ピラポーウルルン滞在

最近の旅の感動 パラグアイのピラポーウルルン滞在


【ピラポー、ウルルン滞在】


イグアスからパラグアイの世界遺産・ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナに行くのに、イグアスで会った日本人がガイドブックを持っていたので見せてもらった。(私はガイドブック持ってなかった)
それには『行き方はエンカルナシオンよりオエナウ(ドイツ人居住区)、オブリガード、ベジャビスタ、ピラポー(日本人居住区)行きのバス。』と書いてあり、日本人居住区って言葉に反応した私は行ってみる事にした。

プエルトイグアスのバスターミナルで聞くと、エンカルナシオン行きのバスがピラポーに寄ると言うので昼2時か3時くらいのバスに乗る。
途中の景色はひたすら畑と林。たまに数件の家や小さい村がある。パラグアイって凄く田舎。隣の席の兄さんの話では、パラグアイはのんびりし良い所だけど、今は情勢が不安定で治安も悪くなっていて銃を持ってる人も多いから気を付けな、と。ここもか。

もうだいぶ日も暮れてきた頃、兄さんの次に隣の席に座ってたおじちゃんが、ピラポーで降りてもタクシーが無いからここで降りてタクシーで行った方が良いと言う。近いの?と訊くと1時間くらいだと。したらタクシー代が結構かかるし、バスはピラポーで停まるんだからタクシーに乗る必要なんてないと思い、一応運転手にここで降りた方が良いのか確認すると、まだ先だと言うし、そのままバスに乗りつづける。

もうすっかり暗くなり8時をまわった頃に隣のおじちゃんが、あれがピラポーだよ、と遠くの明かりを指差す。
しばらく走りやっとピラポーに着いた。そしてバスを降りるとバス停があり、、、他は何も無し!暗くてあまり見えないけど見渡す限り畑と林。
隣のおじさんが言ってたのは、こうゆう事か。バス停と街が離れてるけどタクシーは無い。もっとよく話を聞けば良かった。おじちゃんはピラポーをあまり知らないのに適当に言ってるのかと思った。
どれだけ歩いたら街に着くんだろうか、1時間か2時間か。

でも、たまたま人を送る為に来てた車が1台。しかも小さな子供もいる家族連れ!!ラッキー☆と、ヒッチする。
とりあえず街へ向かう。やっぱりかなり遠い。結構なスピードで10分以上15分位は走ったと思う。
街の近くまで来た頃に、どこで降ろしたら良いかと訊かれ、どこか安いホテルで降ろしてと言ったら、この街にホテルは無いとの事。
やっちまった。。野宿か。。とがっかり。
どうするのか訊かれ、この町の事は何も知らないがセントロの公園ってもんはあるだろうと適当に「パルケセントロで降ろして。今日はそこで寝る。」と告げた。

今思えば、その車の荷台で寝せてくれって言う手もありだったな。公園より民家の前の方が良いだろう。
気を取り直して世間話に戻って、「この街は日系人がたくさん住んでるんだよね?私は彼らと話したくてこの街に来た。」って言ったら、「日系人の知り合いがいる。」と言い1軒の商店に連れて行ってくれ、すぐに車の人は去って行った。

挨拶をしながら店に入って行くと奥には若い日系人の女の人。
日本語話せるのかと思って一応、「日本語話せます?」ってなぜかスペイン語で訊いた。
「はい、話せます。」と流暢な日本語。
「あーー嬉しいーー!!この街は日系人の街と聞いて来て、今着いたんですけどぉー、」と話しだしたら奥から威勢の良さそうなお母さんが出てきてすぐに事情を察したらしく、泊まらせて欲しいとか言う前に「よう来たねぇ!泊まってきい!」と!!

地図もたった少しの情報さえも無い、知らない街のセントロの公園で野宿しようとしてた私。めちゃくちゃ治安の悪い所だったらどうしよう、ってどうにもならないんだから覚悟を決めよう!と気を引き締めていた。私は荷物を盗まれたくらいなら対処できるように、パスポートナンバーやクレジットカード番号やカードを止める時にかける連絡先の電話番号をちゃんと覚えてる。だから荷物と身包みはがされるくらいで済めば良いけど、、、(>_<)などと憂鬱に思っていた私は、お母さんのそんな言葉を聞いてめちゃくちゃ感激した!

