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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 尾高惇忠:「音の旅」(オーケストラ版) 〜 第1曲 小さなコラール / 第5曲 シチリアのお姫様 / 第15曲 フィナーレ -青い鳥の住む国へ- ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 <独奏アンコール> 山田耕筰(梶谷修編) :赤とんぼ エルガー:交響曲第3番 ハ短調 op.88 (A.ペイン補筆完成版) ピアノ:舘野泉 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:尾高忠明 ゴールデンウィークシリーズ2本目、ってこれで打ち止め予定ですが、は、東フィルの定期。 結構空いていたのは、昨日の日フィルの公演があるのと、藤原の公演もあるからですかね。他もやってそうだし。まぁ、ちょっと勿体無いと思うけど。 舘野泉はクラシック界のレジェンド、なんだそうです。御歳88歳だとか。........そうなのね。その伝説聞いたことないけど......なんかさ、そういうの、連発するの、失礼だと思いますよ。そういう感覚ってもう分かってもらえないのかも知れないけれど、やたら伝説だの巨匠だのって言い方するの、失礼なんですよ。箔付けたがるのも、箔付きを有難がるのも、それ、聞いてないじゃん、ってね。分かりやすいから自分も使うことはあるけれど。プログラムで謳うのってさ、まぁ、営業的にそうなるんでしょうけれど、頭の隅のどっかで、それって失礼なんだよ、というのは思っとけ、とは思うかな。 最初は、尾高忠明の兄・尾高惇忠の作品。今世紀の作品だけれど、元は子供向けに書いたピアノ曲、ということになるのかな?いわゆる現代音楽という感じではない曲。勿論現代的な響きはあるけれど、面白い曲です。.......これは悪口のつもりではないんだけれども、なるほど、こういうのもうちょっと聞いてみたい、と思う時、ネットで探すのかな、自分の場合は、という程度には興味のある曲。CD探して買うほどにはね、そもそも録音もあるのかと思うし。でも興味はあるよね、という。そもそも私はこの尾高惇忠という人の作品を聞いたことがあったかなと。私はそんなに日本の現代音楽を聞く人ではないので、多分聞いたことないんじゃないかなと。まぁ、だからって、一所懸命聞くようにしよう、とまでは思いはしないのだけれども。 で、舘野泉独奏のラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲。 舘野泉が半身付随からカムバックしたのはもう随分前、2002年の話で、正直言うとそれまではそこまで凄いピアニスト、というわけではなかったんですよね。北欧もの、グリーグとかシベリウスの作品を多く録音していて、そういう人、としては知られていたけれども。なので、カムバックして「左手のピアニスト」として知られるようになったのはこの20年くらいの話で、ただ、それは受け止める側がそう受け取っちゃうからであって、ご本人は「左手しか使えないんだから左手で出来ることやるしかないだろ」というだけのこと、というと失礼かも知れないけれど、そういうことだと思うんですよね。誰とは言わないけれど、そういう境遇とか、なんというか音楽の外の何かを売り物にしてやってるような人とは違うんじゃないのと。自分としては求めて聞くことはしてなくて、だからひょっとすると聞くのは初めてかも知れない。 そもそも20分くらいの曲で、かなり派手なので、良くも悪くもあまりピアノが目立たないんですけれどもね。ただ、流石にラヴェル、よく書けている。最近は「両手」の方を聞く機会が多いので、あちらの印象が強いのだけれど、ラヴェルにしては洒脱さみたいなものよりも異形さのようなものが前に出ている曲。類例を挙げるなら、「夜のガスパール」に通ずるのかな。