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◆イタリア美遊1
空から眺めるアルプス山脈♪
2009年10月3日
成田空港94番ゲ-トから、
ボ-イング747-400は
北イタリアのミラノ(マルペンサ空港)に向けて飛び立ちました。
最近は旅行客自身が航空会社のサイトから
座席を予約するツア-があるようで、今回初めてやって見ました。
7月の北海道行きで体験した2階席が気に入ったので
2階の通路側とその隣にして見ました。
結果、大正解♪
もちろんエコノミ-ですが、2階席は静かで快適でした。
今回のツア-は添乗員同行、
その添乗員さんも2階席に座っていました。
11時間以上の長旅もそろそろ終盤、アルプス越えです。
窓から下界をおそるおそる眺めると、
とがったアルプスの山々が、日々河川や氷河によって
浸食されている様子が手に取るようにわかります。
上空10000m以上の高度から見ています。
2年前地上から見たアルプスを、
今回空から見ることができるなんて!
とても感激しました。
その場面をお見せしましょう。
今頃どうしてイタリアにいけるのか?
不景気で会社を首になったのでは?
そうではありません。
会社で今秋よりリフレッシュウィ-クという
従業員全員に5日間連続有給休暇取得を促すお達しがありました。
なんといういい会社でしょう。感謝感激で早速申請。
ちょうどそれにピッタリのツア-があり、
ツア-確定していない状態から先行申し込みし、
おかげさまで無事行くことが出来ました。
イタリアのベストシ-ズンがまさにこの10月上旬だそうです。
前後の休みを入れると、
後が3連休になっているのでぎりぎり10日取れるのです。
ありがたや~。
今回で旅行資金も底をつきましたので、
年内はこれが最後の旅行です。
世界的に有名なア-ケ-ド♪
それは、ミラノスカラ座のある広場から、
ミラノのドゥオーモのある広場に通じる道にあります。
こちらではア-ケ-ドではなくてガッレリアと呼ぶそうです。
イタリア王国の初代国王の名前=
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで
名づけられたこの場所は、
イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって
1865年から1877年の間に建設されました。
近代的な鉄枠+ガラスはめ込みのデザインが力強い印象です。
中にはマクドナルドも、プラダも、ルイビトンもありました。
足元の道にあるモザイクがたいへん美しく、
特に交差路の中央にある絵の真ん中に立って写真を撮ると、
とってもかっこよく撮れます。
さてこれからミラノ大聖堂(ドゥオ-モ、ド-モ)に行きます。
お店などあちこち見ていると、さすがにミラノは
イタリアンア-ト、ファッション、デザインの中心だけあって、
いろいろなものがオシャレでかっこよいです。
洗練されています。どこか違いますね。
添乗員さんから私に、
「ファッションが決まっていますね(^^)」といわれましたが、
お世辞率はどのくらいだったでしょうか?
