こんばんは
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藤ノ木古墳の次は、 法輪寺
を拝観しました
こちら
見えて来たのは、法輪寺の三重塔
左 門の前から 左へ曲がると 法隆寺カントリー倶楽部
トリッキーで、酷い目に遭った昔の苦い思いだけ覚えています。
勿論、三重塔が見えたのか、どうなのかなんて覚えていません![]()
右 おぉ~~
法輪寺の駐車場にある電話ボックス
最近 見なくなりました、それも屋根が塔で相輪もありますね。
門と三重塔
創建には二説が伝えられています。
ひとつは、推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王が
その子由義王らとともに太子のご病気平癒を願って建立されたという説、
もうひとつは、天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が
合力して造寺したとする説です。(法輪寺HPより)
三重塔
次に行く法起寺と共に 斑鳩三塔と言われています。
斑鳩三塔とは、法隆寺の五重塔、法起寺と法輪寺の三重塔のこと。
講堂(収蔵庫)
講堂の中の虚空蔵菩薩立像は、飛鳥時代 木造で、
一目で 法隆寺の百済観音像に似ていると感じました。
同じ飛鳥時代の仏像で、優しい素朴なお顔が印象的でした。
鐘楼と金堂
会津八一の歌碑
これでは、見えませんので、拡大しました。
↓
が、はっきりしません。
十一面観音菩薩を詠んだ歌で、 昭和35年に建立。
「くわんのん の しろき ひたひ に やうらくの かげ うごかして かぜ わたる みゆ」秋艸道人
※瓔珞(ようらく)については、「本来は、珠玉など七宝を綴り合せて造れる頸飾をいふ語なれども、ここにては、宝冠より垂下せる幾条かの紐形の装飾をいへるなり」とある。(『自註鹿鳴集』) (法輪寺HPより)
拝観者は、私一人だけ。時がゆったりと過ぎて行くようでした
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