祝祭男の恋人

祝祭男の恋人

May 30, 2005
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カテゴリ: 小説をめぐる冒険



「これは映画ではない。現実です」とテレビの中でその犬瀬が言った。

「――何言っちゃってんのかしら、この人、昔から変な奴だと思ってたけどさ」不意に背後から慶子の声が聞こえた。振り返ると戸口に慶子が立っていて、疲れたように口元に小さな笑いを浮かべていた。そして円卓のところまでやって来て「ただいま」と小さく鼻で笑った。
「――ねえ」と皐がフォークをかたんとテーブルに置いて言った。「そういうことは、テレビ見て言うんじゃなくて、本人に面と向かって言うべきなんじゃないの」(皐は慶子の顔を見もしなかった)そして、その口調ははさっきよりもずっと、なんというか、毒のある言い方だった。(よく聞こえてんじゃん、と樫村さんが子どもじみた変な口調で呟いた)
「――それより、皐ちゃん、そのヘッドホン取ったら?今更だけどさ」と、僕は言った。「みんなで食事してるんだし」
皐は明らかにうざったそうな顔をして、ヘッドホンに右手をかけた。そしてこう言った。
「どうでもいいけど、――あたし、あんたのことあんまり好きじゃないのよね」
「あ、――そうなんだ」とちょっと間が開いてから僕は言った。どうして突然そういう話になるのだろうか。他に何と言えばいいのかわからなかった。他人が僕のことをどう考えるかということは、僕にはどうすることも出来ない他人の領分のことなのだ。
「ねえ、あなたちょっと失礼なんじゃない?」と慶子がむっとした口調で立ったまま言った。(こういうのはよくあることだ)

「そう思ってても、わざわざ口に出すことじゃないわ」
「いや、いいんだよ、何か判る気もするよ」と僕は曖昧に笑いながら言った。
「やっぱりさ、あんた馬鹿なんじゃないの?」と皐が言った。「ほらね、そうやって、自分を責めれば済んじゃうのよ」
「いい加減にしなさいよ」と慶子が言った。(飛躍してるねえ、と僕)
「好き嫌いで人を判断したらつまらんぞおっ」顔を赤くした樫村さんが口を挟んだ。
「いい?そんなこと言ってるから」と皐はやれやれっといった顔で言った。「――誰か一人しか救えないって状況になっても、あんた達はみんなにいい顔して誰も救わなかったりするのよ」
「うーん、そんな極限の話されちゃなあ」と樫村さんは陽気に笑った。
「考えなさいよ」と皐は言った。「この際だから言わせて貰うけど――私、昔から感じてたのよね。あんたたち物分かりのいい顔して、――他人に甘いのよ」
「それがどうしていけない?」と僕は言った。それぐらいの批判なら僕は切り返すことができそうだった。
「どうして?」とうんざりした声と表情で皐は言った。「じゃあ、あんたはどう思うのよ?」
できることならすぐにでも答えようと思ったが、なかなか言葉が出てこなかった。我々は確かにどこかへ踏み出したいと思っているのだけれど、まだそれが出来ずにいるのかも知れなかった。向こう側に行きたいとでもいうのだろうか。でも、向こう側ってなんだ?僕は考えた。もし、みんながみんな、何かを迷っているとしたら、僕は何となくその気持ちがくみ取れるような気がした。誰もが様々なトラブルを抱えていたり、上手く言葉で説明できないことをたくさん抱えているのだ。我々はいつも本当に理解することの手前にいる。僕は言った。

「ふん――」と皐は言った。彼女は少し考えているようだった。そして言った。
「確かにあんたたちは顔に似合わず真面目だわ、真面目すぎるくらいよ、こうやって黙って人の話を聞いてるのもイイ子ちゃんって感じだし、真面目で、しかも信じられないくらい聞き上手だわ」
「よっ、優等生!たまには反抗しろよ!」と樫村さんが叫んだ。が、皐ににらまれて黙ってしまった。
「そういうあなたも真面目じゃないかしら?」そのとき玉がぽつりと言った。なんだかその優しい言い方が、一瞬僕の神経を逆なでるような気がした。
「あんたたちの真面目にはルールってものがないのよ」と皐は言った。「――自分の中にルールのない人間は、自分にとって何が大事なのか全然判っていない人間なのよ、だから奇妙に優しくて、究極の選択が出来ない」

「そんなもん、何だっていいのよ」
「何か甘いもの食べたくない?――ケーキとか」と玉が的はずれなことを言った。(アップルパイがあるよ、と僕は皿を押し出した)そして僕は何かが奇妙だと感じた。
「――それはそうと、ねえ、健」と慶子がゆっくりとした口調で言った。我々は一瞬口を閉ざし、緊張して慶子の次の言葉を待った。
「あのね――さっきのことなら、気にしなくていいの」と慶子は言った。そして少し考えてから、こう言った。
「私たちだってね、多分、多かれ少なかれ犬瀬を車で轢いちゃいたいってことくらい、一度は思ったことあるのよ」
慶子のその言葉に、しばらく誰も上手い返答が見つからないみたいに黙り込んでしまった。
そして、堪えかねたかのように、
「フッフフフ――」と玉が笑った。
「まいったねえ」と樫村さんが苦笑いしながら言った。ふと見ると、驚いたことに、森田までが口を押さえ、声を殺して笑っていた。
「すごい」と僕は言った。
「馬鹿じゃないの」とうんざりしたようにぐるりと黒目を動かし、頭を振りながら皐が席を立ち、玄関から歩き去っていくのが見えた。でも、誰も彼女を呼び止めなかった。