ミラノのドゥオーモ♪
ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)は、ガッレリアを抜けると
忽然と現れます。
ドゥオーモって私の勘ですが、英語のド-ムのことですね。
すばらしい石灰岩のゴシック建築です。
中の柱や床も美しいトラバ-チン(模様が美しい石灰岩)です。
ステンドグラスや彫刻も華麗かつ荘厳で、さすが世界遺産です。
プラハやウイ-ンの教会を連想しました。
このドゥオーモのある広場の中でジェラ-ト屋が営業していまして、
早速イタリア最初のジェラ-トタイム♪
早い話が日本のアイスクリ-ムですね。
テイラミス味がとってもおいしくて感激。
食べているところを店員に写真を撮ってもらいました。
この後も度々ジェラ-トを食べたのは言うまでもありません。
午後からは世界的な名画鑑賞タイムです♪
ミラノ料理といえば♪
リゾット アラ ミラネ-ゼ=ミラノ風リゾット
早い話がコンソメ風味のサフランライスかな。
むかし貴族はこれに金粉を振り掛けて食べたのだそうです。
それほどおいしいという印象はなかったです。
そしてコ-トレット アラ ミラネ-ゼ=ミラノ風カツレツ
なんとカツレツのル-ツのようなもので、タイヤキのような姿をしていますが、その尻尾部分は骨で、それをつかんで肉(牛肉)をたたいてうすく延ばし、粉をつけて焼くように揚げているそうです。
これもさほどおいしいものではなかったです。すこしもジュ-シ-じゃないし、柔らかくもないし、なんだか日本のとんかつの方がはるかにおいしい。このコ-トレット(あばら肉の意味)がカツレツの語源だそうで、
とんかつ=豚カツレツからの和製語ですね。
これらはミラノと言えばミラノコレクションというのと同じくらい
有名な料理だそうですが、イタ飯知らずでごめんなさいでした。
というかほかの料理もそうですが、
旅行社がケチっているせいかどうかはわかりませんが、
日本のイタリア料理店でいただく方がずっとおいしいというのが本音です。
まあこれは中華でも同じですけど。
さて、この後いよいよ名画にご対面♪
名画「最後の晩餐」♪
サンタ・マリア・デレ・グラツイエ教会の中に、
それはありました。外観もたいへん美しい教会です。
午前中にも教会の中に一度入ったのですが、
完全予約制であり、午後1時半から再度名画鑑賞のために入りました。
チケットは記念にいただいてきました。
中に入るには何度か入口と出口が閉まる小部屋のような道を通過します。
かなり厳重な管理になっているようです。
名画がある薄暗い部屋に入ると、
タイムスリップしたような不思議な感覚になります。
15分見ることが出来ます。
この名画「レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐」は
何度も修復を繰り返し、最近根本的な修復を行ったようです。
できるだけダ・ヴィンチの作品に戻したようです。
でも実際にダ・ヴィンチが描いた時には、
彼の他の作品から類推すると、
もっと精緻なタッチだったのでは?と思います。
思っていたよりかなりボヤッとした描き方だからです。
皆写真を写しているのでいいのかなと思って撮ったら、
私だけチェックされました(^^;;;。
どうもすみませんと言ったら、
それ以上のお咎めはありませんでした。
最後の晩餐に対向する壁にも同じ位大きな絵が飾ってあり、
キリストの処刑の様子が描かれていました。
チェックしてくれた監視の女性に、
いつ頃誰が書いたものか?と聞いたら、
名前は忘れましたが、最後の晩餐とほぼ同じころの作品だとか。
でも、「最後の晩餐」の方が圧倒的にすごいです。
直に見ることが出来て、一生の思い出です。
ミラノの歴史を語る城♪
ミラノの歴史は紀元前6世紀ごろにケルト族による建国以来の
長い歴史があるそうです。
ここはスフォルチェスコ城。
15世紀の半ばに作られ、スフォルツア-家の居城になりました。
その後ミラノ公国はスペイン領、オ-ストリア領など変遷し、
イタリア王国統一時にすこし遅れてイタリアになりました。
スフォルツア-家がすんでいたころはミラノも栄え、
