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踏切名の通り、川の水に含まれる土砂などを沈殿させて取り除く「沈砂池」に行くための専用踏切です。専用踏切のため、踏切の先へは入ることができません。この先にある沈砂池は、周辺に水力発電所を持つ日本軽金属の所有となっており、静岡県の蒲原工場へ電力を供給する発電所のための重要な設備となっています。沈砂池踏切 44K290M所在地:山梨県南巨摩郡身延町丸滝撮影日:15.12.20
2016.03.26
丸滝地区の住宅地の中にある踏切です。軽自動車でも通行が難しいほど狭い道となっているので、歩行者や自転車の利用が多いと思われます。「東側」という踏切名の詳しい由来は不明ですが、かつて身延線の前身だった「富士身延鉄道」が運営していた富士川の橋「身延橋」の東側にあることが由来なのではないかと思われます。東側踏切 43K720M所在地:山梨県南巨摩郡身延町丸滝撮影日:15.12.20
2016.03.25
身延駅の塩之沢寄りに隣接している踏切です。住宅地の中にあり、交通量は比較的多くなっています。踏切名は所在地の地名が由来となっています。身延方を見ます。塩之沢方を見ます。写真奥でカーブしているのが本線で、左側は側線です。角打踏切 43K405M所在地:山梨県南巨摩郡身延町角打撮影日:15.12.20
2016.03.23
北沢踏切から少し身延寄りの場所にある小さな第4種踏切です。幅は1Mほどとなっていて、人が一人通れるほどしかありません。周辺住民の抜け道的な利用は案外あるかもしれません。踏切名は「北沢踏切」から下ったところにあることが由来です。踏み板部分です。幅の狭さがよくわかります。北沢下踏切 42K825M所在地:山梨県南巨摩郡身延町角打撮影日:15.12.20
2016.03.21
身延線と並行する県道10号から見える場所にあります。線路の反対側の集落への入り口となっていて、交通量はそこそこあります。踏切名は付近を流れる「北沢川」が由来となっています。先述した「上大島踏切」と、この踏切の間にもう一か所踏切がありますが、今回は探索できませんでした。北沢踏切 42K752M所在地:山梨県南巨摩郡身延町角打撮影日:15.12.20
2016.03.21
「宮の下踏切」から少し身延寄りに進んだ場所にある小さな踏切です。細い小道が交差していて、この付近の住民以外の利用はほとんどないと思われます。踏切名はこのあたりの地区名が由来となっています。上大島踏切 40K044M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.20
2016.03.16
先述の「宮原踏切」から少し身延寄りに進んだ場所にある踏切です。線路の向こう側にある集落に入る生活道路が交差しています。この辺りは住宅が比較的多いので、利用もそこそこありそうです。踏切名は、この付近に「神明宮」という神社があることが由来と思われます。この踏切は「かまぼこ型踏切」で、大型トレーラーの通行はできません。宮の下踏切 39K874M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.20
2016.03.16
甲斐大島駅から少し身延寄りに行った場所にある踏切です。生活道路が交差し、線路の向こう側の集落に行くため比較的利用がありました。踏切名は周辺の小字が由来となっています。宮原踏切 39K644M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.20
2016.03.13
甲斐大島駅の内船寄りに隣接する踏切です。踏切名の由来となっている「妙泉寺」につながる小道が交差し、寺院に行く人と周辺住民以外は利用しなさそうです。妙泉寺踏切 39K299M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.20
2016.03.13
先述の「感応寺踏切」のすぐ先にある第4種踏切です。奥にある個人住宅の専用踏切で、幅は人が一人通れるほどしかありません。踏切名の由来は不明です。最近設置されたと思われる大型の防護柵です。踏切名やキロ程の記載はなく、「ふみきり注意」「左右確認」と書かれたプレートが取り付けられています。北川踏切 38K967M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.10
