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今回は、甲信地区で活躍する211系のうち、幕張車両センター、高崎車両センターから転属してきた3000番台を掲載します。211系3000番台は、東北本線・高崎線系統の115系初期車の置き換えのために新製されたロングシート車です。国鉄時代の1985年からJR化後の1991年まで導入が続けられました。東北本線・高崎線時代はすべて5両編成でしたが、2006年ごろにグリーン車2両の組み込みが行われた関係で大規模な編成の組み換えが行われました。さらに、E231系の導入で余剰になった3000番台は5両編成のままで2006年から房総地区(幕張車両センター)に転出し、房総地区の113系のうち状態の悪い車両(1000番台初期車など)の置き換えが行われました。房総地区では2009年から209系の導入が始まったことに加え、東北本線・高崎線ではE233系が導入されたことにより211系が置き換えられました。置き換えられた211系は長野地区で新たに活躍をはじめました。このうち旧幕張所属車と旧高崎所属車の一部編成は、長野総合車両センターへの転属に当たってサハ2両を廃車し、3両編成に組み替えられています。現在の3000番台の運用は中央本線(立川~塩尻間/中央東線)・篠ノ井線・信越本線(篠ノ井~長野間)・大糸線に加え、JR東海管内の中央西線(塩尻~中津川間)・飯田線(飯田~辰野間)にも乗り入れ、広範囲に活躍しています。また、1000番台が中心的に運用されている富士急行線に乗り入れる場合もあります。甲府駅で撮影したN302編成です。幕張車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3053・モハ210-3053・クハ210-3053)です。甲府駅で撮影したN303編成です。幕張車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3054・モハ210-3054・クハ210-3054)です。幕張からの転属編成は、前面の表示器が幕式となっています。幕張時代は路線名(「総武本線」「外房線」など)を表示していましたが、長野では先代の115系と同じく、「普通」「快速」といった種別表示となっています。甲府駅で撮影したN304編成です。幕張車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3055・モハ210-3055・クハ210-3055)です。幕張から転属してきた211系は、私もかつて通学でお世話になった車両なので、山梨・長野で再会できたことに非常にうれしく思いました。甲府駅で撮影したN308編成です。こちらは高崎車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3016・モハ210-3016・クハ210-3016)です。甲府駅で撮影したN309編成です。高崎車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3017・モハ210-3017・クハ210-3017)です。甲府駅で撮影したN310編成です。高崎車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3018・モハ210-3018・クハ210-3018)です。高崎から転属してきた3000番台は、国鉄時代に製造された比較的古い車両が多いです。また多くの車両で、前面表示器がLED式となっています。上諏訪駅で撮影したN312編成です。高崎車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3023・モハ210-3023・クハ210-3023)です。この編成はJR化直後に製造された3000番台です。甲府駅で撮影したN314編成です。高崎車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3048・モハ210-3048・クハ210-3048)です。甲府駅で撮影したN316編成です。高崎車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3050・モハ210-3050・クハ210-3050)です。N314・316編成の前面上部の表示器は、珍しく白地に黒文字の幕が入っています。また、もう一方の先頭車の表示器はLED式となっており、異色の編成です。岡谷駅で撮影したN332編成です。幕張車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3041・モハ210-3041・クハ210-3041)です。飯田線に直通する快速運用に充当されていました。塩山駅で撮影したN333編成です。幕張車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3042・モハ210-3042・クハ210-3042)です。幕張車両センター所属時にクモハのパンタグラフが2つ設置されていた車両を含む編成は、長野ではN330番台の編成番号が付いています。甲府駅で撮影したN334編成です。幕張車両センターから転属してきました。編成は(クモハ211-3043・モハ210-3043・クハ210-3043)です。車内です。この写真は高崎所属だったN308編成のもので、基本的に幕張・高崎時代と大きな変化はありません。車番プレートはアクリル製のものが設置されていますが、製造時とは異なり写真のように接着されているものもあります。(N308編成)こちらは製造時からのプレートが残っています。(N304編成)
2021.12.26
今回は、甲信地区で活躍する211系のうち、高崎車両センターから転属してきた1000番台を掲載します。211系1000番台は、東北本線・高崎線系統の115系初期車の置き換えのために新製されたセミクロスシート車です。東北本線・高崎線時代は5両編成でしたが、長野総合車両センターへの転属に当たってサハ2両を廃車し、3両編成に組み替えられています。(後述する3000番台も同様です。)1000番台は、かつて豊田車両センターに所属していた横須賀色の115系の運用を引き継いでいるため山梨県内での運用が多く、長野県内で完結する運用に入ることは少ないです。山梨市駅で撮影したN317編成です。N317編成は1000番台のトップナンバー編成で、唯一昭和60年(1985年)製となっています。編成は(クモハ211-1001・モハ210-1001・クハ210-1001)です。こちらもN317編成です。1000番台は高崎所属時代に前面表示器が全車両LED化されています。甲府駅で撮影したN318編成です。編成は(クモハ211-1002・モハ210-1002・クハ210-1002)です。この編成から昭和61年(1986年)製となり、ラストナンバーの1011まですべて同年に製造されています。大月駅で撮影したN319編成です。編成は(クモハ211-1003・モハ210-1003・クハ210-1003)です。塩山駅で撮影したN320編成です。編成は(クモハ211-1004・モハ210-1004・クハ210-1004)です。高尾駅で撮影したN322編成です。編成は(クモハ211-1006・モハ210-1006・クハ210-1006)です。大月駅で撮影したN323編成です。編成は(クモハ211-1007・モハ210-1007・クハ210-1007)です。2014年の豊田車両センター公開時に撮影したN324編成です。展示のために「快速 富士河口湖」のヘッドマークを付けています。また、前面の表示器には「宇都宮線直通」と表示されていました。編成は(クモハ211-1008・モハ210-1008・クハ210-1008)です。山梨市駅で撮影したN325編成です。編成は(クモハ211-1009・モハ210-1009・クハ210-1009)です。富士急行線谷村町駅で撮影したN325編成です。211系3両編成は大月駅から富士急行線に乗り入れ、河口湖駅まで直通する運用に入るため富士急行線内でも見る機会があります。大月駅で撮影したN326編成です。編成は(クモハ211-1010・モハ210-1010・クハ210-1010)です。大月駅で撮影したN327編成です。編成は(クモハ211-1011・モハ210-1011・クハ210-1011)です。1000番台のラストナンバー編成です。1000番台の車内です。0番台と同じくセミクロスシートが並んでいます。ドア横の半自動スイッチは、新しいものに取り換えられています。車内の車番プレートです。製造メーカーによって書体が異なっています。(1002は日本車輌、1010は近畿車輌)
