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「その1」に引き続き、新京成電鉄8800形です。今回は車内のリニューアルが施されている編成を中心に掲載します。8802編成です。この編成は2019年にリニューアル工事が施されました。8807編成です。8800形の中で最初にリニューアル工事が施工された編成(2017年)となります。リニューアル工事が施された車両の車内です。床や側面の化粧板の張替え、座席モケットをピンク色+グレーのものに変更、吊革を三角形のものに変更、座席端部に仕切り板の設置などが行われ、見違えるようになりました。また、2018年に導入されたN800形N858編成も同じような内装となっています。ドア上には、このようなLCD式ディスプレイが千鳥配置で設置されています。リニューアル工事未施工車両の車内と比較すると、リニューアル工事が施された車両は車内が明るくなり、イメージが大幅に変わっていることがわかります。車内の車番プレートも、リニューアル工事施工車両ではステッカー式、未施工車両ではプレート式と、違いが見られます。
2020.10.23
新京成電鉄の主力車両となっている8800形を掲載します。8800形は、新京成で初めて(関東地方の私鉄でも初めて)VVVFインバーター制御を本格採用した形式として1986年に登場しました。当初はすべて8両編成でしたが、京成千葉線への乗り入れをきっかけに2006年から6両編成に短縮される編成が登場しました。さらに2011年以降は新京成線全体が6両化されることになったため、中間車から先頭車に改造される車両が登場し、2014年にはすべての編成が6両編成になりました。また、2014年8月からは新京成のコーポレートカラーである「ジェントルピンク」を採用した新塗装に変更となり、2018年に全編成の塗り替えが完了しました。さらに2017年からは車内をリニューアルした車両も登場しており、ますます注目度は高まっています。8800形の中で最初に6両編成化された8801編成です。8800形の6両編成は、「8801-1~8801-6」というような附番方法をとっています。新京成でこういった附番方法になっているのは、8800形のみです。ちなみに、8両編成時代は第1編成が「8801~8808」、第2編成が「8809~8816」というような附番方法でした。8801編成と同時期に6両編成化された8803編成です。この編成は行先表示器がフルカラーLEDに交換されており、現在は車内のリニューアルも施されています。2007年に6両編成化された8804編成です。この編成は中間車から先頭車へ改造された車両を組み込む編成です。8800形はラッピング車となることも多く、8803編成(2019年度)が「千葉ロッテマリーンズ」、8804編成(2018年度)が「千葉ジェッツふなばし」のラッピングを施されていました。2011年に6両編成化された8805・8806編成です。8804編成の車内です。8800形の大半の車両が、京成3000形や新京成N800形と同型のステンレス製の側面ドアに交換されています。8801・8805編成は側面ドアの交換がされておらず、製造当初からの内側に化粧板が付くタイプとなっています。
2020.10.17
今回は、京成電鉄初のオールステンレス車両として1982年に登場した3600形を掲載します。3600形は旧式化した車両の置き換えを目的に導入され、1989年までに6両編成54両が製造されました。当初はすべて6両だったものの、のちに既存の編成を組み替える形で8両編成が組成されています。現在は4両編成1本と8両編成2本があり、4両編成は主に金町線で、8両編成は主に京成本線の特急・快速特急などで活躍しています。京成津田沼駅で撮影した3638編成です。この編成は元々8両編成でしたが、2019年夏ごろから6両編成となり、そのまま10月に廃車となりました。晩年は京成本線での普通運用で活躍しており、撮影時も普通運用に就いていました。京成上野駅で撮影した3658編成です。この編成は8両編成で、京成上野~成田空港間の特急・快速特急などで活躍しています。勝田台駅で撮影した3658編成です。3600形は京成では古参車両になりますが、本線を高速で駆け抜ける姿は印象深いです。京成佐倉駅で撮影した3688編成です。3600形は都営浅草線直通の京成佐倉~西馬込間にも入りますが、先頭車両が電動車でないことから、京急線への直通は行われていません。京成高砂駅に進入する3688編成です。3600形の車内です。えんじ色の座席モケットと、明るいクリーム色の側面が印象的です。また、天井には扇風機が設置されています。車内の車番プレートです。