2016.03.08
大島地区の生活道路と交差している踏切です。付近には住宅が点在していて、住民の利用が多いと思われます。踏切名はこの先にある寺院「感応寺」が由来となっています。感応寺踏切 38K917M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.20
2016.03.05
先述の「井戸尻踏切」から甲斐大島駅方に進んでいくとあります。第3種踏切で、車両の通行はできません。山へ入っていく小道が交差していて、周辺には人家もなくこの踏切を利用する人はほとんどいないものと思われます。踏切名は周辺の小字が由来となっています。内船方を見ます。甲斐大島方を見ます。馬込踏切 38K434M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.20
2016.03.01
このあたりで身延線と並行している県道4号から集落へ入っていく場所にある踏切です。周辺はとても静かで人気がなく、住民以外の利用はなさそうです。踏切名の由来は不明です。小字や地区名でしょうか?井戸尻踏切 38K291M所在地:山梨県南巨摩郡身延町大島撮影日:15.12.20
2016.02.29
十島駅の井出寄りに隣接している踏切です。狭い道路と交差する小さな踏切で、普通車の通行はできません。付近の住民以外の利用はほとんどないと思われます。また、踏切名の由来は不明です。蛇塚踏切 26K007M所在地:山梨県南巨摩郡南部町十島撮影日:15.12.20
2016.02.23
十島駅の稲子寄りに隣接している踏切です。十島地区の集落の生活道路が交差し、住民の利用が多いと思われます。踏切名は小字が由来です。「角川日本地名大辞典」の小字一覧では、「下谷戸」(読みは「しもがいと」)として掲載されています。ちなみに、この踏切はおそらく山梨県内最南端の踏切だと思います。稲子方を見ます。山に沿って線路は走っています。十島方を見ます。下外戸踏切 25K685M所在地:山梨県南巨摩郡南部町十島撮影日:15.12.20
2016.02.19
西富士宮駅の沼久保寄りに隣接している踏切です。県道182号が交差していて交通量が多いです。ただ、西富士宮から先の区間は列車本数が少なくなるので、そこまで交通に影響は見られないようです。踏切名は付近の地名から取られています。西富士宮方を見ます。ホームがすぐ近くまで迫っています。沼久保方を見ます。ここから本格的にローカル区間に入っていきます。中里踏切 11K712M所在地:静岡県富士宮市貴船町撮影日:15.12.20
2016.02.17
西富士宮駅近くにある歩行者専用の小さな踏切です。駅前から線路の向こう側の住宅地に抜けられるので、歩行者の通行は意外に多いです。踏切の周りがフェンスで囲まれていて物々しい雰囲気です。踏切名は付近の小字が由来となっています。津森踏切 11K438M所在地:静岡県富士宮市西町撮影日:15.12.20
2016.02.16
先述の第一踏切から少し西富士宮寄りにある第二踏切です。狭い道路ですが交通量が多く、歩道がないため歩行者にとっては危険な踏切だと感じます。周辺は住宅が密集しています。第二羽衣踏切 11K347M所在地:静岡県富士宮市西町撮影日:15.12.10
2016.02.16
住宅地の中にある小さな踏切です。付近に広い道路があるためこの踏切の交通量は少なく、地元住民が利用する程度となっています。踏切名はこの付近の地区名が由来です。第一羽衣踏切 11K274M所在地:静岡県富士宮市西町撮影日:15.12.20
2016.02.15