2021.11.21
今回は、甲信地区の211系のうち2000番台(ロングシート車)を取り上げます。「その3」で掲載した0番台(セミクロスシート車)とともに、主に中央本線(立川~岡谷~塩尻間)、篠ノ井線(全線)、信越本線(篠ノ井~長野間)で運用されています。長野に所属する2000番台は全車が東海道本線用の10両編成から付随車(サハ211)とグリーン車2両を抜いて6両編成化したものです。全車がJR化後の製造で、国鉄時代に製造された2000番台(5両附属編成)は廃車されたため存在していません。甲府駅で撮影したN607編成です。編成は(クハ211-2007・モハ211-2007・モハ210-2007・モハ211-2008・モハ210-2008・クハ210-2007)です。大月駅で撮影したN609編成です。編成は(クハ211-2011・モハ211-2013・モハ210-2013・モハ211-2014・モハ210-2014・クハ210-2011)です。四方津駅で撮影したN611編成です。編成は(クハ211-2015・モハ211-2019・モハ210-2019・モハ211-2020・モハ210-2020・クハ210-2015)です。四方津駅で撮影したN612編成です。編成は(クハ211-2017・モハ211-2022・モハ210-2022・モハ211-2023・モハ210-2023・クハ210-2017)です。高尾駅・四方津駅で撮影したN613編成です。編成は(クハ211-2019・モハ211-2025・モハ210-2025・モハ211-2026・モハ210-2026・クハ210-2019)です。大月駅で撮影したN614編成です。編成は(クハ211-2022・モハ211-2029・モハ210-2029・モハ211-2030・モハ210-2030・クハ210-2022)です。211系2000番台のラストナンバー編成となります。2000番台の車内です。東海道本線用に増備された2000番台はラッシュ対策のためオールロングシートでした。甲信地区ではセミクロスシート車の0番台と共通運用が組まれているため、ロングシート車で高尾~長野、高尾~松本などの長距離運用を担うことも多くあります。1991年に製造されたラストナンバーのN614編成では、同時期に製造された3000番台と同様に吊革の形がすべて三角形になっています。車内の車番プレートです。アクリル製のプレートが比較的残っていますが、0番台同様にステッカー式に変更されている車両もあります。日本車輌製造製のN607編成、N614編成の製造銘板です。一般的なものは下記のような青地に銀色文字ですが、灰色地に金色文字という珍しいタイプのものが取りつけられています。JR東海が発注した211系5000番台に取り付けられている、一般的な日本車輌の銘板です。
2021.10.29
「その3」では、甲信地区で活躍する211系のうち、東海道本線から転属した0番台(セミクロスシート車)を取り上げます。甲信地区の211系は長野総合車両センターに所属し、6両編成と3両編成が存在しています。このうち6両編成は主に中央本線(立川~岡谷~塩尻間)、篠ノ井線(全線)、信越本線(篠ノ井~長野間)で運用されています。6両編成は、東海道本線用の10両編成から付随車(サハ211)とグリーン車2両を抜いて6両編成化したものです。東海道本線用の10両編成には国鉄時代に製造された0番台(セミクロスシート車)と、JR化後に製造された2000番台(ロングシート車)があり、どちらも長野に転属しています。長野への転属に当たって、耐寒耐雪装備の強化やドアの半自動ボタン設置など、寒冷地を走るための改造が行われています。また、湘南色だった帯色は長野の115系やE127系などと同じ長野色に変更され、印象が大きく変わっています。なお、東海道本線用の附属編成だった5両編成はサハ211を抜いて4両編成化され転属が予定されていましたが、計画が中止となったため全車両が廃車されています。写真は甲府駅で撮影した0番台トップナンバー編成のN601編成です。編成は(クハ211-1・モハ211-1・モハ210-1・モハ211-2・モハ210-2・クハ210-1)です。国鉄末期の東海道本線に「ニューフェイス」として投入され、新風を吹き込んだ211系のトップナンバー編成が現在も活躍していて嬉しい限りです。大月駅・甲府駅で撮影したN602編成です。編成は(クハ211-2・モハ211-3・モハ210-3・モハ211-4・モハ210-4・クハ210-2)です。大月駅で撮影したN603編成です。編成は(クハ211-3・モハ211-5・モハ210-5・モハ211-6・モハ210-6・クハ210-3)です。高尾駅で撮影したN604編成です。編成は(クハ211-4・モハ211-7・モハ210-7・モハ211-8・モハ210-8・クハ210-4)です。大月駅で撮影したN605編成です。編成は(クハ211-5・モハ211-9・モハ210-9・モハ211-10・モハ210-10・クハ210-5)です。0番台の車内です。113系や115系と同じくセミクロスシートとなっています。セミクロスシートの211系は、国鉄時代に製造された0番台(温暖地仕様)と1000番台(寒冷地仕様)のみで、JR化後に製造された車両はすべてロングシートとなっています。クロスシート部分です。角ばっていた113系や115系と異なり、柔らかで近代的なデザインのセミクロスシートとなっています。N601編成の車番ステッカーです。元々はアクリル製のプレートが付いていましたが、現在はステッカーになっています。一部車両にはアクリル製のプレートが残っています。
2021.10.02
2月18日の昼、大月駅にJR東日本の試験車両「MUE-Train」が現れました。この「MUE-Train」は、京浜東北線で活躍していた209系を改造したもので、次世代電車の開発に向けたデータ収集や各種試験を行う車両です。白い帯と点を散りばめたデザインが斬新ですね。各車両を見ていきます。7号車のクヤ209-2です。前面や側面の方向幕は幕式のままで、スカートも京浜東北線にいたころから変わっていないようです。側面の「MUE-Train」ロゴと車番です。車番は、元々「クハ」だったものが試験車を表す「クヤ」に変更された以外はそのままです。(ほかの車両も同様)元々は「クハ209-2」で、209系の第2編成ということになります。209系の初期車は一部が房総地区の2000番台として改造された以外はほとんど消滅しているので、貴重な車両です。6号車のモヤ209-3と、5号車のモヤ208-3です。この編成は川崎重工業製で、側面にギザギザのビードがあります。特に初期車の中間車で現存するのはこの編成に組み込まれている4両のみです。3号車のモヤ209-4と、2号車のモヤ208-4です。以前は4号車で付随車のサヤ209-8もありましたが、現在は廃車されています。1号車のクヤ208-2です。こちらも表示器が幕式のまま残されています。大月駅に現れた「MUE-Train」。詳しくはわからないのですが、どのような試験を行っていたのか気になります。初めて見たのでとても嬉しく思いました。撮影日:16.02.18