あのレオナルド・ダ・ビンチもやってきたそうです。
ミラノの歴史をじっと見てきたお城なんですね。
噴水がきれいで何枚か写真撮影しました。
ミラノはオ-ストリアに支配されていた時期が長いせいでしょうか。
イタリアが結構いい加減な民族性といわれるのに、
そんな感じをあまり受けません。
むしろスマ-トな印象です。日本の姉妹都市が大阪ですが、
むしろ東京や横浜に近い雰囲気。
一方、ナポリのような危険な雰囲気もありませんし、
南イタリアの人なつっこさも感じません。
イタリアといってもいろいろなんですね。
ヴェロ-ナのアンモナイト♪
ミラノを後にして、ヴェネチアへ向かう途中、
ヴェロ-ナに立ち寄りました。
ここは中世の町並みが世界遺産になっていて、
中心部には古代ローマ時代の円形競技場(アレーナ)があります。
「ロミオとジュリエット」の舞台としても知られる町です。
サッカ-ファンならよくご存知の町でしょう。
道を歩いていると、足元のあちらこちらに
アンモナイトのような化石が見受けられます。
ここは、アドリア海に近い地域。という事は、
そう地中海のその昔の姿=
テチス海の化石があるところといってよいでしょう。
ここで地球史を紐解けば、
超大陸のパンゲア大陸が約2億年前ごろに
南のゴンドワナ大陸と北のローラシア大陸へと分裂し始め、
テチス海が誕生したのです。
その後、ゴンドワナ大陸からアフリカ大陸と
インド亜大陸が切り離されて北上。
インド亜大陸とユーラシア大陸が衝突してヒマラヤ山脈を形成し、
アフリカ大陸とユーラシア大陸が接近してテチス海は消滅した。
現在残っている地中海、カスピ海、黒海、アラル海などは、
テチス海の名残とも考えられているのです。
という事は、ヒマラヤで発見されているアンモナイトと
同じアンモナイトをここヴェロ-ナで踏みつけている
という事にもなるわけです。なんともったいない。
いくつか撮った写真を載せてみます。
アレ-ナとジュリエットと・・・♪
ヴェロ-ナは人口25万ほどの町ですが、
古代ロ-マ時代から交通の要衝として栄えたところ、
いまや世界遺産の町です。
街中の広場にはカ-ニバルのマスクも売っていました。
そのロ-マを連想させるのが
イタリアで一番保存状態がよいといわれる
アレ-ナ(円形競技場)です。
ロ-マのコロッセオよりもすこし古い紀元前のものです。
今でも夏には野外オペラが開催されるそうです。
そして次に有名なのが、
ロミオとジュリエットのモデルとなった
ジョリエットの家です。
そこへいたるトンネルの壁面には無数の手紙がぎっしり。
片思いの方への慕情がつづられているのでしょうか。
Why are you Romeo?
で有名なあのバルコニ-です。
あの映画でオリビアハッシ-が
ささやいたせりふが聞こえてくるようです。
2人の愛は2人の死を突き抜けて生き続け、
今も多くの人々を感動させていますね。
左側で人々が像の胸をさわって
写真を撮っている様子が写っています。
このジュリエット像の胸をさわると、
幸せになったりお金持ちになったりと、
いいことがあるといわれているそうです。
どこにもあるようですがついついやってしまいます。
パトヴァのオリ-ブ♪
ヴェロ-ナを去り、お宿のあるパトヴァに到着。
ここはヴェロ-ナとヴェネツイアとの中間点です。
朝出発の時、ホテルの脇にあったオリ-ブの木に
実がなっているのを発見。
オリ-ブに木は、モクセイ科で、
いわばきんもくせいの親戚筋に当たるそうです。
どうりで葉の形や色合いが似ています。
このオリ-ブの実からできるオリ-ブオイルは、
椿油の次にリノ-ル酸の多い高級食用油で有名ですね。
3月に訪れた伊豆大島を思い出しました。
オリーブの枝は、ハトとともに平和の象徴とされますが、
その理由は旧約聖書のノアの箱舟伝説にあります。
・・・大洪水のあと、陸地を探すためにノアの放ったハトが
オリーブの枝をくわえて帰ってきた。
これを見たノアは、洪水が引き始めたことを知った。・・・
この一節から来ているようです。
イスラム社会でもたくさんオリ-ブの木を植えてほしいですね。
アメリカや中国にも必要かな?