2020.04.18
新京成では少数派の系列である8900形を掲載します。8900形は先に登場した京成3700形をベースにした新京成初のオールステンレス車両で、1993年に登場しました。当初は8両編成でしたが、新京成の車両がすべて6両化されたことで2014年に6両化され、中間付随車が廃車されました。1993年に登場したトップナンバー編成の8918編成です。8900形は新京成初の装備が多く、LED式の行先表示器や車内自動放送、ドア上の時計付きLED式案内表示器などが初の装備となっています。また、登場時のカラーリングは水色と赤の帯が入り、前面には新京成の「S」をイメージした帯が入るのが特徴でしたが、現在はコーポレートカラーのホワイトとジェントルピンクの写真のようなカラーリングになっています。2020年からは行先表示器がフルカラーLED式に変更されるようになりました。1996年登場の8928編成です。同じく1996年登場の8938編成です。8931編成の車内です。京成3700形に似ているものの、座席モケットの色が異なっていることや、床の中央部に明るい茶色帯が入る(JR東海の211系5000・6000番台などと同様)など、独自の仕様が見られます。また、新京成で伝統的な装備となっている鏡も設置されています。更新が行われた8918編成の車内です。ドア上部の案内表示器が液晶式になったため、ドア周りが若干変化しています。8900形で特徴的なワイドドア(幅1500mm)です。ワイドドアを採用するのは、新京成では8900形が唯一です。ドア上部のLED式表示器です。左側にデジタル式の時計が装備されています。更新に伴って姿を消しつつあり、現在は8938編成のみに設置されています。更新後の液晶式表示器です。8800形リニューアル編成やN800形などに装備されているものと同様のものとなっています。8900形の製造銘板です。全車が日本車輌製ですが、8931編成のもののみ「日本車両」表記の新しいものになっています。8911・8921編成は旧タイプですが、製造年は西暦表示になっています。
2020.04.04
新京成電鉄で現在最古の系列となっている、8000形を掲載します。8000形は京成3500形をベースに、通称「タヌキ」と呼ばれる独特なデザインの車体で1978年に登場し、その後1985年まで増備が進められ、新京成の主力車両となりました。しかし、N800形など新車が続々と登場したことで8000形は置き換えられることなり、2011年から廃車が始まりました。2019年現在では6両編成2本のみが残っている状態でしたが、2020年1月には唯一ジェントルピンクの現行カラーになっていた8518編成が80000形に置き換えられて運用離脱し、現在はクリーム色に茶色帯のリバイバルカラーとなった8512編成のみが残っている状態です。新津田沼駅で撮影した8512編成です。この編成は新京成全体で唯一のクリーム色に茶色帯のカラーリングとなっています。また、2020年1月以降は唯一の8000形でもあります。8000形は、前面の大きな2枚窓に窓周りの大きな縁取り、丸いライト、側面の2段窓など、特徴が非常に多い車両です。京成津田沼駅で撮影した、ジェントルピンクカラーをまとう8518編成です。8800形と同じく、白地に下部をピンク色としたデザインとなっていますが、前面の縁取りの部分は8512編成よりも濃い茶色となっています。松戸駅で撮影した8518編成です。この編成は2020年1月まで残りましたが、残念ながら現在は廃車となってしまいました。側面の方向幕です。8518編成は廃車が見込まれていたためか、最後まで駅ナンバリングのない旧式の幕を装備していました。8512編成の車内です。新京成の車両で標準的な赤色の座席モケットや、ドア脇の鏡などが特徴的です。新京成の現役車両では唯一、天井には扇風機が設置されています。東芝製で、「傘マーク」と呼ばれる旧ロゴが残っています。車内の車番プレートです。
