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◆石のささやき
石のささやき
石の詩、石に対して思うこと、
先人の思いなど・・・、
あちらこちらを探しては、
ぽつりぽつりと載せていきます。
どれかひとつでも、
心にとまってくれたら、
とてもありがたい事です(^^)。
★「石」 草野心平
NEW!
★花崗岩について ゲ-テ
★無心のまえぶれ ウイリアム ブレイク
★シッダ-ルタ ヘルマン ヘッセ
★石が私か、私が石か? ユング
★石ころ 金子みすず
★石 堀口大学
★巡礼のひとりごと ヴォルケル
★情熱 キャスリ-ン レイン
★ありがとうの効用
★石の中に見たいもの
★「ミタクオヤシン」
★風の石は思う
★命と石と一粒の麦 三浦綾子
「石」草野心平
『石』 草野心平
雨に濡れて
独り
石がゐる。
億年を蔵して
にぶいひかりの
もやのなかに。
倒置法表現という
技法云々を超えたすごいスケ-ルを、
ぽつんと言い切っています。
石好きなら、前半だけでもすでに
嬉しくなってしまいますね。
こういう言葉を語れる人が
うらやましいです。
★インデックスへ戻る
『花崗岩について』ゲーテ
「時間の最も尊い最古の記念碑よ。
私はそういう気持で、
いま君たちのところにやってきたのだ。
むき出しの山頂に坐って、
広い下界を見はるかしていると、
私はこう独りごつことができる。
地球の最も深いところにまで達する土台に、
いま、お前はじかに腰をおろしているのだ。
お前と太古の固い地盤との間には、
どんな新しい層もなく、
またどんな土砂の集積もない。
お前は、肥沃な美しい谷間でのように、
永遠の墓地の上を歩くのではない。
これらの山頂は、
かつて生き物を生んだことがなく、
また生き物をのみこんだこともないのだ。
それはあらゆる生に先立ち、
あらゆる生を超えてる。」
「この世界を統べる奥底の上に
じかに打ち建てられたこの最古の祭壇で、
私は万象の本体のために犠牲を捧げるのだ。
われらの存在の最も確かな始源の姿に
私はいまふれていると思う。」
----
当時ゲ-テは鉱物の世界でも知られた方でした。
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無心のまえぶれ
一粒の砂に 世界を
一輪の野花に 天国を
君の掌に 無限を
そして ひとときのなかに 永遠を
ウイリアム・ブレイク
原詩は英文ですが、
簡明でかつ美しい韻文ですから、
紹介しておきます。
To see a world in grain of sand.
And a Heaven in a Wild Flower.
Hold Infinity in the palm of your hand.
And Eternity in an Hour.
WILLIAM BRAKE
この詩は、
私が石や自然や宇宙に対して抱いていることを
方程式のように端的に示していて、圧倒された詩です。
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シッダ-ルタ ヘルマン ヘッセ
かの文豪ヘルマンヘッセは著書”
シッダールタ”の中で、
次のように書いているそうです。
シッダールタとは、釈尊の事です。
”シッダ-ルタはかがんで
地面から一つの石を拾い上げ、
手のひらで軽く動かした。
「これは石だ。」
と彼は戯れながら言った。
「石はおそらく
一定の時間のうちに土となるだろう。
土から植物、あるいは動物、
あるいは人間が生じるだろう。
昔なら私はこういっただろう。」
-----
だが、今日では私はこう考える。
この石は石である。
動物でもあり、
神でもあり、
仏陀でもある。
私がこれをたっとび、愛するのは、
これがいつかあれやこれやに
なり得るだろうからではなく、
ずっと前からそして
常に一切であるからだ。」
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「石が私か、私が石か?」―C・G・ユングの独白
19世紀にフロイトと共に
無意識の謎に挑んだユング、
グレ-トマザ-理論で著名な心理学の巨人は、
石好きとしても有名であり、
石から多くのヒントを
得ていた形跡があります。
徳井いく子著
「ミステリ-スト-ン」からの抜粋。
引用開始----
「心理学者のC・G・ユングは石を通じて、
自分自身の真っ暗な内面を旅したひとりだった。
彼と石との深い絆は、幼年時代に始まっている。
七歳から九歳の頃、ユングは火遊びが好きだった。
家の庭に大きな石片で作られたふるい壁があり、
その隙間は面白い洞穴になっていた。
ユングは友人達に木々を集めさせ、
自分はつきっきりで火の番をした。
それは永久に燃えなければならない
神聖な火であり、
彼以外の何者も火を守ることは
許されないのだった。
洞穴の壁の前に坂道があり、
そこに一個の石が埋まっていた。
ユングはしばしばこの石の上にすわり、
一人ぼんやりすることがあった。
すると不思議なことに、
いつもおかしなもの思いが浮かんできた。
「私は石の上にすわっている。
石は私の下にある。」
同時に次のようにも感じられた。
「私は坂道に横たわり、
ひとりの男の子が
私の上にすわっている」。
ユングはいつも、
石が私か私が石かがわからなくなり、
結局、いったい自分は誰なのだろうか?