「水の都」ヴェネチアへ♪
ヴェネチアは、元々はラグ-ン(湿地帯)で人の住める場所ではありませんでしたが、6世紀頃にゲルマン人のイタリア本土への侵攻により、イタリア本土からやむなく逃げ延びた人々がヴェネチア湾の中の島に街を作りました。沈まないように木の杭をたくさん湿地帯に突き刺して基礎を作りそのうえに建物を載せました。その杭の姿はまるで「逆さの森」といわれました。
その後、商業面で発展し、ヴェネチアングラスでも成功して千年の長きに渡り都市国家が続きました。ヴェネチアは「水の都」とか「アドリア海の女王」と呼ばれ、イタリアの誇る世界遺産でもあります。
港には世界航海途中といわれる巨大な豪華客船が停泊していました。世界のセレブリテイが乗船しているのでしょう。私達は港から水上バスでヴェネチア島へ渡りました。
港に停泊していた豪華客船です。
水上バスです。
大鐘楼が見えてきました。
そろそろ近いです。
ヴェネチア島上陸♪
しばらく中断していたイタリア美遊の続きを再会します。
夢にまで見たヴェネチアに足を踏み入れました。
マルコポ-ロに会いにきました。
この町全体が世界遺産です。
青い空は中世の空です。
ドッカ-レ宮殿はベネチア共和国総督の宮殿で、総督私邸、評議会、裁判所、牢獄などが内部に置かれていました。現在は博物館です。
運河を隔てた対岸の牢獄と宮殿を結ぶ白の大理石の橋は、別名「ため息橋」。左が宮殿、右が牢獄です。残念ながら今回は工事中で橋がわずか見えただけでした。これも実際に見た証拠でしょう。
かの色男カサノヴァも、ここの牢獄に幽閉されたことがあるとか。
どうやって脱獄できたのでしょうか。
テレビのCMで見るような甘い仮面が並んでいます。
そろそろゴンドラ乗り場です。
ゴンド-ラに乗って♪
ゴンドラの形です。2名が基本ですが、5人まで乗れます。
2名の前に3名乗ります。
私達は2名の指定席、その前に3名、
女性2人組がいっしょに乗りました。
聞くと皆若い女医さんのグル-プでした。
おかげで写真を取り合うことができ、
それはその後旅行中ずっと続き、
写真を頼みやすくてラッキ-でした。
いよいよ乗り込みます。
ツア-の中に料金が含まれていますが、
単独で乗りますと、結構高い料金です。
どこを見ても絵になる風景です。
ヴェネツイ-アのゴンド-ラですね。(続く)
夢のゆりかご♪
建物の間を進みます。狭い路地という感じですが、やはり美しいです。
こぎ手はなかなかのイケメンですね。
ツ-ショット写真を撮るときには
直立不動の姿勢をしてくれました。
さてゴンド-ラはこれでおしまいです。
兄弟舟ではありませんが、「夢のゆりかご」でした。
温暖化現象とアクア・アルタ♪
ヴェネチアが水没する、
その前兆現象といわれる高潮です。
ヴェネチアで一番低い
サンマルコ広場のマンホ-ルから
このように海水が噴出しています。
世界一美しい広場といわれるサン・マルコ広場が
これでは台無しですよね。
臨時の踏み台が設置されるのを
以前テレビで見たことがありましたが、
まさにそれを眼の前で設置していました。
でもそれほど広範囲に広がらずにすんだようです。
地球温暖化の影響はヴェネチアにとって
決して遠い未来ではないようです。
サンマルコ寺院♪
サン・マルコ寺院は、
サン・マルコ広場に面して建っている、
福音取材記者マルコにささげられた、
ヴェネツィアで最も有名な大聖堂です。
---
「建物内は、黄金に煌く壁や天井と、
祭壇には2,000個もの眩い宝石が
埋め込まれた黄金の衝立がある。」
----
という説明がウィキでありましたが、
内部を見た印象はそういうのあったかな?
