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サイパンから帰還してもう3日経った。片付けやクライアントとの打ち合わせ、ハローワーク訪問であっという間に過ぎてしまった。う~ん、何だか最近、時間をコントロールできていない、そんな気がする・・・そんな中今日は、サイパン土産(GODIVA)を手に東京の母(以下、ト母さん)の元へ来訪。彼女は、一番最初の会社の同期のお母さんだ。歯医者さんを旦那さんと一緒にやっており、同期のよしみで友人達と安く診て頂いてからのお付き合いだ。と言っても、そんなに連絡を取るわけでもなく、今日は約1年ぶりくらいに顔をあわせる。「忘れられてないかな・・・」と思いつつ診療所のドアを開ける。すると受付には、見慣れた顔が。そして、以前のように、笑顔で迎えてくれた。お土産を渡し、近況報告をする。「アンタまた会社辞めたの?しょうがないわねぇ」いきなり怒られる。うひゃぁ。でも、自分が本当に欲しいもの-お客の喜びと儲けの両立-を得るための決断だと話すと納得してくれた。「ったくウチの息子どもは、いい加減なんだから」苦笑いしつつ、ト母さんはそう言った。ちなみにト母さんには息子はいない。女系家族なのだ。(だからお父さんの肩身はとても狭そうだ)つまり「息子」とは、僕や他の人達に対する言葉なのである。・・・何だか、嬉しいじゃありませんか。「息子」だなんて。こういう人がいてくれたからこそ、俺はこんなに好き勝手やれているんだろうなぁ。自分自身の小ささと頂いている助けの大きさを改めて知った一日だった。今度は検診でうかがいますね、ト母さん。そしてお帰りと言ってくれた皆様、ありがとうございます。写真、きれいにアップしますね。気に入ってくれた写真がありましたら、元データも差し上げますので、ちょっとだけ楽しみに待っててください。「写真家になったら?」というお世辞に本気で悩んだ(笑)蒼烏龍でした。ちなみに明日は成田へ取材にいきます。朝早いけど、笑顔、笑顔で、頑張ります。皆様も、よい日曜を、お過ごしくださいませ。
2004年07月03日
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ただいま、日本に、横浜に、戻ってまいりました。先日の日記では「月曜日に」なんて軽々しく書いていましたが、26日晩からサイパンに台風7号、8号が襲いかかり、結局3日も飛行機が欠航してしまいました。自然って、怖い!詳細については、改めて、ご報告させて頂きます。かな~り、いい写真が撮れましたぜ!お楽しみに!・・・今日は休みます・・・すみませzzz・・・
2004年06月30日
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あ~、焦った・・・実は、今、旅行の支度をしている。というより、もうすぐ家を出なければいけない。しかし、無いのです。パスポートが、無~~~い!!!と思っていたら、一番最初に探した引き出しの他のファイルに挟まって隠れているのを発見!・・・手間取らせやがって・・・という訳で今、急ピッチで作業を進めているのです。今回の行き先は「サイパン」常夏の島である。・・・というか、それしか、知らない。サイパンに行く目的は「スキューバダイビング」。ダイビングライセンスを取得するのであります。今回僕が取得するのは最下層の資格なのですが、上級のものになると、人に教える事が出来ます。実は、僕、ちょっと夢があるんです。それは、かなづちの両親と海に潜ってみたいのですよ。仮にも水球で国体出場経験を持つ僕を産んだ両親が泳げないなんて・・・もったいないじゃあないですか。ねぇ。後、両親以外でも、色々な理由があって、水に入れない人にきっかけをあげられたら・・・なんて、偽善ですかね。とにかく、楽しく、真剣にやってきます。ああ、4時過ぎちゃった・・・行かなきゃ。た~くさん、土産話持って帰ってきます。次にお会いできるのは月曜日です。それまで皆さん、ごきげんよう!南の島でも笑顔、笑顔で、頑張ります!蒼烏龍でした。
2004年06月22日
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今日は、2週間ぶりにhp作成のミーティングがあった。六本木16時。行ったはいいが、暴風雨。傘が全く役に立たない。ある程度hpも形になってきたので、いよいよ細かい内容の打ち合わせに入る。どんな人にどんなサービスを提供してどうなってもらいたいのかを中心において、hpに乗せるキーワードを考える。思った以上に難しい。何を出しても何となく、陳腐に感じてしまうのだ。焦らず、煮詰めていくしかないのかな。広告とかをお作りになっている方(コピーライターさんとでも言うのかな?)はどういう風に売り文句を作っているんですかね・・・帰りの電車の中で、雨で少し湿った本を読んでいた。そこに、こんな一文があった。「人生において、全ての人との出会いが、何らかの意味を 持っているのです」・・・そうかもしれない。今まで出会った男性、女性、先輩、後輩、どの人が欠けても今の自分は存在しなかった可能性がある。思い出したくない人もいる(笑)けど、それこそが自分の経験値なのだろう。そう思うと、嫌な事があってもそれこそが自分の人生の糧となると思える。かなり深い本なので、また改めてレビューをします。「人との出会いは必然」ならば、自分はその人に何が出来るだろう?自分はその人の人生にとって、どのような役割を担えるのだろう?もっと、もっと、真剣に考えたい。それこそが、自分の今すぐ出来る事なのだから。そして、願わくば皆でこの社会を少しでも良くする事が出来れば、最高ですよね。よ~し!何だか勇気が沸いてきたぞ!!!でももう3時だから、そろそろ寝ようかな(笑)雨ノ日モ、風ノ日モ、暑イ日モ、寒イ日モ、暗イ日モ、明ルイ日モ、全部アルカラ、大イナル自然ハ、健ヤカニ、健ヤカニ、育ッテイル。ソンナ自然ノヤウニ、ワタシモナリタイ。(宮沢賢治氏の「雨ニモマケズ」の真似。一応創作)明日も笑顔、笑顔で、頑張りましょう。蒼烏龍でした。
