没問題(めいうぇんてぃ)

没問題(めいうぇんてぃ)

天使


つわりもなく、むくみが気になることと 塩分水分制限がでていること以外に 問題はなかった。
すべてが 「順調」 に進んでいた、はずだった。
あと数日で臨月に入り、入院準備もほぼ済ませたある日のこと・・・・・


7月8日(35週3日)

前日から胎動が少ないので、気になっていたが、今朝もない。
出産が近くなると 胎動が少なくなる とは聞いていたけど、
なんとなく「いやな予感」がしていた。
夫は「気になるなら病院に電話して聞いてみたら?」といって仕事に行き、
私はおなかに呼びかけたり、おなかの前で手をたたいてみたり、聴診器を当ててみるがどれも反応なし。
だんだん焦ってきて 病院へ電話すると、「心音を聞いてみましょう、すぐに来てください」

タクシーで病院につくと、すぐに看護師さんが機械をつけて心音を探すがみつからず。
婦長さんにも探してもらったがわからず、「先生にエコーで診てもらいましょう」
先生はエコーの画面を見たとたん、険しい表情になった。「赤ちゃんの心臓が動いていません。詳しい説明をするので ご主人を呼んでください」

私は何が起こったのか わけがわからず、でもなんとか夫と実母に電話をかけ、来てくれるようたのんだ。
夫は仕事を抜け出して来てくれ、もう一度エコーを見ながら先生の説明をきいた。
途中で泣き出してしまった夫とは対照的に 私はなぜかとても冷静で
「原因は赤ちゃんを出してみないとわかりません」
という先生の「出す」という言葉に (あぁ、やっぱりもうだめなんだな)とぼんやり考えていた。

私は隣の内診室で 子宮口を広げるためにバルーンを入れられた。
病室へ行き陣痛を促す錠剤を一時間おきに飲んで、陣痛が強くなるのを待った。
母と夫が一度家に帰って 入院の準備をしてきてくれた。

その日は病院の許可がでたので、夫がずっとそばについていてくれた。
10分おき、5分おき、3分おきとだんだん陣痛の間隔が短くなってきていたが、寝る角度を変えたら、また遠のいてしまい、朝が来てしまった。


7月9日(35週4日)

朝食後、しばらくしてLDR(分娩室)に行き、おなかの張りをみる機械をつけられ、陣痛を強くする点滴を入れられた。
なかなか陣痛が強くならないので、先生が破水させましょうといって、破水させた。

お昼前、隣の分娩室で お産が始まった。
「んー、痛い痛い」  「もう少し、がんばって!!」 
     「おぎゃー」   「おめでとうございます!!」

(私の赤ちゃんは生まれても泣けないし、おめでとうも言ってもらえないんだ)
そう思うとすごく悲しくなってきて、涙が止まらなくなった。
何のために私はこんなに痛い思いをしなきゃならないんだろう。と。
その後すぐに婦長さんが来て「辛いのにごめんね ごめんね」と背中をさすってくれた。

昼食後 陣痛が強くなり、痛さと悲しさで もう何がなんだかわからなくなってきたころ、赤ちゃんは産まれた。

14時40分 第一子男児誕生、2350グラム 47センチ

私の赤ちゃんはすぐに別室に連れて行かれ、私は処置をうけた。
へその緒と胎盤には異常が見られなかったので、結局原因はわからない、とのことだった。
「赤ちゃんに会いますか?」と聞かれたので「はい、会わせてください」

赤ちゃんは すでに白い紙の棺に入れられており、白いガーゼがかけられていた。
普通の生まれたての赤ちゃんのように 赤くて、眠っているようにしか見えなかった。
目は大きく夫に似て、眉と鼻が私にそっくりのかわいい男の子。
私は涙が止まらなくて「かわいいね」という言葉しか出なかった。

その後は 病院から業者に預けて 火葬してもらうことになり、その方法だと骨は残らない と言われたので、髪の毛を少し分けてもらった。

疲れていたのか 夜は少し眠ったような気がするが 目が覚めるたび、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて辛かった。


7月10日

昨日のことが まだ信じられず、ぼんやりとした感じで
おなかを触るとぺちゃんこになっていて、「あぁ、赤ちゃんはもうここにはいないんだ・・・・・」
ひどかった浮腫みが うそのようになくなっていて、
「もしかしたら赤ちゃんが あなたを助けてくれたのかもしれないね」と母に言われた。

10時ごろ 赤ちゃんに最後のお別れをするので、ベビー服など用意してるものがあれば着せてお別れしましょう と言われ、
退院用に先週買ったばかりの白いベビー服を持ってきてもらった。
少しブカブカのベビー服とたくさんのお花に包まれた赤ちゃんは やっぱり すやすやと眠っているようにしか見えなくて、
でもその頬や小さな手は すごく冷たくて、
「ごめんなさいね。いままでありがとうね」と言ってお別れした。


7月11日

お葬式
私は病院で留守番していた。ちゃんとお経を上げてもらい、戒名もつけてもらったそうだ。
つける予定だった名前 「輝(ひかる)」 と言う文字も入れてもらった。
夫が焼香するとき「ママのお腹、気持ちいい」という声が聞こえたそうだ。

私は廊下にでるとほかの赤ちゃんを見てしまい 辛いので 一日中病室にこもっていた。
看護士さんたちも私が部屋の外に出なくていいように気を使ってくれて、助かった。


数日間何もせず ただぼんやりと外を眺めたりしてすごした。


7月14日

退院 
家に帰ると、髪の毛を入れた小さな壷と、位牌があって、また泣いてしまった。
病院では 泣いても 絶対に声を出さなかったのに、このとき初めて 声を上げて泣いた。
ごめんなさい、もっと早く気づいて 病院にいってたら あなたは助かったかもしれない。
私が全部悪いの。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
夫は「違うよ。誰も悪くないから」と背中をさすってくれた。

その後は実家で過ごしている。
家族がいるときは 気を使わせたら悪いと、明るく振舞っているが、昼誰もいないときや 夜中、泣いてばかりいる。


7月18日
病院からもらっていた 母乳を止める薬が切れて 2日、胸が張って痛い。
飲んでくれるわが子はもういないのに、と また泣きながら胸を冷やした。


あの子がお腹の中にいた9ヶ月間、毎日とても幸せだった。
「お腹の中で亡くなった子は 神様のところに忘れ物を取りにもどったんだよ」と言う言葉を どこかで見た。
もう神様のところに着いただろうか?
今度は忘れ物しないで ちゃんとママのお腹に戻ってくるんだよ。
ママ がんばって 早く元気になって、待ってるから。

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