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2025年03月09日
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カテゴリ: オペラ



 4階右側

 カルメン:サマンサ・ハンキー
 ドン・ホセ:アタラ・アヤン
 エスカミーリョ:ルーカス・ゴリンスキー
 ミカエラ:伊藤晴
 新国立劇場合唱団
 TOKYO FM少年合唱団
 東京交響楽団

 演出:アレックス・オリエ

 久々の新国立劇場です。
 かなり書いたのですが、またしても楽天ブログのシステムが記事すっ飛ばしてくれたので、主に悪口だけ集中して。

 演出。一言で言って凡庸です。これを「ゲンダイ演出」と思ってる人は、当の本人含め、もうオペラ見たりやったりしない方がいいと思います。
 簡単に言えば、何も新しいことはしていない。単に舞台を変えて、有名な歌手なの?私知らんけど。エイミー・ワインハウスって人らしいですが、その人に仮借することで、より現代的で身近に感じられ、共感しやすくなるんだとか。そりゃあんただけだよ。世界に15人くらいはそういう人いるかも知れないけれど、殆どいないよ。
 カルメンの現代性なんて30 年以上前からわかってることです。ぐだぐだ言わないでも、バルツァのおかげで、我々はカルメンを「男を誑かす魔性の女」で、「魔性の女に魅入られた男の悲劇」ではなく、「自由に生きることを求めた女性の悲劇」という視点で見ているのです。この演出はそこから何も変わっていない。むしろ無駄に引っ掻き回すことで、見えにくくすらなっている。
 凡庸というのはその点です。何も新しいことはないというだけでなく、引っ掻き回すことで、本質を捉えにくくしてしまっている。現代に引きつければなんでもわかるというものではないのです。

 新国のカルメンは、これ以前は、鵜山仁のもので10年くらいやっていました。あれは、言わせれば、あれこそ凡庸だと言われるんでしょうね。確かに、あの演出は、それっぽい、スペインっぽくて19世紀っぽいもので、ストーリーも忠実で、そこだけ見れば何も新しいことはない。けれど、あの演出は、カルメンの悲劇も、ドン・ホセの悲劇も、愚直に表現出来ていた。今回の演出は結局そういう意味では表現として失敗している。
 失礼な言い方で申し訳ないのだけれど、アルチザンという言い方があります。芸術家としてのアーティストに対する、職人といった意味での言葉。鵜山仁の演出は、アルチザンの作品だったと思います。ある意味アーティスティックではないと言われるでしょう。けれども、あの演出は、カルメンという作品の本質をきちんと描き出したという意味で、つまり、芸術作品の本質を表出したという意味では、今回の演出、言ってみればアーティスト気取りの産物なんかより遥かに芸術に寄与しているのだと思います。
 古典舞台芸術の世界に於いては、アルチザンであることこそが最もアーティスティックであるのかも知れません。

 この演出はさっさとお蔵入りさせて、鵜山演出を復活させることを強く勧めます。

 エイミー・ワインハウスでしたっけ?そういう実在の人に仮託するのも、安直で卑怯だよな、と思います。要するに悲劇を描く上でアイディアを借りただけでしょ?それじゃダメなんだって。何かに仮託するのはリスキーなんですよ。結局仮託した相手にも、作品そのものにも、往々にして失礼になってしまうから。

 これに近い手法で成功している事例を、私は殆ど知りません。唯一、ちょっと毛色が違うけれど、以前藤原歌劇団が出した「ボエーム」の舞台で、佐伯祐三の絵をオマージュしたような舞台を出したことがあって、あれは上手くいっていたと思います。誰だったか忘れたけれど。佐伯祐三という人については調べて貰えばいいと思いますが、この人もそこそこ悲劇的な人であったけれど、その時の演出が上手くいっていたのは、佐伯祐三の悲劇に安易に寄り掛かるのではなく、あくまで舞台上の引用に留めて、舞台のリアリティを出すことに終始したから、というところだったかなと。ま、いいんですけどね。

 内容的には、歌手は、ドン・ホセはまぁ一応声はあったかな、という程度。あとは特筆する内容ではなかったなと。演出的に言うと、2幕とか、舞台奥で歌わせたので尚更聞こえてこなかったかなと。1階だともっと聞こえてたのかも知れませんが、多分そんなことはないなと。例によってぶらぼおおおおおが掛かったりしてましたが、全然わからない.......唯一声はあった、のドン・ホセも、3幕1場だったか、大抵皆上げるところをフラットにいってしまったりとかね。いや、確か上げるのは慣習で、上げなくてもいいところではあると思うけれど、残念ではあるよね。
 少年合唱団には、まぁ、罪はない。よくできました。
 この日はまぁ敢えて褒めるならデスピノーザですかね。よくやってたと思いますよ。ただ、微妙にテンポが揺れたりとか、ちょっと怪しいところはあったけれど。一部「あれ?こうだっけ?」というような箇所もあり。あれは多分セリフとレチタティーボの、違う版を取り混ぜた結果なのかな。






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最終更新日  2025年03月09日 03時12分39秒
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