ピアノが一番軽い感じではあるのだけれど、そういう毒気を十分孕んだ演奏になっていたと思います。面白かった。 舘野泉はこの日は車椅子で出て来ていて、体調が思わしくないのかな、とも思いましたが、演奏は万全。とはいえ車椅子に乗って引っ込んで、また戻ってきて.....と思ったら、アンコール。冒頭なんだか分かりませんでしたが、「赤とんぼ」でした。ただ、編曲が面白く、3番までの繰り返しにちゃんと変奏にして、しかも左手だけの演奏の編曲。そして思いの外の技巧的なもので、しっかり弾いていました。お見事。 後半はエルガー。但し、一筋縄では行きません。エルガーが晩年に着手しながらピアノ譜の手稿のみ残して終わった未完作を後年研究者が補筆完成させたもの。ただ、実際には、残されたものも関係がはっきりしない、ということは、全体構想がはっきりしたわけではなく、オーケストレーションも殆ど施されていないので、むしろ補筆というより補筆者の二次創作、という声もあるそうで。 まぁ、英国音楽の第一人者みたいになっている尾高忠明が取り上げているのだから、それなりに何某かやる意味はあるだろう、ということなのでしょう。 そんな曲なので、こっちもさっぱり知らない曲です。で、聞いた感じは........うーん。どうなんだろ、これ。 演奏は悪くないんだと思います。いや、いい演奏っていうのかどうか、曲がよく分からないのでね。基本的なことはちゃんとやってるんでしょう。その辺は尾高忠明はちゃんとやろうとする人だし。ただ、如何にもよく分からない。難解な曲ではないんだと思いますが、どう受け止めればいいのかな、とちょっと考えちゃうみたいな。 難しく考えずに音と響きを楽しめばいい、という意味では、良かったと思います。そこそこ鳴ってたし。 曲として、作品としては、どうなんでしょうね。なにしろ誰のどういう意図で書かれた作品なのか、というのは、もうわかんない話ですからね。そういうものとして聞くのがいいのかな。 いろいろありますが、演奏会としては、楽しめました。なんか、こういう比較するのもなんですが、土曜の日フィルの仮面舞踏会と比べると、ある意味向こうの方が楽しめる要素は多いんでしょう。けれども、総合として考えると、詰めの甘さが露呈している、「これ誰のためにやってんだよ...」という気になってしまうあれよりは、この東フィルの方が楽しめるな、とは思いました。気分よくホールを出てこれたのは、間違いなく、こちら。 気が付いたら、尾高忠明は日本の指揮者の重鎮みたいになっちゃいましたね。いや前からそうだろ、という話は無くもないけれど、思えば、最近で考えても、秋山和慶が亡くなり、井上道義は引退し、その前からで言えば飯守泰次郎も若杉弘も岩城宏之も亡くなってしまった。小林研一郎くらいでしょうかね、重鎮と言えるのは。他の日本人はと言えば、大野和士や大友直人の世代でしょうか。ちょっとね。まだ弱いよね。まぁ、いいんだけどさ。
2025年04月28日
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サントリーホール 17:00〜 2階右手 ヴェルディ:仮面舞踏会(セミ・ステージ形式) アメーリア:中村恵理 リッカルド:宮里直樹 レナート:池内響 ウルリカ:福原寿美枝 東京音楽大学合唱団 日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:広上淳一 GWに突入したのですが、近年のGWはLFJ以外は不作が多いんですよね。ただ、今年は、この土日にこの日フィルの公演と、藤原が新百合ヶ丘で「ロメオとジュリエット」をやるのと、東フィルの定期と被っておりまして。で、これと東フィルの定期にした次第。 で、なんというか…….....ま、厳しくなるんだけどね。 率直に言って、お客は大絶賛、やってる方も自画自賛、という感じではあります。気持ちは分からんでもない出来ではあるでしょう。でも、これ、なぁ...... まず、大前提として、これ、サントリーホールでの演奏会形式である、ということがあります。