2016.02.23
新潟地区で活躍する新系列車両のE129系です。この車両は老朽化の進む115系と、えちごトキめき鉄道に大半が譲渡されたE127系の後継として新潟地区に導入が続けられています。仙台地区のE721系に似たステンレス製3ドア・セミクロスシートの車両で、快適な車内を提供しています。写真は2両編成のA2編成です。本来は新潟地区の115系を掲載した後に掲載したかったのですが、大幅に遅れてしまいました。夜の新潟駅で撮影したE129系です。側面だけでなく、前面の行先表示器にもフルカラーLEDを採用したことが大きな特徴です。車内です。片持ち式のクロスシートが並んでいます。座席モケットは赤系で、落ち着いた雰囲気となっています。また、ワンマン運転に対応した運賃箱が前面に取り付けられています。115系に比べて揺れが少なく、乗り心地はとても良かったです。今後の新潟地区の主役となるE129系。これからの活躍に期待が持てます。撮影日:15.08.03
2015.12.08
新潟の115系でL2編成とともに貴重な存在だったのがこのL4編成です。4両編成で、サハ115の1000番台を先頭車化改造した1500番台、0番台のモハユニット、サハ115の0番台を先頭車化改造した600番台と様々な番台が混在しています。(クハ115-1502、モハ115-128、モハ114-114、クハ115-613)L4編成は8月下旬に解体されており、L2編成とともに最後の活躍を記録できたようです。写真は先頭車のクハ115-613です。この車両は1966年(昭和41年)製で、三鷹電車区に配置され主に中央本線で活躍したサハ115-3を先頭車化改造したものです。JR東日本では唯一の600番台で、他に600番台にはJR東海やJR西日本に継承されたものもありますが、それらの多くが廃車されたためとても貴重な存在でした。車番です。貴重な600番台を見ることができて本当に嬉しかったです。時間がなくクハ115-613の車内は撮影できませんでしたが、L2編成のモハと同じく車両更新が施されていました。モハユニット(モハ115-128、モハ114-114)の車内です。リニューアルや車両更新は施されておらず、ほぼ原形を保っています。この編成のモハユニットは1971年(昭和46年)製で、当初小山電車区に配置され山陽地区を経て新潟にやってきました。115系0番台の中では末期に製造された車両です。車内の車番プレートです。アクリル製のものが残っていて嬉しい限りです。車外の製造、改造銘板です。クハ115-1502の車内です。この車両は1978年(昭和53年)製で、新潟地区に導入されたサハ115-1014を改造したものです。1000番台はAU75型の冷房装置で冷房化された車両が多いですが、この車両は0番台などに合わせてAU712型の冷房装置で冷房化されています。そのため、珍しく民営化まで冷房化がなされなかった1000番台となっています。こちらもほぼ原形を保っています。0番台の車内と比較すると、網棚部分がステンレス製に変更されているなどの違いがあります。天井に設置された扇風機です。車内の車番プレートです。こちらもアクリル製のものが残っています。貴重なL4編成を撮影できて本当に嬉しかったです。老朽化が進んでいるとはいえ、特徴ある編成がなくなっていくのは本当に寂しいです。
2015.10.22
「その1」の続きです。こちらは中間車のモハ115-116です。この車両は1969年(昭和44年)製で、当初小山電車区に配置され山陽地区を経て新潟にやってきました。0番台なので、やはり非ユニット式の窓が大きな特徴です。モハユニット(モハ115-116、モハ114-102)の車内です。この車両には車両更新工事が施されており、原形のままのクハ115-553に比べて明るいです。首都圏の113系や115系同様にステンレス製網棚への交換や吊り革の交換などが行われています。座席のモケットが緑色なのが首都圏の車両更新車との大きな違いですが、これだけでも随分と雰囲気が違います。座席部分です。先述した初期車とは異なり、座席モケットは厚めになっています。車番プレートです。独特な書体のものが付いています。続いてはクハ115-2040です。この車両は1981年(昭和56年)製で、当初は身延線用の奇数向き先頭車クハ115-2123として製造されています。しかし余剰になったため1984年に新潟に転属しました。のちに方向転換改造、改番されて現在に至ります。クハ115-2040の車内です。リニューアル工事や更新工事は施されておらず、原形を保っています。2000番台は115系の中でも後期に製造されているため、シートピッチなどの改良が行われており0番台とは雰囲気が異なります。1つの編成で3種類の車内が見られるので本当に楽しかったです。解体されてしまったことが悔やまれます…一部の座席は、このような半円の模様が入ったものが使われていました。車番表記です。車内はステッカーになっていました。最後に、村上駅でキハ40系と並ぶL2編成です。私が最も見たかったL2編成を見ることができて本当に幸せでした。この後しばらくして解体されてしまったようなので、最後の活躍を記録できて本当に良かったです。撮影日:15.08.03
2015.10.13
8月に新潟に行く用事があり、そこで115系を少し撮影してきました。新潟の115系は1000番台が中心ですが、中には0番台や2000番台といったJR東日本ではここだけにしか配置されていない貴重な車両も見られます。現在はE129系の増備が進んでいるため、0番台を含む編成は廃車が進んでいます。写真は村上駅で撮影した4両編成のL2編成です。この編成は0番台モハを先頭車化改造した500番台、0番台の中間車、2000番台の先頭車と様々な番台が混在する変則的な編成です。(クハ115-553、モハ115-116、モハ114-102、クハ115-2040)L2編成は8月下旬に解体されており、まさに最後の活躍を記録できたようです。先頭車クハ115-553の外観、窓部分です。四隅が丸い非ユニット式の窓が初期型の特徴です。この車両は新前橋電車区に導入され、のちに山陽地区で活躍した0番台のモハ115-69から改造されています。昭和39年(1964年)製で、車内のリニューアルがなされていなかったことから初期の115系の雰囲気を今に伝える貴重な車両でした。クハ115-553の車内です。原型のボックスシートが並び、薄汚れた化粧板が活躍の期間の長さを物語っています。注目すべきはボックスシートの通路側にある丸形の手すりで、これが残っている車両は本当に貴重です。博物館の保存車両を見ている感覚でした。床に点検口があることが元モハであることを物語っています。(通常、モーターのない車両には点検口はついていません)座席部分です。初期の115系は、その後に増備された車両と比べて座席モケットの厚さが薄いのが特徴です。乗務員室との仕切り部分です。運転台は1000番台の構造に準じたユニットが接合されています。車内のドアです。元々は原型の鋼製ドアだったようですが、113系の廃車発生品と思われるドアに交換されていました。115系のものに比べて取っ手部分の大きさが小さく、内側から手で開ける場合は少し開けにくいです。車番表記です。プレートは失われているようで、ステッカー式になっていました。車外の製造、改造銘板です。「東急車輌・昭和39年」という製造時の銘板も残っていてうれしい限りです。広島工場の銘板は先頭車化改造時のもの、土崎工場の銘板は冷房改造時のものと思われます。天井に設置された扇風機と操作スイッチです。この編成はかつての113系などと同様のAU712型冷房装置を搭載していて、扇風機が存置されています。国鉄型車両ではおなじみの「非常用ドアコック」プレートも古いタイプのもので、下部には「特にほかの汽車や電車にもご注意ください」と記載されています。続いては、0番台の中間車と2000番台の先頭車を見ていきます。(つづく)
2015.10.12