2004年06月21日
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10日位振りで、ネットを開いた。なんだか浦島太郎になった気分。毎日メールマガジンや日記を書いたりしている方はホントすごいなぁ。でも今週は頑張った。面白い人と会えたし、新しい仕事ももらえたし、すごい話も聞けた。めちゃくちゃ心の栄養になった。でも、やはり体調には気をつけんといかんですね。毎日コーヒー(ブラックで)を1リットルくらい飲んで、3~4時間くらいしか寝てなかったら、(しかも布団ではなく、机で)さすがにノックダウン。当たり前か。特に紫陽花を見てやる気を燃やしただけに反動がすごかった(笑)目の下が、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジョニー・デップみたいになってたもんな・・・あ、「目の下」だけですよ。ファンの人、怒らないで下さいね。という訳で、せっかくなので今週あったことをまとめてみよう。6月14日(月)横浜から埼玉県川越市まで遠征。とある中古車サービス会社の社長さんとお話しする。そしてHPの作成依頼を頂いた!自分なんかに依頼を下さるなんて、とても嬉しい。よーし、やるぞー!6月15日(火)頂いた依頼に早速取り掛かる。まずはtopページの構成を決めなければ。多くない知識をフル稼動させる。6月16日(水)知り合いと夕食。知り合いが友達を連れてきた。その方は元銀座ナンバー1ホステスさん。たしかに立ち居振る舞いが只者ではない。そして言動も「最近、女性が強くて男が弱いと言われているのは 男のベッドテクニックが下手になったからよ。 男はもっと女性を悦ばせる事を考えるべきね。 だいたい、ベッドの上では99%の女性は演技してるんだから」・・・肝に命じます。99%・・・ホントだとしたら、とても申し訳ないことしてたんだな・・・俺って(笑)6月17日(木)来週実施されるダイビングライセンス取得試験の課題問題を解く。200ページのテキストと10ページの問題集。そして2時間のビデオテキスト。「海の男」としてはそんなに難しくは無かったけど量が・・・ね。なかなか、おなかいっぱいだ。頭が痛い・・・知恵熱か(苦笑)6月18日(金)朝からインターネットマーケティングの勉強会に出席。すごく密度が濃い。これをものにしたら絶対自分の売りになるだろう。そして、月曜に依頼を頂いたhp作成の初期デザインをチェックし、お送りする。色々ご意見を頂いて、いい物を作りたい。6月19日(土)金曜の復習をしようとしたが、恐ろしく体調が悪く、なくなく休息をとる。え?38度??こんな時、ひとり暮らしはホント寂しい。そして夜は先日の日記にもあった古市さんとそのお知り合いの方々と食事。いやぁ、すごくいい話が聞けた。あまりにも集中して聞いていたら、自分ひとりだけ終電に逃げられちゃった。仕方ないので、始発まで飲み明かす。体調は・・・気にしない、気にしない(一休さん風)6月20日(日)帰ってきてバタンキュー(死語?)気がついたら20時こ、腰が痛い・・・でも桜庭・吉田・小川が揃って勝ったから我慢しよう・・・なかなか、もりだくさんの1週間だった。そりゃ、体も壊すわけだよ。心・技・体のバランス。これが整ってなければ、いい仕事、いい人生は得られないって事がよくわかった。と言うより、もう若くない・・・のかもしれないな・・・気をつけなくては。みなさんも、頑張りすぎには、気をつけてくださいね!さあ、新しい週が始まります。お互い笑顔、笑顔で、頑張りましょうね。
2004年06月20日
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「ぶらり一人旅」のお時間がやってまいりました。今日の旅人は、笑顔が大好き、蒼烏龍です。さあて、どこで何に出会えるでしょうね?蒼烏龍です。こんにちは。今日は北鎌倉にやってきました。紫陽花で有名な「東慶寺」「明月院」を回ってみます。いい絵が撮れればいいですね!それでは、行ってみましょう!・・・ご興味のある方、詳しくは「目の保養」をご覧くださいませ。いやぁ、家から電車で30分圏内の所に、こんなにいい場所があるなんて思ってみませんでした。最近色々忙しくて、自然を愛でる余裕が無かったので、すごくいいリフレッシュになりました。また機会を見つけて、歩いてみたいですね。明日から新しい週が始まりますが、笑顔、笑顔で、頑張りましょうね。蒼烏龍でした。それでは。この番組は、ごらんのスポンサーの提供で、お送りいたしました。
2004年06月13日
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最近すごく忙しかった。サラリーマンの頃より帰るのが遅いくらいだ。と言っても、遊び歩いているのではなく、ボランティアでアルバイトのようなものをしたりしているのですよ。詳細については別の機会にするとしまして、まあ、そんな訳で、たまにはいいかと思いまして、昨日飲みに行ったんですよ。渋谷にある、とても特徴のあるダイニングバー。知り合いがいるときが多いので、だいたいはひとりで行くのですが、案の定いました、いました。今日は3人。飲んで、食べて、楽しんで、相変わらずいいお店。こういうお店、やってみたいなぁ・・・なんて思ってたら、隣に座っていた知り合いから「今思ったんだけど、蒼烏龍くんさぁ、デブだよね」・・・・・・・・・・・・・・・え?確かに、学生時代よりは太っているが、そんなに目立つのかなぁ?と思っていると、他の知り合いにも「うんうん、ていうかfatだよね」「ホントだ、fatだ~」「10kgやせたらすごい男前になるよ」・・・10kgって、58kgかよ・・・「けなしてる訳じゃないのよ。だって、やせたら男前だもの」「うんうん、そうだよ。男前だよ」く・・・悔しい(笑)という訳で、体を絞る事にしました。確かに、昔は腹筋が6個に分かれていたのに、今は3段だもんなぁ・・・何かいいダイエットを知っている人がいらっしゃったら是非教えてください。ぜったいキレイになってやる!(ってCM、昔ありましたよね・・・)明日も笑顔、笑顔で、頑張りましょうね。蒼烏龍でした。