セミ・ステージというの、最近ホール主催の「ホール・オペラ」とかいうの、やってるのかどうか知りませんし、あれ見たことあったかどうかなのだけれど、舞台の前面に少し場所を取り、後方、つまりピット席の前、普段なら打楽器群が陣取るところを高めにして、舞台様にして、そこである程度演技出来るようにする。オケはその間に陣取る。こういうスタイルですが、これでやると、まず、歌唱陣は、位置によって、つまり舞台前か後方かで差はありますが、ざっくり言えば声的にはかなり楽です。そもそもサントリーなので、声楽的にはすごく楽なのですよ。新国立劇場はこれよりずっと厳しいし、東京文化会館じゃ今回のメンバーの幾人かは全然聞こえないレベルかと。その意味ではっきり言って「下駄履いてる」のは事実です。 とはいえ、そういう環境でやってよければいいじゃないか、とは言えるんですが。じゃぁ、よかったのか? 個々の要素はそれなりだと思うのですよ、一応。ただ、簡単に言って仕舞えば、てんでんばらばらっていうね… たとえば、リッカルド。声は確かに出てはいたでしょう。ただ、たとえば、ソプラノとの重唱になると、全然合わないんです。勝手に1人で歌ってる感じ。基本的にアンサンブルにならないんですよね。これ、皆そうなんですよ。レナートは声が篭ってる感じだし、アメーリアは基本声量が控えめ。サントリーだから聞こえるけど....の典型。でもそれ以前に、それで皆勝手に歌ってるから、重唱が綺麗に聞こえない。特にテノールはそうなんだけど、少なくとも今の日本では相応に力量がある人を揃えたのではあるのでしょう。ただ、これで絶賛するような出来かというと、決してそうではない。聞き映えはしますのでね。加えて、この日は出演者シンパ(おっしょさんの舞台に来たおでっさん多数という感じ)、関係者風、日フィルシンパみたいな感じの人、オペラなんでも行くんですよ的な人、が多数という感じで、まぁ、しょうがない部分はあって。というのも、これ、日フィルが新しく始めるという触れ込みの広上淳一がオペラをやるシリーズの第一回の初日ってことらしいので、まぁまぁやる方も来る方も気合い入れてきたのでしょう。そこまで色々あると、基本関係者くんな、黙ってろ、の私も、多少は仕方ないとは思ってしまわざるを得ないかと。実際ぱっと見悪くないですしね。 ただ、ねぇ.............. 正直、広上淳一の問題は少なくないと思います。 そもそも、仮面舞踏会というのは、意外に難しいオペラだと思います。主に指揮者にとって。 ヴェルディ中期の充実した時期の作品とは言えるのですが、例えば「トロヴァトーレ」「リゴレット」「椿姫」のような、音楽的には歌手に重きを置いたものとはちょっと違う。といって、「ドン・カルロ」のようにオーケストラの表現がうっかりすると歌手を喰ってしまいかねないようなのとも違う。これを別の言い方をするならば、歌手の、あるいはオケの勢いでどうにかしてしまえるような作品ではないのです。 物語としてもなかなか難しい。今回の公演はボストン版ですが、元を言えばスウェーデンが舞台。実際にあった王暗殺事件に脚色しまくった作品で、なので、幕切れはドラマティックではあるけれど、要は寝取られ男の復讐ということで、意外と地味。まぁ、世界の半分を統べる王家の愛憎劇(ドン・カルロ)とか、命懸けの恋(トロヴァトーレ、椿姫)とか、そういうのに比べると、軽いよね。運命の力ほどアクロバティックでもないし。言い換えればまだしもまともな話と言えるかもだけど、この場合の問題は、物語の勢いで持っていけるほどじゃないよね、ということ。 つまり、難しいんです。このオペラ。まとめてドライブしていくのが。指揮者の力量に掛かっている。今時だと演出家の力量か?でも、本質的なところではいじりどころがない話でもあるからねぇ。食指はあまり動かないのでは。 広上淳一、知ってるけどあまり詳しいことは知らない人なのですが、そもそもこの人そんなにオペラやってるイメージはありません。