と自問しながら立ち上がるのだった。
自伝の中で、彼は告白している。
「私はあの瞬間を決して忘れていない。
というのは、それが、
電光のひらめきの中で
私の子供のころの永遠の性質に
光を投げかけたからである。」
この石は、ユングがよぶところの
「私の石」となった。
ギムナジウムに通うようになってからも、
気持ちが塞いでいるときは、
しばしばこの石に腰掛け、
もの思いにふけった。
「私の石の上に座ると、
奇妙にも安心し、気持ちが鎮まった。
ともかく、そうすると
私のあらゆる疑念が晴れたのである。
自分が石だと考えたときはいつでも、
葛藤は止んだ。
“石は不確かさも、
石を伝えようという強い衝動も持っていず、
しかも数千年に渡って
永久に全く同じものである”が、
“一歩私はといえば、すばやく燃え上がり、
その後急速にきえうせていく炎のように、
突然あらゆる種類の情動を
どっと爆発させるつかのまの
現われにすぎない”のだった。
私が私の情動の総体であるに
すぎないのに対し、
私の中に存する他人は。
永久・不滅の石だったのである。」
-------引用終わり
この最後の部分は、
自我の内部世界に
横たわる無意識の世界に、
更に広大な集合無意識が
原型という形で結合しており、
これは人類が発達する中で培われ、
半ば遺伝的に受け継がれているものだと
彼は後に考えたのだそうです。
そういった彼の思想の核が、
上記の私が石か、石が私か」に
既に芽生えているようにも感じられます。
自我は、成長過程で現われてくるものであり、
それ以前にはないものだとも彼は言っています。
人と石との出会いは、小さく限りある自我と、
大きく限りない素朴な象意=
原型を秘めた無意識との
出会いなのかもしれません。
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「石ころ」 金子みすず
天才童謡詩人といわれている
金子みすずの童謡詩に、
こういうものがあります。
「石ころ」
きのうは子供を ころばせて
きょうはお馬を つまずかす。
あしたは誰が とおるやら。
田舎のみちの 石ころは
赤い夕日に けろりかん。
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石 堀口大学
「石」
石は黙ってものをいふ
直かに心にものをいふ。
雨にはぬれて日に乾き
石は百年易らない。
流れる水にさからって
石は千年動かない。
堀口大学「人間の歌」より。
----
石好きには、
す~っと入ってくる詩ですね。
特に最初の2行は、ぴったり!
といううれしさがあります。
悠久不変でありながら、
人の心に直結した
何かを秘めているのが石でしょう。
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巡礼のひとりごと ヴォルケル
「巡礼のひとりごと」
わたしは星が好きだ
道の上の石ににているから
空をはだしで歩いたら
やはり星にけつまづくだろう
わたしは道の上の石が好きだ
星ににているから
朝から晩までわたしの
行く先を照らしてくれる
チェコスロバキア の詩人
ヴォルケルの詩です。
石は孤独な巡礼者の友だったのでしょう。
そして私達も皆、巡礼者です。
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情熱 キャスリ-ン レイン
そのとき空は私に語りかけてくれた。
はっきりと確かな言葉で、
やさしく、かつての恋よりもずっと近くで。
空は私の心に向かってこういった。
「あなたの求めているものは
ずっと昔からここにあるのよ。
思い出してごらんなさい。
あなたは雲や風や星とともに
生きてきたのよ。
たえまなくうちよせる波や
森の住人たちとともに
生きてきたのよ。
あなたはその一部なの。
もういちど元気を出して。
おそれる必要はなにもないの。
このまま死の眠りにつきたいの。
ちがうでしょ、大気をすいなさい。
この世界を花々と、
そして獣たちとわかちあうのよ」
-----
石達が私達に
語りかけているように思いませんか?
