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タイガー&ドラゴンの運動会からすでに一週間ブログを更新するにもネタがないぜ・・・と思っていたがすっかりと忘れていた津久見の海岸寺の秋の大祭『柴燈護摩大祈祷』そう、例の毎年行われる火渡りのある大祭であるその前の週はタイガー&ドラゴンやお嫁ちゃん風邪になったりしてねあるブロ友さんのブログに「風邪も若い人がいいみたいよーー」なんてレスをつけたりしたのだけれどやっぱり風邪はマダムの喉にケンカを売ったのよレスをつけた翌日、なんだか喉が痛いやっぱり・・と思いつつマスクをして寝たのだけれど火渡り当日の朝、熱まででやがったでも、37.4度の微妙な数字火渡りはおおばぁばを連れていかなければならないしっつーことで、マスクをしていざ海岸寺へ今年もあれやこれやが滞りなく進んで 今年はいいお天気で空気も乾燥していたせいかそりゃあもうよく燃える、燃える、生木だから煙ももうもうしているしそれでもやっと殆どが炭になってきて準備OK それでも時々丸太の間から火が上がるがいよいよ火渡り開始 火渡り直前のおおばぁばの足よ火渡りをする足元を写真に撮ろうとデジカメを構えていたが片腕にはおおばぁば、もう片方の手には塩を握らされついにその瞬間は今年も撮れず仕舞いいよいよ丸太の上に足を置こうとしたその時『ぼっっっ!!』と丸太の隙間から火が上がる「いや~~あちーよーーー」とマダムすると、傍で手伝っている檀家総代のおじさんが一言「しょわねぇで、あちぃこたねぇで。あるいちみない」 (意味・・たいしたことないよ、熱くはないよ。あるいてごらん)と、塩を手に握らせて丸太の上に押し出すはい、確かに一歩目は熱くなかった、二歩目も熱くなかったで、早足で歩き終わろうとしたその時マダムの右足の親指の外反母趾になっている出っ張った所にぼっと火が当たって熱かったのさ 火渡りをして厄払いをしたはずだったのにその日から一週間、風邪はどこにも行かずマダムの身体に巣くっていたのである微妙に熱があるようなないようなマスクのおかげで喉は痛くなかったけれど鼻の奥に変なものが溜まっていて気分最悪実を言うとタイガー&ドラゴンの運動会では微熱なのである病院にいくチャンスを逃してしまった一週間青っ洟になるまで一週間ちょっと前まで、一週間も気分最悪が長引く事なんてなかったのにさ歳を感じるマダムなのさ <今日もあなたのワンクリックを> ここをぽちっと・・・お願いよ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑月曜日、風邪はすっかりよくなってよ にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ がんばれわたし がんばれマダム こっちも押してくれたらとってもうれしい
2011年10月23日
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タイガー&ドラゴンが週3で通っている保育園は大型商業施設の中に併設されている都市型保育園なので買い物をする間とかママが映画を見ている間だけとかの単発の時間単位でも預かってくれるし急用ができて今日1日預かってくれる人がいない場合も預かってくれるし日曜日も祝日も預かってくれるそれでもちゃんと資格を持った保育士さんがいてお昼ご飯にお昼寝もおやつの時間もあるし預かる時間によっては夜ご飯だってあるただ、広いホールもないし運動場もないので外遊びができないお散歩は商業施設の店舗内なんてこともあるお天気のいい日はその周りの歩道を歩いたりする事もあるらしいけどそんな小さな保育園の大運動会が15日の日曜日に長男くんと長女ちゃんが卒業した小学校の体育館を借りて行われた運動会に出場するのはタイガー&ドラゴンのように定期的に通っている0歳児から5歳ぐらいまでの子供たちだから人数も少なくて20名ぐらいと3名の保育士さん他の保育士さんはその日の時間預かりがあるからねーーー見に来ている家族の方がその3倍ぐらいはいたかもしれないタイガー&ドラゴンも保育園で体操やダンスの練習をしていたらしい まず服形から入る・・・ジャージ姿は二人だけさ パパ・ママと開会式に臨む ドラゴンたいくつ ダンスのために行進するも意味がイマイチ飲み込めない リレーでアンカーを務めるが堂々のコースアウト