内部は写真撮影禁止だったので?です。
それでも多彩な石灰岩の組み合わせ装飾が
格別に美しい建築物という印象です。
ベニスの商人の誇りだったのでしょう。
柱は見事なトラバ-チン。
縞状石灰岩の模様が秀逸。
さすがはイタリアです。
正面の上部に描かれている壁画もすばらしいです。
新約聖書のマルコによる福音書。
昔、読んだことがあるのですが、
すでに忘却のかなたに(~~;;;。
そういえば、マルコ・ポ-ロも
ここヴェネチアから東方に旅立った
取材記者ですね。
ヴェネチアン・グラス工房♪
今から焼く4000年以上も前の出来事です。
ネットから引用です。
「言い伝えによると、フェニキアの海岸沿いに硝石の商人が着岸し、乗っていた者たちが食事を用意するために砂浜へちらばった、ところが大なべを持ち上げておくための石がなかったので、彼らは船から取ってきた硝石の塊を支えとして使った。するとこの硝石に火が着き、砂浜の砂と混ざって、輝く未知の液体が流れだした。これがガラスのはじまりにちがいないとプリニオ・イル・ヴェッキオはA.D.1世紀後半に彼が著した「自然の歴史」の中でガラスの発明をフェニキア人のものと考えながら語っています。
硝石=ソ-ダ、海岸の砂粒=シリカ、石灰という
まさにガラスの原料ですね。
時代は過ぎて、
ローマ帝国時代に吹きガラスが発明されて
ガラス芸術は花開きました。
さらにヴェネチアの国ではガラス職人たちを
ひとつの島(ムラ-ノ島)に集め、技法の拡散を防ぎ、
技量、技術の高度化を促進しました。
これがヴェネチングラスとして知られるところです。
ちょうどルネッサンスの時代ですね。
3万色もの色彩の豊かさで有名ですが、
中でもベネチアン・レッドといわれる真紅には
金・セレン・銅などが使われ、
その配合は古くから企業秘密とされてきました。
コバルトを添加すると青になるのですが、
これがコバルトブル-のいわれです。
有名な「ラグ-ナ・ムラ-ノ・グラス」で
マエストロが実演しています。
かなりのピンボケですが、
この赤い石こそ、
ヴェネチアン・レッドの原石(ガラス)です。
ヴェネチアングラスを購入しました。
手前のどれかです。
ちょっと高かったけれど、記念品ですね。
本当に美しい真紅です。
ただ蛍光灯下では黒っぽく見えます。
チェコのボヘミアングラスもすばらしかったですが、
このヴェネチアングラスもまた傑作ですね。
でも両者は全然違います。
歴史の架け橋=リアルト橋♪
ヴェネチアを二分する
S字の大運河=カナル・グランデをまたぐ
大きな橋です。
どことなく上海の水郷で見た橋に似ています。
イタリアでは「白い巨象」とも言われます。
運河を橋の上から見れば、
水とともに生きた16世紀の古人の
遠い歴史の光が向こうから見えてきます。
息遣いが裏町から聞こえてきます。
リアルト橋は歴史の架け橋ですね。
さまざまな国からやってきた観光客が
わいわいがやがや、皆思い思いに写真を撮って
笑顔を輝かせていました。
もちろん私達も、
外人さんにたくさん写真を撮ってもらいました。
お互い撮りあいできて楽しかったです。
ヴェネチアン・ソフト♪
そのまんまです。
これもなかなかの美味♪
ついでにおはぐろスパ=イカ墨スパゲッテイ。
おまけが、カプチ-ノです。
どれも本場の味ですね~(^^)♪
さらば麗しのヴェネチア~♪
さらば麗しのヴェネチア~♪
そうボ-トの上から叫んでいました。
サンタルチアを口ずさんでいました。
そこで、お聞きください、ご覧ください。
ユ-チュ-ブ:麗しのヴェニス
です。
私の写真よりずっと麗しいヴェネチアがあります^^。
イタリアはヴェネチアだけではありません。
旅はまだまだ続きます。
中部トスカ-ナ地方へ♪
バスはヴェネチアを離れ、
西へ西へと進みます。
めざすはトスカ-ナ地方。
ここにはいろんな個性あふれる都市があります。
明日はまず斜塔で有名なピサへ、
さらにシエナ色で有名なシエナへ。
さらに翌日フィレンツェへ~~(^^)。
ボロ-ニャはよらずにバスはトンネルへ~
そういえばスパゲッテイ・ボロネ-ゼって
日本で言えばミ-トソ-スですよね。
イタリアでは毎日、毎食、いろんなパスタを食べました。