2004年06月12日
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今日、久しぶりに遠く離れた友人と話をした。彼女は、以前色々あって、とても傷ついていた時期があった。もともと優しくて、感受性豊かだった事もあり、その傷は、深く、深く、彼女を蝕んでいた。「元気でやってるかな、大丈夫かな」そう思って(他にも用はあったのだが)電話したのだが久しぶりに聞く彼女の声は、電話越しだったせいもあったのかもしれないが、以前と違い、とても張りのある、明るい、魅力的な声だった。話を聞くと、今は仕事も、家庭もうまくいっていて、好きな人もできたということだとか。こういう女性を、僕は「女前」と形容している。意味は、「男前」の女性版であるが、僕の解釈を加えると、辛い時期に耐え、自暴自棄にならず、それでも周りの人を愛し続け、その結果、幸せを掴む。そういう女性を指す。見た目だけで、思いやりの足りない女性と比べ、中身がしっかりしている彼女の魅力は、何とも比較できるものではない。もちろん、これは男性も同じだ。こういった「女前」の女性を幸せにし、一緒に幸せになれるのは、同じくらい「男前」な男性に他ならない。僕を含めた世の男性よ、今こそ立ち上がるべきなのではないだろうか?既に出会っている、もしくはこれから出会うであろう、愛する人のために。・・・偉そうにごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。まず僕自身、頑張ります。女前な女性に高く売れるように(笑)●●ちゃん、この女前!幸せに、なるんだぞ。明日も笑顔、笑顔で、頑張りましょうね。それでは。
2004年06月10日
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大きな戦いを乗り切った今日、僕はまた素敵な経験をさせて頂きました。19時10分前、僕は品川の隣の大井町の駅に立っていた。ある方の講演会に出席するためだ。その方は「古市 佳央」さんという。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、古市さんは16歳の時、バイクの事故で体中に大火傷を負って生死の境を彷徨い、何とか助かった後も、鬼ばかりの渡る世間で辛い思いをされ、それでも一生懸命頑張られて今は中古車を扱う会社を経営されている。(詳しくは、著書「這い上がり」もしくは「君の力になりたい」をご覧になってください。)そんな古市さんのお言葉で、印象深いものがあったのでここで紹介させて頂きます。「事故の後、手が不自由になって、今まで当たり前の 様にできていた事がどれだけありがたかったかが よくわかりました。」「辛くても、負けずに笑って頑張っていたら、 いつの間にか周りはいい人ばかりになっていました。 笑う事は、とても大切な事なんです。」「あの時、死なずに生きていられたから今がある。 たくさんの人に出会えたお陰なんです。」「色々辛い事は今でもありますが、それでも、 事故当時と比べたら全然マシです。 今は、当たり前のことに感謝できるし、 優しい気持ちを持つ事もできるから。」「事故に遭った4月2日は今や幸せの記念日です。」 「今、もし事故以前に戻れたとしても、 戻りたいとは思いません。それは、今の自分を 受け入れられているからです。今の自分にしか できない事があるんです。」・・・すごい人です。「捨てる神あらば、拾う神あり」「人生万事、塞翁が馬」こんな言葉があるが、全く、その通りですね。人生に無駄な事は無い。どんな事でも。僕自身、それを痛いほど感じています。そして、それを解らせてくれたのは、自分を助けてくれた、多くの方々なのです。その方々に恩返し出来る様、一層頑張ろうと誓った夜でした。でも、僕は、戻れるものなら、戻ってみたい。・・・なんて言ってちゃ、まだまだですね。古市さんの様に、明日も笑顔で頑張りましょう!(このフレーズ、頂きました! 古市さん、ありがとうございます!)
2004年06月09日
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みなさま、こんばんは。ニュースのお時間です。本日、蒼烏龍氏(28歳・独身)が人事部長と講和会談の場を設けました。当ニュースでは、その模様を独占中継いたします。・・・つまらないですか。すみません。では、いつもに戻します。気を取り直して、本日、行って参りました。敵国首都へ!そして、話して参りました。人事部長と!今回僕は、新兵器「ICレコーダー」を持参しました。これで「言った・言わない」がなくなるぞ。お互い挨拶をし、それを取り出した瞬間、相手の目が一瞬泳いでました。ふふふ。そして、話し合いが、始まりました。まず、向こうは、僕が上司との合意の上で退職したと主張し、自己都合ではないかとの見解を示しました。それに反して僕は、退職そのものは自己都合だが、きっかけは社内の問題であり、かつ退職時期、有給等の条件で、会社の言う事を聞いた結果の退職であり、よって合意ではなく、自己都合でもないとの反論を展開しました。最初の合意を諦めた相手が次に切り出したのは「でもさ、このままこじれたまま退職すると、 お互い悲しいよね」と、感情的に展開を開始、当然自分もそれには同意します。が、納得はしない。退職時期も、有給取得も、そちらの言いなりなのだからとの主張を繰り返した次の瞬間、相手から出た言葉は「なんだ、君は、お金がほしいの?」おいおい、開き直ったよ。そりゃ、無いよりある方がいいじゃないですか。ねぇ。それを告げると、相手は次の論理を展開しました。相手「お金を払うのは我々としては問題ないんだよ。 でもさ、こういう辞め方は、 今後の君の経歴に傷がつくよ」蒼「どういうことですか?」相手「次の就職の時にさ、興信所とかに調査されたら 発覚するかもしれないよ」蒼「今回の件に関して、会社は何か 記録を残されるのですか?」相手「我々は何もしないよ」・・・じゃあ、どうやって興信所は調べるんだろう?