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ありがとうの効用
福島県のとある町に鉱物採集に行き、
帰りに駅に寄って、
そこのトイレに入った時のことです。
普通は、”きれいに使いましょう”
とか、”ガム捨て禁止”とかが
目の前にかかれてありますよね。
でもそこには、
こう書かれてありました。
”いつもきれいに使ってくださり
ありがとうございます。”
私は思わず、見ず知らずの隣の方に、
『これを見てください、
すてきな事が書かれてありますよ』
といってしまいました。
こう書かれてあれば、誰しも気分よく、
きれいに使うでしょうね。
普段忘れがちな、
相手を尊重するこころ配りが
そこには光っていました。
・・・最近、これと同様な表示を
あちこちで見るようになりました(嬉嬉!)。
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石の中に見たいもの
「最初の日記」の一部加筆再掲です。
石の世界はあの子供の頃の世界と似てるのです。
まるで、子供の時に自分の中の世界に戯れていた、
あの外界と内界の区別がぼやけた世界、
誰からも文句のいわれない自己陶酔的な桃源郷。
石好きにとって石とは、
自分だけのあの世界にもう一度帰りたい、
その中に入りたい、
そういう願望の対象なのではないでしょうか。
ル-ペで石の中をじっと
30分以上も見つめていられるのは、
その中には別の固有時が
流れているからではないでしょうか。
石の中であるのと同時に自分の世界の中、
自分の世界をその中に投影できるもの、
それが石なのかもしれません。
石屋で石を買うときにも、
どちらも同じようなものを
しばらくどっちがよいかと悩み、
熟慮しているようで、
実は冷静になっていない、あの雰囲気、
もうひとつの自分を
さがしているからかもしれません。
そしてこれには限りがありません。
必ずそれ以上に美しい、麗しい、
もうひとつの自分を求めるからでしょう。
コレクタ-心理とはいいますが、
実は典型的な人間心理の
側面ではないでしょうか。
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「ミタクオヤシン」
※「ミタクオヤシン」
=ラコタ族の言葉で
「私とつながるすべてのものへ」
某サイトからの引用です。
あまりにすばらしい言葉に感動しました!
この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
あなたが花をながめるとき
花もあなたを見つめている
あなたが鳥の歌を聴くと
鳥もあなたに耳を澄ます
ミタクオヤシン
すべてのつながるものへ
ひとつひとつの命が
そっと寄りそい合う
この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど傷ついたって
どんな馬鹿にされたって
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
あなたが風にふかれるとき
風もあなたを感じている
あなたが木々にふれるとき
木々もあなたにキスをかえす
ミタクオヤシン
すべてのつながるものへ
ひとりひとりの祈りが
今ひとつになる
この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど裏切られても
どんなことを言われても
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
あなたが友をいじめるとき
友もあなたを恐れている
あなたが火をもてあそぶとき
火もまたあなたに燃えうつる
ミタクオヤシン
すべてのつながるものへ
一粒一粒の涙が
いつか時を変える
この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど倒されてでも
どんなかっこわるくても
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
あなたが星を見あげるとき
星もあなたにささやいている
あなたがぼくに微笑むとき
ぼくもあなたに笑いかえす
ミタクオヤシン
すべてのつながるものへ
7つの世代を越えて
夢を伝えていこう
この世界が滅んでも
声からして歌うから
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
なんど涙流しても
どんな孤独の中でも
ひとりぼっちじゃないと
君のために歌うから
★インデックスへ戻る
風の石は思う
1.石を知る事は世界全体を知る事。
私がまず思うのは、
石は非生命の代表だという事です。
悠久無限につながる
彼岸の世界に属しています。
一方人は生物であり、
ある時にふっと生まれ出でて、
いつか花を付けるも、
いづれ散ってゆく
儚い此岸の存在です。
石を知る事は、
此岸と彼岸両方を知る事、
すなわち世界全体を知る事に
つながると思います。
自分を含めたすべての命は、
石の世界からやってきて、
ほんの短い間、生の輝きを放ち、
また石の世界に戻っていくのです。
2.パワ-スト-ンとは何か?