「――私は、町のはずれの廃屋の中で、」とテレビの中の犬瀬が言った。「一人の聖人に会うことができました。――彼は、ぼろぼろの布きれにくるまって、屋根のない住居の片隅にうずくまっていました。年齢は七十歳、いや、それ以上かも知れません。ろくに食事もとれず、ガリガリに痩せていました。そして私は、その彼の皮膚に、体中、銃弾の痕のような傷ができているのを見ました。町の住民が一人、また一人と虐殺されるたびに、彼の体の内側から皮膚を食い破って、悲しみが吹き出してくるのだといいます。どんな治療をしても意味はない、誰かが堪えるしかないのだといいます。そして毎日彼を慕う町の住民が、今日も数多く彼のもとを訪れているといいます。私は思います。痛みを引き受けなければ何も語る資格はない!――」犬瀬の感情がだんだんと高ぶっていくのがわかった。「今日、彼の身の回りの世話をしている少年から、ある興味深い話を聞くことができました。――彼が昨夜、ある予言をしたというのです。私はこの国、この破壊された町にやってきて、感じています。もちろん皆さんは迷信だと思われるかもしれません、彼は一言、こう言ったといいます。――それはやってくる、と――」
――不意にテレビの画面が大きく振動した。真っ白な砂埃が犬瀬の頭上から落ちてきて、カメラが揺れ動き、一瞬犬瀬が画面から消えた。
 次の瞬間、犬瀬は崩れかけた壁に手をついて、体を屈めながら叫んでいた。
「――揺れています!じ、地震です!もの凄く大きな縦揺れを感じています!こ、これは――」と犬瀬が頭を手で覆いながら舗装されていない街路の真ん中まで歩き、立ち止まった。犬瀬の背後の廃墟から出てきた女たちがうろたえながら門の前を行ったり来たりしているのが映った。画像が大きくぶれて、何度が画面が真っ黒になって通信が途絶えた。犬瀬の怒鳴り声だけが聞こえていた。
 我々は息をのんでテレビの画面を見つめていた。僕は鳥肌が立つのを感じた。
「うっそー?――もう、なんなのこれ?」と慶子が怒ったように言った。
「地震?」と僕は言った。「本当にそれがやってきた」
「まさか」と玉が言った。
 慶子はテレビから目を離さずに皿の上に残っていたローストチキンを取ろうとして、見当はずれの場所を探っていた。
「すごすぎる、ああ、びっくりしてお腹すいたわ」
「なんというか――」と僕は言った。
「どうします?」と塩野健が不安げに言った。
「どうしようもないわよ」と慶子が答えた。「どうするってどうするのよ?」
 我々は円卓に座ったまま、テレビを見つめていたが、通信は途絶えたまま映像はスタジオのアナウンサーを映す画面に切り替わってしまった。僕は想像力の導火線が音を立てて消えていくのを感じた。
 そして、
「やれやれ」と僕は言った。
「もう食べ物残ってないの?」とほとんど片づいてしまった皿を見ながら慶子が言った。パーティーが終わったような物寂しさが何となく部屋全体に漂っていた。
「さて」と僕は言った。
「さてってどういう意味?」と玉が訊いた。
「我々はどうしてここにいるんだっけ?」(ハハハ、と慶子が笑った)
(――皐におめでとうも言わなかった、と僕は思った)
 気がつくと、我々は再び、本当に何をするために生まれてきたのか記憶を失ってしまったマネキン人形のように円卓に座り、無言でのままで向き合っていた。(わけもなく、と僕は思った)誰も観察者のいないミニチュアの街のミニチュアのアパートのミニチュアの部屋に閉じこめられた精巧な生きている人形のように、僕らはそれから長い間じっとしていた。まるでそうしなくてはいけないと固く信じ込んでいるみたいに。あるいは何かの罰でそうさせられているみたいに。あるいは、まるで目に見えない危機をじっと息を潜めることで切り抜けようとしているみたいに。誰もが必死で、しかし互いにそう悟られないように耳を澄ましているみたいに見えた。そして、部屋の中はテレビの音を除けば、とても静かだった。
 僕はもう一度、みんなで屋上に上がってみようかと考えた。そして、鳩ヶ谷ののんびりとした街並みを眺めてみるのはどうだろうか、と。
 その時、
「――どうして?」と玉が言った。「ねえ、どうしてそんなこと訊くの?」
 その言葉にはほんの少しだけ、見えないトゲがあるようだった。
「言っちゃえよお」と慶子が冗談めかして言ったけれど、その台詞はその場の雰囲気にそぐわなかった。
「どうしてって――」と僕は言った。そして考えた。今日一日のことを。しかし、何も言葉が出てこなかった。そして、玉の寛容さを試すみたいに、言った。
「――やっぱり、理解の手前で踏みとどまっちゃうんだ」
 でも、玉は表情を変えなかった。(何が起きたっていうんだ?と僕は思った)そして、そう言ってから、こう付け足した。
「――それを嘘くさいとも自分で思うんだけどね」
 しばらくしてから玉が言った。
「それは必要な言葉じゃなかったの?――あなたにとって」
「・・・・・」
「――ごめんね、でも、理解の前で踏みとどまる、なんて、言ったそばから突き放してるみたいで、何か後は知りませんって感じで、私、なんだか気分がムカムカしちゃったの、いったい私どうしたのかしら?」
 玉がそう言ったあと、我々は再び黙り込んだ。さっきと同じように。まだそこから一歩も前進していなかったみたいに。

――そして、それは遅れてきた何かのように、しばらくしてから突然やって来た。

 まず、森田の部屋で何かが崩れ落ちる音がした。からっぽの皿がかすかな音を立ててぶつかり始めた。円卓が、椅子が、テレビが、壁が、床が、空が、一斉にガタガタと揺れ始めた。

                           <了>






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Last updated  May 30, 2005 12:20:06 AM コメントを書く
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