中央本線の笹子駅に行ってきました。ここは1966年の複線化までスイッチバック施設があり、この駅に停車する下り列車は一旦甲府方面に進んでから駅に入っていました。駅舎内です。立派なコンクリート製の駅舎ですが、無人駅となっていて窓口も閉鎖されています。現在のホームです。カーブした急勾配上にホームがあるため列車とホームの間が広く開く場所があります。ホームからスイッチバック施設跡地への分岐です。線路が敷かれていますね。近づいてみます。実はここ、JR東日本の訓練施設「笹子トレーニングセンター」で、笹子駅のスイッチバック施設の跡地を活用して2009年に開設されています。スイッチバック施設があった場所にはホームや踏切、信号機などが設置されており、社員の訓練に活用されているようです。いったん駅を出て外に回ってみます。表側に回ると研修用の建物とE233系の巨大なイラストがお出迎え。行先表示は「ササトレ」(笹子トレーニングセンター)です。近代的な駅ホームも設置されています。ポイントやトンネル、橋なども実物と同じようなものが設置されています。踏切は2か所あり、それぞれ「訓練用第一踏切」「訓練用第二踏切」という名称でした。笹子駅はかつての遺構は失われてしまったものの、現在もスイッチバック施設を活用した訓練施設があることからスイッチバック時代の駅構造を知ることができます。かなり新しく近代的な施設に驚かされました。撮影日:15.03.04
2015.08.07
かつて中央東線の貨物列車牽引に重連で使用されていたEF64型0番台。現在は貨物列車の牽引から撤退しましたが、JR東日本所属の車両は工事列車などの牽引に使われることがあり甲府駅ではEF64が1~2機留置されています。写真は茶色塗装で人気のあるEF64 37号機。甲府駅の側線に留置されており、身延線ホームから良く見えます。ナンバー表記と製造銘板です。昭和46年(1971年)東洋電機・汽車会社(汽車製造)製です。こちらは同じ場所に留置されている39号機。国鉄直流型電気機関車の標準色塗装となっています。ナンバー表記と製造銘板です。37号機と同様、昭和46年(1971年)東洋電機・汽車会社(汽車製造)製です。大月駅の側線で横須賀色の115系と並ぶ38号機。こちらも国鉄標準色塗装です。国鉄色の車両に囲まれ、まるでタイムスリップしたような気分です。現役機ではありませんが、山梨のEF64で忘れてはいけないのが勝沼ぶどう郷駅前に保存されている18号機。JR貨物からの譲渡車で、国鉄標準色塗装です。現在見られるEF64型0番台のなかでは最も番号が若いと思われます。ナンバー表記と製造銘板です。昭和41年(1966年)東芝製です。
2015.07.27
豊田車両センターの115系が全車引退した今、横須賀色で残る最後の115系となったのがこのC1編成です。C1編成は長野総合車両センター所属の1000番台で、長野色で活躍していましたが2014年3月に横須賀色への塗り替えが行われました。これにより、豊田車の運用のない長野県内でも横須賀色の115系が再び見られるようになりました。現在は残り少なくなった長野色の115系や211系とともに中央本線を中心に活躍しています。115系の側面です。大月駅で長時間停車していたため、ドアは手で開けるようになっています。押しボタン式の211系の登場により、「電車のドアを手で開ける」という動作も懐かしいものになっていくのでしょうね。115系1000番台の特徴が、この「雪切室」(格子状の部分)です。これは主電動機(モーター)の冷却用に取り込む外気に含まれる雪を取り除く部分で、特に寒冷地を走る1000番台では重要な装備です。国鉄時代、横須賀色の1000番台は1編成しか存在しておらず、その後も横須賀色の1000番台は少数派だったことから雪切室と横須賀色の組み合わせはとっても貴重です。車番です。モハ114には低トンネル通過対応を示す♦マークが付いています。甲府方の先頭車です。こちらのほうが引き締まった印象がありますね。今まで当たり前のように見ていた横須賀色も、もう残り1編成のみとなると本当に寂しいです。このC1編成が消滅すると、横須賀色をまとう国鉄型電車は消滅してしまいます。最後の日まで、一日も長く横須賀色の115系が活躍してくれることを祈るばかりです。撮影日:15.03.23
2015.04.14
1966年以来、中央本線を走り続けてきた横須賀色の115系。昨日までに3両編成(3+3の6両編成含む)の横須賀色はすべて運用を終えました。現在、豊田車両センターに所属する横須賀色の115系は製造以来一貫して中央本線系統で運用されてきました。40年近くにわたり、同じ線路を走り続けてきた。これは本当にすごいことなのです。このカラーリングは中央本線の自然が多い景色によく映えていました。私は、以前横浜に住んでいたことや房総エリアの113系を通学に利用していたこともあって、「横須賀色」という塗装には思い入れがあります。このカラーリングが見納めだと思うと、寂しくてなりません。豊田車両センターの115系、長い間本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。後任の211系には末永く頑張ってほしいと思います。
2014.12.07
「その1」の続きです。こちらは3代目新潟色のN3編成。このカラーリングの編成の車内は長野所属車と同様のリニューアルが施されているものが多かったです。N3編成の車内です。シートから内装までリニューアルされていて明るい車内が印象的でした。シートの形状は長野の115系と同様ですが、モケットの色が青緑色です。[参考]長野所属車の車内です。座席モケットが青系統になっているほか、ドア横の防風版には長野県花の「りんどう」のイラストが添えられています。こちらは3代目新潟色のN22編成。回送車のため車内には入れませんでした。後ろには2代目新潟色のN16編成がいました。この編成のモハ114は、ゾロ目の「モハ114-1111」。ちょっと嬉しかったです!以前総武快速線に存在した「クハ111-1111」を思い出してしまいました。最後に、N3編成の後ろに連結されていた2代目新潟色のN8編成。ここで115系の撮影は終了としました。撮影日:14.03.26
2014.07.14
新津駅から長岡駅へ向かい、そこでも115系を撮影しました。新津駅から乗車したL14編成です。この編成は1000番台の4両編成で、貴重なサハ115を組み込んでいます。L14編成の新潟方です。車内はリニューアルされておらず、原型を保っています。座席モケットはリニューアル車と同様の青緑色です。クハ115-1090の車番プレートです。長野の1000番台はステッカーになっているものが多いですが、新潟ではオリジナルのプレートが結構残っていました。貴重なサハ115の車番です。撮影日:14.03.26
2014.07.09
磐越西線で活躍するキハ40系を新津駅で撮影しました。前方の国鉄急行色のキハはキハ48 523で、新津運輸区に所属するキハ40系の中では唯一となるキハ48形です。後方には新・新潟色のキハ40 585を連結しています。キハ48 523です。キハ40系に急行色はやはり違和感がありますが、前方だけだと九州で活躍するキハ66・67にも見えますね。車内です。国鉄時代と同じ青色の座席モケットがいいですね。車端部はロングシートも併設されています。車番プレートはオリジナルのものが残っていました。車外の製造銘板です。地元メーカーの新潟鐵工所が製造しています。土崎工場の改造銘板は冷房化でしょうか?こちらは新・新潟色のキハ40 585。従来の新潟色に代わり、現在の新津運輸区のキハ40はこの塗装が主流となっています。車内はロングシートとなっています。烏山線のキハ40 1000番台やキハ37のように、シートは非常に長いです。車番プレートはステッカーになっていましたが、剥がれたところには直書きしてありました。こちらも新潟鐵工所製でした。撮影日:14.03.26
2014.07.02
