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ヒトヅマ☆娼婦38


目を開けようとしたら、まつげが固まっていた。眠りながら泣いていたのだろうか。
カーテンの隙間から光が差して、朝が来たことを告げている。
あれから水島さんとセックスをした。
心が動かなくても、あそこはちゃんと気持ちよくなって、いつものように何度もいった。
カラダの快楽についていけず、置いていかれたあたしの感情が、あたしを泣かせたのだろうか。
よく覚えていない。だけどやっちゃんの待つ家に帰らずに、この部屋で朝まですごした事実だけがずっしりと横たわっていて、あたしを苦しめた。それははじめてのことだった。
水島さんはシャワーを浴びた後、あたしにここで自分の帰りを待つようにと告げて仕事に出かけた。あたしはただ、ぼーっとして、食事もとらずに部屋で寝ていた。
やっちゃんに会いたい。でも電話をするのが怖かった。
たった一日だけど、帰らなかった罪の意識が重たく頭をもたげ、あたしを引き止めた。
やっちゃんになんて言えばいいのか思いつかなかった。
ただ天井を見つめたままで、時間だけが流れた。
家に帰りそびれたあたしは、水島さんの言われるままに行動した。
水島さんとホテルで食事して、部屋でセックスをして、水島さんのいない時間は部屋でDVDを見たりTVを見たり、雑誌を読んだりしてだらだらと過ごした。
水島さんは、あたしの住む部屋を探していると言った。あたしの面倒を見るからと言った。
そうやってずるずると一週間たった頃、ひとりで部屋にいる時に、あたしの携帯電話が鳴った。
やっちゃんからだった。あたしはあせるようにボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし、しのちゃん?」やっちゃんの優しい声だった。
あたしは泣きそうになるのをこらえながら返事した。
「うん・・・やっちゃん、あたし・・・帰らなくってごめんなさい」
「うん」
「ほんとうに、ごめんなさい」
「・・・しのちゃん、今どこにいるの?」
あたしはホテルの名前を告げた。
「今からそっちに行っていい?」
そう言われて、やっちゃんにテーブルの上のカードキーの部屋ナンバーを伝えた。

一時間もせずに、やっちゃんはホテルの部屋を訪ねてきた。
あたしは、やっちゃんを部屋に通して、コーヒーを作ってテーブルに出した。
「もう会えないかと思った」やっちゃんが口を開いた。
あたしは黙っていた。
「もう家には戻らないの?」やっちゃんに訊かれてあたしは答えた。
「わからない。でも、、、やっぱりこのままじゃいけないと思う」
「どういうこと?」やっちゃんが静かに訊く。
「あたしがやっちゃんをだめにしたんだって水島さんに言われた。
やっちゃんのそばにあたしがいたら、やっちゃんをもっとだめにするって・・・」
「だから?」やっちゃんは、あたしをじっと見ていた。
「だから・・・ちょっと離れたほうがいいのかなって・・・」
あたしはやっちゃんを見ることができず、うつむいた。やっちゃんの視線が痛かった。
「・・・そう」やっちゃんはそう言って、コーヒーに手をつけた。
沈黙になる。重苦しい空気だった。
あたしは、やっちゃんにそう言ってみたものの、ほんとうにそれでいいのか、
そうしたいのか、自分の気持ちを判りかねていた。
やっちゃんに何か言ってほしかった。
あたしたちはどうしたらいいのか、やっちゃんはどう思っているのか、聞きたかった。
でも、やっちゃんは黙っていた。そのことについて何も言ってくれなかった。
「いい部屋だね」やっちゃんが部屋を見回して立ち上がった。
「20階か。眺めもいいね」窓に近づいて、非常窓のロックをはずす。
やっちゃんはひとりで非常窓からバルコニーに出た。フェンスから景色を眺めている。
「やっちゃん、あぶないよ」そう言ってあたしは声をかける。
「大丈夫だよ、しのちゃんもおいでよ」
あたしににっこりと笑うやっちゃんは、いつものやっちゃんだ。
なのに、なぜだろう。不安がよぎる。
あたしは恐る恐る窓に近づいた。
「あれはお台場かな。テレビ局の建物だね。あっちは浅草のほう?」
やっちゃんは遠くを指差す。あたしはゆっくりと非常窓の枠をまたいで、外に出た。
風が少し強くて、冷たい。やっちゃんのとなりに並ぶ。
しばらくあたしたちは、広がる景色を見ていた。
「やっちゃん、寒いよ。中に入ろう」あたしが部屋に戻ろうとしたときだった。
いきなりやっちゃんに腕を強くつかまれ、驚いて振り向いた。
「しのちゃん、ずっと一緒にいよう」
やっちゃんはさびしげに微笑んでいた。
「やっちゃん?」あたしはやっちゃんの、その笑顔が怖くなった。
笑う時やっちゃんは目を細めるから、瞳の奥を覗けない。
いままで気づかなかったけれど、やっちゃんの本心が見えない。
そのことがあたしを怖がらせる。
「由紀もそうだった。俺のことが好きだ、ずっといっしょにいようねと言ったのに、
裏切った。」
由紀?それは中学時代の自殺した彼女の名前だ。




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