カメラ写りのチェックは怠りないカメラを向けるが行動が予測つかずシャッターチャンスを逃すばかりであるタイガー&ドラゴンが真面目に取り組んだ競技はかけっことリレー、玉入れである保育園のオリジナル体操とアンパンマン体操は全く動かずかけっこにしてもリレーにしても、殆どがぶっつけ本番リレーは3歳以上の子供たちが走るわけだけれどバトンをリレーで渡す・・・と言うのを一生懸命に保育士さんが説明をして子供たちも真剣に聞いている・・・ように見えたコースアウトするのも仕方ないよなーーーリレーの練習なんてできないんだもんね朝10時から12時過ぎの閉会式までなんだかほんわか楽しい運動会だったタイガー&ドラゴンの初めての団体行動どんなもんやらと心配だったけど結構上手くやっているみたい普通の保育園と違って同い年の友達もほとんどいないようなもんだしいろんなところで経験はできない事も多いかもしれないそんな中の保育士さんの姿を見ていてその姿がまるで長女ちゃんの姿のようで涙が出そうだったきっと長女ちゃんもあんな風に小さな子どもたちと一緒にいたんだなぁ長女ちゃんは未満児(2歳以下だったかな?)の担当だった保育園のHPで園での生活の写真をアップしていて時々長女ちゃんもその写真の中に写っている事があったそんな時の長女ちゃんの顔は本当にいい顔をして写っている運動会の保育士さんの姿や笑顔を見ていて長女ちゃんがそこにいるようだった小倉からこちらに戻って家にまだいた時長女ちゃんは「体調がよくなったらもう一度保育に関係する仕事がしたい」と言っていたそんな話をそた時の長女ちゃんを今でも時々思い出すタイガー&ドラゴンをお迎えに行った時の応対をする姿もその日の出来事を話してくれる時も帰りのご挨拶をタイガー&ドラゴンに言う時もその姿も声も私とってそれは長女ちゃんなのだ「もう一度保育に関する仕事をしたい」そんな切なる長女ちゃんの願いが叶うことはない事を知っていた私は「うん、そうだねーーがんばろうね」としか言えなかった時々、近くの保育園の園児たちのお散歩に出会う事がある何人かの保育士さんが小さな子どもたちを連れて歩いているそこにも長女ちゃんがいる帰省した時に、園のHPの写真を見てそれを説明してくれた事があったそれを思い出して「あ~~あんな風にお散歩していたんだよねーー」なんて、今でもまるで隣に長女ちゃんがいるかのように言葉に出してしまうもうすぐ長女ちゃんが入院した日がやってくるあれから4年長女ちゃんが保育士だったのは4年7カ月もう少ししたら、いなくなった月日がその期間を過ぎてしまうそうやって、増えていかない思い出が遠くなって行くこの季節がやってくるのは本当はとても辛い長女ちゃんの病気に早く気づいてあげる事ができなかったこの季節神様から決定的にダメ押しをされたこの季節乗り越えたつもりでも全然乗り越える事が出来ていなことに気付くこの季節そしてもうすぐ長女ちゃんの29回目の誕生日がやってくる <今日もあなたのワンクリックを> ここをぽちっと・・・お願いよ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑嬉しさに舞い踊るマダム・・・・はここよ にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ がんばれわたし がんばれマダム こっちも押してくれたらとってもうれしい
2011年10月16日
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私のボウリングの師匠は長女ちゃんより1歳年下のかわいい女子プロボウラーの進博美プロこれまでずっとイニシャルでここに登場していたけれどとうとう名前を明かす日がやってきた・・って大げさなーーーと、言うのも先月の24日~25日に三重県津市で行われた中日杯東海女子プロオープンボウリングトーナメントで準優勝したのであるその時の試合結果はこちら ⇒ (社)日本プロボウリング協会HPよりこの時優勝したのは8月31日~9月3日に京都で行われたMKチャリティカップでも優勝をした吉田真由美プロ進プロは準決勝を圧倒的なスコアでトップ通過同じく2位通過した沖縄の金城愛乃プロとの3名で決勝ステップラダーに進出テレビのP☆リーグを見た事のある人には吉田プロも金城プロもお馴染の名前かもしれないこういう試合は決勝戦はTV決勝(sky・A)が殆どで決勝戦まで行かないとなかなかテレビでは見る事ができないのよ大きな大会になれば準決勝からテレビ放映があったりはするけれどねーー進プロはこれまで結構いい所まで行くけれどなかなか陽の目を見ない事が多くて悔しい事も多かったと思うそんな進プロは決勝ステップラダーの3位決定戦では金城プロと激闘で最後に3ピン差で優勝決定戦へ吉田プロはさすが前回のMKチャリティカップで優勝しただけあってパーフェクトになるかと思われるほどのビッグスコアで連続優勝進プロは、初めての決勝戦でかなり緊張してしまったらしい帰ってから話を聞いても、その緊張感が凄く伝わって聞いていてもドキドキプロだから賞金を目指さなきゃだめだものねそれでもボウリングの優勝賞金はホントに少ないなぁといつも思うゴルフとはホント比べ物にならないぐらい少ないボウリングもボールや靴もホントにお金がかかる試合に参加するにもお金がかかる試合に使うボールは毎回7個以上は持って行くと言うしそれを送るのだって、試合に行く旅費も宿泊費もばかにならない賞金がとれる順位には残らないとホントに大変なのだプロになるのも大変だけれどプロになってからもホントに大変だああ、それにしても凄い試合だったんだろうなーーーー進プロにも結構ファンができていて試合に行くたびにファンの方が見にきてくれていると言っていた私も追っかけみたいに試合のたびに見に行けたら~なんて思ってしまうそんな進プロに教えてもらっているのになかなか上達しない毎回課題が増えて山積みであるなのに根気よくホントに根気よく教えてくれるいや~~~感謝であるがスコアが伸びなくて大きなため息なのであるそんな進プロの次の試合は今月の19日~22日に東京で行われるROUND1Cup Ladies 2011 次も頑張ってねーーーそしてPリーガーになれるチャンスはあと1年Pリーガーになれたらいいなぁ・・と思うところで、東海女子オープンのテレビ決勝は東海テレビでしか放映しないそうな ↓ (10月19日(水)深夜24:50~25:35放映予定)どなたか東海テレビをご覧の方なんとかなりませんでしょうか・・・・なんて都合のいいお願いですちなみに進プロのブログはこちらよ ⇒ プロボウラー進博美のブログたくさんの人にスポーツとしてのボウリングを知って貰いたいと思う楽しいよん <今日もあなたのワンクリックを> ここをぽちっと・・・お願いよ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑嬉しさに舞い踊るマダム・・・・はここよ にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ がんばれわたし がんばれマダム こっちも押してくれたらとってもうれしい
2011年10月08日
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今日は母のディサービスの日昨日長女ちゃん用に買ってきたコスモスを少し取り分け花束にしてお迎えのバスに乗って嬉しげに出掛けて行ったその時、お迎えの職員の方に主任のSさんと一度話をしたい事を伝えた暫くしてそのSさんから電話がかかってきた私がまずSさんに確認したのは母が『これからもずっと送迎ができて続けてディサービスを利用できる』と職員の方が言っていたと私に言ったことそれは包括支援センターの方が聞いてくれたことと話が違うと言うことその2つに関してSさんから聞いた答えはやはり母が自分の都合のいいように話をつくり替えて私に話しているようなのだ母は、そこのディサービスに続けて行きたい気持ちがとても強いのだ私の所では距離的に送迎が無理だからと言う事は施設側もちゃんと母に伝えてくれていたのだそれを踏まえどこか別の施設に変わるかどうかと話をしたが母が火曜日から土曜までは家に帰るからと言うのでそれなら送迎もできると話をしたらしいただ、それを私との話ができているように母が言っていたのでその確認もあって私と一度話しがしたいと思っていたと言う私は母が一人で勝手にそう決めてしまっている事や病気の事もあって一人で家に帰って過ごす事への心配やそれを心配した私に「倒れたらもう死ぬまでよ」とか「また悪くなったら今度は施設に入る」と言った事「あまりいろいろ言うとここを出て行くよ」と言っている事そんな母の言葉に何も言えない私の思いもSさんに全部話したもちろん、Sさんも週のうち何日かでも一人で家で過ごす母を心配していた入院する前、一人で暮らしていた時はろくに食事もしていないせいかどんどん痩せていき具合の悪い日が多かったりしていたが退院してわが家に来てからは少しずつ体重も増え最近では食事もちゃんと食べこめるようになってきて以前に比べて顔色だけでなく行動も元気になってきていて母にいつも「私の