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kasa
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 私の手には、彼の手の感触が残っていた。

 実は私は手をつなぐのが得意ではない。
 変な言い方だが、嫌いなわけじゃないけど苦手なのだ。
 私は小さい頃からなぜか手にもの凄い汗をかく人で、そのためいろいろといやな思いをすることも多かった。
 子どもの頃、体育の授業や運動会でフォークダンスなどをするとき、必ず私と手をつないだ人は言った。
「や~、手に汗かいてる、気持ち悪い~」
 だから、私が手をつなぐのは、本当にちょっとやそっとのことで関係が歪んだり壊れたりしない・・・と確信できる人とだけだった。
 親とか兄弟とか親友とか・・・

 私はそのことを彼に話したことがあった。
 彼は知っていて、私にしっかりと握手をしてくれた。
 私はそれを、彼からのメッセージだと思った。
「これまでのことを通して、俺たちの関係はちょっとやそっとで壊れるようなものじゃなくなったよ」
 そう伝えていると感じた。
 友達として。
 彼の相談相手として。

 K君と彼の関係は、ひとつの終止符を迎えたように感じていた。
 私はとても疲れていた。
 私はやっぱり、彼のことが好きだった。
 だから、その自分の気持ちを押さえ込んで、彼の相談に乗り続けるのは、もうそろそろ限界だと感じていた。
 私が、もしも彼のことを好きだと告白したらどうなるだろうか?
 自分が好きな相手が、他の人を好きだ・・・とか、しかもその好きな相手が男性だ・・・とか、聞いて嬉しい人がどこにいる?
 もし私が告白したら、彼はこれまでK君のことを私に相談していたことを悔やみ、そういう話を私にすることを止めるだろう。
 そしたら、彼はそういう悩みをどこに持っていけばいいんだろう?

 そう思ったからこそ、私は自分の気持ちを押さえつけ、彼の相談に乗ることにしたのだ。
 これで、一山越えた・・・これで、しばらくして落ち着いたら、「K君のことを相談する相手」としてではなく、「一人の女性」として、彼の前に立ちたい。
 そう考えていた。
 12月30日はつらい夜だったけど、たぶん私は内心でほっとしていた。

 でも、そんな風にほっとできたのはつかの間のことだった。

 年を越して1月4日。
 その年、私は大学院を受験することになっていて、勉強するために実家には帰らなかった。
 夜遅く、勉強していると電話が鳴った。

「あ、もしもしうっどちゃん?」
「うん」
「あけましておめでとう」
「あけましておめでとう。今年もよろしくね。」
「こちらこそ。ところでな、新年早々悪いんやけど、オレまたえらいことになってんねん」
「ん?えらいこと?」
「昨日な、うちにKが来てん」

 !

「・・・え、えー?」

 次の言葉が見つからなかった。
「どういうことやろ。オレ、あんときはっきりと、もう来んといてくれって言ったよなぁ」
「・・・うん、言った」
「何で来るんやろ・・・」
「・・・」
「しかも、全然何も無かったような笑顔で、おめでとうございますって、酒持って来てんで」
「・・・うそぉ」
「もう、オレショックやった・・・」

 私もショックだった。
 一山越えたと思っていたのは、本当は山ではなかったんだ。
 もっと大きな山の中腹の、ほんのわずかなでこぼこの一つを越えたに過ぎなかったんだ。
 私は、「自分の思いを置いておいて、彼を支える」という決心をしたことを、少しずつ後悔しはじめていた。

 考えて見れば、男が男を好きになるっていうことは、男としての自分のアイデンティティーを根本から覆されかねない問題だ。
 社会的な偏見も大きい。
 その中でも、自分の中のそういう面を認め、その上で自分のアイデンティティーを構築していくのは、並大抵のことではない。
 もし、自分のそういう面を認めて、抱えて生きる決意をすることができたとしても、今の日本は彼が生き抜くにはあまりにも窮屈な、偏見と風潮と常識と情報に溢れかえっている。

 さらに、彼はK君に自分の気持ちを打ち明けた。
 K君はまた、ココロが傾いでいる人で、私はそのエキセントリックさに惹かれて付き合い始めたが、そのエキセントリックさに耐え切れずに別れることになった。
 K君が関わってくれば、これからもっと彼を混乱させることが起こり得る。

 これは私の手におえる山ではない。
 ちょっとした感傷や、同情でいい加減に登り始めたら大怪我をすることになる。
 もしこれからも彼を支えるのなら、それなりの覚悟を持たなければならない。
 行くか、戻るか・・・。

 そして、私は「行く」道を選んだ。
 どうしてだろう?
 理由は今でもわからない。
 若かったからだろうか?・・・いや、違う。
 彼のことがそれだけ好きだったから?・・・いや、それだけじゃない。
 何か、自分でもよくわからない、自分のもっと深いところが、「行く」道を求めていた。
 ここで行かなければ、きっと一生後悔すると。

 そして、私は彼の話を聞いた。
 もう疲れはなかった。
 この年も、結局、K君の話で幕が開いた。



(5) へつづく


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