2020.02.06
今回は主に本線・千葉線・千原線の普通列車で活躍する6両編成(4両+2両)を掲載します。6両編成は活躍の場が広く、都内から千葉県内まで顔を出します。京成最古の車両ですが、普通運用で頑張る姿が印象的です。京成津田沼駅で撮影した3500形のトップナンバー、「3501」を組み込む3504Fです。トップナンバーの3501です。1972年に登場した最初期のグループで、更新を受けて現在も活躍しています。こちらは3517-3518の2両編成です。3504Fと併結して運用されています。車内の車番プレートです。3504Fは昭和47年(1972年)東急車輛製です。東急車輛のこのタイプのプレートは貴重なものになっています。(高野線用の南海6000系など、南海電鉄の車両でもよく見かけます。)京成津田沼駅で撮影した3512Fです。3500形は、本線では京成上野発着の普通列車が中心です。京成上野駅で3512Fを撮影しました。本線から千葉線に直通する運用にも使用されています。京成高砂駅で撮影した3520Fです。京成津田沼駅で撮影した3528Fです。角ばった武骨な雰囲気がたまりません。
2020.01.28
京成東成田駅~芝山千代田駅を結ぶ短距離の鉄道路線、芝山鉄道線を運営する「芝山鉄道」。芝山鉄道は京成東成田線の延長路線ということから、車両の運用は京成電鉄と共通となっており、ほとんどの列車が京成の車両で運用されています。そんな芝山鉄道にも自社所属の車両が存在します。しかしその車両は、先述した京成3500形を京成電鉄からリースしたものとなっており、外観も京成とほとんど変わらないので芝山鉄道の車両だとはわかりにくいです。さらに、自社線に一切入らず京成金町線を往復するだけの日もあり、芝山鉄道線内で芝山鉄道の車両を見ることはなかなか難しいのです。ここでは、芝山鉄道線ではなく京成金町線でみかけた芝山鉄道3500形を掲載します。芝山鉄道に所属するのは、3500形4両編成の3540Fです。2013年以前の車両は3600形3618F(すでに廃車)で、京成の赤・青の帯のうち青の部分が緑色となっていましたが、現在の3500形は帯色の変更がなされていません。写真は京成金町駅で撮影しました。芝山鉄道の車両であることを主張する「SR」マークは、2019年に初めて取り付けられました。それまではマークがなく、京成の車両とまったく同じ外観でした。この編成は成田空港のラッピング車両となっており、車体側面のステッカーをはじめ、ドアステッカー、車内広告に至るまですべてが成田空港の広告となっています。側面の「Keisei」ロゴの部分の上から、「芝山鉄道」と表記されたステッカーが貼られています。車内です。車内はほかの京成3500形と同じですが、やはり成田空港の広告が目立ちます。車内のプレート類です。車番表記の下の「禁煙」表示の下には、「リブレ京成」の広告が残っています。
2020.01.20
京成電鉄の数ある車両の中で、現役最古の車両系列となっているのが3500形です。3500形は、1972年から製造開始された車両で、京成では初の冷房車となりました。また大きな特徴として、セミステンレス車体(外板のみステンレス製)の採用があげられます。それまでは普通鋼製の車両しかなかった京成のイメージを大きく変える車両となり、イメージアップに大きく貢献しました。1996年からは一部の編成で更新工事がスタートし、前面形状や内装が大きく変化しました。現在では更新工事を請けた編成のみが在籍しています。また京成の車両では唯一のセミステンレス車体となっています。「その1」では、京成金町線で活躍する4両編成を掲載します。柴又駅と京成金町駅で撮影した3516Fです。外観はまだまだ綺麗ですが、3000形など新しい車両が増えた現在では古さを感じるようになりました。京成高砂駅で撮影した3524Fです。高砂駅ではホームの一部に柵があり、その柵が写り込んでしまいます。柴又駅で撮影した3536Fです。京成高砂駅で撮影した3500形の車内です。更新工事が施されているため比較的綺麗な状態を保っています。内装色や座席モケットは、同時期に新製された3700形などと同様なものとなっています。車内の製造銘板です。上は3516F(川崎重工製)、下は3524F(東急車輛製)です。京成では現在川崎重工製の車両の導入はしていないため、川崎重工のものは貴重です。また、大榮車輌の銘板は更新工事の際に取り付けられたものです。