ふ・し・ぎ・ですね。相手「でもね、ウチの会社で今まで有給を全て取得した人は いないんだよね」・・・それは今回の件と何か関係が・・・???で、会談の結果、自己都合を退職理由とする代わりに有給は全て取得する事になりました。(本当に、会社がそうしてくれるかは不明だが)そこで終わればいいのに、相手の一言。相手「何で最初のときに要求しないの?」・・・しましたよ。すごく。でも人をコストとしか見てない様な言われ方をしたら厳しいでしょ。そう伝えると、相手「それは、管理職としては当然の事だよ」さすがに、カチンときた。蒼「おっしゃる事はその通りだと思います。ただ、 それは自分との面談の時に話すべき事なのですか?」相手「・・・・」僕が知るSEの人達には、こういう人が多い。言っている内容はもっともなのだが、それを言うべき時をわかっていない。言い換えると、IQはとても高いが、EQはそれに反比例してとても低いのだ。技術といったデジタルな面だけではなく、思いやりというアナログな面での向上を、切に祈っている。という訳で、ここで第二次退職戦争は停戦条約が結ばれました。今回の戦いは、ある意味仕方が無かったとは言え、やはり争いは、終わった後空しいものです。でも、今回のこういった交渉(のようなもの)を経験できた事は、個人的にはプラスになりました。そういった意味では、ぶちょう方には感謝しています。管理職の皆様、ありがとうございました。そして、見守り続けてくださった皆様、こうして無事に還れたのも、皆様の励ましのお陰です。ありがとうございました。
2004年06月08日
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今日も六本木にてミーティング。オーナーのU氏と話し合いを進める。彼も、僕も、根っこの部分は似ている。「どうやれば、もっとお客さんは楽しんでもらえるか」彼はお店のサービス(お酒と料理)で、僕は、HPのサービス(情報)で。WEBのようなデジタルなもので、お客さんになる人の心をどう揺さぶり、笑顔の種を植え付けるか、考えると、とまらない。難しくて、頭がパンクしそうになる。でも、不思議な事に、とても楽しい。梅雨のジメジメも吹っ飛んで、気にならないくらいに。これから、もっとがんばらなくちゃ。-----------------------------------------------さて、お待ちかね(そんな人いるかな)の第二次退職戦争の続報である。本日昼、メールが届いた。敵さん(人事部長)からだ。「明日の朝いちに、私と君の上司と、三人で話し合いたい」ほほう、会談の場を持つか。丸め込むつもりだな・・・●泉と金●●の会談以上に歴史的な会談が、明日、執り行われる。さて、見えるは平和か、それとも・・・明日をお楽しみに(誰かひとりくらいはお願いします!)
2004年06月07日
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今日、僕、はじめての体験をしてしまいました。何かというと「プロによる占い」です。期待してた人、本当にごめんなさい。まじめな話、今までプロの方から占いというものをして頂いた事が無いのである。せいぜい友人同士の血液型占いと、朝のテレビの星座占いくらいだった。その方は、僕の友人の友人という事であったが、最近売り出し中(?)の要潤に似ているどちらかと言うと「二枚目」の方だった。占いは「タロット」うぉぉ、神秘的。占って頂く前に、どの分野で占ってほしいかという事と、それに伴う自分のバックグラウンドを話す。僕はもちろん「仕事について」だって、失業中だから(笑)並べられたカードを自分でシャッフルし、適当に言われた場所へカードを置いていく。そして、その裏返しのカードをひっくり返してそれらのカードについて語って頂いた。結果はともかく(笑)色々考えさせられた。こう思われる方もいらっしゃるかもしれない。「占う前に、自分について話したんでしょ?だったらそれに関連付けてどうとでも説明できるんじゃないの?」と。確かにそうかもしれない。でも僕は、僕が無作為に選んだカードの組み合わせの不思議さに正直心を奪われていた。偶然とは、とても思えなかったのである。この世には、目に見えないもの、耳に聴こえないもの何らかの、「感じることしかできるもの」は存在すると僕は思っている。優しい人と一緒にいると自分も優しくなれるような気がするでしょう?あんな感じです。その方は、そういう何かを、感じ取れる方なのかもしれない。とても、素敵な、経験だった。本当に、ありがとうございました!また色々お話してくださいね!
2004年06月06日
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先日、退職に伴う会社の自分に対する姿勢についてお話し、色々な声を頂いた。自分としても完璧に納得の行く結果ではなかったが、そこまでこだわる気も無く、「これにて一件落着」になると思われていた。しかし、これは、ほんの序章に過ぎなかったのである・・・今朝方、人事部長から連絡があった。彼の話はこうだ。「退職の時に書いた書類の退職理由欄に『仕事の方向性が合わないため』にチェックされているけど、この前の面談では、そんな事言ってなかったじゃない。『自己都合』に書き直してよ」・・・そうきたか。実は、面談の時、僕は『会社のベクトルと自分のベクトルが違っていると気づいたのが退職のきっかけです』とはっきり言っているのである。しかし、これは「言った、言わない」の水掛け論に過ぎず、全く建設的ではない。そこで自分は、こうメールをした。「水掛け論になってしまうのは嫌なので、事実を簡潔に申し上げます。先日、上司に呼ばれ、私が希望している退職日をコストを理由に前倒しされ、有給も取得しないよう言われましたが、有給は4分の1のみいただける事になっています。もし、『自己都合での退職』としてサインをさせたいのなら、有給を全て取らせて下さい」傍若無人と言われても仕方ないと思う。ただ、正直もう、うんざりしていた。なんだ、こいつら。何言ってるんだ?と。