祝祭男の恋人

祝祭男の恋人

Apr 14, 2005
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カテゴリ: 小説をめぐる冒険


 東京にでてきたばかりのぼくが予備校生であるフジオと出会った頃、フジオは目が眩むほど刺激的で、出口を見つけあぐねているぼくの希望を芋蔓式に引っ張り出してくれるような存在だった。つまり右と左の見当もつかなかったぼくにとってはどんな些細なことも十分すぎるほど刺激的であり得たし、車の助手席に女を乗せてアパートの前に寄せ、クラクションを鳴らしてぼくを誘いだしてくれる人間など今まで一人としていなかったのだ。しかし、時がたてば目の眩みも治まるように、希望はみるみる色褪せた。知り合って一年の間フジオは自分が予備校生であることをぼくに隠していたが、去年の夏に、フジオの連れてきた女が酔っ払って口を滑らせた。フジオはぼくの目の前で女を殴り付けた。フジオは軽いつもりだったのかも知れないが思いの外女は吹っ飛び、ソファーに顔を埋めて泣いていた。ぼくの胸はさほど波立たなかった。店員から冷たいおしぼりをもらい、泣いている女に差し出すと、黙ったまま受け取り、恨めしそうにぼくを見て、「ありがと」とぼそりと言った。女が手洗いに行くと言って席を立つと、「つまりそういうことさ」と、ぐずっと鼻を鳴らしてフジオは笑った。

「あれも同じ予備校でさあ、馬鹿な癖してあっちの方は一人前らしいんだあ」と薄暗い店の中で宙を見ながらフジオは言い、はあはあとだらしなく笑った。車の中でフジオが女の尻を撫で回していたのをぼくは思い出した。「がっかりしたか?」とフジオはわざと明るく言うように聞いた。暗闇の中でちらちら揺れるフジオの目の光を見ながら、ぼくは首を横に振った。「馬鹿みたいだろ、俺」とフジオは無理に笑いながらうわずった声で言った。
「別にいいじゃないか」とぼくは答え、残っていたビールを一息に飲み干した。女は頬におしぼりを当てたまま戻ってくると、テーブルの脇に立ち、「帰る」と言った。暗いせいで女の顔は見えなかったが、まだ泣いているのかも知れなかった。
「終電とっくになくなってるぞ」突き放すようにフジオは言った。卑しい仕打ちをするフジオの態度にさすがに嫌気がさしたが、ぼくは黙ってソファーに頭をもたげ、軽い眠気に任せて目を閉じていた。
「じゃあいい」と今度は女が突っぱねるように言い、ぼくに向かっておしぼりを放り投げた。目を開くと、女が小さな鞄から携帯電話を取り出し荷物を抱えて店を出ていこうとするのが見えた。フジオは後を追おうともせずに大きな欠伸をしてから煙草に火をつけた。それでも女のことが気になるらしく、何度も出入り口の方へ目を向け、痺れを切らしたフジオは荒々しく煙草をもみ消すと、ぼくに待っているよう言い、店を出ていった。ぼくはフジオが吸っていたセブンスターの箱から一本抜き取って火をつけた。ぼくの父親と同じ銘柄の煙草だった。ぼくは二十歳になったばかりで煙草を吸い慣れていなかった。勢いよく煙を吸い込むと、喉につかえ息が詰まった。頭がくらくらとした。灰皿には女の煙草の吸い殻が残っていた。フィルターに付いた口紅の跡が薄暗い照明のせいで焼け焦げた跡のように見えた。ぼくは女のことを考えた。だが、フジオと女の関係はおろか、女の名前さえぼくは知らなかった。

 その日、七月の朝、カーテンを閉め忘れて眠り、部屋の中は白く燃え上がっていた。下着一枚でベッドにうつ伏せになっていたぼくの背中を太陽がめらめらと焦がし、壁はどんどんと叩かれ、お経のテープが響き、午前十時、窓の外からフジオの鳴らすクラクションの音が飛び込んできた。目をこすりながら窓から下を見ると、白い車からフジオが顔だけ出し、歯を見せて笑った。日差しがぼくの睫毛の上で弾けていた。年中日の当たらない風俗店の裏側で野良犬がゴミを漁っていた。ぼくはウィンクしてやる。朝日がさんさんと降り注ぐ便所で小便をし、まるで恋人に会いに行くような気持ちでシャツを着替え、部屋を出た。ぼくはこの日の思い出に腹が立つ。悔しく惨めな思いになる。ぼくにとっては最後のもっとも明るい夏の一日だった。

