ひとりぼっちのおばあちゃん~その2~



新興住宅地の家の造りはとてもオシャレで街並みもきれいで、傍から見ると生活するにはとても快適そうに見えます。


だけど、年老いてからの環境の変化は大変なものです。

(知り合いもいないんですからね)


特にこの住宅街は坂が多くて、腰や膝の悪い人にはあまり優しくないんです。
(歩いて5分のスーパーに行くのも大変だと言ってましたから。。)


(よく、「老後は田舎の環境の良い所に住みたい」なんて聞きますが、むしろ老後は病院が多く、買い物や生活が便利な都会に住む方が良いんじゃないかな、と思いましたね。)

(田舎に住むなら若いうちからの方がいいですよ、きっと。)


そのおばあちゃんには腰痛のための施術をしていたんです。

いつも1時間施術して、その後30分位いろいろお話しをしていました。


本当は次に仕事を入れて早く帰りたかったのだけど、いつも話し相手がいなくて寂しそうだったので、ちょっとお付き合いしていたら、いつのまにかそうなってしまいました。

(そんなだから、いつもお金がないんです、私。。)


ただ、このおばあちゃんの腰はなんだかとても固かったんです。

背骨の周りの筋肉が、骨みたいになっちゃっていたんです


だけど、当時の私は治療としてよりも慰安みたいな感覚で訪問していたので、そんなに気にもしていなかったんです。

ドクターの訪問診察を定期的に受けていた、という安心感もありました。


でも今思えば、その固さがどんどん増していたんです。

普通ならそんな事は無いんですけど、その時は気が付けなかったんですね。


3度季節の移り変わりを過ごしました。

その間、「風邪を引いてしまったので施術はキャンセルしたい」という連絡があれば、行って生姜湯を作ってあげたり、「階段が滑って怖い」と言われれば滑り止めを張ってあげたりというお付き合いが続きました。


(家族はこんなお年寄りを一人っきりにして何をやってるんだろう?)

そんな風に思う事もしばしばでした。


いつもいつも同じ話の繰り返しだったり、息子さん達の愚痴だったりで飽きちゃったりしたけれども、私の訪問を楽しみにしてくれているのが感じられたので、雨の日も風の日も訪問していたんです。

(もっとも、車だから楽なんだけど)


そんな風に訪問しているうちに、おばあちゃんの体に変調が現れてきたんです。

手足や目が黄色くなる黄疸が現れ始めてきました。


実はその前から、お腹の様子がおかしかったので、大学病院でエコーの検査を受けたりしていたんです。

おばあちゃんが言うには「異常無しと言われた」との事なので、特に気にしていなかったんです。


でも、実はもうすでにその時には異常が見つかっていたんですね。

(家族はその事を知っていたと、後で知り合いの方から聞きました。)


あまりにもおかしいので病院に行った所、即入院になりました。

「胆管が詰まっているので、黄疸が出てしまう」との事でした。


それを聞いてもまだ私は(たいしたこと無くて良かった)と気楽に考えていたんです。


何度かお見舞いに行ったのですが、黄疸はなかなか取れずにいました。

娘さんが看病に来ていたのですが、なんだかそっけなくて詳しい事も教えてくれずにいて、(私が行くと迷惑かな?)と感じるほどでした。


そんな事があって、しばらくお見舞いに行かないでいました。


入院して3ヶ月ほど経った夏の暑い日の事。

そのおばあちゃんをうちに紹介してくれた方から、亡くなったという連絡が入ったんです。


私はそんなに大変な状態だとは夢にも思っていなかったので、「大丈夫だって言ってたじゃないですか!」とつい声を荒げてしまいました。

入院した時はすでに手遅れの状態だったのですね。


そうして、ようやくあの腰の固い原因が分かったんです。

そう、ガンだったんです。


最初にうちに見えたときから、元々ガンの芽はあったのかもしれません。

それが少しづつ育っていったんでしょうね。


3年間、体に触れていながら気が付けませんでした。

(どこかで、その仕事をおっくうに思っていたのも事実です。)


そんな自分のいい加減さ、力の無さに大きな無力感に包まれてしまいました。





お通夜、告別式に出席させていただきました。

「先生は良くやってたわよ。○○さん(おばあちゃん)は先生が優しくしてくれるから、いつも来てくれるのを楽しみにしてたから」


知り合いの方からはそんな風に言って頂きました。

(別に期待していた訳ではないんですけど、家族の方からそういったねぎらいの言葉は全くありませんでした)



(今までお疲れ様でした。これでようやく楽になれたね。)

そんな言葉で最後に送らせていただきました。




知り合いがほとんどいない街で、家族もほとんど来てくれない状態で、どんなにか心細かっただろうかと思います。

でも、きっとこれがこのおばあちゃんの縁だったのでしょうね。


(そして病気になったのも、そんな病気に気が付けない私とのお付き合いもおばあちゃんの持っていた縁だったんです)

(このおばあちゃんとお付き合いさせていただいた事によって、自分の至らなさに気が付かせていただいたのも、私の持っている縁です)


このおばあちゃんが私に残してくれたものを、最近になっていろいろと気が付きます。


今考えてみても、このおばあちゃんは大変な苦労をする縁をお持ちだったみたいです。

(良い縁を持っていたらもっと楽に生きられただろうし、家族と一緒に生活できただろうし、私と違う優秀な先生の元でもっと長生きできたかもしれないし。。)


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