ここまでのやり取りが終わったのは13時のことである。同時に「8日に職安に行くので、それまでに結果をお聞かせ下さい。この件については行政書士に聞いていますので、私に違法性は無いと思います」とも書いて差し上げた。我ながら、何ていやらしいのだろう(笑)結局、返事は来なかった。月曜にどうなるか、楽しみだ。皆さん、期待しててくださいね~!------------------------------------話は変わるが、今日は所用で有楽町に出かけてきた。有楽町駅の改札口の近くで「雪苺娘」という「雪見●いふく」のようなお菓子を買おうとした。嫌な事もあったことだし、少しは甘いものでも食べようとひとつ注文した。店先に、こんな一文があった「この店は、耳の不自由な人が働いています」ほほう、そうなのか。ちょっと驚いた。しかし、自分の買う番になって、もっと驚いた。素敵なのである、その店員さん。その方は、見たところ40~50代の女性なのだが、笑顔が本当に素敵なのである。「商品の確認をお願いします。こちらでよろしいですね」「紙袋でよろしいですか?」「ありがとうございました」これらのやりとりが、言葉無しで、伝わってきた。言葉がない?そんなことは問題ではない。必要なのは、やはり心なのだ。それを強く感じたひと時だった。教えてくださったあの店員さんに、心から感謝したい。ありがとうございました。
2004年06月04日
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今日は、知り合いのバーのhp立ち上げの打ち合わせに六本木に出かけた。いつも六本木は夜に行くので、歌舞伎町とはまた違った毒々しさ、艶かしさのイメージが強かったのだが、昼間はまた全然違う、普通の街並みだった。ナンパ、呼び込み目的の外人もおらず、着飾った女性達もホスト風の男性もいない。ある意味すごく新鮮さを感じて楽しかった。なんと言うか、叶姉妹のすっぴん姿を見たような気分だ。(叶姉妹ごめんなさい)そしてバーのマスターと打ち合わせ。このバーのマスターは人気脚本家の三谷幸喜を「少しだけ」ふくよかにした感じの人である。とても人のいい、優しいマスターだ。そんなマスターが店について、お客さんについて熱く語るのを見て、聴いていると、とても楽しく、かつ熱い気持ちになる。「この人と、この店に来るお客さんのためにも俺はやるぞ!!」そんな気分になる。サービス業って、やっぱり、いいもんだな。やはり「人の役に立っていることを実感できる」のは最高に気持ちがいい。と、いう訳で明日は「検索エンジン対策」についての勉強会に出席することにした。もっともっとスキルを磨いて、もっともっと俺を頼ってくれる人達の役に立てるようにしたい。こういう人と仕事をするのは本当に幸せだ。不思議な縁での出会いに心から感謝したい。
2004年06月03日
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先日、PCのセットアップをしていたらいつの間にか外が明るくなっていた。燃えるごみの日であった事もあり、ごみを捨てに行きがてら散歩をすることにする。最近雨がちでじめじめとした気候であったが今日はとてもいい。清々しいスカイブルーの青空が、ごみ袋片手の僕を迎えてくれた。空気も涼やかで、呼吸が気持ちいい。おなかいっぱい空気を吸い込むと、体内の臓器がざわざわっと目覚めたような気がした。ごみを捨て、そのまま道なりに歩く。綺麗な花はないけれど、すっかり濃い緑色をまとった木々が風にざわめいている。早起きは三文の得と言うが(と言うより、寝ていない)確かに気持ちのいいものだ。家に戻り、しばしの睡眠。目覚めるとお昼前。食事を採り、あさってから始まる仕事(友人のバーのHP作成)の資料を探す。やはり、売れているお店は、HPも魅力的な所が多い。「食べてみたい」「飲んでみたい」「行ってみたい」という気持ちを掻きたててくれる。これ、大事だね。そういえば、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」で有名な映画評論家の淀川長治氏(故人)も映画紹介が上手だったっけ。「この映画ね~、す~~っごく、最高ですよ」の一言に何度騙された事か・・・(笑)夕方には、友人が退職祝いをしてくれると言うので恵比寿の和食料理のお店に行く。「麦とろ定食」がとても美味で有名らしいのだがあいにくランチタイムのみらしい。しかし、ほかの料理・酒もとても美味。鯵、茸、穴子、大根、自然の幸に舌鼓。満足。やはり自然のものは最高だ。誤算だったのは友人がお金を忘れたこと。危うく食い逃げするところだった・・・あれ?確か、俺の退職祝いでは???今日は自然の恵みと、友人の薄情さ(笑)を強く感じた一日でした。明日もいい日でありますように。
2004年06月02日
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退職に伴いパソコンを会社に返してしまったため、今日はパソコンを買いに行った。半日歩き回って、やっと満足のいくものを手に入れられた。退職時に何も会社からもらえなかったため、中古しか選択できなかったが、それでも非常に満足のいく買い物ができた。何となくだが、幸先いいぞ。あさってから退職後の初仕事が待っている。友人がやっているバーのHP作成だ。こちらも、向こうも、お客さんを楽しませ、店に来てもらえるものを作ろうととても熱くなっている。最近の暑さがさらにひどくなりそうで、他人には迷惑な事この上ないが、作る相手がやる気だとこちらも嬉しい。以前の仕事と内容は似ているが、中身は全く違う。ほとんど金にはならないけど、やはり仕事はこうでなくっちゃ。できたら是非、多くの方に見て頂きたいものだ。先日の日記は、多くの賛否両論の意見をいただいて、色々な方が見てくれてたんだなと嬉しかった。読んで下さり、わざわざ書き込みまでして下さった方々に心から感謝します。こんなデジタルな道具なのに、こんなに暖かい気持ちになれるのは、とても不思議。出会えた皆さんに感謝、です。無職になりましたが(笑)これからもよろしくお願いします!
