やはり第一位といえば、この曲がダントツでしょう!「法悦」の原題は 「エクスタシー」
であり、そのものズバリな作者の狙いがはっきりと分かって驚いてしまう。
初演は1908年。スクリャービンが創造した 「神秘和音」
と呼ばれる極めて陶酔的な和音が、聴き手を熱狂的な興奮に掻き立て、やがて忘我の境地にいたらしめるという前代未聞、 まことに不埒でけしからん曲なのに・・・素晴らしい!
寄せては返す無限とも思える音(快楽)の波が、聴くもの全てを虜にする。これこそ全ての生きとし生けるもの達への、スクリャービンからの愛の賛歌だ!
1943年作曲。第一位が非常に「肉感的」な旋律に溢れた音楽だとすれば、こちらは表面的には禁欲を装いながら、内面は 蒼白い情欲の炎 が燃え盛る、シェーンベルクの最高傑作!しかも録音は1973年、絶頂時のカラヤン・BPO。まるで真冬の夜空から惜しげもなく 銀の粉が降り注ぐような、 素晴らしい演奏だ。
一言でいえばいつの時代にもある恋愛悲劇。ただものでないのは、いつまでも続くかと思わせる 「無限旋律」 を用いて、官能のうねりをこれでもか、これでもかと聴く者に浴びせる、人間離れした技法にある。この曲の演奏には舞台形式でソプラノ独唱を入れる場合と、管弦楽のみの場合と二通りあるが、この録音は、独唱なしでこの曲の色香を徹底的に追求した、カラヤン独特の 豪華極まりない演奏 なのだ。
およそクラシックに興味のない人でも、必ずどこかで聴いた記憶があるであろう名曲中の名曲。この曲の凄いところは、単純なメロディーの積み重ねによって、次第に聴くものを 興奮と陶酔に引きずり込む ことにある。このメロディーこそ、国籍を問わず人間の奥底にある生命の鼓動、エキゾチズムを高揚させる魔力を持っている。そのクライマックスには、 激走する音の波に体をゆだねる快楽 が潜んでいる。故に十分に官能的な音楽なのだ。ただし、ラヴェルには激情に身を任せるだけの演奏は似合わない。その点、このインバルの演奏は、冷静と興奮の調和が見事に取れていて本当に素晴らしい。
結局のところ、官能なるものを「動」で表すのか、「静」で表すのか、殆どの曲はその二通りに大別されるが、この「アダージェット」その中間に位置している。ハープの響きで静かに始まる冒頭は、けだるく遅い朝の目覚めのようだ。弦楽器のみで演奏されるアダージョは次第に盛り上がり、甘美な旋律が 絹のような柔らかさで聴く者の意識を押し包んでくる。 弦楽セッションだけで圧倒的な音響的快楽をもたらす傑作である。これを官能的といわずしてなんと言おうか。演奏は、この楽章だけであれば、 金粉撒き散らすかのような 豪華絢爛、かつ退廃的なカラヤン・BPOが断然いい。
1904年に完成。スクリャービン自身が「法悦の詩」で徹底的に追求した神秘和音がすでにこの第三番でも顕著に現れる。冒頭のファンファーレは 「神のように雄大に」 と題され、かつで誰もがなしえなかった音響空間を作り上げている。「法悦の詩」程ではないものの、全編がのたうつような、 色彩的で官能的な旋律 に溢れている。これは聖と性の不思議な高揚感に包まれた、たとえようのない傑作である。