今回のプログラムの来歴を見ても、いろんなオケの話は書いているけれど、オペラは、シドニーで、まさにこの「仮面舞踏会」でデビューした、という以上の具体的なことは書いてない。 いや、いいんですけどね。今回これを選んだのも、最初にこれでオペラメジャーデビューしたから、ってことなんでしょうけれど......... 最初に書いた通り、個々の要素は悪くないんだと思います。ただ、率直に言えば、多少声が出ても、日本の歌手は基本的にはそんなに凄い実力があるわけではない。日フィルは今回はかなり頑張っていた方ではあると思いますが、しかし、そもそもオペラを知らない。合唱は、これは東京音大の合唱団ということだそうで、まぁ、アマチュアですよね。実は一番しっかりしていたと思いますが、これも、結局は引っ張ってあげないといけない。ほっておいてもそれぞれが勝手にドライブしていってくれる、とはいかない。要は、皆、指揮者がドライブしていかないと無理なんですよ。 それでも、作品が勝手にドライブしてくれるような力があれば、なんとかなってしまうものなのだけれど........仮面舞踏会は、なかなかそうはいかない。 だから指揮者が如何に統率するかが重要なのですが、正直言うと、広上淳一自身が、好き勝手やっちゃってるんですよね。力量不足というのかも知れないけど、というよりは、好き勝手やっちゃった感じ。 一番問題だったのは、オケのコントロールだったと思います。 このオペラが「勝手にドライブしてくれるものではない」というのは、恐らく「作品としての統合を指揮者なりの方で図ってやらないとまとまらない」ということでもあると思います。これが大変なわけです。全体としてどう構成していくのか、その中でこの場面をどう作るか、それを全体のバランスを含めて見通しを持って取り組まないと、まとまらない。 この対極が、トロヴァトーレあたりかなと。あれは、ドラマがどうとかいうより、ほぼほぼ15分毎の小景の集合体で、物語の連続性はあるとしても音楽的には殆ど「次行ってみよう」で済んでしまう。他の面では凄く大変でも、こういうまとまりに関しては、あまり神経を使わなくてもいい。言い換えると「仮面舞踏会」を成功させるには、そういうまとまりが必要なのだけれど........ まぁ、まとまってなかったよね。それは歌手とオケと合唱と、という以前に、オケの中でも、この場面で、この部分で、この楽器がどういう風にこのフレーズを奏するべきか、というのが、見通しがなかった。何処に向かって演奏を進めていけばいいのかはっきりしない。 結果、同じ幕の中、場の中でも、どうしてここでそういう演奏になるの?と首を捻ってしまうところが多数。歌手とのバランスでいえば、歌を聞こえるようにしたいのか、そんなことお構いなしにガンガン行きたいのか、よくわからない。聞こえたり聞こえなかったり。勿論歌手の良し悪し(上手い下手だけでなくむしろ調子の良し悪し)はあるけれど、それをどうにかするのがオペラの指揮というものでは。オペラはあくまで劇なので、歌手がやってることが見聞き出来てなんぼなんでね。好き勝手やっちゃいかんのですよ。指揮者が。 それでもなんとかなる作品もあるけれど......... 恐らくこの「酷評」はなかなか分からないんじゃないかと思います。個々の要素は、特に今時の日本なら、そう悪くないしね。でも、それをまとめきれてない、その結果、1+1+1=3ですらなく、よくて2.1、あるいはそれ以下というのが正直な実態じゃなかったかなと。 敢えて言えば、この場で何故「仮面舞踏会」やったんだ、というのが本音かなぁ。この陣容だったら、そうだなぁ、たとえば「トスカ」とかでも良かったんじゃないだろうか。あれも簡単じゃないけど、「仮面舞踏会」に比べればね。そういう言い方も申し訳ないけれど、唯一あまり悪く言う気がしなかった合唱が勝負するのは1幕のテ・デウムだけで、しかも歌い映えはするし。まぁ、そういうもんじゃないんだろうけれどもさ。 一応演出付いてましたが、まぁ、そう邪魔にならない程度にまとめてました、ってところでしょうか。ただ、謎のダンサーがついて回ってたのは、なんとなく分からなくもないけれど、あまりいいアイディアでもなかったかな。 終演後結構いい評価をする人が多かったようではあるのだけれど............まぁ、あれか、オペラ知らん人にはそうだろうし、今の日本のオペラばっかりの人だと、そうなっちゃうのかな。「つまらない」というのとは違うしね。
