― R ’s  Bar ― 癒し系バーの威圧系バーテンダーのつぶやき・・・

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マルチン・ルター (1483~1546)




ルター
マルチン・ルター


「酒と女と歌を愛さぬものは一生の間バカのまま。
しかもぼくらはバカではない」

   洋の東西を問わず、聖職者や僧籍にあるものが、存外に酒好きである例は多い。
   禅寺で、酒を指す”般若場”なる隠語が生まれたのも、
   『葷主(くんしゅ)、山門に入るを許さず』
   という禁を破ることなく、しかもよいたいという破戒僧どものおおいなる知恵(=般若)のなせる技であったのかもしれない。
   中世ドイツの宗教改革者マルチン・ルターの生涯も、ある意味で破壊の日々であったといえる。
   古い威厳やしきたりを打ち破るところに、真の改革があるのだから。
   例えば、当時の戒律では否定されていた結婚を、ルターは早くから周囲の牧師や修道僧に勧めている。



イ・モンクス スコッチのラベルだが、ずばり『イ・モンクス(修道僧)』
残念ながら日本には輸入されてない



   「神は人間を交わりのために造られたのであって、孤独のために造られたのではない。   神が人間を男性と女性の両性に造られたことが、そのひとつの証拠である。」



   これがルターの持論であった。
   そして、ルター自身も1525年6月13日、42歳の折に結婚。相手は脱走修道尼カタリーナ・フォン・ボーラだった。
   この結婚から2週間後、ルターは広く知人を集めて祝宴を張っている。
   このとき、市の参事会から1トンものビールの寄進があったという。

   もともと、ルターはビール好きだった。宗教改革という難事に向かいながら、ルターの傍らにはいつもビールがあった。
   また、このころヨーロッパ各地の修道院では、ビールの醸造を手がけるところが多く、
   ルターの伴侶のボーラもビールづくりには長けていた。
   「彼女は、馬車屋、耕作、放牧、家畜の購入、ビールの醸造、その他、色々な事をしている。
   ところが彼女は、その合間に聖書を読むことをはじめた。だから私は、復活祭までに彼女が終わりまで読むなら、
   50グルデンあげようと、彼女に約束した。」

   これはルターが友人に宛てた手紙の一説だが、元修道尼ボーラの得意は、
   聖書を読むことよりビール醸造だったことが窺えるのである。

「酒と女を愛さぬものは一生の間バカのまま。しかもぼくらはバカではない。」

ビール修道僧 ビールを作る昔の修道僧
たる出版刊『金のジョッキに銀の泡』より


   これはルターが最後に残した言葉。
   徒らな苦行や、やせ我慢で神に至ろうとする人文主義的キリスト教のやり方に、   自己中心的な思い上がりと虚しさを痛感していたルターだからこそ、
   神の恵みとしての酒を、異性を、素直に受け入れようとしたのだろう。







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