前回の115系500番台と時間的に前後しますが、新潟駅では通称「上沼垂色」と呼ばれるカラーリングの485系も撮影しました。快速列車「らくらくトレイン村上」で運用されるT13編成です。もちろん上沼垂色の485系の撮影は初めてです。爽やかで清潔感のあるカラーリングですね。方向幕です。なぜか1両だけ酒田行き特急「いなほ」のものになっていました。私の好きなステンレス切抜き式の車番です。暗いのでぼけています。次の日の同編成は特急「北越」として運用されていました。新津駅で撮影しています。新潟色の115系1000番台と並びます。撮影日:14.03.25/14.03.26
2014.06.25
新潟駅近くに泊まり、次の日も115系を中心に撮影していました。新津駅では115系0番台の改造車、500番台を撮影しました。写真はS14編成です。四隅が丸い非ユニット式の窓が古さを感じさせます。S14編成は1971年製の0番台、モハ115-127、モハ114-113を先頭車化改造した2両編成で、現在の車番はクモハ115・114-505となっています。車内です。大規模なリニューアルは施されておらず、座席モケット以外はほぼ原形を保っています。網棚の支持部が鉄製のままで、白く塗装されています。また、以前紹介した0番台と同じくAU712型の冷房装置を搭載しており天井には扇風機が存置されています。天井に設置された扇風機。わかりにくいですが、JNRマークが残っています。クロスシート部分です。窓はユニット式ではないため四隅の角が丸くなっています。座席モケットはリニューアル車と同様の青緑色のものを採用しています。車内、車外の製造銘板です。今はなき汽車製造(汽車会社)製で、車内のものはかなり塗装が剥げ落ち、製造年などが見えなくなっています。車外の改造銘板は長野工場が先頭車化、土崎工場が冷房化でしょうか?車番です。新潟に唯一残る、今となっては貴重な500番台です。撮影日:14.03.26
2014.06.23
以前紹介した485系「くびき野号」で新潟駅に到着。到着は20時を回っていましたが、ここでしばらく115系を撮影することにしました。2両編成のS6編成です。モハ115・114-1000番台のユニットを先頭車に改造した1500番台で、同様の編成は長野にも存在し、現在はしなの鉄道でも見ることができます。車番です。改造によって、それまでの1000番台から1500番台に変更されています。S6編成の後ろにいたのはなんと長野色の1000番台でした!ちょっとビックリしましたが、長野所属の115系N27編成が新潟に転属になっており、塗装変更されずにそのまま運用についているのです。新潟での編成はN33編成です。車内も長野時代のままで、長野の非リニューアル編成にみられる、国鉄時代と同じ青色の座席モケットでした。こちらは3代目新潟色をまとうN29編成。水色基調の爽やかなカラーリングです。このカラーリングをまとう編成は車内のリニューアルがされた編成が多かったです。お次は4両編成のL5編成です。この編成は希少車で構成されていて、先頭車は温暖地向けの2000番台、中間車は初期型の0番台となっています。また、冷房装置は103系や113系初期車などでもみられたAU712型を搭載しています。先頭車はクハ115-2129で、この2129は東日本に唯一残った2100番台(2000番台の奇数向き先頭車)のクハとして注目すべき存在です。この車両は当初身延線用として製造されました。しかし身延線の編成両数削減で2100番台のクハが余剰になり、新潟に転属しています。転属させるにあたり、多くの2100番台クハが方向転換改造を受け2000番台(偶数向き)に変更されました。この2129は改造を受けることなく、現在まで奇数向きの2100番台を維持しています。中間車モハ115-130です。私が最も見たかった初期型の0番台で、角が丸い非ユニット式の窓が特徴的です。窓部分と車番です。この130は1971年に製造され、当初小山電車区に配置されて東北本線などで活躍していました。その後山陽地区を経て新潟に転属しています。0番台の中でも比較的後期に製造された車両ですが、もう40年以上も走り続けています。見ると、車内はリニューアルされていないようですね。車内が見たかったです…モハ115-130とユニットを組むモハ114-116です。こちらもモハ115-130と同様の経歴を経ています。ひし形のパンタグラフにも注目です。遅い時間でしたが、新潟で色々な115系を見ることができて本当に嬉しかったです。このあとも115系を撮影しています。撮影日:14.03.25
2014.06.19
直江津から新潟まで向かうのに利用した快速「くびき野号」。「妙高号」と同様に普通乗車券のみで利用できる列車で、主要駅のみに停車するとても便利な列車です。車両は「北越」などにも使われている485系で、今回乗車したのは国鉄色で1500番台のクハを組み込むT18編成でした。直江津方の先頭車はクロハ481型で、半室がグリーン車になっています。新潟方の先頭車、クハ481-1508です。1500番台は北海道仕様として製造された車両で、耐寒耐雪装備がより強化された仕様となっています。しかし、北海道の厳しい気候に勝つことはできず、数年で781系に置き換えられて撤退し他の485系とともに本州内で長年活躍しています。現在では廃車が進み、とても貴重な車両となっています。前面ライトが2灯式になっていたり、外はめ式のテールランプを採用するなど外観上の特徴も多いです。方向幕です。私の大好きな切抜き式の車番表記。特急型らしくて本当に素敵です。1500番台のものは切抜き式でなかったため撮影していません。撮影日:14.03.25
2014.06.13
JR東日本が運営する信越本線では、甲信エリア同様115系が主体です。長野方面の列車は、毎度おなじみ長野色の115系1000番台が使用されています。編成はN16でした。信越本線の北陸新幹線並行区間はJRからの経営分離が決定しているため、この区間を走るJRの車両も間もなく見納めとなります。北越急行のHK100形と並ぶ115系です。直江津には北越急行から乗り入れてくる列車も存在します。HK100形は一見、気動車に見えますがれっきとした電車です。製造は地元の新潟鐵工所が担当しました。長岡方面の列車は新潟色の115系です。写真はN1編成です。新潟の115系は1000番台が主体ですが、中には初期型の0番台やその改造車の500番台、温暖地向けの2000番台といったJR東日本エリアではここでしか見られない希少な車種も存在しています。この編成も1両だけ2000番台のクハを組み込んでいます。「新潟色」には何種類かあり、このカラーリングは2代目の新潟色です。現在115系でみられるのはこの2代目と、水色ベースの3代目です。先頭車クハ115-2036の車番です。東日本では希少な2000番台で、元々は身延線で活躍していたクハ115-2125を方向転換して生まれた車両です。車番の書体は国鉄書体ではなく、209系などと同様のゴシック体となっています。製造銘板です。方向転換改造は大船工場で行われています。本来の2125として身延線で活躍した期間はわずか2年でした。撮影日:14.03.25
2014.06.09
今回は北陸本線で活躍する413系を掲載します。413系は国鉄末期の1986年、急行列車削減で余剰になっていた471系・473系急行型電車の機器を利用し、2ドア近郊型の車体を新製した車両です。北陸本線は直流・交流の2電源に対応する必要があることから、413系では交直流機能を残していることが大きな特徴です。(交流のみに対応した車両が717系で、東北や九州で活躍していました)この編成はB10編成で、民営化後の1989年に改造されました。ちなみに、正面の列車種別表示器は埋め込まれています。JR西日本が進める地域色化で、それまでの「北陸色」から青色一色に塗装変更されています。個人的に違和感をすごく感じるのですが、利用者はどう思っているのでしょうかね?車内です。手すりやつり革の更新が行われており、JR西日本のほかのリニューアル車でも見られる黄色いものになっています。座席などは原形のままのようです。車番はプレートではなく、直書きとなっていました。こちらは413系のトップナンバー編成、B01編成です。国鉄時代の1986年に改造されました。この編成はまだ青色化されておらず、北陸色のままです。車内も原形のままです。413系では混雑対策として車端部にロングシートも設置されています。改造車ですが、記念すべきトップナンバーです。国鉄時代の銘板が残っていました。改造は松任工場(現・金沢総合車両所)が担当しました。種車はなんと昭和37年(1962年)製です。撮影日:14.03.25〈昨日6月5日をもって、当ブログは開設2周年を迎えました!今後ともよろしくお願いします。〉