2020.01.13
京成3400形は、初代「スカイライナー」のAE形(初代)の台車や各種機器類を利用して通勤車両として生まれ変わらせた異色の車両です。1991年登場の3700形と同様のデザインながら鋼製車体となっているのが大きな特徴で、ステンレス車両が多い京成の中で良く目立つ存在となっています。1993年に登場した3400形のトップナンバー編成、3408Fです。勝田台駅で撮影しました。3400形は主に本線系統、都営浅草線・京急線直通の快速・快速特急など優等列車の運用に就くことが多いです。佐倉駅で撮影した3418Fです。ここまでが1993年の製造です。3418Fは現在、京成の創立110周年を記念して「ミュージアムトレイン」として運行中です。オリジナルのヘッドマークが付き、車内には京成の歴史を語る写真などが掲示されています。京成高砂駅で撮影しました。佐倉駅で撮影した3428Fです。1994年製造です。京成高砂駅で撮影した3438Fです。現在でも残る京成の通勤電車で唯一の鋼製車体で、白い車体が美しいです。京成高砂駅で撮影した3448Fです。3438・3448Fは1995年製造です。3418Fの車内です。3700形とほぼ同様となっています。液晶ディスプレイの設置などは行われておらず、原形が良く残っています。3428Fの車内です。車体製造を担当した大榮車輌の製造銘板です。大榮車輌は、主に京成の車両の改造や更新などを担当したメーカーです。現在は車両部門から撤退してしまったため、貴重なものになってきています。
2019.11.20
10月26日、京成高砂駅で京成の最新車両3100形を初めて撮影しました。3100形3152Fです。(画像は一部修整済み)この3100形は、成田スカイアクセス線の新型車両として導入されたもので、スカイアクセス線のラインカラーであるオレンジ色をメインにした帯色が個性的な車両となっています。また、車内もスーツケースを置くことのできる折り畳み式の座席や、車内の2画面式LCD表示器など京成初の装備が多数あります。また、この後同じ設計の新京成電鉄80000形も登場予定となっています。26日は3100形のデビューの日で、京成高砂駅では撮影する人がたくさんいて撮影会のような状態でした。
2019.10.31
「その3」の続きになります。今回は地下の駅構内から地上へ出てみます。駅の出口に向かう階段とエスカレーターです。階段の大きさはかなりのもので、都心のターミナル駅のようです。エスカレーターは両端にありますが、どちらも停止していました。階段の上部には「日通航空」の広告の文字がうっすらと残っています。壁面に設置されている「住友林業」の当時の広告です。エスカレーターが動いていないので階段で地上へ出ます。こんなにも巨大な階段なのに通るのは私一人で、なんとも不思議な感覚でした。空港駅当時は多くの人が行き来し、終始賑わっていたことでしょう。地上の駅舎へやってきました。もちろん人は私しかいません。地下コンコースやホームの薄暗さと異なり、ここはガラス張りで明るく安心感があります。エスカレーターの注意書きです。当時は駅舎内に検問所(空港第4ゲート)があり、空港へ向かう客はここで荷物検査などを受け、バスで移動する必要がありました。この場所が検問に並ぶ客でごった返していた様子が想像できます。停止中のエスカレーターを眺めます。かつて多くの乗客を運んでいたエスカレーターも、その使命を終えて埃をかぶってしまっています。当時の検問所(空港第4ゲート)跡です。現在は検問所としての機能は廃止され、空港内警備犬の関連施設となっています。ここは長く駅構内のトイレとして開放されていましたが、いつの間にか一般客が入れない場所になっていました。駅舎の外観です。ここも成田空港駅当時のままとなっています。バスなどが発着していた駅前の道路です。バスやタクシーの発着を意識した構造になっていて、「空港アクセスの駅」を感じさせます。4回にわたって特集してきた東成田駅。いかがだったでしょうか。「成田空港駅」として開業した当時の名残が随所に残された面白い駅で、さながらタイムカプセルのようでした。空港施設内という場所柄難しいとは思いますが、当時の案内や広告などが残る閉鎖中のコンコースや特急ホームを一般開放して、「成田空港駅」だった当時の様子を知ることができる博物館のような施設にしたら楽しいかもしれませんね。ぜひまた訪れてみたいと思います。撮影日:15.07.26
