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5月24日木曜日に、品川のマンションを引き払い、夫の実家に引っ越してきました。
それから2週間以上がたちましたが、その間ブログの更新が全く出来ませんでした。(それくらい大変でした。)
引越しはある種の清算行為にも似ています。
ひとつの暮らしを閉じ、新しい暮らしを始めるために、
古いものを新しい入れ物に移し変えるのです。
新しい入れ物は、リフォームした夫の実家、
無垢材のフローリングと漆喰の壁で出来た、断熱材まで天然素材にこだわった家です。
実は、品川での引越しの荷造り、最後は時間切れで、
不用品の処分や自分たちの持ち物の見直しが、思ったほどには出来ませんでした。
ですから、引越屋さんに、荷物を運び込んでいただいたときに、
「これはどこに置きますか?」と聞かれて、置く場所が決まっていないものがたくさんありました。
「とりあえず、そこに・・・。」何度、力なくそのコトバを繰り返したことでしょう。
私たちは、新しい暮らしを、どんな風にしていくのか、
どの部屋に何を置いてどう使っていくのか、
明確なイメージのないまま、引っ越してきてしまったのでした。
(まあ、荷造りが終わったのが当日の午前3時半でしたから、何おかいわんや、ですが。)
この「とりあえず」は、後で何倍にもなって、負担となって返って来ました。(先延ばしは、負担を増大させます。)
引越し後3日間、夫は都内に外出する用事が続き、私はダンボールの海に、ひとり残りました。
ダンボールをあける毎に、私が「処分しよう」と言い、夫が「残して持っていく」と応えた物たち本、食器、衣類、その他雑多なものが出てきて、そのたびに残念な思いがわき、遅々として荷解きが進みませんでした。
一度しまってしまったら、もう処分する機会は来ないし、自由なスペースが物で埋まってしまうことへの嫌悪感が、私の動きを止めてしまいました。
そのときの私は「悔い」でいっぱいでした。
自分も引越しギリギリまで、毎日のようにカプランに行き、セルラスの集まりにも出、
友達とも会い続け、本気で片付けに向き合わなかったのです。
夫婦できちんと物と向き合いながら話し合うこともせず、考え方の違いもそのまま持ち越してしまいました。
私が外出している間に、夫はほとんどの本と食器、そのほか様々な品物を荷詰めしてくれたのです。
そういう「持ち越し」たことや「向き合わなかった」こと、「話し合わなかった」ことが、新しい家に全部持ち込まれて、表面に出てきました。
荷解きの大変さは、肉体的な負担よりも、そういう精神的な負担の方が大きかったです。
加えて、すぐ近くに住む親戚や近所の人たちが、「家を見せて」とやって来ます。
この散らかり放題の様子を見て、みんな気の毒そうな表情をして帰っていくように、私には見えました。
特に近所の85歳になる伯母が言った「これじゃあ○○子さんは、しばらくどこにも出られないねえ。」という言葉が重かった。
引越し後、私も都内への外出が続き、片付けの終わっていない家に鍵をかけて日中外出していることに、強い罪悪感を感じました。
私は「近所の目」を意識し、「良い主婦」像に程遠い自分を責め続けました。またぞろ、『人に良く見られらたい』という意識が頭をもたげて、自分で苦しみを作ったのでした。
カプラン(英語の学校)やセルラスのピアザに出るために渋谷や新宿に行くと、
片道2時間の道のりですが、往きは家のことが気になり、疲れでぐったりしているのに帰りは何ヶ国語かのシャドウイングをしたり、スピーチの暗誦をしたりできるくらい
元気になっている自分も発見しました。
田舎での新生活と、これまで都内で続けてきた色々な活動のバランスをどうとっていくのか、
そもそも続けていくのが『正しい』選択なのか考え続けましたが、
正しいかどうかはともかく、やはり『楽しい」ということは確かだと感じました。
ものには全てタイミングがありますね。
都内で全部の片づけが終わらなかったのも、
夫と物に対する意識が違ったままでこちらに来たのも、それはそれで意味があったようです。
私たちが向き合う荷物は、品川で使っていたものだけではなく、
昨年の夏片付けた、夫の実家のものたちもありました。
品川の荷物は、私たちのこれまでの人生を象徴していますが、実家の荷物は夫の育った家や家族を象徴しています。
ただでさえ物を捨てることに抵抗のある夫です。実家の荷物と向き合うのは、かなり辛く、最後まで押入れの中にしまったものをあけて見ることさえしませんでした。
その夫が、ほとんど片付けの終わった家の中で、最後まで手付かずで残っていたその押入れを、とうとう開けました。
そして自分で中身をみて、いるもの、いらないもの、まだ決められないものに分類し始めたのです。
この作業は私には手出しも口出しもできません。夫にとっては、ある種神聖な行為なのかもしれない、とそばで手伝いながら思っていました。
私の方は、納戸部屋を自分の書斎にして、勉強道具や趣味の道具を運び込んだら、すごく楽しくなりました。
片づけが終盤にかかってくると、都内での活動で出会う人や新たな情報が、今の私にとってどれほど大切なことかわかります。
自分のこれから進んでいく方向を考える上で、絶えず良い刺激を与えてもらっているのです。
自宅に帰って得られる、静寂、鳥のさえずりや梢を抜ける風の音という自然音しかない生活が、どれほど心を癒すか。
そして広々としたスペースと白い壁、木の床に囲まれた部屋が、心まで深呼吸させてくれるのを感じています。
もう都内の暮らしに戻りたいとは、全く思いません。
引越しとその後の片付け、これまでの暮らしと新しい暮らしの調整を通して、人生の大きな通過儀礼を終えたような気がします。
全部必要なことだったのでしょう。
先日カプランで3分間スピーチをした際、引越しのことを語ったら、石渡先生がキャッチフレーズを作ってくれました。
いわく、「ニュープレイス、ニューライフ」!
新しい土地に暮らし始めることは、同時に新しい人生の始まりなのです。
ニュープレイス、ニューライフ
なんだかわくわくしてきます。