どれがどれだかこんがらがりました。
正直言って日本のイタ飯屋さんで食べる
パスタの方がおいしい気がします。(^^;;;。
ピサの斜塔♪
さて、とうとうきましたピサの斜塔。
イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、
世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する
超有名観光スポットです。
この広場は通称「奇跡の広場」とも呼ばれています。
手前が洗礼堂、次が大聖堂、その奥に斜塔が見えます。
皆白い石灰岩石材で出来ています。
地上55mの高さで重量は14,453トン。
約300段の階段で上に上がるようです。
聞いただけで疲れが出てきます。
なんと傾斜という問題がおきていなければ
100mくらいの高さにする予定だったとか。
底面積=基礎に対して
重さ、高さがありすぎですよね。
ピサの歴史は相当古くて、
紀元前13世紀ごろから始まったという説もあるほど。
日本の古都奈良も京都もかないません。
その後ロ-マ時代を経て成長し、
アマルフィ共和国、ジェノヴァ共和国、
ヴェネツィア共和国とともに
イタリアの4大海洋国家のひとつになりました。
そしてピサの大聖堂が1170年代に工事がはじめられ、
約百年ごとに計3回にわたって建設されたそうです。
この工事の初期にはすでに
不等沈下による傾斜が始まったそうで、
実際実物を見ると、中央付近でわざと
塔の向きが変えられています。
それでも傾斜はとまらず、
ウィキによれば、
20世紀になってからは、
地下水くみ出しという問題もあって
さらに傾斜は進行したようです。
ついに1990年1月7日、公開を休止し、
対策工事が開始されました。
いろいろな工法が検討された挙句、
最終的には北側の地盤を掘削した結果、
当分当会の危険性がなくなったとのことで、
2001年6月16日再公開されました。
ここで必ずするのが、ピサの斜塔を
手で支えるポ-ズで写真を撮ること。
もちろん私たちも何枚も撮りました。
そしてもうひとつが
お土産店で買った斜塔形状のマグカップ。
使い勝手はいまひとつですが・・・。
ガリレオの振子♪
ガリレオ・ガリレイといえば、
世界に名高い学者です。
「それでも地球は動く。」名言ですね。
そのガリレオの生まれがピサだそうです。
そしてこのピサ大聖堂の中にあるランプが
彼に関係あるのだそうです。
もうおわかりですね、
そう、振り子の等時性です。
彼はなんと、このピサ大学在学中に
ピサ大聖堂の天井から下がっている
このシャンデリア(ランプ)の揺れを見て、
「振り子の等時性」を発見したのだそうです。
最初火をともすために大きく揺れていたのが、
次第にゆれ幅が小さくなってきても、
周期はかわらないのを自分の手の脈拍数で
知ったのだそうです。
天才は見る眼が違いますね。
このシャンデリアこそ、そのランプなんだそうです。
その後彼は25才でピサ大学の専任講師の職を得、
研鑽に励みます。
そして、かの有名な落体の法則=
「重いものも軽いものも落花時間は同じ」
をついに見出します。
ピサの斜塔から「落下の実験」を行ったと
いわれていますが、これはどうやら作り話です。
彼は自然を観測したり自然に働きかけて
自然の合理性を解き明かしていったといわれますが、
観測結果と法則の間には、
普通は大きなギャップがあります。
これを思考実験で乗り越えたというのが
特筆すべき業績ではないかと思います。
よく言われることですが、
落体の法則をピサの斜塔で実験したとすれば、
実際には軽い方が空気抵抗で遅く落ちるので、
正確に実験すればするほど、
そのままでは落体の法則に到達できないはずなのです。
それが彼にできたのは、有名な話ですが
重いものと軽い物を紐で結んで
落としたらどうなるか?この問題=思考実験を
彼が頭の中で論理的に考察した結果といえます。
(重いものが早く落ちるならば、
紐でつないだ軽いものがブレ-キとなり、
重いものと軽いものとの中間の時間で落ちるはず。
でも両者の重さの合計は
重いもの単体よりも重いのだから
中間の時間ではなくて一番早いはず???