所に行ってよかったねーー」と話していたと言う10年ほど前からディサービスを利用するようになって何度か家に行って部屋の上がった事もあったと言うその時は2階にある応接間に通されていたと言うここだけはいつもある程度掃除と片づけはできている部屋なのだ母が寝起きしていたのは1階の居間で生活のすべてがその部屋であるその部屋とダイニングキッチンは前にも書いたとおりかなりの酷い状況しかし、そういう部屋には絶対に立ち入れさせないのだもし、その時にその部屋を見ていれば状況も変わっていたかもしれないこの2年ぐらいは私がその部屋やキッチンをみて口やかましく片づけするように言ったり片づけや掃除を始めると、早く帰れとばかりにいろいろと言われる事があったそのうち、私を家に上げる事をなんとなく避けるようになって玄関までしか入らせないようになっていた当然玄関はある程度掃除と片づけはしていたのだけれどそのうち、私もあまりいろいろとやかましく言うのも母には負担なのだろうと思い見て見ぬふりをしてきた母が入院した後の家の中の様子やその片づけで出たごみ袋の数の話を聞いてSさんもかなり驚いてしまったようだでも、もしそれを今ここで母に言っても何も解決にならないのは私もSさんも分かっている特に私からだとそれがどうなってしまうのか母の性格からも分かるのだSさんといろいろ話をして母が家に帰る事を前提に今後を決めることになりSさんの方から提案としてヘルパーを入れる事を話してもらうことにした他人が家に入る事を嫌ってはいるが話しの持って行きようやヘルパーさんの人柄等も考え母に合う人を探すこと、ケアマネも別の女性に替えてもらうこと利用できるヘルパーの内容も分かりやすく話してそれがあれば家で一人で暮らす事もできるし、それなら施設側も安心だからと私がいない所で母に話をする事にしてもらった何よりも母が今のディサービスを続けたいと言う気持ちが強いだけにそれをかなえてあげる事が一番なんだと・・。もし、私が母の世話のために家に行けばそれはそれで母の気持ちとしてはまた気を使ってしまうと思うそれが負担になってしまい、いざこざになったりまた入院するような事になるのが私やSさん達も一番恐れている事だそれに、Sさんとこう言う話をした事を母が知ればまたどんなことになるか気の強い母の事だからいい方向へは行かないのは目に見えているし・・・・・と言うことで、Sさんにすべてお任せしてお願いしお互いにその時々の状況を母がディサービスに行っている時間に連絡をすると、言うことになったどう云ううことになるか不安はまだあるけれど少しだけ前進したような気がする来月末には鎌倉へも行くと言っているしお正月はそのまま向こうで迎えるような事も言っているしすべては母が思うように事が進むのだろうと思うちょっとだけ、なんだかなぁ~の気分のマダムである <今日もあなたのワンクリックを> ここをぽちっと・・・お願いよ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑嬉しさに舞い踊るマダム・・・・はここよ にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ がんばれわたし がんばれマダム こっちも押してくれたらとってもうれしい
2011年10月05日
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私が一番わからなかったのは母がディサービスに行っていたこの2カ月の間その事については一切何も言ってなかった事母がわが家に来ることを決めた入院中ディサービスもショートステイもそのディサービスが利用できると言ったこと退院した時に、実は距離が・・・・の話の時も、施設長に交渉すると言ったことそんな話をしていたのに、最初から決まっていたから送迎はできないと言ったことなんだかよくわからなくて不快感ばかりが心に残ったところが、9月28日最後のディサービスから帰ってきた母は「来月からもディに行けることになったよ。送迎をしてくれるって」と言うのである実は私はその日、母がディサービスに出掛けている間この地区にある、地域支援包括センターに電話をし今回の事について相談をしていたそこのHさんが事実を確認するために母に分からないようにディサービスの担当職員に電話をして話を聞いてくれると言ってくれていた家に帰ってきた母は「ディの職員のひとは、ケアマネと私達は別だからね。