がボーン、更けた夜空に響いてもの悲し。
「あれは九つ。あ、雨が、傘も持たずに困っていなさるだろう」
夫の身を案じるおつな。その耳に響いて来る、湿った路地のどぶ板を裸足 ( はだし ) で踏むような足音、ピタピタピタピタ、足音がピタッと止まる。
「あ、伝助さん ! 」
思ったとたん、何んとも言えないいやあな女の声で、
「ごめん下さいまし、ごめん下さいまし」
「ど、どなたさま」

「霊岸島川口町、伊勢屋重助の家内でございます。宅がお世話になっております。会わせてやって下さいまし」
「ど、どなたもおいでじゃございません」
「いいえ。確かにおります。押し入れの中の麻 ( あさ ) の風呂敷 ( ふるしき ) にくるまれていると、知らせがありました。ごめん、下さいまし」
音もなく角 ( かど ) の戸が、いつのまに入ったか、顔色のあおざめた、いやあな感じの女、両の手をこうダラーッ、胸のあたりへ下げ、「ごめん下さいまし」。
歩むともなく、又浮くともなく
「この押し入れの中に」、押し入れから取り出した麻風呂敷、中から取り出した血のしたたる生首。それをしっかりと抱き上げる、さもうれしそうに。

おつなのほうをじーっ、「おかげさまで宿がここにおりまし・・イヒ、ウフ、イヒ、ウフ、イヒ、ヒッヒッヒッヒッヒッヒー」、笑いましたその顔の恐ろしいこと、あまりのことにおつながキャー、のけぞって気を失ったとたん、産気づきましたのか、産み落としたのが女の子。や、この騒ぎにお長屋の連中がかけつけて来る。
「大変だよー、おつなさんごらんよお、おつなさんが赤ん坊と生首と一緒に産んだ」って、そう思ったなあ、無理はございません。知らせを受けました田宮又左衛門がかけつけてまいりました。この時には産み落とされました赤子が元気に産声を上げておりましたが、母親のおつな、かわいそうにそのまま息が絶えております。哀れな孫娘がと、この赤子を引き取る、又左衛門が七日目、お七夜につけました名前がお岩でございます。
ところがこのお岩様が母親と同じように、七つの時に松皮疱瘡にかかります。器量が悪い。これがため、なかなかに縁談がまとまりません。ここにひとりの養子をむかえるということになるわけでございます。
四谷怪談の発端、お岩様誕生というお話でございます。
――了――

「素人ながらのわずかな考察」
小池壮彦 ( こいけ・たけひこ ) 氏の研究書『四谷怪談 祟りの正体』は見事な一冊、というより大冊である。
小池氏はこの時代へ来て初めて「四谷怪談」に言及し得た才能の持ち主だと感じた。だが著者自体、「未だ不可解」との未完の言葉のようなもので閉じている。
では小池氏の一書から私が何んとなくではあるが、つかみ得たものを本当にごくごく簡単に書いてしめくくる。
以下しばらく小池氏の著書巻末近くのページから抜粋。
☆お岩さんは夫の裏切りを知ったとき、憤怒 ( ふんぬ ) の余りに生きながら鬼女と化し、左門町の路地を駆け抜けた。その姿が目撃されたのを最後に行方不明になった。現在の四谷警察署の裏手に、いまも細い道がある。「鬼横丁」と呼ばれたのがその路地だ。
その後のお岩さんの足取りは、杳 ( よう ) として知れなかった。川に身を投げたのではないかとも言われたが、死体が上がったという報告はなかった。☆
以上抜粋。
実は私が確か中学の時、級友から借りたいわゆるジュブナイル向けの「四谷怪談」の小説の内容が、今抜き書きした内容の物語となっていた。要するに、実説を記してくれていたのだ。知ったふうなことを言う怪談語りの若造らのやかましい考察はなく、お岩様の哀れな境遇が我々子らに知らされていた。
小池壮彦氏の語る通り、「四谷怪談」は今も増殖を続けている。
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