2014.06.06
長野から「妙高号」に乗り、終点直江津に到着しました。私の乗車した183系N101編成は、これから再び長野へと戻ります。直江津駅は首都圏や関西と北陸を結ぶ特急列車が頻繁にやってきます。こちらは北越急行所属の681系2000番台です。JR西日本所属車両とは異なり、イメージカラーのレッドが印象的です。こちらは特急「北越」で活躍する485系3000番台。大規模なリニューアルが施され、オリジナルの485系とはイメージが大きく異なっています。現在も485系の定期列車が走るのは新潟地区のみで、特に北陸新幹線の開業後は特急網に大きな変化が予想され、485系にも廃車などの動きが出てくるものと思われます。隣には北陸本線の413系が見えます。次回はこの413系を取り上げます。撮影日:14.03.25
2014.06.04
前回の続きになります。信越本線からしなの鉄道に直通する列車にはしなの鉄道所属の115系が使用されていました。JR時代の長野色を残す2両編成のS23編成で、元長野総合車両センターN52編成です。当編成は地元長野市のサッカーチーム「AC長野パルセイロ」のラッピング車両となっています。車内はかなり混雑しており、何で2両編成なの?と感じました。銘板を眺めます。115系2両編成はモハ115・114を先頭車に改造したもので、その時のもの(昭和62年長野工場)をはじめ銘板がたくさんついています。改造はすべて長野工場で行われていますね。こちらは横須賀色の115系。といっても、当ブログで度々登場する豊田車両センターのM編成ではありません。以前長野色だった長野総合車両センターのC1編成(6両)で、横須賀色への塗装変更を受けました。この写真は試運転中の姿です。1000番台の横須賀色は国鉄時代に数両存在したのみで、とっても貴重です。現在は立川~松本間で他のC編成とともに運用され、山梨にも頻繁に顔を出しています。M編成の走らない長野県内では横須賀色が再び見られるようになりましたね。私が乗車する「妙高号」の183系。この日は国鉄色のN101編成が使用されていました。国鉄色の183系への乗車はすでに引退した房総特急以来のことで、とっても嬉しかったです。「妙高号」は現在では数少なくなった183系(189系)の定期運用です。普通乗車券で特急型車両に乗れるのでとてもお得に感じます。「妙高号」の方向幕です。車内にも随所に国鉄時代の香りが残っています。これに乗って、終点直江津へ向かいます。撮影日:14.03.25
2014.05.28
直江津に行くときに立ち寄った長野駅で、少し撮影しました。駅名標は善光寺の写真が入るオリジナル仕様です。飯山線のキハ111・112型です。東日本エリアの非電化路線で活躍するキハ110系の仲間で、このキハ111・112は片運転台車両となっています。幕式の行先表示機。車内はロングシートとクロスシートが組み合わさっています。車内の路線図です。今回は乗車しませんでしたが、次回はぜひ飯山線に乗ってみたいです。車番プレートはステッカーとなっています。撮影日:14.03.25
2014.05.27
3月25日~26日に新潟へ行ってきました。「青春18きっぷ」を使い、大月から長野、直江津経由で新潟へ向かいました。長野へ向かう途中の姨捨駅の風景です。姨捨駅はスイッチバック構造を現在でも維持している駅のひとつです。構内の線路はこの先で行き止まりとなり、長野方面の本線はホームのすぐ下に存在します。構内に2か所踏切があったので、次回はその撮影もしたいと思います。ホームから善光寺平を眺めます。この風景は「日本三大車窓」のひとつに数えられています。(残り2つは根室本線狩勝峠(現在廃止)と肥薩線の矢岳越え)信州のニューフェイス211系3000番台とE127系100番台が並びます。善光寺平の絶景を眺めながら長野へ向かいました。撮影日:14.03.25
2014.05.23
トンネル内に入ります。レールが現役当時のまま残されています。甲府方入口付近にあった注意書きです。当時の保線用のものと思われます。鉄道トンネルのレンガ積みをこんなに間近に見たのは初めてです。奥へ進んでいけばいくほど、寒さを感じるようになってきます。トンネル内の気温は夏でもあまり上がらず、ほぼ一定に保たれているようです。線路の中心部を水が流れています。湧水などが出てきているのでしょうか?電話機、キロポスト、電気系統の番号を記した標識など、現役時代に使われていたものがそのまま残っていました。トンネル内のキロポストは写真のように木製のものもありました。東京起点110キロポストは写真のように立派なものです。勝沼ぶどう郷駅に111キロポストがあるので、そこから1キロ歩いたことになります。今回は時間の関係上、内部探索はここまでとしました。薄暗く、涼しい不思議な空間を体験してきました。撮影日:14.04.12
2014.05.16
満開の桜とEF64を堪能した後に向かったのは「大日影トンネル」。中央本線のトンネルとして明治36年(1903年)に開通して以来、平成まで長らく使用されてきた歴史あるトンネルです。昭和43年(1968年)にこの区間が複線化され、上り線は新大日影トンネルを使用するようになり、大日影トンネルは下り線のトンネルとなりました。そして、平成9年(1997年)に下り線の新大日影第二トンネルが開通し、明治からのトンネルは廃止されました。このトンネルは後に勝沼町(現・甲州市)に譲渡され、平成19年(2007年)から遊歩道として一般公開されています。この場所では3つ並んだトンネルを一枚に収めることができます。左端が1968年開通の新大日影トンネル、真中が1997年開通の新大日影第二トンネル、右端が1903年開通の大日影トンネルです。こちらが明治時代に完成した大日影トンネル。レンガ積みで、石材をところどころにあしらった坑口が重厚な雰囲気を醸し出しています。銘板などは当時のまま残っています。現役の新大日影第二トンネルと銘板です。石積みの大日影トンネルと比べ、コンクリート製の味気ないトンネルです。大日影トンネルに比べてこちらのほうが若干長くなっています。保線用の案内や注意書きです。上のものは「JR大月保線区長」と書かれており、民営化後に設置されたものということがわかります。下のものは文字が薄くなり、ところどころ読めなくなっています。おそらく国鉄時代の設置と思われます。トンネル入り口から甲府方を振り返ってみました。これからトンネル内に入ります。(つづく)
2014.05.11
駅近くにはかつて中央本線の貨物列車で活躍したEF64 18号機が保存されています。EF64型0番台は最近まで重連を組んで中央本線の貨物を引いていましたが、主役の座をEH200「ブルーサンダー」に譲り、現在は臨時列車や工事列車などで活躍する程度となりました。現在でも甲府駅では1~2両のEF64型0番台(高崎車両センター所属機)を見ることができます。18号機は昭和41年(1966年)東芝製でした。EF64型0番台の中でも初期にあたるモデルです。この日は寝台特急を模したヘッドマーク(碓氷峠、越後)が付けられ、ちょっとした撮影会になっていました。満開の桜にEF64が映え、とっても良い雰囲気でした。EF64が保存されている場所の上にある築堤も桜が満開。その中を横須賀色の115系が駆け抜けていきます。EF64を見た後は、中央本線の旧トンネル「大日影トンネル」へ。トンネルへ向かう遊歩道の手前にはスイッチバック施設の遺構がありました。かつてのスイッチバック線路の末端部分ですね。案内板です。私がいる部分には橋が架かっていたことがわかります。本線側のレンガトンネルは開通時からのもののようです。撮影日:14.04.12