富士宮駅の西側に隣接している踏切です。先述の「黒田踏切」同様、富士宮の市街地にあって県道414号(旧国道139号)と接続する道路が交差しています。さらに、付近には「イオンモール富士宮」があるため終日にわたって交通量が多く、混雑しています。2012年に富士宮~西富士宮間が高架化されましたが、駅自体は高架化されなかったためこの踏切もそのまま残ってしまいました。スムーズな交通のためにはこの踏切と手前の「黒田踏切」を高架化したほうがよい気がしますが、駅の高架化が必要になり莫大な費用がかかるためか、これ以上の高架化は行われないようです。踏切名は「イオンモール富士宮」の場所に存在した紡績工場「オーミケンシ富士宮工場」の前身である、「日本ペニー紡績大宮工場」が由来となっています。工場がなくなっても、踏切名だけは「日本ペニー紡績」の記憶をしっかりと受け継いでいます。富士宮方を見ます。左に見えるのは臨時列車用のホーム(1番線)で、奥に見える2、3番線に通常の列車は入ります。西富士宮方を見ます。この先が2012年に高架化された区間となります。ちなみに、複線区間は富士宮駅までで終わり、ここから甲府まで単線区間が続きます。ペニー紡績踏切 10K464M所在地:静岡県富士宮市中央町・大宮町撮影日:15.12.20
2016.02.08
富士宮駅の源道寺寄りに隣接している踏切です。富士宮市街地の中心部にあり、交通量が激しいです。さらにこの先に県道414号(旧国道139号)との交差点があり、車の流れが悪い場所にこの踏切があることから渋滞が起こりやすい踏切となっています。かなりの車が並んでいる様子が写真からもよくわかります。付近に高架道路もありますが、それでもこの踏切の改善にはつながっていないようです。踏切名は、この踏切が交差する道路が黒田地区につながっていることが由来となっています。黒田踏切 10K041M所在地:静岡県富士宮市田中町撮影日:15.12.20
2016.02.06
第一踏切から柚木寄りに進んだところにある第二踏切で、こちらは普通車も通行できるので交通量が多いです。富士駅前は工場や倉庫が集まっていますが、駅から離れると住宅がかなり多くなってきます。この先で身延線は高架になり、踏切は竪堀駅の先にある東名高速との交差部付近までありません。第二六軒屋踏切 1K029M所在地:静岡県富士市松岡撮影日:16.01.09
2016.02.03
身延線最初の踏切で、身延線が東海道本線から分かれていく付近にあります。普通車の通行ができないため交通量は少ないですが、抜け道的に使う歩行者が多い印象でした。踏切名は周辺の小字が由来となっています。第一六軒屋踏切 0K822M所在地:静岡県富士市松岡撮影日:16.01.09
2016.02.02
甲府市街地に向かう比較的広い道路が交差する踏切です。国道20号甲府バイパスの下を通る道で、交通量はかなり多く撮影中も車がひっきりなしに通過していました。周辺は店舗や住宅などが密集しているほか、付近に甲府中央卸売市場があります。反対側から。交通量が多いため、踏切が鳴ると多くの車が並んでしまいます。踏切名は周辺の小字が由来となっています。南河原踏切 81K956M所在地:山梨県甲府市国母・上小河原町撮影日:15.07.01
2015.09.22
先述の妻神踏切と同じく、住宅地の中にある踏切です。周辺は新しい戸建て住宅が並び、交通量も比較的多くなっていました。反対側から。踏切名の由来は不明です。小字や旧町名でしょうか?六枚踏切 81K581M所在地:山梨県甲府市国母・古上条町撮影日:15.07.01
2015.09.18
国母駅周辺に広がる住宅街の中にある踏切です。交差する道路は比較的狭いですが、交通量は意外とありました。踏切名の「妻神」の由来は不明です。付近の小字などが由来でしょうか?妻神踏切 81K316M所在地:山梨県甲府市国母・古上条町撮影日:15.07.01
2015.09.18
身延線と並行している県道4号旧道とバイパスを結ぶ踏切。八の尻踏切とは異なり道路は広く、歩道も併設されています。背景には山並みが綺麗に映え、開放的でよい景色が楽しめます。反対側から。周辺では中部横断道などの工事が行われており、大型車の通行がありました。踏切名は所在地の地名が由来です。下大鳥居踏切 67K582M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町下大鳥居撮影日:14.01.13
2014.02.24
山に囲まれた場所にある小さな踏切。身延線と並行している県道4号旧道とバイパスをつなぐ役割があり、たまに車が通行していきます。反対側から。踏切名は線路東側に広がる地名「八之尻」が由来となっています。また、踏切そばを流れる池尻川の別名が「八之尻川」であり、身延線の橋梁は「八之尻川橋梁」という名称です。八の尻踏切 67K100M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町下大鳥居撮影日:14.01.13
