祝祭男の恋人

祝祭男の恋人

May 28, 2005
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カテゴリ: 小説をめぐる冒険

15



 八年前、犬瀬と僕は池袋の穏健な私立大学に一緒に進学した。彼は穏健な、つまり退屈な大学に進学してしまったことをよく憂いていたものだが、別の大学に再入学することは考えていなかったようだった。ただ、我々は長い時間をかけて様々なことを語り合った。それは互いの間にとても小さな石ころを一つ一つ置いていくような作業だった。酒を飲みながらピーナッツをつまむように、一つ、そしてまた一つ。長いこと、僕と彼が全くの別の人間であることに僕は気づいていなかったように思う。やがて、日々の集積――石ころ――はようやく何かの形を取るようになった。気がついたとき、それは彼と僕が異なるものであるための一つの壁になっていた。そして僕の話に耳を傾けたあといつも、
「それは甘い感傷に過ぎない」と犬瀬は言った。「お前は昔からノスタルジーという言葉が好きだろう。でもね、いいかい?それは単なる郷愁、気分的な病に過ぎないんだよ。俺がこんな風に言うと、何でも単なるという言葉を付けて片づけられる問題じゃない、とお前は思うかも知れない。けどね、ノスタルジーなんてものはどこまで行っても単なるノスタルジーなんだよ、どこへも行き着きはしない」

 それは一つの真実かも知れなかった。しかし、僕はその考えに納得することができなかった。とはいえ、言い返す言葉もなかった。
 犬瀬と僕は小学校の頃からの付き合いだった。そして同じ高校に進み、どういう因縁か、同じ大学にまで進学した。犬瀬と僕は同じ根から生えた枝先に咲いた、全く色も形も香りも違う別の花というような気がする。もちろんその根っこが共通であるという感覚さえ非常に気分的なものかも知れない。しかし一つだけ確実なことは、犬瀬の口から発せられる言葉はいつも、彼の感情や思考の単純な反応で終わらないということだった。彼が僕に向ける言葉は、常にどこか啓蒙的で、僕を感化し、啓発し、隙があれば自分の中に取り込んでしまおうというような勢いがあった。友人同士の腹を割った会話というものは常にそういうものかも知れないけれど、これまで彼に導かれて歩いた道のりというものも少なからずある。しかしながら、それは全てが意図的なものというよりは、彼の野心的で磊落な性格に拠るところが大きいのだろうと思う。彼の言葉は一行のアフォリズムのように僕の心に刻印されていった。我々の語る言葉は実のところ自分自身に向けて語られるものに過ぎないと思うたびに、犬瀬の言葉を通して僕はもう一人の自分を見るような気がした。それくらい彼の言葉は僕を撃った。
「お前はその気分的な世界から抜け出さなくちゃいけないよ。確かにお前の語る世界は淡くて美しい。俺にはとてもそんな風には世界を語れない。でもね、濃厚に気配が漂っていても、饒舌すぎるだけだ。それは実在ではない」

 犬瀬の言う意味は僕にはよく解る気がした。けれども僕は確かに生きている。僕が遠巻きに眺める世界、心の上澄みの部分で受け止める淡い世界は、確かに僕の目の前に存在していた。(単に僕の目が白くかすんでいるという理由だけではないのだ)

 秋が来れば、街路樹は美しく木の葉を染めたし、特に我々の通う私立大学のキャンパスは晩秋の深い色彩の中で生き生きと僕に何かを語り、僕はその何かを誰よりも深く受け止めているつもりで木立の中のベンチに長い間腰を下ろしていた。しかし、その何かとは本当のところ何だったのだろう?今という時間まで引き連れてきたつもりでも、もう跡形も残っていない。その頃からそうだった。濃厚な気配はそこにある。けれども言葉にすることはできない。言葉にしようとした瞬間、すでに忘れ去ってしまった何かだ。


 犬瀬自身は僕にそう語ることで、一体何を乗り越えようとしていたのだろうか。我々はいつも自分たちが赴く次の場所、今度こそはもっと確かな言葉で語ることのできる、実在もする、しっかりと構築された場所を求めて足場を探していたのだと言うこともできる。それは言い換えれば、東京の私立大学に通っている自分自身に対する後ろめたさについて素朴に告白していたと言うことかも知れない。そして、犬瀬は僕に、もっと外側の世界を見つめろ、誰も身代わりになることのできない想像を超えた嘆きや悲しみや、苦痛がある実在の世界に入って行けと言っていたのかも知れない。


                        つづく






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Last updated  May 28, 2005 02:11:52 AM コメントを書く
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