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/ キャンベラ |
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/ 英語 |
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/ 769万平方キロメートル |
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/ 1,960万人 |
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/ 緑と金 |
●州都/ブリスベン(Brisbane)● |
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ブリスベンは、オーストラリアで2番目に広い面積です。(なんと、日本の約5倍!) もともと、クィーンズランドはニュー・サウス・ウェールズ州の一部で、1824年に重罪人を 収容する刑務所として築かれました。1859年に植民地として独立し、牧畜・砂糖などの 産業が盛んになり、さらに金鉱が発見されて、経済的に豊かになっていきました。 しかし1863年以降から、南洋諸島の原住民であるカナカ人を強制的に徴用して、 奴隷的に働かせました。これは1905年まで続き、20世紀に入ってからも、クィーンズランド には、オーストラリアの“ディクシー”(アメリカ南部)という悪評がついたそうです。 なぜかというと、カナカ人の強制労働は無くなったが、アボリジニへの虐待は続いていたし、 偏狭な地方主義、強引な治安維持、超保守的なものの考え方が改まらなかったから、らしい。 しかし今では、クィーンズランドはオーストラリア国内でも特に解放的な雰囲気を 持つ土地になり、別名「サンシャイン・ステート」とも呼ばれています。 いい所は、い~っぱいあるんだよ!! |
●州都/シドニー(Sydney)● |
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ニュー・サウス・ウェールズという州名は、ジェームス・クック(キャプテン・クック)が 1770年の探検航海の後、大陸の東海岸全体に付けた名前です。 ニュー・サウス・ウェールズ州の州都・シドニーは、ヨーロッパからの最初の入植地で、 現在は、100以上の国からの移民で構成されています。そして、オーストラリアの 総人口のおよそ3分の1は、ニュー・サウス・ウェールズ州で生活しています。 ニュー・サウス・ウェールズは、プレミア・ステート(筆頭州)と呼ばれていて、 オーストラリア最大の国際都市、そして最大の国際玄関口となっています。 2000年にオリンピックが開催されたのは、記憶に新しいですよね。 |
●州都/メルボルン(Melbourne)● |
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ヴィクトリア州は、オーストラリアで最も小さい州ですが人口は2番目に多く、 人口密度が1番高い州です。最も緑が多い州でもあり、「ガーデン・ステート」とも 呼ばれています。大英帝国の殖民時代の名残を残した、ヨーロッパ風な町並みも ヴィクトリア州(メルボルン)の魅力です。2002年にメルボルンは、世界の130都市の 中で最も 住みやすい街に選ばれています。ちなみにパースが3位に、シドニー・ ブリスベン・アデレードは同率で8位にランキングされています。 19世紀にはゴールドラッシュで富を築き、現在は大規模な金の探鉱は行われて いないものの、農業と工業の国内総生産の約3分の1を、この州が担っています。 |
●州都/ホバート(Hobart)● |
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タスマニアは、1642年にオランダの大航海者アベル・タスマンによって発見されました。 その時に、この島に付けた名前は「ヴァン・ディーメンズ・ランド」。これは、 オランダ領東インド諸島の総督にちなんで付けられた名前だそうです。 しかし、オランダこの土地に強い関心を抱くことはなく、その後1803年に、イギリス がタスマニアに犯罪者植民地を建設することを決定。翌年、再犯者の収容先として ホバート・タウンを築きました。こうして、ヴァン・ディーメンズ・ランドは残忍な行為と 恐怖の代名詞となってしまいました。その後も、1821年にはマックォーリー・ハーバーに、 1832年にはポート・アーサーに、野蛮な刑罰が横行する刑務所が出来ました。 1852年に流刑囚の移送は中止され、監獄島のイメージを払拭するため、 島の名前をタスマニアに変更したそうです。 |
●州都/アデレード(Adelaide)● |
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南オーストラリアは、唯一オーストラリア国内で囚人植民地が無かった土地です。 アデレード郊外にあるグレネルグという場所に、1836年にヨーロッパ人が初めて 上陸しました。その翌年にはウィリアム・ライト大佐が、すぐ横にアデレードの街を 築きました。初期の植民者の多くはイギリスの上流階級の人々で、1839年までには 多くのプロシアとシレジアのルター派教徒が迫害を逃れて移住し、彼らは1842年には バロッサ・バレーに定住しました。 |
●州都/パース(Perth)● |
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1779年、フランスの探検家ルイ・フランソワ・ド・サン・アルアルンが、 西オーストラリア沿岸のほぼ中間に位置するシャーク・ベイに入港し、大陸の 西半分の所有権を主張しました。しかし、広大な乾燥地があるこの土地へのフランスの 関心は薄く、植民地を作るまでには至りませんでした。一方でイギリスは、1820年半ばに 大陸の西半分の領有を宣言し、現在のアルバニー付近に植民地を建設しました。 西オーストラリアへの入植は他に地域に比べて最も遅く、入植地が栄えるようになったのは、 1880年代から90年代にかけて、クールガーディーやカルグーリーなどで金が発見された ゴールドラッシュ以降でした。 西オーストラリアの面積は、260万平方キロメートルで大陸全土の約3分の1を占めるのに 対し、人口は国全体のわずか10%ほどの170万人ほどです。 |
●州都/ダーウィン(Darwin)● |
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1820年代に、イギリスが北部沿岸地域の領有を宣言し、メルヴィル島とコバーグ半島に 足を踏み入れて、この土地への入植が始まりました。しかし、マラリアやサイクロン(熱帯 低気圧)のために植民は思うように進まず、1869年にダーウィンの町(当時の名前は パルマーストン)が築かれて、ようやくヨーロッパ人が定住するようになりました。 アボリジニ(先住民)が人口の約22%を占めるこの地域は、オーストラリアでもアボリジニの 割合が最も高い地域です。面積のおよそ半分がアボリジンの居住地で、一般の立ち入りは 禁止されています。しかし、中には観光ツアーを受け入れるなどして開放している居住地も あります。こうして独自の観光事業を展開して、雇用の確保や伝統文化の紹介をしているのです。 ノーザン・テリトリーは、これまで州として認められていませんでした。しかし、1998年8月に 連邦政府が、2000年までに7番目の州に昇格させることを承認しました。 |
●州都/キャンベラ(Canberra)● |
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1901年に、イギリスの当時の6つの植民地が結集して連邦国家を作ることを決定すると、 各植民地はお互いに、自分達の州に首都を起きたいと競争心を募らせました。政治家達も意地を 張り合い、首都はなかなか決まりませんでした。その混乱は7年も続き、結局新たに制定された 憲法によって、オーストラリアの首都は、ニュー・サウス・ウェールズ州内に置くことになりました。 しかし、その場所はシドニーから160km以上離すことが条件でした。こうして、1911年に 首都・キャンベラの建設地として、オーストラリア連邦首都特別区(Australian Capital Territory :ACT ) が作られ、1989年に自治地域(それまでは連邦政府の直轄地域)になりました。 |