2004年06月01日
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就職先は、国際運輸の会社。俺は輸出課で、船による輸出の営業をする事になった。仕事は忙しかった。余計な事を考える余裕も無かった。だから職場はいつも活気があった。男性も女性もいい意味で全く同等だった。そんな時、ある女性に出会った。信託銀行で働いていたその子は、背が小さくて、笑顔がかわいく、とても優しく、寂しがりやな女性だった。そしてほどなくして、お付き合いが始まる。学生時代部活一筋で、あまり女性と関わりの無かった俺にとって、彼女との日々は楽しく、また難しいものだった。付き合いだして2年目、入社3年目になり、仕事も更に厳しくなっていった。当時、社内はバラバラで、色々な部署でミスが多発していた。顧客の矢面に立つのは営業の俺。ミスをした他部署の人間は何も反省しない。正直「やってられない」と思っていた。そんな中、彼女は優しく俺を支え続けてくれていた。自身のことなど、何一つ要求せず。そして俺は、転職を決意する。実は当時「結婚」の話が二人の間に出ていた。俺も彼女もそのつもりだった。しかし、転職を決意した事で俺は「新しい職場で一人前になってからお前の両親に挨拶に行く。それが筋だと思う」と言い、彼女も了承してくれた。今後について意気込む俺は、彼女の寂しそうな顔に気付く余地は無かった。そして、退職月の3月になって、彼女は突然、俺に別れを切り出す。理由は「友達が別れた方がいいって言うから」それを聞いた俺はその無責任な言い方に怒り、二人の関係は破局した。もちろん、落ち込みはした。しかし、次の月から新しい職場、気持ちを切り替えなければと自分に言い聞かせ、業務の後始末を続けていた。お世話になった人達への挨拶めぐりの為、大阪に旅立つ準備をしていたある日、携帯が鳴った。彼女からだ。しばしの世間話の後、彼女はこの前の言葉について俺に詫び、できれば元に戻りたいと言った。正直に言うと、俺はその時、素直に嬉しかったのだ。その場でOKしてもよかった。しかし、彼女が以前俺に投げた言葉の真意が気になり、「大阪から帰るまで考えさせてくれ」と伝えた。大阪からは3月25日に戻る予定だった。その後会おう、と。そして大阪。在職中にお世話になった人達に謝意を伝え、怒られ、惜しまれ、飲んで、笑って、そして彼女の事は少しだけ俺の中で薄くなっていた。3月23日、その日も遅くまで飲んでいた。ほろ酔い気分の俺は、何故か彼女へのお土産について考え、本人に聞こうと携帯電話を取り上げた。が、結局電話はしなかった。これが、俺が今まで生きてきた中での、最大の失敗だ。翌日、3月24日、その日は神戸にいた。友人と昼食を楽しんでいた俺の携帯が鳴る。彼女の実家の番号が表示されていた。電話に出たのは、彼女のお姉さんだった。「どうかしたんですか?」何も知らない俺に、次の瞬間、考えもしない言葉が返ってきた。「妹が、死にました」その瞬間、俺の中で何かが壊れた。何も見えず、何も聞こえなくなった。何を言ったのかも覚えていない。すぐさま東京へ戻り、彼女の家へ。待っていたのは彼女の家族と、変わり果てた彼女だった。眠っているかと見間違う程、彼女の顔は安らかだった。しかしその身体は、氷のように冷たかった。そして結婚の挨拶ではじめて会う予定だった彼女の父親から俺は衝撃の事実を聞かされた。彼女は、鬱病だった。知らなかった。信じられなかった。いつも笑顔で、誰にでも優しい彼女が鬱病だったなんて、信じられなかった。信じようとしない俺に彼女の姉が白い紙袋を見せてくれた。中にあったのはおびただしい量の錠剤。その瞬間、俺は彼女がいかに俺のせいで無理を重ねてきたのかを悟った。俺のせいだ。俺が殺したんだ。目の前が真っ暗になるということを初めて体験した。遺書には誰かを責める言葉は何も無かった。ただ疲れた。と。俺の事も、嫌がっていた仕事の事も、何も書いてなかった。葬儀がすべて終わり、親族で慰労会が催されていた時俺は彼女の姉に呼ばれた。彼女についていくと、くしゃくしゃの封筒を手渡された。中には手紙が入っていた。彼女から俺への。そこには、ひどい事を行って申し訳ない。でもやはり、俺と一緒にこれからも生きていきたい。と書かれていた。そして、分の途中で手紙は終わっていた。恐らく書いている途中で捨ててしまったのだろう。もし俺が、もったいぶらずすぐに許していれば、もし23日に、彼女に電話していれば、彼女はこうならなかったかもしれない。そもそも俺と出会いさえしなければ、幸せに生きていたかもしれなかったのだ。そしてそんな状況のまま、新しい職場での生活がスタートした。仕事は何とかこなせたが、心は上の空だった。何もする気が起きなかった。何もしたくなかった。事情を知る人たちの励ましなど、全く耳に届かなかった。なぜ俺だけのうのうと生きているのか、それしか考えられなかった。今思えば、俺も鬱になりかけていたのだろう。しかし死ぬ勇気もない。そんな状態のまま、毎日が過ぎていく。そんな状態で2年が過ぎた。多少仕事にも慣れたが、気持ちは何も変わらなかった。会社にいるときは明るく振舞い、会社を一歩出るととたんにため息しか出なくなる。そんな毎日だった。そんなある日、ちょうど一年前くらいの事だ。いつもの様にため息をつきながら歩いていた俺はある言葉をつぶやいた。「しかし、あいつも、よくこんな俺についてきてくれたよな」言った瞬間、身体中が痺れた様な錯覚を受けた。それまで俺は、自分を責める事しかしていなかった。責める事で、彼女の人生を壊した自分を正当化していたのかもしれない。しかしその時初めて、彼女が俺にしてくれていた事の大きさに気付いたのだ。彼女のお陰で、今俺はこうして生きていられるのだ。だったらこの命、どう使えば彼女は喜んでくれるだろうか?その瞬間から、こう考えが変わった。それから俺は、医者やカウンセラー、色々な会社社長の講演会や書籍などを読みふけり、自分の生きる道を探した。そしていくつもの出会いを経て、今年の3月、俺は会社を辞め、全く知らない世界へ足を踏み入れる事を決意した。次は全く決まっていない。それでも、前に進む事を決めた。恐らく楽な道ではないと思う。しかし、2001年3月24日のあの事と比べれば、たいした事は無い。全てを失った、あの日と比べれば。ここからが、自分のスタートである。あれから3年、俺も少し変われたような気がする。以前よりも人に対して慎重というか、悪く言えば人見知りをするようになった。人に騙されたり、トラブルに巻き込まれる事も増えた。でもそれ以上に、素晴らしい人達との出会い、気付き等、嬉しい事の方が多くなった。少しづつでもこうなってこれているのは、今まで出会ったくれた方々、皆さんのお陰だ。本当にありがとうございます。そして見ていてください。皆さんに頂いたこの命、無駄にはしません。これらの経験、教訓を胸に、二度と同じ過ちを繰り返さない様、俺は毎日を生きていきます。明日でついに退職。本当に本当の最後だ。すっきり終わらせて、次へ進みたい。