2014.05.09
4月に中央本線勝沼ぶどう郷駅を訪れました。この駅の見どころは駅の周りに植樹された桜で、毎年4月には花見客でにぎわいます。また、周辺にはスイッチバック施設の跡地やかつて使われていたトンネルもあり、鉄道好きにも楽しめるスポットとなっています。駅を降り、甲府方に進むと満開の桜が迎えてくれました。花見客が多く訪れ、美しい桜に見とれています。天気も良く絶好の行楽日和でした。この場所はかつてのスイッチバック施設の跡地で、当時のホームも一部残っています。脇には現在のホームがあります。当時の駅名標もレプリカで再現しています。「勝沼駅」は1993年に隣の「初鹿野駅」(現・甲斐大和駅)とともに「勝沼ぶどう郷駅」に改名しました。撮影日:14.04.12
2014.05.07
山梨へ戻る途中、信濃境~富士見間にある中央本線旧線の「立場川橋梁」を車窓から撮影しました。この橋は複線化によって使用されなくなり、赤錆びていますが遠くから見ると列車が走る現役の橋にも見えます。この橋は明治時代の中央本線開通当初から使用されているもので、貴重な建造物が残されている意義は大きいと感じます。自然の景色に映えていますね。今でも現役であれば列車の撮影名所になっていたことでしょう。小淵沢に到着。ここで乗り換え、甲府へ向かいます。ここまで乗車したのは115系N10編成。この編成も車内のリニューアルがされておらず、国鉄時代の雰囲気を残していました。小海線のキハ110-121。今度は小海線も行ってみたいです。甲府~大月間は横須賀色の115系M7編成+M9編成に乗車。通勤通学客のほか、多くの行楽客が乗車していてかなり混んでいました。今回初めて長野県内まで列車で行きましたが、本当に良いところでした。次は中央本線西線区間、飯田線、小海線などに行ってみたいです。すべての写真撮影日:13.08.17
2013.10.18
塩尻からは塩嶺トンネルを通り、上諏訪へ向かいました。甲府方面の列車が来るまでに時間があったので、ここで少し撮影しました。塩尻から乗車した115系N9編成。長野色で3両編成の115系は、このエリアの普通列車の代表格です。この編成は車内のリニューアルがされておらず、国鉄時代の香りをよく残しています。座席モケットも国鉄時代と同じ青色。115系では初めて見ました。留置線には115系と213系が並びます。115系はN32編成、213系は私が乗車した、H2編成です。3ドアの211系は見慣れていますが、2ドアの213系は今回初めて実物を見ました。E257系「あずさ」が停車します。185系「はまかいじ」もやって来ました。上諏訪は優等列車が良く見られます。上諏訪は温泉地ということで、ホームに温泉の出る洗面台があります。また、撮影はしていませんが無料の足湯があり、しばらくそこに入ってくつろいでいました。最後に、松本方面へ向かう115系N16編成を撮影。このあと甲府方面の列車が来たので、山梨に戻りました。(つづく)
2013.10.16
中央本線旧線区間の乗車が終了したので、タイトルも変更しました。塩尻では、今回初めて見る西線区間の車両を中心に撮影。その5でも登場した313系1300番台は、西線区間の普通列車で運用されています。特急「しなの」で運用される383系。先頭車にパノラマグリーン車を連結します。流れるようなデザインが素敵です。こちらは貫通型の先頭車です。「しなの」の行先表示器。なんと「大阪行き」がありました。中央本線から東海道本線を経て大阪へ向かいます。この大阪行き「しなの」は現在唯一、JR3社にまたがる昼行特急列車です。塩尻は新宿行きの「あずさ」も停車するので、在来線特急で東京、大阪へ行くことができます。何気に凄い…こちらも383系。上記の写真とは編成が異なります。いったん駅の外へ出てみます。塩尻駅の駅舎です。思ったよりも小ぶりなものですが、利用者は多かったです。旧線で塩尻到着前に見た211系を撮りに行きました。6両編成になった元田町車両センター(東海道本線用)のチタN26編成です。この後ろには3両になった元幕張車両センターのマリ508編成もいました。(現在、マリ508のほうは長野色になっています。)元々211系とは全く縁のなかったこの場所で、第2の人生を待ち続けています。再び駅に戻り、上諏訪行きの普通列車に乗って上諏訪へ向かいます。(つづく)
2013.10.15
再び辰野駅に戻り、ここから旧線経由で塩尻へ向かいます。川岸から乗車したのはこの313系3000番台。飯田線を全線走破し、豊橋へ向かう長距離列車です。私も今度は飯田線の旅をしてみたいものです。ここからはE127系100番台に乗り換えます。今回は途中で寄り道などをしなかったですが、次は小野や信濃川島で降りて散策し、小野~塩尻間にある東塩尻信号場跡地(旧東塩尻駅)も見に行く予定です。旧線区間は自然が多く、車窓も綺麗でおすすめの路線のひとつです。塩尻に到着。塩尻は中央東線(JR東日本区間)と中央西線(JR東海区間)の結節点となっており、東京方面からの特急に加え名古屋方面からの特急など、多彩な列車が見られます。また岡谷から続いた旧線区間の終点でもあります。西線区間の313系1300番台と383系特急「しなの」が並びます。この313系1300番台は313系の中でも新しい車両です。塩尻はブドウの名産地ということで、ホームにブドウが栽培されています。おそらくここだけと思われる、珍しい光景です。駅名標にもブドウがあしらわれています。ブドウ棚の下の駅名標は、右側の次駅表示がなんと3段となっています。(上から、東線の新線、同旧線、西線の順番)交通の結節点ということがここからもよくわかります。ホームの名所案内は、国鉄時代のままのようです。駅の標高は717メートル。(つづく)
2013.10.11
岡谷から辰野に向かう途中、いい雰囲気の木造駅舎を発見したので是非とも写真を撮りたいと思い、ちょっと寄り道しました。その駅とは「川岸駅」。ローカルさが漂う無人駅ですが、木造の駅舎や待合室がいい味を出しています。213系を降りてすぐに撮影。木造の屋根付きのホーム、待合室、古いスタイルの跨線橋と、駅の開業時の様子を今に伝える素敵な駅でした。(中央本線の開通とともに設置された駅ではなく、この駅は全通後の大正12年(1923年)に開業しています。)駅舎です。こちらも木造で、おそらく開業時からのものと思われます。自動券売機はありますが、無人駅となっています。駅前にある川岸駅の開業記念碑。駅の開業が地元の悲願だったことがうかがえます。駅前には丸ポストもあり、レトロ感が漂います。次の列車まで時間があるので、周辺の踏切探索をした後、駅構内を見て回りました。(踏切は後日アップ予定)随所にレトロさが感じられる本当にいい駅です。駅開業時からの面影をよく残す川岸駅。このままの姿で末永く頑張ってもらいたいものです。この後は再び辰野へ行き、旧線の残りの区間(辰野~塩尻)を楽しみます。(つづく)
2013.10.07
再び辰野駅に入り、構内を見ていきます。いやぁ~、広い構内……(*^^*)やはり、かつての中心駅だったことがよく分かります。普通列車だけでなく、特急が停車していてもおかしくありません。ホームの屋根は古レールを利用しているようです。留置線も大規模なものです。どの程度利用されているのでしょうか?長野支社オリジナルの写真入り駅名標。辰野は「ほたるの里」として知られており、ほたるの写真が使用されています。国鉄の規格に準じた駅名標もあります。矢印が黄緑色となるなど、こちらも長野支社オリジナルとなっています。飯田線から直通する213系5000番台H2編成がやって来ました。これに乗って一つ手前の川岸駅に行ってみます。(つづく)