来月からも来てもいいんだよ」と言っていたと言うのである同じ施設のいるのに、どうしてそう話が違うのだろうか・・・しかし、ディサービスを続けて利用できるようになったのだからと地域支援包括センターにそれを連絡するとそれを含めてもう一度、ディサービス側に話をちゃんと聞いてくれる事になった翌日、包括センターから電話があり本当の事が分かったまず、送迎が無理である事は事実であることでは、何故続けて利用できる事になったのかそれは、母が実家に火曜日から帰ってその日は泊るからそれなら送迎ができるからと言うのであるそう言えば、「最近は体調もいいし、時々家に帰って向こうに泊ろうかね~」なんて事を言っていたのだ私はまさか、ディサービスに行くために実家に泊るなんて思ってなかったのであるしかも最初は「火曜日に家に帰ってそのまま泊ってディに行って水曜にここに帰ってくる」と言っていたのが、日を追うごとに話が変わって今日になると「火曜日に家に帰って土曜まで向こうにいて、ここには土・日・月に泊る」と、言うのである元気であるならそれはそれで一向に構わないしかし、退院してかなり元気になってきているとは言えわが家に居れば食事の用意も掃除も何もする必要はないしましてや、主治医からも「今後は一人ぐらいをさせるのは無理」と言われている「もし、一人で暮らしていて倒れたら、今度こそ本当に危ない」とまで言われているそれは、主治医が母にも言っている事なのだ母が家に帰りたい気持ちはとてもよく分かる自分がずっと生活してきた家だし、父が亡くなって一人暮らしになって勝手気ままな自由な暮らしをしてきていたのであるわが家に来て、母は私は主人に気を使って生活をしているんだと思う元々気が強い性格で、人に頼る事をあまりしてこなかった体調も順調によくなってきているし、一人暮らしに戻りたくなるのも当然だと思うでも、一人になればそれなりに生活をしなければならない食事も作らなければならないし、洗濯掃除などの家事、ゴミだしとする事はたくさんあるただ、父が入院した時から母の生活に変化が出てきたそれは、片づけ掃除をしなくなったことである玄関から見える部分はわりときれいにしていたのだがそれ以外は本当にびっくりするほども散らかり方だったのだ長女ちゃんが高校生の頃、一度こんな事を言った事がある実家に長女ちゃんを連れて行って、家の掃除や片づけをいつも手伝った貰っていたその時「私いつもおばあちゃんの家にきたら片づけしかしてない」とホントにそうである毎回毎回掃除をしに家に帰っていたようなものであるそのうち、長男くんが結婚してタイガー&ドラゴンが生まれて長女ちゃんが病気になって小倉の病院でずっと付き添ったりして実家には行けなくなる事が増えてしまった長女ちゃんが亡くなった後、時々母の用事で車を出す事があったがその時は母はいつも玄関のカギをかけ家の前で待っていたよくよく考えてみれば、私を家に上げたくなかったのだと思う掃除や片づけをしていない部屋を私に見られたくなかったのだろうと今になって思う私がいつも、「たまには片づけているのーー」とか「掃除しようか」とか言うと「後でするからいいよ」と言われてしまうのだったしかし、4月に母が入院した時に家に行ってあまりの酷さに驚いてしまったのであるよくTVでも出てくる「汚宅」そのもの・・・足の踏み場もないほどの散らかりようだったたしかに、入院前の一か月は体調も悪く、殆ど出掛けずに家で寝ていたのだそれでも、私を家に入れる事をしなかったのだそんな事もあって一人暮らしはさせられないと、とにかくまずは片付けをしなければと病院の母の所へ行く帰りに家に寄って片づけをするのだけれど私一人ではどうにもならず福岡に住む妹夫婦にも来てもらったゴミ袋がどれだけ出たのか分からないぐらいだった冷蔵庫の中も、殆どが捨てなければならないモノばかりだし野菜も溶けてしまって、何が入っていたのかも分からないモノもあったそんな事実もあるから、母が家でまた一人で生活することに不安がある今は家とわが家を行き来すると言っているがそのうち、それも面倒になってこちらに帰ってこなくなるのは目に見えているわが家に居れば、ディサービスには行けないし自分の好きな時に出掛けたり、食事をしたりと自由な生活ができないのであるそのうち、以前のように買ってきた総菜だけの食事になったり食べない日も出てくるだろう食べ残したモノをずっと冷蔵庫に入れっぱなしにしたり掃除や片づけもしない以前の生活に戻ってしまいそうなのであるそれ以上に心配なのは、またいつ倒れる事が起きないかどうかである心臓だって、脳の方だっていつまた再発するか分からない危険性を持っているのだそうならそうで、私がいつも家に行って注意すればいいのだろう自分の母なのだから、そんなことぐらい当然だと思われそうな気がする母に、一人で家にいる時に倒れたりしたら心配だと言ったら「その時は死ぬだけだよ。」