2025年04月27日
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オーチャードホール 15:30〜 3階正面 ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ (1947年版) ブリテン:ピアノ協奏曲 op.13 プロコフィエフ:交響組曲「3つのオレンジへの恋」op.33bis ピアノ:松田華音 (ペトルーシュカ)、ベンジャミン・グローヴナー (ブリテン) NHK交響楽団 指揮:パーヴォ・ヤルヴィ この間散々来シーズンのプログラムを愚痴ったN響のオーチャード定期です。今回はオーチャードホール。結局、東フィルはオーチャード定期はそのままオーチャードだし、N響も半分はオーチャードだし、あんまり変わらないですね。 今回はパーヴォ・ヤルヴィ。前の常任だか首席だかでしたね。相変わらずN響とそのシンパは辞めた首席とかが好きなのよね。変なの。誰であれ、ついぞ在任中に褒める言葉をほぼ聞かないという。ま、いいけどね。 見ての通りのプログラム。今シーズンのテーマはDance Dance!ということで、バレエ音楽を始めと終わりに置いて、真ん中にブリテンの協奏曲と。20世紀音楽集、といったところでしょうか。 ペトルーシュカ。うーん.........残念。 ペトルーシュカという曲は、バレエ音楽で、ストーリーがあるのですね。それは例えば他のストラヴィンスキーのバレエ音楽、名高いところで言えば「火の鳥」や「春の祭典」でもあるのですけれど、こちらの2曲はいかにも導入部という序奏的な音楽で始まる。一方、ペトルーシュカのストーリーは、サンクト・ペテルスブルクの謝肉祭で賑わう市場で始まる。いきなり賑やかで華やかな場面に一気にお客を引き込んでいく音楽。言ってしまえば出オチみたいなもんです。ツカミが大事。 N響。これがねぇ......全然掴めてないんですよ。無音のところから、一気に聞くものを市場の喧騒の只中へと引き込まなきゃいけないのだけど、これが、なんというか.......全然ダメなんですよね。冷めてるというか、こういう音を演奏するから出してますよ、という意味では、技術的には上手いのかも知れないけれど、全然引き込まれない。というか掴んでくれない。なんか電子レンジで温めてペシャペシャになった肉料理みたいなつまらなさ。 いやいやじゃぁどういうのがいいんだよ、というと、実は先月聞いてるんですよ。東フィルの3月定期。バッティストーニがキャンセルで、代役のケンショウ・ワタナベが振った奴。でも、今読み返してみると、掴みのことは全然書いてないんですよね。泥臭い市場の場面がどうとか、とか。そう。市場の場面の解像度が高い、クリアだ、そう思えるのは、もう聞いてる側がしっかり引き込まれているから。だから、音楽で描かれる情景に説得力があった。この日の演奏は、そもそも、そういう説得力がない。それは、もう最初に「市場だ!」と思わせてくれないから、なんですよ。多分。腕を言うならN響の方が確かに上手いのかも知れません。でも、結果として面白くなかった。百歩譲って、東フィルとケンショウ・ワタナベの演奏を聞いてなければもうちょっと評価が高かったのかも知れない。言い換えると、東フィルとケンショウ・ワタナベの文句無しの圧勝。 これ、一応独奏者であっておかしくないであろう、松田華音をわざわざピアノに迎えての演奏で、ピアノが入るところは確かにちょっといいんだけれど、それでもやっぱりそこまでの力は持ち得ない。それは、市場が、あくまで箱庭で作った作り物を2階から眺めてるような、そのくらいの臨場感の無さ故。