これについては、
正直良くわかりません。
でもひとついえることは、
パワ-があるとすれば、
それは石そのものに
内在しているというよりは、
石と人との間にあるのでしょう。
パワ-スト-ンと人との関係は、
しいて言えば自己催眠現象に
近いと思っています。
これは多くの石好きと
石との関係に介在しています。
もっと普遍的に、
好きな対象に寄せる思いは、
これと同じです。
好きな対象とすごす事は至福で、
快適で、時間を忘れます。
その結果、体調もよくなり、
心も豊かになります。
これこそがパワ-なのですね。
3.かけがえがない関係
石は二つとして
同じものがありません。
これは人も同じです。
そうであれば、石との出会いは
大切な友人との出会いと同じように、
かけがえのないものではないでしょうか。
かけがえがない、つまり、愛しいのです。
★インデックスへ戻る
命と石と一粒の麦
命って一体何でしょうか?
私達一人一人が
命を持っているからこそ、
こうして生活し、
喜怒哀楽を交感しています。
これ以上自分にとって
大切なものは無い様に思える「命」。
でもそれを石のように
他者に差し出した人達がいます。
自分を無にするとは
どういうことなのでしょうか?
北海道の中央に位置する
旭川市から北端の稚内市まで
JR宗谷線が走っています。
旭川と名寄市のほぼ中間には塩狩峠という
上川盆地と名寄盆地の境界をなす高地があり、
昔そこをとおりすぎる列車を牽引する機関車は、
レ-ルに砂を噴射してすべらないように
ゆっくりと上ったそうです。
さて、小説”塩狩峠”という文庫本を
今書庫から取り出してきました。
その裏表紙にはこう書かれています。
”結納のため札幌に向かった
鉄道職員永野信夫の乗った列車が
塩狩峠にさしかかった時、
突然客車が離れ、暴走し始めた。
声もなく恐怖におびえる乗客。
信夫は飛びつくように
ハンドブレ-キに手をかけた....。
明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、
自らの命を犠牲にして
大勢の乗客の命を救った一青年の、
愛と信仰に貫かれた生涯を描き、
人間存在の意味を問う長編小説。
中には続きがこう書かれています。
ハンドブレ-キは途中までしかきかず、
手前に急カ-ブが見えてきた。
たった今のこの速度なら自分の体で
列車を完全にとめることができる、
信夫はとっさに判断した。
次の瞬間、
信夫の手は
ハンドブレ-キからはなれ、
その体は線路めがけて飛んでいた。
これ以上は書きませんが、
それで、
列車は完全に停止したのでした・・・。
これは事実を元に書かれた
三浦綾子さんの小説です。
結納のために札幌へ向かっていた
その途上での自己犠牲。
人間って一体
どこまですごいのでしょうか?
自分と他人との価値の平衡感覚が
ひっくり返る話です。
上記はキリスト者でした。
これと似た話は仏教で、
ウサギが火の中に
自ら飛び込む話があります。
私を食べてねと飛び込むのです。
もっと最近では、
こんな話もありました。
韓国の人と日本人が、
駅のホ-ムで線路に落ちてしまった方
(日本人)を救出すべく、
果敢に線路に下りたのですが、
間に合わず自らも轢死してしまいました。
この不幸な事故は、不思議な展開をみせ、
人々の感銘をもたらしたばかりか、
日韓の文化交流の障壁をも越えたのです。
現在の韓国ブ-ムのル-ツには、
この事故があったのでした。
一粒の麦、
自らが滅ぶ事によって
新しい多くの命と
そのきづなを生み出す。
心の片隅でよいから、
忘れないようにしたい言葉です。
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