と言い放つのだ「また入院するようなことになったらどうするのよ」と言えば「その時はどこか施設を探しなさいよ」とこうであるとにかく、ああ言えばこう言う状態である妹にどうしたものかと、この事を相談してみた「ねぇちゃん、もうばあちゃんが言いだした事なんだからしたいようにさせたらいいのよ 今の生活の方が絶対にらくなんだからね。ご飯を作ったり掃除や洗濯だってしなくて いいんだからさ。今は体調がよくなってなんでも自分でできると思っているだけよ。 したいようにさせて、そのうち姉ちゃんの所に帰ってくると思うよ」そうかもしれない妹の言う事が本当なのかもしれないでも、これまでの私は一体何だったのだろうと思う今現在一緒に住んでいるのに、どうしてこの次は施設に・・・と言うのだろうそんなに、今一緒に住んでいるのが苦痛なのだろうか死ぬとか施設とかの言葉を言いだした母に私は何も言えなかった・・・・と言うか、言うのを止めた何を言ってもどう言っても、摺れ違うばかりなのだ私が黙っていればいいのだと思う母がしたいようにすればいいのであってもし、また何かが起きれば私が動くしかないのである18年前のクモ膜下出血の時もそうだった家で一人でいる父の朝昼晩の食事を作って届けまだ小学生だった長女ちゃんたちの夕ご飯はいつも10時過ぎだった母は何度も心臓カテーテルをしていてステントも5本入っている心カテの当時私はまだ勤めていたが、立ち合いがいるからと突然言われ仕事の合間を縫って病院に行っていた事もあった父が入院中、父が使うオムツは私が買って届けていただからと言って、それは当たり前の事だし妹も弟も県外に住んでいて私しかいなかった妹は「ばあちゃんは姉ちゃんがいつも傍にいて、自分が何か言ってもすぐになんでもしてくれるから、それが分からないのよ。子供と一緒よ。わるいねぇ、悪いねぇって言っても、それって心がこもってないでしょ。いつもの口癖なんだから。ホントにそう思っていたなら、死ぬとか施設なんて言葉出るわけないと思うよ。まぁ、毎日コロコロ言う事が変わるから今月いっぱいは様子見て、来月になったらまた考えた方がいいよ。姉ちゃんが疲れちゃうよーー」ディサービスの事だけでなく、他にも色んな事があるもう、書くのもいやになるほどたくさんある妹の言うように、確かに毎日毎日言う事が変わる事があるこのディサービスの問題にすべての根源があるような気がするだから、行けなくなるのは可哀そうだと心から思うもっと早く、入院中にこれをはっきりとディサービス側が伝えてくれその時に、わが家の近くの施設や送迎ができる施設を紹介してくれていたら新しい別のディサービスで楽しい時間を過ごせていたかもしれないそう思うのは私の勝手な考えなのだろうか・・・悩みは尽きないマダムである <今日もあなたのワンクリックを> ここをぽちっと・・・お願いよ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑嬉しさに舞い踊るマダム・・・・はここよ にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ がんばれわたし がんばれマダム こっちも押してくれたらとってもうれしい
2011年10月04日
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毎年10月の衣替えの時期はまだ暑かったりして冬服になった高校生が可哀そうに見えるのに今年は衣替えが気にならないほどの涼しさであるそんな今日この頃の私の悩み今日はかなりマジなのでおおばぁば=母は今わが家で同居中であるこの同居に至った経緯はこれまでにも書いてきたけれど私の備忘録として順を追って・・・・・母は18年前にクモ膜下出血で倒れ手術をしているそれまでも狭心症や高血圧という持病も持っていたもちろん手術は成功しリハビリをして普通の生活ができるようになったその後、おおじぃじ=父が肺がんになり手術それから十二指腸にも癌が転移し手術その2回の手術を乗り越えて普通に生活ができるようになりディサービスにも通うようになっていたその数年後に自転車に乗っていて止まっている車にぶつかったことが原因で足があまりよく動かなくなり入院をし、2度の癌の手術のせいもあり長い入院生活を経て、13年前に亡くなった父が亡くなって