これではペトルーシュカはつまらない。勿体無い話です。 後半はブリテンのピアノ協奏曲。これ、多分、私聞いたことないんですが、これは面白かった。特に前半、第1楽章から第2楽章にかけては面白かった。 この日は20世紀音楽集、と書きましたが、確かにこの三人は20世紀の作曲家ではあるけれど、同時に、ちょっと古いんですよね。基本この3曲とも戦前の作品と言っていい時期なので、確かにいわゆる後期ロマン派的な作品ではあるけれど、中でもブリテンはちょっと独特な風味があって、「らしい」音楽だと思います。グローヴナーは前に聞いたことあったかどうか、こういうの上手い人だと思います。ただ、リリカルでもある前半に対して、後半は、何も無理に盛り上がらなくても....と言いたくなるようでもあり.....ま、いいけどね。面白くはあったから。 最後はプロコフィエフ。まぁ、あんまり面白い音楽ではないかな.........ただ、前半を考えると........... 下手だったと言うわけではないんだろうと思うんですよ、多分。あー、ダメだこりゃ、って思わせるようではなかったから。確かにN響はそういうのからは一番遠いところにいる筈なんでしょうね。でも、この日の演奏は、思い返すと、グローヴナーがいたから救われたけれど、正直つまらない演奏の部類だったんでしょうね。 そういや、先月末も東京春祭でパルジファル聞いて、軽い、って話を書いてますが.....平均点で言うと確かにN響は他の在京オケより上位なのかも知れないですけれど、はっきり言って、ちょっと上手い程度では音楽は良くならないのですよ。例えばそのまた前に聞いたカペラ・アンドレア・バルカ。ああいうの聞くとやっぱりいいよな、と思うし、その延長線上で言えば、他はともかく、東フィルあたりはやっぱりダメなこともあるけれど、そういう意味でいい時もちゃんとあるんですよね。N響とか、都響とか、ああいうのがいい、と思ってる人は、ちょっとよく考えて聞いてほしいな、とは思うんですけどね。ああいうの褒めちゃうから、いつまで経ってもダメなところと正面切って対決しないんですよ、この人達は。きっと。ブリテンとか、惜しいとこ行ってるだけに、尚更ね。
2025年04月23日
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N響の2025-26シーズンの定期演奏会が先月発表になってますが、オーチャード定期の更新の案内が届きました。 うーん.........まぁ、継続はするけどさ..............ちょっと微妙............ 次シーズンのオーチャード定期は、11月、1月、4月、6月の4回。つまり、10月のN響定期に登壇するブロムシュテットは、出ません。一昨年だったかのはキャンセルになっちゃったのに........... で、指揮者はというと、広上淳一、トゥガン・ソヒエフ、ファビオ・ルイージ、原田慶太楼。うーん..............まぁ、いいけど................... 問題は演目。今回のテーマは「魅惑の映画音楽」なんだそうで。なんだこれ。なんとなく東フィルの午後のコンサートシリーズ的な匂いが........ 曲目じゃなくて、映画の方を書いておきましょうか。わかる人は概ねわかるよね。 「ゴジラ」(←出オチや!)「宇宙大戦争」「短くも美しく燃え」「愛と哀しみのボレロ」「血と砂」「英国王のスピーチ」「時計じかけのオレンジ」「プラトゥーン」「地獄の黙示録」「2001年宇宙への旅」「愛と哀しみの果て」「ベニスに死す」、そして「オール・ジョン・ウィリアムス」。 .............いいけどさ。ちょっとどうなのこれ。割とまともなのはファビオ・ルイージの回。原田慶太楼のは、まぁ、ジョン・ウィリアムス一択だからまだしもだけど........ちょっとどうなの、このバラバラさ加減は。 ひょっとすると行かない回もあるかもなぁ。この時点でそんな気分.....まぁ、継続はするけどさ........ブツブツ.......