2014.02.24
鰍沢口駅の市川大門方に隣接している踏切。軽自動車を除く普通車の通行できない小さな踏切で、周辺の住民のみが利用すると思われます。踏切名は所在地の小字が由来となっています。踏切から鰍沢口方を見ます。この先が駅で、単線の線路が分岐しています。市川大門方を見ます。のどかな風景の中を走っていきます。久保沼踏切 66K722M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町黒沢撮影日:14.01.13
2014.02.21
鰍沢口駅の落居方に隣接している踏切。県道4号「笛吹ライン」が交差し、交通量は比較的多くなっています。この先で市川三郷町から富士川町に入ります。周辺は住宅や商店がいくつかありますが、賑やかな場所ではありません。富士川を越えた富士川町鰍沢地区のほうが住宅は多くなっています。反対側から。踏切名は所在地の地名が由来です。鰍沢口駅は、開業当初は富士川水運で栄えた鰍沢と所在地の地名を組み合わせて「鰍沢黒沢駅」と名乗っていました。この踏切は駅に列車が入った時点で鳴り出すため、長時間停車などの場合は列車が通過しないのに踏切が鳴ることがあります。黒沢踏切 66K269M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町黒沢撮影日:14.01.13
2014.02.21
鰍沢口駅近くの集落内にある小さな踏切。周辺は山に囲まれています。反対側から。住宅がいくつかありますが、利用はほとんどありません。踏切名は所在地の小字が由来となっています。落居方を見ます。この先に割石峠があり、身延線はトンネルで越えていきます。鰍沢口方を見ます。この少し先に鰍沢口駅があります。前田踏切 66K091M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町黒沢撮影日:14.01.13
2014.02.18
住宅地と農地が混在する場所にある小さな踏切。幅は1m程度しかなく、歩行者や自転車しか通行できません。踏切名は、付近にある表門(うわと)神社の別名である「市川文珠」が由来となっています。表門神社は平安時代以来の歴史を持つ、由緒正しき神社です。文珠踏切 71K547M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町上野撮影日:14.01.13
2014.02.11
こちらは芦川駅の甲斐上野方に隣接しています。幅が狭く自動車の通行はできません。付近は住宅地になっているほか、目の前に小学校があり通学路としての利用がありそうです。反対側から。踏切名は所在地の小字が由来となっています。川浦踏切 71K388M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町上野撮影日:14.01.13
2014.02.10
芦川駅の市川本町方に隣接している踏切。県道36号が交差し、周辺の踏切と比較すると交通量は多いです。県道3号との交差点から上り坂になっていて、踏切はその途中にあります。踏切名は隣接する駅名からとられています。駅名の由来となった芦川は市川本町方面に進むとあります。反対側から。警報機には全方位型の警告灯が採用されています。付近には身延線のものと思われる木製の電柱が残っています。芦川踏切 71K273M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町上野撮影日:14.01.13
2014.02.10
宝寿院踏切から少し芦川方に進んだところにあります。周辺は古くからの住宅が多いですが、踏切の先はくねくねとした坂道になっています。この先に中国風の公園「大門碑林公園」があります。踏切名は所在地の小字が由来となっています。坂本踏切 70K587M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町市川大門撮影日:13.12.22
2014.01.18