2015.09.07
改札を出ると、現在の駅の規模に見合わないほど広いコンコースが広がります。やはり国際空港の駅として設計されただけあります。かつては空港に向かう人で混雑を見せていたことでしょう。やはりここにも壁で分断されたコンコースがあり、当時はさらに広い構内であったことがうかがえます。壁面には「曲水の宴」という陶板レリーフが飾られています。日本へ降り立った外国人に向け「日本らしさ」を誇らしげにアピールしていたと思われるこの作品ですが、駅に人気のなくなった今では寂しさを際立たせています。下の写真は作品の説明です。駅の開業から2年後の1980年5月に設置されたようです。「現代の空の表玄関・成田空港駅」という表記もそのままになっています。空港第二ビル駅への連絡通路です。今回はここは通りませんでしたが、次回はぜひ通ってみたいです。また、奥には空港第5ゲートにつながる通路もありました。警備員が多くいて物々しい雰囲気でした。閉鎖中のコンコースを見てみます。まずは第5ゲート通路側の部分です。ここは照明が点灯していて明るかったです。現在も人の出入りがあるのかもしれません。当時の路線図が残されていますが、駅名は「東成田」となっているので1991年以降のものですね。柱の広告枠に残されていた「武富士」の広告です。次は改札側の部分です。この部分は薄暗く、改札内の閉鎖中コンコースまでつながっています。ここには当時の案内板や時刻表などが散乱していました。天井には「スカイライナー入口」の文字も見え、普通列車と特急列車の改札を分けていたことがわかります。また、初代AE型を使用した案内板もありました。「自動化きっぷ・定期券入口」という表記が目を引きます。当時はまだ自動改札が一般的ではなく、有人改札と自動改札が併用されていたものと思われます。現在とは比較にならないほど大規模な改札があったことがうかがえます。長距離を利用する乗客は有人改札、仕事などで日常的に利用する乗客は自動改札を利用していたのかもしれませんね。かつての有人改札のあった部分です。資材などが散乱しています。柱の広告枠に残された「インターナショナルエクスプレス」の広告です。20年以上そのままなので剥がれそうになっています。次は地上にある駅舎などを見ていきます。〈つづく〉
2015.09.06
「その1」の続きです。今回はコンコースの様子を紹介していきます。先述のエスカレーターでコンコースへ出てみました。エスカレーター付近のコンコースはこのような感じです。混雑時でも対応できるようにかなり広く設計されていますが、利用者が減った現在ではその広さを持て余しています。外につながる階段が閉鎖されていました。臨時出口でしょうか?かつて使われていた窓口がありました。精算所だったようです。成田空港駅時代のコンコースは現在よりもさらに広くなっていました。閉鎖中の特急ホームへアクセスする階段やエスカレーター、その周辺のコンコースはこのように壁で分断され、立ち入りできなくなっています。しかし、この壁は上部が空いているので中の様子を見ることができます。早速、閉鎖中のコンコースを見てみましょう。閉鎖中の部分にある「コーヒーショップ エクレール」です。成田空港駅当時、多くの利用者が立ち寄ったと思われるこの喫茶店も1991年で時が止まっていました。海外へ行く人や帰ってきた人が休憩するのにちょうどよい場所にあり、利用した思い出のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。店内の椅子、設備などはそのままの状態です。椅子のデザインが個人的には好みです。この隣にもシャッターを下ろした売店があり、特急ホーム上にも「売店」の表示があったことから当時は複数の店舗が構内で営業していたようです。「エクレール」と周辺の通路です。突き当りを左に進むと特急ホームに降りる階段があり、右に進むと改札があります。写真右側の壁は後になって作られたもののようです。「エクレール」から改札口寄りに進んだところです。やはりコンコースは広く設計され、重厚感のある造りになっています。閉鎖中のコンコースの広さがわかる一枚です。