「この子がさあ、海に行きたいって言うんだよお」ぼくが下に降りていくとフジオがぶっきらぼうな口調で言った。「海見たことないって、こいつ」と助手席にいる女を指さしてフジオは笑った。すると女はフジオの肩に乗り上がるようにしながらぼくを見て、「嘘よお。ね、いいと思わなあい?いいと思わなあい?」と言った。女は肩を出した服を着て短いスカートをはいていた。右の目蓋にほくろがあり、まばたきをする度にぼくは気になった。車の中にはラジオからヒット曲が流れていた。汗ばんだ首筋を腕で拭いながらぼくは後部座席に座った。女は身を乗り出し、スナック菓子をぼくに勧めた。
「それよりのどが渇いているんだ」と言うと、すぐにどこからか水筒を取り出し、冷たい麦茶を注いでくれた。ハンドルを握りながらフジオはシートに立て膝を突いている女の太股に手を伸ばした。「フジオちゃん」と女は手を払いのけ、すかさず話題を変えるように窓の外を指さし、「わあ、あれかわいい。ね、いいと思わなあい?いいと思わなあい?」と言った。女が何のことを言っているのかぼくには分からなかった。フジオはろくに見もしないのに、「うん、いいよ、いいよ」とリズミカルに言って、女の腰に手を回そうとした。一体どういうつもりなのかと、フジオの気が知れなかった。突然見も知らぬ女を連れてきて、一緒に海へ行こうと言うフジオの気が知れず、変に浮き浮きして同乗している自分の気が知れなかった。だが、それでよい気がした。何となく楽しいとぼくは思った。高速に乗ると案外道がすいていて、フジオはスピードを上げた。窓ガラスの上を太陽の光線が全力疾走していった。ガードレールに反射する光を見つめ続けたせいで、黄色い目眩のようなものにぼくは襲われ、東京にきてから一年経ち、こういった夏の日に遊びに行く自分の生活を何て自由だと思った。黄色い目眩をぼくは噛み締めた。


 その女をフジオが殴り付けた。フジオが予備校生であることをぼくに隠していたという事実は少なからずぼくを動揺させた。が、女を殴り飛ばすほどのことだったのだろうか。髪の毛をくしゃくしゃにしたままソファーに身を擦り付けるようにして女は泣いた。「とろいのよお、とろいのよお、あたし」と言った女の泣き声がぼくの耳にこびり付いていた。店員がイスをカウンターにあげて床の掃除を始め、ぼくの方をちらりと見た。ぼくは財布から一万円札を一枚抜き取り、テーブルの上に置いた。カウンターの奥で若い店員たちが笑い声をあげて話し込んでいた。便所の入り口に古い映画のポスターが貼ってあり、その上にかかっている時計が午前二時を指していた。フジオが女の後を追って店を出てから三十分近く経っていたが、結局フジオ一人でもどってきたのは更に三十分後のことだった。ほとんど閉店の準備を終えがらんとした店内に慌ただしく入ってきたフジオはシャツの裾をまくり上げて顔の汗を拭い、どかりとぼくの前に座った。

「まったく冗談じゃねえよお」とフジオは空腹を抑えられない犬のように乱暴に煙草を吸った。「ただでやらせるって言うから誘ったのによお、お兄ちゃんに電話するう、とか言ってぎゃあぎゃあ泣きやがって、詐欺だよ。馬鹿女」とふにゃけた声色で女の泣き声をまねてフジオは言ったが、いっこうに笑えず、むしろ腹立たしく、女が哀れだった。女がどこに住んでいるかは知らなかったが、こんな時間に放り出され、一人いると思うと気になった。
「もう閉店なんだよ」と白けた口調でぼくが言うと、フジオはむしゃくしゃする気分と引き換えにここはぼくがおごるのが当然だという顔でテーブルの上の一万円札をちらりと見た。
「ヨシモトって奴知ってるかあ?」フジオはまだ苛立ちが治まりかねるのか、ひどくぶっきらぼうに言った。「あの馬鹿女の兄貴がおまえの大学の学生なんだってよ」初めて耳にする名だった。ぼくが首を横に振ると、「どうせろくな奴じゃないさ。馬鹿に決まってらあ」と憎々しげにフジオは吐き捨てた。ぼくはフジオの言葉にさして気分を悪くすることもなく、ぐったりと酒に酔い、けだるく煙草の煙を眺めていた。今のぼくならばフジオを殴り倒すくらいのことを何か一つでもしているというのだろうか。

 ぼくはこの一日の出来事をやけにくっきりと覚えている。翌朝酒臭い体で家に帰り、ぼくは知った。フジオと一緒に女をからかい、海で遊び、ぼくが酒に酔っているうちにぼくの妹は×××いた。






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Last updated  Apr 14, 2005 12:40:10 AM コメントを書く
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