2013.10.04
辰野駅。ローカル駅としては立派な駅舎ですが、これは塩嶺トンネル完成の対価として1983年に新築されたもののようです。一旦降りて、辰野駅周辺を散策してみます。駅前の通りです。辰野はかつての主要駅だったこともあり、駅周辺には昔ながらの商店街が広がっています。こんな趣のある建物も健在。もっと生かされてもいいのでは?大通りとなる県道には歩道も整備され、歩きやすい街が広がっています。ぜひともまた訪れたいです。駅から徒歩10分ほどで清流、天竜川に到着。天竜川は、諏訪湖に端を発し、最終的に静岡県浜松に注ぎます。かつては「暴れ川」として恐れられたこの川も、長年にわたる改良で穏やかな川へと変化を遂げました。(つづく)
2013.10.02
2013年8月17日、長野県の中央本線旧線、岡谷~塩尻間への旅に出掛けてきました。現在、中央本線の岡谷~塩尻間のメインルートは、塩嶺トンネルを通るみどり湖経由のルートとなっています。しかし、塩嶺トンネル完成前のかつてのルートは辰野駅を経由して塩嶺を避ける大回りルート(通称・大八回り)でした。普通列車しか走らなくなったこの大回りルートにどうしても行きたくて、ついに行ってきました。ルートは大月~甲府~岡谷~辰野~塩尻です。山梨でもおなじみの115系長野色。大月~甲府までは6両のC編成で、甲府からは3両N編成の松本行きに乗車しました。朝だったので席は完全に埋まっており、ほぼ満員の状態でした。岡谷からはこちらの313系3000番台に乗り換えます。飯田線に直通する天竜峡行き列車です。ちなみに、3000番台は御殿場線、身延線でも活躍するワンマン対応の2両編成です。中央本線の旧線、岡谷~辰野~塩尻間のうち、岡谷~辰野間は実質的に飯田線の一部として機能しており、飯田線に直通するJR東海の車両(313系3000番台、213系5000番台など)が多数運用されています。辰野に到着。岡谷方面行きの列車が発車を待っています。こちらも313系3000番台です。辰野~塩尻の区間列車には、123系の後継者となったE127系100番台が運用されています。こちらも後で乗車します。E127系の車内はロングシートとセミクロスシートが混在した独特の配置となっています。313系3000番台同様、ワンマン運転に対応します。313系を撮影して、いったん辰野駅を降りて散策します。(つづく)
2013.10.01
「その3」の続きです。中央本線の甲府以西で運用されている3両編成のN編成。この編成は製造当初から長野エリアで活躍していた車両が多いです。N25編成で、1000番台のトップナンバー編成です。列車番号表示器は使われておらず、「000M」のまま固定のようです。こちらはN5編成。甲府から長野へ向かう長距離列車の運用に就いていました。☆車内長野色の115系のリニューアル編成は、横須賀色とは異なり爽やかな寒色系でまとめられています。リニューアルの内容はC編成、N編成ともほぼ同じで、ボックスシートは独自の形状です。また、ドア横には長野県の県花、リンドウをあしらった防風板が取り付けられています。これは300番台C5編成の車内です。リニューアルされていないC編成の車内。国鉄時代の雰囲気を強く残していて、リニューアル車にある防風版やつり革の増設は行われていません。座席モケットは豊田の115系や幕張の113系と同じものです。ちなみに、N編成の非リニューアル編成は青色のモケットです。現在でも長野色の115系は長距離列車などで大活躍中ですが、いつ置き換えられてもおかしくはない状況にあるのも確かです。私は特にN編成の撮影数を増やし、最後まで活躍を見守りたいと思います。
2012.12.22
横須賀色の次は長野色の115系です。山梨地区では6両のC編成が主に使われています。3両のN編成は甲府より先で運用中です。四方津で特急の通過待ち停車中のC3編成。高尾駅に到着したC3編成。こちらは、高尾駅に停車中のC4編成。先頭車の列車番号表示器が原形となっています。長野色は高原を走る列車らしく、爽やかなカラーリングです。このカラーは登場からかれこれ20年経ちますが、今でも色褪せることなく新鮮さを感じます。以前も当ブログで紹介した、全車が300番台のC5編成。長野色の115系は、ほとんどが1000番台ですがC編成の2本(C5、C9)とC13編成のモハ2両が300番台となっています。300番台は窓割りや車内のボックスシートの数が1000番台と異なり、長野色の115系では異彩を放っています。こちらはC13編成。中間のモハ2両が300番台で、先頭車の列車番号表示器が原形となっています。こちらはC14編成。先頭車の「普通」の表示が白地に黒文字です。長野色115系の多くが黒地に白文字となっており、この表示の車両は数少ないです。(つづく)
2012.12.22
「その1」から引き続き、横須賀色の115系を紹介します。こちらはM5編成。この編成は私が乗車する確率のもっとも高い115系です。大月駅の留置線に停車中のM9編成。大月駅に停車中のM11編成。☆車内リニューアルされていないM11編成の車内。モケットは幕張の113系と同様のものですが、それ以外はほぼ原形を保ち、国鉄の香りが漂います。リニューアルされたM5編成の車内。ヘッドレスト付きのバケットシートに変更され、暖色系でまとめられています。幕張の113系S編成と同様のリニューアルとなっています。シートのみ変更されたM3編成の車内。化粧板は国鉄時代の薄緑色のままで、異色の編成です。ほかにM2、M4編成も同様です。車両更新が行われたM1編成の車内。シートは原形ですが、化粧板や床が暖色系に変更され、網棚もステンレス製になっています。また、吊革が増設されています。幕張の113系1000番台にも同様の車内が見られました。115系ではほかにM9編成が対象です。横須賀色の115系は、今最後の活躍を続けています。幕張の113系が全車引退した今、横須賀色をまとう車両は日本でこれだけとなり、ますます貴重なものになってきています。私は、この115系の活躍を最後まで見守っていきたいと思います。このあとは、「長野色」の115系も紹介します。(つづく)
2012.12.21
中央本線の甲信エリアでは115系の運用が多く、私が乗車する機会が多いです。中央本線で活躍する115系には豊田車両センター所属の横須賀色と、長野総合車両センター所属の長野色の2種類があります。今回は、中央本線で活躍を続ける115系たちを紹介していきます。まずは横須賀色の115系から。横須賀色の115系は全車が300番台となっていて、新製されたときから中央本線での活躍を続ける車両たちです。まずはM1編成。115系の前面の塗り分けは、113系とは異なり直線的です。(参考)113系マリ106編成。113系は横浜、横須賀や房総など、暖かい観光地へ向かうやさしい列車のイメージを感じさせます。対する115系は、険しい山へ挑む力強い列車のイメージを感じさせます。こちらはM2編成。甲府駅1番線にたたずんでいます。M2編成の後に連結されていたのはM3編成です。大月駅に到着したM4編成ほか。横須賀色は湘南色とともに、115系登場時からの伝統あるカラーリングです。幕張の113系が全廃された今、横須賀色をまとう国鉄型車両はこの115系のみです。(つづく)
2012.12.19
中央本線で横須賀色の115系(豊田車両センター所属)とともに運用される長野色の115系(長野総合車両センター所属)。しかもこのC5編成は数少ない300番台のみで組成された編成です。車内は長野仕様のリニューアルがなされています。1000番台は車端部はロングシートとなっていますが、300番台はこの部分にもボックスシートが設置されています。車番プレートと製造、改造銘板です。リニューアルは平成13年に大宮工場で行われています。撮影日:12.07.01
2012.07.04
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