1年ぐらいは母も元気がなく私も心配をしていたのだけれど次第に1人暮らしの気楽さと、元々の社交的な性格もあって好きな俳句教室やお花の教室に通ったりして外に出ていくようになったそして10年ほど前から、現在通っているディサービスに行くようになったそのディサービスをしているのは私達が子供の頃のかかりつけの病院だったところ当時の院長が亡くなって後を継いだ長男である現院長がディサービスも始めたのである母の現在のかかりつけの病院は日赤でここで父も入院し亡くなった母の体調が悪くなったのは3月の終わりごろ風邪をひいてなかなか治らなかったのだけれど鎌倉に住む叔母が遊びにきたりして結構出歩く事もあったしかし、体調は悪くなる一方で4月25日に月1回の通院日に体調の悪さは『心房細動』である事がわかりそのまま入院になったそしてその翌日に昼食後に脳梗塞を起こし右半身に麻痺が出てしまったしかし、入院中であったため処置がすぐにできたのでそれほど酷い麻痺にはならなかったけれどそのリハビリのために5月11日に専門のI病院に転院したその時、I病院の主治医から退院後の生活についてこう言われた「退院後は一人暮らしをさせることはできないので 誰かと同居をするか、それができなければ施設を探してください。 リハビリもそれに沿って計画するので・・」そう言われその場で、わが家に来てもらって同居をする事を決めたのであるそれからは、わが家の状況に合わせてのリハビリが始まり当初3ヵ月のリハビリを計画していたが母はかなり頑張って2カ月で退院できたのである入院中、通っているディサービスにいるケアマネのKさんからも連絡があり主治医から言われた、退院後わが家で同居をする事は伝えていたまた退院が決まった時、退院後のディサービスをどうするかを聞かれた時に母は1カ月後の日赤での月1回の検査後に調子が良ければ再開したいと話していたその時、ケアマネのKさんは今までどおりにディサービスを使えると言っていた母は支援2から要介護2になったので範囲も広がるとも言っていた退院した日、ケアマネのKさんがやってきてわが家のある地域ではディサービスの送迎の距離の範囲から遠くなるので利用が難しいこの地域の他の所を探してもらうことになるかもしれないしかし、すぐにということではなくて、3月の猶予を貰っているのでその間にどこか利用したい所があれが言って欲しいただ、これまでずっと利用してもらっているので希望があれば施設長には続けて利用できないか交渉して見ようと思うと、このような事を言っていたその時、私も母もこれがそれほど重要とも思ってなかったし交渉次第では続けて利用できるだろうと思っていたのである8月になってディサービスに週1回通うようになった母はそれは楽しみに通っていた10年以上も通っている事もあり、職員のみんなもとてもよくしてくれる8月の終わりにはブドウ狩りにも行ってきたそんな2カ月が過ぎた9月20日、ケアマネのKさんが母に電話をしてきた「来月で3カ月が過ぎるけれど、どこかいい所は見つかりましたか? 11月からはお迎えに行く事ができません。行きたい所があるなら資料を渡します」それを聞いた母はケアマネのKさんに「私はもうそこに行く事が出来ないのならそこ以外には行くつもりはないから もう来週で辞めます。でも、それはいつから決まっていたのですか?」と聞くとケアマネのKさんは「最初から決まっていました」と言ったそうである確かに、その事をちゃんと考えてなかった私達が悪いのだと思う私がI病院の地域支援担当のMさんから聞いていたわが家の近くにあるY医院のディサービスの話を母にした時もあまり気乗りではなかった事があったそんな事もあって、それ以上母には言えなかった事も事実であるその上、どこか行きたいところを探せと言われてもどこにどういう施設があるのかも分からないしまして、こちらがどこか施設を言えば資料があるから渡す・・としか言われてなかったのだ(つづく) <今日もあなたのワンクリックを> ここをぽちっと・・・お願いよ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑嬉しさに舞い踊るマダム・・・・はここよ にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ がんばれわたし がんばれマダム こっちも押してくれたらとってもうれしい
2011年10月04日
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