2004年05月31日
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先日日記を書いてから、今までの人生をボーっと考えていてふと思った。「やっぱり辛かった事は次への教訓にするべきだなぁ」と。徳川家康も武田信玄と戦って惨敗した「三方ヶ原の戦い」の後、教訓のためにその時の自分の絵を描かせたというし、いい機会だから、書いてみよう。幼稚園に入るまでは、やんちゃボウズだった気がする。あまり覚えてはいないが、手や顎の縫合跡を見れば、大体の事は分る。覚えているのは4歳の時、車道への飛び出しで交通事故に遭ったことだ、後で聞いた所によると、まだ幼かったため、麻酔が難しく、手術は一度失敗・中断したそうだ。体のあちこちに傷があるのは、そういう訳だったのか。復帰できて、よかったなぁ。しかし、リハビリや車椅子、ギブス生活により、いじめ(今のと比べると軽いものだろうが)を受け、次第に読書少年になっていく。不思議な事に勉強の成績もよくなり、中学校の時は分らない問題などなかった。その分不良にはよくいじめられていたなぁ。マンガとか、とりあげられてたっけ。でも今のいじめと比べるとホントマシな方だなぁ。高校は県下でも5本の指に入る進学校。しかし何を思ったか入部した水球部で、俺の人生は変わることになる。それまでと全く逆の生活。勉強はほとんどせず、部活一筋。毎日日をまたいで帰宅する生活に耐えた甲斐あり、全国大会・国体へのW出場を果たす。しかし一回戦で敗退し、上には上がいることを知る。高校まではそれなりに順調だった。赤点や失恋位だな。挫折らしいものは。大学。頭の程度はたいした事無いが、卒業生にある意味超有名人の方々がおられる大学に進む。ちなみに俺が尊敬しているOBはドリフターズの仲本工事さんだ。そこでも水球漬けの生活を送る。練習は昼間なので、必然的に夜にアルバイトをする事になる。皿洗い、郵便物の仕分け、清掃員など。だからあまり友達もいなかった。部活だけで充分だった。大学で学んだのは、「価値観は人それぞれ」という事だった。大学入学後、速攻で水球部に入部。高校の時のように、皆で一緒に頑張って、今度こそ勝つんだ!そう思っていた。ところが、人生そんなに甘くは無かった。ミスプレーに怒ると「チームワークが乱れるから怒るのはよくない」と言われ、馴れ合いの雰囲気を指摘すると「楽しんで勝つ事が大事だ」と言われる。「じゃあ俺だけでも」と一人で練習に没頭。これが良くなかった。練習は他の奴の3倍やった。当然実力差も開く。そうなると、練習中に俺が怒る事が増える。その結果雰囲気が悪くなる。どうすればいいのか、分らなかった。唯一嬉しかったのは、後輩達がついてきてくれた事。「上が卒業するまでは耐えて、俺の代になったら変えてやろう」真剣に、そう考えていた。代交代の時が来た。主将はOB達が決めるのが、大学のならわしだった。当然俺が選ばれる。そう思っていた。主将になって、部を変えて、強い部に生れ変わるんだ!と。しかし、OBが選んだのは、俺ではなく、口ばかりの奴だった。確かに口うるさく、生意気な俺より、上に取り入るのが上手いそいつの方がOBには好かれていた。そしてOBの言いなりになるそいつが主将になった結果、学生のものであるはず(個人的な意見だが)の部活動がOBの声に舵取りをされる様になる。OBの方々にはプール設備へお金を出して頂き、言葉では言い表せないくらい、とても感謝している。しかし、部の方針に口出しされるのはとても辛かった。練習方針も、目指す方向も、出場する大会も、全てOBの指図の元に決められていったからだ。ある試験明け、OB命令で、とある大会に出場した。このころになると、OB監督は俺たちには何も相談なく、腰巾着の主将と勝手に部の方針について話を進めるようになっていた。練習不足で、まともに体も動かない。もちろん成績も最悪。俺自身、初の退場処分を受けた。怒りに震えている俺にOBの一言が突き刺さる。「お前なんぞいらんわ、もう来るな」それから半月、結局俺は、部を辞めた。決め手となったのは、同学年の連中がOBの側にまわった事だ。結局俺のやり方は、疲れる以外の何ものでもなかったのだろう。俺の現役生活は、ここで幕を閉じる。俺は周りが見えていなかった。「強くなって、試合で勝てれば幸せ」確かに「俺自身は」そうだった。しかし、他の人の考えなど、全く考えていなかった。「体育会の部活なら、厳しくて当たり前、勝つためだから当然」皆がそう思っているわけではない。ある者はアルバイトが、ある者は合コンが、ある者は試験が、それぞれ大事なものがあったのだ。それを分ろうとしなければ、ついて来てくれる訳が無い。こうなるのは、当たり前の事だった。「人は変えられない」という事、そして価値観、言い換えれば「目指している方向性」が似通っている人間同士でなければ、協力して何かを成し遂げる事は不可能だという事を思い知った。今思えば、とてもいい経験を肌で感じたと思う。その後は、小学生の水泳教室のアルバイトをしたり、他の大学でコーチの様な事をさせてもらったりして、逆に部活では味わえない様な事を経験できた。拾って下さった成城大学のK見さんには今でも感謝している。ちなみに俺はそれ以降、水球をやっていない。見たり、応援したりするのは大好きだが、プレーする事に興味はもはや無い。その後、何とか就職先も決まり、大学生活は幕を閉じる。それにしても、後輩達には申し訳なかった。彼らの中には俺のために泣いてくれた奴もいた。嬉しかったが、心が痛む。結局俺は彼らを裏切ってしまったのだから。今でも時々思い出しては、心の中で詫びている。あいつらは今ごろ、どこで何をしているんだろう?会って謝りたいな。----------------------------------------------------先日の日記で、今回の退職について、色々な方から励ましのお言葉を頂けた。たまたま、日記を見てくれただけなのに。嬉しい。泣きそうになった。励ましを下さった皆さん、本当にありがとうございました。あなた達のお陰で、俺は元気でいられます!