2025年04月15日
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東京文化会館 15:00〜 5階左手 ヴェルディ:「ナブッコ」序曲 マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲 レオンカヴァッロ:「道化師」間奏曲 ジョルダーノ:「フェドーラ」前奏曲 プッチーニ:「マノン・レスコー」間奏曲 ヴェルディ:「運命の力」序曲 カタラーニ:コンテンプラツィオーネ レスピーギ:交響詩「ローマの松」 東京春祭オーケストラ 指揮:リッカルド・ムーティ 近年ムーティは割と日本に来ている気がします。ギャラがいいのか、何かを気に入っているのか、よくわかりませんが、去年も春に来ていた筈で、秋にも来て振ってましたしね。 ムーティのファンかお前は?と聞かれると、なんとも言えません。心情的にはファンではないです。ムーティがスカラのトップに就任して、それ以前からのスター歌手主義排斥の流れでやった椿姫とか、唾棄すべきと思ってましたし、それは基本変わらない。ただ、確かに今現役の指揮者の中ではなかなか並び立つ者はいないでしょうし、聞きゃ上手いには上手い。何より、最近はウィーン・フィルとの共演が増えているようで、ここ数年はザルツブルクに行くと丁度ムーティの指揮に当たるんですよね。あれは、それとも、日本人にムーティのファンが多くて、それを見越して日本のお盆休みの時期に狙っているのか?で、オーケストラのコンサートなので、腹立たしく思うオペラではなくて交響曲や宗教曲のプログラムに当たる。そんなわけで、近年は結構聞いてます。その流れで去年も日本で聞きに行ったし。今回もそういう感じです。 プログラムは見ての通り。前半が序曲・間奏曲集、後半はローマの松で、その前にカタラーニの作品。これは聞いた事ない曲で、まぁ、ああ、うん、時代的にそういう感じなのね、というような曲。 まぁ、正直いうと、これ、ムーティが振るのでなければ、来ないなぁ、というプログラム。東フィルとか定期演奏会持ってるのでこれだったら、まぁ、なんだかなぁとか言いながら来るでしょうけれど、普通は買わないよね。ムーティだから買う。 で、どうだったか? まぁ、うん、そうねぇ.........金返せとは言わないですけれどもね.............悪くもないのだけれども....... いや、公平に言って、いい演奏だったとは思いますよ。ただ...... 前半聞いてて、まず思ったのは、「うわぁ、これ、ムーティボコボコに絞り上げてんな」と。聞いてて、緊張感がかなり強い。あれは集中してるんじゃなくて、緊張だよなぁと。緊張でガチガチ、っていうんじゃなくて、「ああしなきゃ!こうしなきゃ!」って必死な感じなんですね。あれは、多分、指揮者に相当絞られてるんだろうなと。で、相手がムーティだから、指揮者を馬鹿に出来ない。そらそうだ。だからもうやるしかない。悲愴感じゃないですね。そんな余裕ない。もう必死。 その甲斐あってなのかどうか、演奏自体は、いい演奏だったと言っていいと思います。つまり、殆ど抜けがないんです。金切り声というよりはちゃんと鳴らすべくして鳴らしている。そして弾き飛ばさない。完璧じゃないけれど、ちゃんと最後まで弾いてる。だから充実した音にはなっている。で、まぁ、ムーティがこういうので「?」と思わせるような運びはしないので、確かになかなか聞けない演奏ではあります。 ただねぇ........演奏それ自体は悪くないと言っていいレベルには頑張っているんだけれど、それだけに見えてしまうものがありましてね。 5階の脇の席でオーケストラを聞くのは久し振りですが、結構舞台が見えるんですよね。で、見ていて、「あれっ?」と思ったのですが。 どの曲だったか忘れたのですが、見てたら、曲の中で、フレーズの終わりで、弦楽器奏者の一人が、弓を弾き上げてたんですね。あれ、どう言ったらいいのか......弦楽器奏者、例えばヴァイオリンの独奏者が、自分の独奏パートを弾き終わったところで、弓を勢いよくアップデ弾き終わって、その勢いで格好良く手首なんか返したりして見せたりする......わかります?まぁ、ああいう感じ。それを、曲の途中で、フレーズ終わり程度で、パートの奏者の一人が、やってる訳です。 なんというか、そのね、マインドがね...........ああいうことやってりゃ、そりゃ、ちゃんと弾き切れないというものですよ。ああいうことすりゃ、当然音の最後はどっかに消えてしまうのであって。それでも、独奏者なら、結果消えてくなりに聞こえたりもするものでしょうけれど、それオケがやっちゃダメでしょ。