祝祭男の恋人

祝祭男の恋人

May 7, 2005
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カテゴリ: 小説をめぐる冒険



「思うんだけど――」としばらくしてから僕は言った。
「思うんだけど?」
「別にたいしたことじゃないけど、最近よく考えるのが『街』っていうものなんだよね」と僕は言った。
「マチ?」と玉は聞き返した。「マチってあの池袋とか新宿とかの街?」
「そう、その『街』」
「ふうん」と玉は何でもなさそうに相槌を打った。
「ふうん、だよな、俺だってそう思うもん」
「でも、考えてるんだ」

「池袋を?」と玉は驚いた顔をして言った。そして笑いながら、「え、池袋、もしかしてもうすぐなくなっちゃうの?」と訊いた。
「そういう訳じゃないよ」とつられて笑い出しながら僕は言った。
「そうよねえ」と玉はどちらかと言えば涙もろい方だったと記憶していたけれど、やっぱり、ほんの少し涙を流して笑っていた。「なくなりゃしないわよねえ」
「いや、万が一ということもある」(玉はアハハハと笑った)
「で、なんでよ?」と玉は僕に向き直りながら訊いた。
「なんで、かな?よくわからないな」と僕は言った。
「え、駄目じゃない」
「駄目か?」
「駄目よ。あんた小説家目指してるんだったら、そこを考えなくちゃ」と玉が言った。
「小説家、俺が?」と僕はびっくりして訊いた。
「あら、違ったっけ?」と玉はぽかんとした顔つきで言った。

「そうか、ごめんごめん」と玉は笑いながら言った。「私の勝手な想像だわ」
「どっからそんな想像が出てくるんだ?」
「えー、不思議だなあ、この二三年てっきりあんたが小説家目指してると思ってたよ私、それで塾の先生やってるんだと思ってた」
「勝手だなあ」と僕は言った。
「まあ、いいじゃないの」と玉は陽気に言った。「――でもさ、なんで池袋の写真なんか撮るの?」 



 いつの頃からか正確に覚えていないけれど、秋がやって来ると、僕は池袋の街の、その賑わいの真ん中へ歩いていって、きりがないくらい写真を撮るようになった。
(それは、秋じゃないと駄目なのね?と玉が言い、僕は曖昧に頷いた)
 初めはそうすることの理由などちゃんと考えていなかった。考えたにしても、ごく軽く捉えていただけで、その季節が一番街が美しいから、くらいにしか思っていなかった。僕の周りのいろんな人たち――彼らはの多くは学生の頃から付き合いのある人間で、一般の企業に就職している者もいれば、まったく仕事をしていない者もいた――が、決まって秋がやって来ると街を歩きたくなると口を揃えるのは、多分時間が有り余っていた学生の頃の習性をなぞっているだけかも知れないけれど、その意見には僕も異存はない。秋の散歩は心を隅々まで奇麗に洗ってくれる。
 と、ここまで話したとき、玉が、
「私もそんなこと言ったっけ?」と言った。
「どうかな?言ったんじゃないかと思うんだけど」
「言わないわよ、だって私、秋、嫌いだもん」と玉は言った。
「そうか、そういうことを簡単に言えるところが玉はすごいよな」
「それ、どういう意味?」
「いや、玉はそういう台詞を自分のものとして持ってるから、街を写真に撮ったりしないんだよ」
「わけもなく、はね」(そうそう、と僕は言った)
「そういや、流行ったよね、その言葉――わけもなく」と僕は言った。
「そうだっけ?」
「何でも語尾につけちゃう、メロスは激怒した――わけもなく」
「ふうん、誰が発明したのかしら?」
「何を?」――

 とにかく、街のあちこちで立ち止まって僕は写真を撮った。交差点で信号が青に変わるまで、歩道の端の舗石に乗っかって信号待ちをしている人達に向かってシャッターを切ったりもした。それは少し勇気のいることであった。レンズ越しにこちらを見ている人々は、みな一斉に怪訝な表情を浮かべ、しかし信号が青に切り替わると、たちまち何もかもを忘れてしまったように歩き去っていった。シャッターを一つ切ることは、瞬きを一回するのと同じことだ、とでも言うように素っ気なく水に流してくれた。爽やかな出会いと別れ。
(なんか詩人みたいねえ、と玉が言った)
僕は飛び方を覚えたばかりの小鳥のように歩道から歩道へ何度も飛び移り、枝分かれしている水脈のような細かい街路を何度も出たり入ったりした。
 何の変哲もない百貨店の裏側にある搬入口、地下鉄の出口、常緑樹の木立に覆われた結婚式場や、隣接する深緑のペンキで塗られた立体駐車場、落ち葉を隅に寄せ集めた歩道、楽園的な完成予想図の立て看板のある開発区域。街は日々誰彼なしの手で使い込まれることでによって新鮮さを保っていた。その背景にはこの地区では最高層の建設途中のビルがそびえていた。工事中の水色のシートが風に膨らみ、ビルの頂点ではオレンジ色のクレーンがものすごくゆっくり動いているのが見える。そういったありふれた風景にカメラを構えている僕に、通り過ぎる人々はほんの短い間だけ奇異の眼差しを向け、しかし自分が写真の片隅に写り込むことは少しも気にしないという風にすぐ僕への関心をなくしてしまうのであった。でも、そういった一つ一つの名もない風景が僕の心に染みた。そういったものは蓄積もせず、かさばりもせず、本当に風のように通り過ぎた。

 僕は初めのうち、誰の興味も引かない街角を撮影することが仕事上避けられない行為であるかのように振る舞った。それはただでさえ馬鹿げたことに思えたのだ。だから、よくぶつぶつ独り言を呟いてみたり、何かを勘定するように指を折って数える振りなんかをしたものだ。道行く人が、僕を雑誌のカメラマンか、映画撮影のロケ地を選定する人間だと考えるように期待して、メモ帳を取り出してペンで何かを忙しなく書き込んだりさえしたものだった。しかし、僕が使っていたのはいつも子供の玩具のような黄色い使い捨てカメラだったし、着ている服装もベージュのコットンパンツ、黄色いコットンシャツ、その上に薄い焦げ茶色のセーター、それに緑色のスニーカーというもので、せいぜい犬の散歩をするか夕食の買い物に出掛けるといったリラックスした格好だった。どう考えても職業的な写真撮影には見えなかっただろう。僕は何者かを演じることを諦めた。もともとそういうことが目的ではなかったのだ。もしかしたら僕は他に何もすることがない失業中の人間だと思われていたかも知れない。それは別に構わない。よく晴れた秋の初めの火曜日や木曜日の午後、街を歩く人々はそれぞれにひとつまみの目的を抱えて、何も疑うことなくどこかへ向かって行進していた。
 写真を撮り続けている間、僕はある種の焦りと疚しさのようなものを感じて落ち着かなかった。何十枚かのフィルムを使い切ってしまった後で、どれだけ僕は安堵したことだろう。その時になってようやく、僕は人波に紛れて悠々と歩き続けることができた。(それはなんか解るな、と玉は呟いた)取るに足らない、使い道のない街の写真を撮ることは、このようにまったく骨の折れる作業だった。そんなこと誰が前もって知っていただろう。


                       つづく





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Last updated  May 7, 2005 01:04:08 AM コメントを書く
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