そして店の奥の家に通してくれて、冷たいコーラを出してくれて「今部屋用意するからね、こんな汚い家だけど気はつかわんで良いから!」と。
嬉しい。。
「ご飯、ちょっと待っててね、先にお風呂入る?」と。飲みほしたコーラを見て、また出してくれようとする。「あ、ビールの方が良い?飲むんでしょ?」と。嬉しいーーー!!!
「いただきます!」と遠慮せずに戴く。私はこうゆう時に遠慮はしない。その代わりにおもいっきり『ありがとう!嬉しい!』とゆう思いを言葉とリアクションで伝える主義。
そしてちゃんとビールケースに氷を入れて出してくれた。思いもよらない素晴しいおもてなしに感激だ。

このお母さん、この辺りの姉貴分的な人、よし姉。
よし姉は小さい頃にパラグアイに来て、もう60年になるそう。その間にやはり私みたいのが前にもいて、ここに泊めてもらうのは私で4人目だそうで。。。
店に居たのは娘さんで、彼女はつい最近まで日本で働いてたそう。そのまた娘さんもいる。幼稚園の。それとよし姉の旦那さん。
今まで会った他の国の日系人は日本語が少し下手な人が多かった。全然話せなかったり。でもこの家族はみんな日本語が驚く程上手。って言うか、普通に日本語を話す。愛媛訛りで。日系4世のちびちゃんでも。
ここのお家では家族間の会話も日本語が主だそう。TVも流れてるのはNHK放送。

「ビール、売るほどあるから飲みなね!」嬉しいお言葉。食事も日本的。おかずはたくさんでゴージャス。でーーっかい魚を焼いたやつとか。
この街では昔ながらの日本がある。味噌や豆腐、こんにゃくまでも家庭で作るそう。今の日本でそんなのを作れる人は少ないよね?

そしてよし姉はカジノが好きらしく、夜遅くにカジノへ連れて行ってくれる。
ここはタバコ、飲み物、肉とかのちゃんとしたおつまみ、が飲み放題、食べ放題。稼動してるテーブルは1つだけど、飲み物などをサービスする綺麗なお姉さんが2人。
入場料はあると思うけど、よし姉が払ってくれた。
私はとりあえずビールを飲み、20ドル分のチップを買う。
すると続々と日系人が集まってくる。ここの人達は沖縄からとかじゃなくて、福島や愛媛やいろんな所から来た移民。驚いた事にみんな流暢に普通の日本語を話す。ほんと、パラグアイにいるのを忘れてしまいそうな程。
賭け方はみなさん豪快。ルーレットなんだけど、一人で何枚もいろんな所に置く。チップの置いてない番号はいくつも無い。
私はディーラーとの相性が良く、細々した賭け方でかなり勝った。

朝が近づいてきた頃、楽しいカジノの夜も終わり、帰ったらお風呂。しかもよし姉は洗濯物を出しておきなさい、洗濯しておくからと。凄い嬉しいーー!!!これもまた感激。
お風呂は、本当にお風呂がある。湯船につかりさっぱりして、洗濯物をお願いして寝る。

昼頃に起きるとお手伝いさんのお姉さんがたたみ終わった私の服をくれる。
よし姉は「ゆっくりしてきー。」と言ってくれ、あまえてしまおうと思ったけど、ブエノス・アイレスで友達と待ち合わせをしてるので、出る事にした。
すると遺跡まで送ってくれると。
なんて親切な人達なんだ。

この日はちびちゃんの幼稚園の入園式。午後から入園祝いを兼ねて家族みんなで近くの村、確かベジャビスタの先の方にあるこの辺りで一番良いレストランに行く予定で、遺跡に行く前にそこも連れて行ってもらった。
ここでも美味しい料理をごちそうしてもらって、食事の後に遺跡まで連れて行ってもらい、そこまでのハズが遺跡からバス停まで歩くと結構距離があるからと待っててくれ、入場料までも払ってくれ、更に遺跡のお土産まで頂いた。ここまでしてもらって。。。
バス停に着き、そして別れ際におにぎりをもらった。その暖かさのこもった大きなおにぎりを手に、うるうる。
そして精一杯ありがとうと伝えて、お別れした。

ありがとう。本当にパラグアイに、ピラポーに寄って良かった。
見知らぬ外国人を何も言わずに受け入れてくれ、こんなにも親切にしてくれた、こんな人達がいるって事を知り、そしてこの人達に会えて。さらには素晴らしいもてなしをしてもらって。この冒険をして、本当に良かった。

この後2泊かけてアルゼンチンの遺跡を見つつブエノスアイレスに着いたけど、頂いた大きな3つのおにぎりのおかげでブエノスに着くまで食費として払ったのは1センタボも無かった。

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