あれれ?というような矛盾ですね。
実に巧みな論証です。)
なお補足しますと、
振り子の等時性は厳密には成り立たず、
ふれ幅が小さい場合のみに近似的に成立します。
でも、ある程度以上振れるときに
紐にさわるガイドを両側につけることによって
大きく振れてもよりよく等時性が
成り立つように出来ます。
これを見出したのはホイヘンスですが、
現代なら特許になるようなこのアイデア、
あまり一般には知られていません。
ピサの洗礼堂♪
最初の写真の一番手前にある洗礼堂の内部です。
天井が高く、たいへん反響する空間です。
ここの方がすばらしい声でデモしてくれました。
床に描かれた美しい絵。
見る人の心を優しくしてくれます。
さて、これから食事をして、
午後はシエナへ行きます。
シエナ色の街並♪
トスカナ州の三つの丘の上に広がる古都シエナは、
中世の面影をそのまま残した、イタリアの中でも、
叙情あふれる最も美しい都市の一つといわれます。
周囲を城壁に囲まれた南北約2km、
東西約1.5kmほどの小さな街で、
密集した赤茶色レンガ造りの家と、
迷路のような曲がりくねった狭い道は、
要塞堅固な城郭都市そのもの。
シエナの誕生の歴史は、ネット情報によれば、
ローマ建国の立役者、牝狼に育てられた王子
「ロムルスとレムス」の権力争いに遡るのだそうです。
壮烈な争いの結果、「ロムルス」は
「レムス」を殺して、自分の名前を取ったローマを築く。
一方レムスの子供「アスキオとセニオ」兄弟は、
トスカーナ地方まで逃げ延び、ここに国を築いた。
これがシエナの始まりだというのです。
どこの国でも地方でも家柄でも同様ですが、
「ル-ツは権威に結び付けたい」的願望の表われですね。
さて、この街はローマ時代より金融業や商業で発展し、
12世紀の頃にはフィレンツェと張合う程の
都市国家として繁栄したのだそうですが、結局敗北し、
古びた町並みが取り残されました。
今眺める風景は、時間がとまった中世の町並みに
ふっと迷い込んだような錯覚を覚えます。
この町全体を彩る独特の黄褐色+赤褐色の
色調からなおさら感じる雰囲気ですね。
この色こそ油彩になじんだ方ならご存知のシエナ色。
なんともいえないこの落ち着いた色彩の地層、
同じ統一した色彩でありながら、
少しずつ違う点描のような色彩の深い奥行き。
その色彩の違いの中に隠れていそうな物語をさがして、
画家がパレットに出した絵の具を混合しながら、
まるで色に温度や歌やささやきまであるかのように、
ああでもない、こうでもないと苦心惨憺する様子が
目に浮かぶような、そんな色に塗られた町並みです。
定年過ぎたらこういう町で、
デジタルカメラのワンショットではなく、
じっくりと絵筆を持って油絵を描いて見たい。
至福の時なのではないでしょうか。
世界一のカンポ広場♪
狭い路地を歩いて、大聖堂の前を通り、
さらに進むと広い場所に出ます。
ここは市の中心にある「世界で最も美しい広場」
と言われているカンポ広場です。
中世期の建物に囲まれた、市庁舎に向かって傾斜した、
レンガで舗装の広場です。
この広場では、毎年夏に、
荒馬競馬で有名な伝統的お祭り=パリオが開催されます。
まるで中世の絵巻物を見ているようだといわれます。
広場に面して、市役所となっているプブリコ宮殿、
ガイアの噴水、高い鐘楼=マンジャの塔などがあります。
大聖堂です。
イタリアの大聖堂ってどこも正面はよく似ていますね。
馬の首ですよね。ここに手綱をかけたのでしょうか。
おやここには競馬の絵があります。そうです、これがパリオです。
広場に出ました。これがマンじゃの塔です。残念ながら上る時間なし。
市役所の全景です。湾曲しています。
その反対側です。
こちらも湾曲していて、すこし高くなっています。
バ-ルと呼ばれるお店が並んでいます。
相変わらずここでもジェラ-トをいただきました。
見た印象では、
世界一の美しさはちょっと言い過ぎの気もしますね。
これもイタリア的話半分でしょうか。
ドラキュラも愛飲???