この辺りは当時最も人通りが多く、空港へ行く人や帰ってくる人で終始賑わっていたのではないでしょうか。この奥が改札口で、有人改札用の設備が残されています。柱の広告や壁面の掲示物、乗場案内標などが営業を終えた状態でそのまま残され、往時の賑わいを今に伝えています。見えにくいですが当時の広告をアップで。「ダイナースクラブカード」の広告で、パリのエッフェル塔の写真が使用されています。発行元の「日本ダイナースクラブ」は2000年に社名変更し、現在は「シティカードジャパン」になっています。かつての改札口付近です。右奥には特急ホームに降りる階段があります。奥の壁面にある大型の広告板にも当時の広告が残っています。暗くてよく分かりませんが、文字が記載されているようです。現在の改札口です。大幅に縮小されていますが、無人駅ではなく駅員も常駐しています。現在の窓口は後になって設置されたもののようです。次は改札の外へ出てみましょう。〈つづく〉
2015.09.03
京成東成田線の終点および芝山鉄道線の起点駅となっている京成東成田駅。電車は30~40分に1本しかないため利用者は少なく、「秘境駅」といわれることもあり存在感は薄いです。現在では存在感の薄いこの駅ですが、元々は1978年に「成田空港駅」として開業し、成田空港への空港アクセスを担う主要駅のひとつでした。ピーク時は1日2万人の利用客があったようです。しかし、駅と空港のターミナルが離れていることから利用者は有料のバスまたは徒歩での移動を余儀なくされ、国際空港の駅としてはかなり不便でした。このような不便な構造になったのは、当時の国鉄が計画していた「成田新幹線」があったためです。成田新幹線は空港のターミナルへ直接乗り入れるように計画されていましたが、用地買収の難航や反対運動の激化に伴って一部区間が着工したのみで1986年に計画が中止となってしまいました。この不便な状況を解消するために、1991年に成田新幹線用の施設を利用して空港ターミナル直下の「成田空港駅」が開業し、京成線のほかにJR成田線空港支線の乗り入れがスタートしました。その一方で、かつての成田空港駅は「東成田駅」に、それまで本線だった京成成田~東成田間は「東成田線」と改称されて現在に至ります。前置きが長くなりましたが、現在の東成田駅は「成田空港駅」だった頃の面影を随所に残す駅となっています。利用者が少なく、人気のない薄暗い地下ホームであることから怖さを感じる人も多くいるようです。現在の駅は成田空港駅時代に普通列車が使用していたホームのみが使用され、特急「スカイライナー」が発着していたホームは閉鎖されています。駅にはこの形態のベンチがたくさん設置されています。おそらく開業時からあるものと思われます。ここからは現在使用中のホームから見える、閉鎖中の特急ホームを見ていきます。非常灯のみが点灯した真っ暗なホーム。ここがかつての特急ホームです。背後の駅名標は「成田空港」のまま残されています。現役のホームにあるのと同じベンチが設置されたままとなっています。かつては多くの利用者で賑わったであろうこの場所は、長い眠りについてしまっています。天井に設置された電照式の駅名標です。このタイプの駅名標は以前京成大佐倉駅で見たことがありますが、今はどうなっているでしょうか。行先を示す案内表示です。「上野方面」の記載がかろうじてわかります。暗くてよく見えませんが、当時の広告もそのままになっています。上の写真は「東武特急スペーシア」登場時のものと思われます。この広告は比較的わかりやすいです。まだ都内の電話番号の市内局番が3ケタだった頃のものです。壁に貼られた案内表示もそのままです。ちなみに、現在特急ホームのエスカレーターは壁で覆われています。壁には時刻表も取り付けられたままでした。時が止まったままのホームはまるでタイムカプセルのようです。このエスカレーターを使ってコンコースに出てみたいと思います。かつては2基あったようですが、現在は1基のみが上り専用として稼働しているのみです。古いエスカレーターなので人が近づくと大きな音を立てて動き出します。エスカレーターは東芝製でした。このロゴが付いたエスカレーターを初めてみました。開業時からある古いもののようですね。〈つづく〉
2015.09.02
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