例えば、チャイコフスキーの弦楽セレナーデの第1楽章、主題の弾き終わりで「ジャン!」って弾き上げるけれど、ああいうのならともかく、こんなとこでやるもんじゃない。 それと、もう一つ。カヴァレリアだったか、弦のトゥッティで鳴らしてるところで、明らかに、ボウイングが合ってないんですよね。ボウイングというより、ブレスと言いたいのだけれど、楽曲的には均質にそのままずぅっと行ってほしいようなところで、明らかに、ブレスみたいなのが聞き取れてしまうんですよね。勿論弦楽器ですから、息継ぎなんてしない。しないけれど、弦の返しとか、力の入れ具合が変わってしまうところがある。そこを感じさせずに行くべきなのだけれど、見て取れてしまう。それが、合ってないんですよね。ムラになってしまう。 結局ボウイングの問題だと思います。それがはっきりムラになってしまう、ということは、ボウイングをちゃんと調整し切れてないということだと思います。これはさぁ、指揮者の仕事じゃなくて、オーケストラの仕事ですよ。 東京春祭オーケストラって、若手中心の選抜、ということで、ということはこの人達は、日本のプロオーケストラで若手とはいえ選ばれてきているので、日本のオーケストラの団員としてはある程度のレベルを有している筈だと思うのです。寄せ集めだからボウイングとか統一し切れてなくても仕方ない?でも、これって基本じゃないの?それを調整出来ないのは寄せ集めでもちょっとどうなの。いや、むしろ、寄せ集めだからこそ調整しなきゃいけないし、そんなの流石に指揮者の仕事じゃないですよ。無論、常設のオーケストラで、ちゃんと音楽監督なり置いているよいうな場合であれば - 例えばかつての新日フィルのアルミンクとか - 、それは音楽監督が鍛える仕事かも知れない。でも、選抜臨時オケなんだから、選抜されてんだし、ちゃんとしなよ、というね。 言い換えると、これが今の日本のオケのレベルってことなんじゃないでしょうか。 でも、まぁ、演奏者と聴衆の共謀の産物、という気がしないでもないかな。 この日はムーティがCDやDVDの購入者にサインをしてくれるというので、終演後に長蛇の列が出来ていたのですが、前の方で、先に並んでた人が、後から来た連れを入れてたんですよね。100人じゃきかないような、ありゃ300人くらいはいたんじゃないかと思うんだけれど、その列のかなり前の方に。なんか隣の人が怒ってたみたいだけれど..... これ、最近、結構こういう人いるみたいなんですよね。こういう時だけじゃなくて、私は行かないけれど、限定幾つ、みたいなスイーツ販売とかで、先に並んでた人のところに入っちゃうとか。当然それで後ろの人は買えないとか。まぁ、それ言い出したら、以前のLFJで自由席あった頃は、前に並んでたのが後から来るのの席取っちゃうとか、ありましたしね。 思うんだけれど、こういう人達って、結局、美醜というものがわからないんでしょう。やっていいか悪いか、じゃなくて、美しくない。やっていい悪いは、法律とかで決まってます。じゃぁ、列に割り込むのは違法か、と言われると、少なくとも刑法犯ではない。でも、そもそも、醜悪だと思うんですけれどもね。 よく分からないのは、こういう美醜というものがわからない人が、どうして、わざわざ少なからぬ金と時間をかけて、こういう音楽会とか、つまりは美しいはずのモノにそんなに執着するんですかね。それこそ無駄以外の何物でもないと思うんだけれども。LFJで自由席取ってた連中なんて、その最たるモノだと思うし。今でもたまに見掛けますけどね。何をどう言ったところで、いい年して美醜もわからん奴らが何しに来てんだろうな、と思って冷笑してますけれども。 でも、まぁ、破れ鍋に綴じ蓋、そういう虚栄虚飾に満ちた連中にふさわしい程度のものだ、ということなのかしらね。あんまり言いたくはないけれども。
2025年04月13日
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サイトには出てないですが、メルマガが届きましたので御存知の方も多いと思いますが...... 明日4/12 10:00から、公式販売サイトで追加席の販売があるそうです。 D7やG409の追加販売は僅少......だそうです。という事は、ないわけでもない、って事なんでしょうかね..... https://lfj.pia.jp/ まぁ.............もう十分買ってあるから、いいかな、という気もしないでもない......
2025年04月12日
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