このまるで血のような色のジュ-スは
その名もブラッドオレンジジュ-ス。
地中海地方で栽培している品種だそうで、
おいしいし、ビタミンCもポリフェノ-ルも
普通のオレンジより豊富とか。
最初は苦手なトマトジュ-スかと思いました。
本当にドラキュラが愛飲したのは
このジュ-スだったりして(^^;;;。
ミケランジェロの丘からのフィレンツェ遠望♪
シエナからホテルへ戻る夕暮れ時に、
フィレンツェ旧市街が見渡せる丘にバスが止まりました。
「ミケランジェロの丘」です。
なかなかよい写真がたくさん撮れました。
一応景色だけの写真も撮ったのでのせます。
ミケランジェロのダビデ像が見下ろしているのは、
イタリア旅行の花=フィレンツェ旧市街ではありませんか!
イタリア旅行雑誌の顔とも言える花の大聖堂です。
>
橋に家がくっついたようなヴェッキオ橋です。
夕霞の中に浮かび上がる中世の街並み。
この地に立てた幸福感が
今も写真を見ると湧き出てきます。
無理無理にでも行ってよかった~~(^^)。
ウフィッツィ-でボッティツェッリを♪
舌噛みそう(^^;;;なタイトルです。
フィレンツェの美術館といえば、
世界最大のルネッサンス美術の宝庫、
イタリアのお宝中のお宝、
ウフィッツィ美術館。
いよいよ入場です。
場所はミケランジェロの丘から見た
ヴェッキオ橋の右側に見えていた建物です。
以降は館内の写真撮影厳禁であり、
デジカメを没収されたらかなわないので、
写真はありません。
日本の戦国時代にあたる
1559年にジョルジョ・ヴァザーリが
ヴェッキオ宮殿に作ったU字形の官公街
=オフィスが美術館の原型です。
Uffiziは英単語officeの語源ですね。
歴代メディチ家のお宝美術品を所蔵。
その後他の作品も加わり、
現在では約4800点が所蔵され、
そのうち約2000点が
展示されているのだとか。
なんといっても
ボッティチェッリ、レオナルド、
ミケランジェロ、ラファエロら
イタリアルネサンスの
巨匠達の作品が見ものです。
ウィキによるボッティチェッリのプリマヴェ-ラの解説
です。
夢にまで見た
「ボッティチェッリのプリマヴェ-ラ」
が眼の前にありました。
等身大の大きな作品です。
「ビ-ナスの誕生」もあまりに有名ですが、
私はこのプリマヴェ-ラ=春の方が好きです。
ガイドさんが「見たい作品は何ですか?」
と入る前に全員に聞いたので、
私は「やっぱり、春ですね!」
とついつい言ってしまいましたが、
答えたのは私だけでした。
そのおかげなのかガイドさんの説明を
私は半分独り占めできました。
レオナルドダビンチの作品もいくつか見ましたが、
何といってもボッティチェッリですね!!!
子供のころの美術の教科書にも載っていた
このプリマヴェ-ラ=春と対面したひと時、
まさに至福の時でした。
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