市川本町駅の芦川方に隣接する踏切。普通車の通行できない小さな踏切です。踏切名の由来となった「宝寿院」は奥にあります。この宝寿院は、平塩寺の西塔院にあたる由緒ある寺院で、桜の名所としても知られています。反対側から。周辺は古くからの住宅が立ち並んでいます。宝寿院踏切 70K389M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町市川大門撮影日:13.12.22
2014.01.17
住宅地の中に存在する小さな踏切で、広い道路からは見えない奥まったところにあります。幅が狭く、普通車の通行は禁止されています。踏切名の「平塩」(ひらしお)は小字が由来です。この小字のもとになったと思われる「平塩寺」(へいえんじ)は甲斐源氏ゆかりの寺院であり、市川大門はこの寺の門前町として栄えましたが、現在は廃寺となっています。周辺は古くからの街らしく、歴史ある建造物が点在していました。平塩踏切 70K188M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町市川大門撮影日:13.12.22
2014.01.16
市川大門の中心地にある、県道409号が交差する踏切です。この県道は江戸時代の富士講で「富士八海」のひとつとされている「四尾連湖」(しびれこ)まで行くことができます。ちなみに、富士八海は富士五湖のほか、四尾連湖、明見湖、泉水湖の8つの湖の総称です。反対側から。狭い道路なので交通量は比較的少ないです。踏切名の「七軒町」は所在地の小字が由来となっています。七軒町踏切 69K997M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町市川大門撮影日:13.12.22
2014.01.15
鰍沢口駅付近から身延線と並行していた県道4号が交差する踏切です。この地区の主要な交通路となっているため、周辺の踏切の中で最大の利用があります。踏切名は所在地の地名に由来しています。市川大門方を見ます。この先が市川大門駅です。高田踏切 69K358M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町高田撮影日:13.12.22
2014.01.10
こちらの踏切も集落の外れにあり、幅が狭く普通車の通行は禁止されています。周辺は住宅もいくつかありますが、付近に県道の踏切があるため交通量はほとんどなく、静かな雰囲気です。踏切名の由来は不明です。今村踏切 69K257M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町高田撮影日:13.12.22
2014.01.10
集落の外れにある小さな踏切です。周辺は水田や畑が広がっていて、開放感のある素敵な場所となっています。青空に周囲の山々が映えていますね。踏切名の「鳴沢」はこのあたりの集落名が由来となっています。踏切付近から見える山々です。少し雪化粧しています。鳴沢踏切 69K079M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町高田撮影日:13.12.22
2014.01.09
浦町踏切から140Mほど進んだ、集落から少し離れたところに位置する小さな踏切です。幅が狭いため普通自動車の通行は禁止されています。背後に山が迫り、綺麗な風景が広がっていますね。反対側から。踏切名は戦国時代、駿州往還沿いの宿場だった「高田宿」を構成する集落の一つ、「下宿」が由来となっています。下宿踏切 68K882M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町高田撮影日:13.12.22
2014.01.08
下り列車が印沢川の天井川トンネルを抜けた先にあります。並行する県道4号から見えるところにあり、集落の入口として利用されている踏切です。踏切名の「浦町」の由来は不明です。宿場と関係があると思われますが、調べてみる必要がありますね。浦町踏切 68K742M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町高田撮影日:13.12.22
2014.01.07
2014年初の踏切記事です。身延線と並行する県道4号から分岐する道と交差します。踏切は住宅と住宅の間にあり、あまり目立ちません。交差する道も狭く、利用はほとんどないと思われます。反対側から。警報機はまだ新しく、全方位型の警告灯があります。踏切名は、かつて存在した「高田村」の集落名である「川下」が由来となっています。近くに印沢川があり、それに因んだ名称であるともいえます。踏切から鰍沢口方を見ます。市川大門方を見ます。先に見えるトンネルは印沢川の下をくぐる天井川トンネルです。これについては後日当ブログで紹介します。川下踏切 68K531M所在地:山梨県西八代郡市川三郷町高田撮影日:13.12.22
2014.01.05
下り列車が南甲府駅を出て最初に差し掛かる踏切で、県道22号「青葉通り」と交差しています。この県道は国道20号甲府バイパスと国道358号「平和通り」を結び、激しい交通量があります。反対側から。撮影中も途切れずに車が通過していました。踏切名の「北大路」ですが、詳しい由来は不明です。この先に同名の交差点があるので所在地の小字でしょうか?南甲府方を見ます。この先が駅になります。周辺の空き地はかつての貨物専用線跡です。線路が残っていますが、踏切手前で途切れています。かつては県道を渡り、付近にある鈴与の工場へ続いていたようです。善光寺方を見ます。北大路踏切 84K251M所在地:山梨県甲府市南口町・青葉町撮影日:13.10.31
2013.12.05
甲斐住吉~南甲府間最後の踏切となります。この区間は1KM程度と短い区間なので、踏切は3か所しかありません。住宅地の生活道路が交差していて、周辺の踏切と比べると交通量は少なめです。手前側の道路はかなり狭く、見通しが悪いためオーバーハング型の警報機と多数の警告灯が設置されています。反対側から。こちらから見るとこの先の道の狭さがよく分かります。踏切名になっている「住吉本町」はここから離れた国道沿いの地名で、所在地は単に甲府市住吉です。この踏切は前後が傾斜している「かまぼこ型踏切」となっており、大型車の通行は困難です。住吉本町踏切 83K342M所在地:山梨県甲府市住吉撮影日:13.10.31
2013.12.05
県道113号が交差する踏切で、左側には歩道も設置されています。この県道は狭い道ながら交通量が多いです。踏切の銘板が付いている防護柵は幅広のもので、こんなタイプは初めて見ます。(最下部の写真参照)反対側から。周辺は住宅と中小の商店などが混在しています。踏切名は所在地の地名が由来です。この先には「住吉神社」があり、「住吉」という地名の由来になっています。住吉踏切 83K143M所在地:山梨県甲府市住吉撮影日:13.10.31
2013.12.02
甲斐住吉駅の南甲府方に隣接する踏切です。県道29号「伊勢通り」が交差していて、交通量はとても多いです。甲斐住吉駅は小さな無人駅で、この踏切の脇に入口があります。第二中小河原踏切 82K763M所在地:山梨県甲府市中小河原・住吉撮影日:13.10.31
2013.11.29
甲斐住吉駅の国母方に隣接する踏切です。住宅地を通る狭い道路と交差し、普通車の通行はできません。軽自動車は通行できるため、軽トラが通っていました。踏切名は所在地の地名「中小河原」が由来です。第一中小河原踏切 82K679M所在地:山梨県甲府市中小河原撮影日:13.10.31
2013.11.29
長松院踏切の先にある第4種踏切です。本当に山の中にあり、利用も全くなさそうな秘境踏切です。この踏切はgoogleなどの地図に出ておらず、国土地理院の地形図を使ってアクセスしました。甲斐岩間~久那土駅周辺は、撮影した踏切5か所中実に4か所が第4種という「多発地帯」です。どれも小さな道が交差していて、ローカル線らしさがよく表れています。踏切名の詳細は不明ですが、身延町には「丸畑」という地区が存在しています。丸畑地区は江戸時代に数多くの仏像を製作した「木喰上人(もくじきしょうにん)」の出身地だそうです。(出典:身延町地域資料「木喰上人」)しかし、地区名の読み方は「まるばたけ」で、ここから離れているため関連性があるかは不明です。踏切から久那土方を見ます。カーブしているので、上り列車は警笛を鳴らして踏切に進入します。市ノ瀬方を見ます。山の中にあり、秘境感は満点です。脇に富士起点57.5キロポストが見えます。丸畑踏切 57K512M所在地:山梨県南巨摩郡身延町三澤撮影日:13.05.05
2013.06.20
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