2004年05月30日
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金曜は、俺がお世話になっている三鷹の顧客先での契約最後の日だった。担当しているプログラムのテストを何とか終わらせ、その晩はわざわざ俺のために、皆さんが集まって下さった。吉祥寺の中華居酒屋。料理も、お酒も、確かに美味しかったが、たかだか4ヶ月位しかおらず、しかも仕事上ほとんど話もしていない自分のために暇ではない週末の時間を空けて下さった、そのお気持ちが一番の美味だった。どんな料理も、これには敵わない。そんな方々がいらっしゃる一方で、俺が所属している会社は「コストがかかるから、できるだけ早く辞めて欲しい。 キミの希望は聞けない」と言う。ボーナスを出したくないからか、「辞める人間が有給を全部使うなんて社会道徳的におかしい」とも言う。確かに会社の状況はわかっているが、でも、何か、悲しい。少なくとも、俺はこの会社に3年いるのだ。(しかしこの部署には1年しかいないが)会社の歯車になるのは別に構わないが、人として見て欲しかった。しかし、だからこそ辞める事に何の未練もない。そういう意味では僕をコスト呼ばわりしたT部長に感謝すべきだ。Tさん、ありがとうございます。これから俺は、人として、人と一緒に、人の方を向いて生きていこう。(タケダテツヤさんみたい・・・)最後の仕事が、あの人たちと一緒で、本当によかった。それだけでも今の会社にいた甲斐があった。T部長(ウチのと同じ頭文字だ!)のMAXは一生忘れません(笑)Hさんの手品、最高でした。飲みすぎにはお気を付けて。皆さん、素敵な職場の雰囲気をありがとうございます。できる事ならば、またお逢いできたら嬉しいです。本当に、ありがとうございました。ホントに人生、わからないものだ。色々な気付きを頂ける。好きな人、そうでない人、関係なくだ。今までの人生を、もう一度掘り起こしてみようかな。そんな事考えてたら、外が明るくなってきている。今日もいい天気になりそうだ。
2004年05月29日
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内藤みかさんのトークショーへ行ってきた。先日のボッキー会で始めてお目にかかってから、作家さんという方にちょっと興味があったからだ。しかし、お会いしてみると、イメージしている作家像はあまり感じず、可愛らしい普通の女性だった。いや、「普通の」は止めておこう。「普通の」女性はあんなに夜の取材はしない・・・はず・・・ですよね。で、「可愛らしい女性」の内藤さんはyahooオークションでの1円落札事例、楽天日記でのコミュニティ作り等、ご自分の貴重な経験から惜しげも無く語ってくださった。激安好きと仰っていたが、別にケチケチしているようにも見えず、単純に激安ショッピングを楽しんでいるからこそ、成功するのだろう。あと、「イケメン好き」についても特に熱く語ってくださった。最近はジャニーズの「山口なんとか」君がを気にしてらっしゃるそうである。ジャニーズ系の顔ではない僕は、申し訳なさでいっぱいでした。そして、それ以外のゲスト(野獣)の方々!ミドル英二さんは「小冊子の作り方のコツ」を、テッド55さんは「よくわかる楽天日記活用法」を、ボッキー米谷さんは「過去の自分の教訓」を短い時間の中で、熱く語ってくださった。皆さんの話を聴いていて、「誠実さと少々の図太さと思いやり」が大事なんだと感じた。これは、何も楽天日記に限った事ではなく、人生全般に言える事ではなかろうか?僕が勝手に師匠と仰いでいる方が、こう仰っている。「ハードはデジタル!ハートはアナログ! 熱い想いが大切なんだ!!」やはり俗に言う「できる」人々は根底に似たような想いを秘めているんだな・・・そして、主催者のふくぞうさん、大変失礼かと思うが一目見て「この人がふくぞうさんだ。絶対そうだ!」とピンときてしまった。それぐらい、ハンドルネームがぴったりの人である。初めての人も絶対に忘れないだろう。非常に腰の低い、柔らかな方だった。内藤みかさん、ミドル英二さんボッキー米谷さんテッド55さんふくぞうさん本当に、ありがとうございました!!!そして最後に内藤さん、割引券、どうもありがとうございました。これで来月は飢えずにすみそうです。次も期待しています??今日はお客様に挨拶をする日。大袈裟ではあるが、あと2日で全てが終わる。最後は自分の過去をカミングアウトして未来への宣言をしたいと思う。
2004年05月28日
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突然だが、僕はヨーロッパサッカーが大好きだ。今、ヨーロッパ各国のチームによるクラブチーム欧州一を決める大会が行われている。実は今日が決勝戦だ。その中で、僕が注目していた選手は、決勝に進出するフランスのチーム「モナコ」に所属するフェルナンド・モリエンテスというスペイン人選手だ。なぜか?ご存知の方もおられるかと思うが、彼は昨年まで「レアル・マドリッド」というチームにいた。そう、僕と同期のベッカムが移籍した「世界最強」と言われているチームである。(ファンの方、ごめんなさい)レアルは日本でいうとプロ野球の巨人のようなもので、超有名選手を金にものを言わせて買い漁っている金満チームだ。そして、モリエンテスはその買い漁りのあおりを喰らって放出されたのである。事実はともかく、一般にはフランスリーグはスペインリーグよりレベルが低いと言われているから、彼にとっては大ショックだったろう。普通の人なら、そこで腐ってしまっていたかもしれない。しかし、彼は違った。もともとの実力を爆発させ、チームの勝利に貢献し続け、準々決勝で、ついににっくきレアル・マドリーと対戦する。下馬評は圧倒的にレアル有利だったが、蓋を開けてみるとモナコの実力と運がレアルを上回り、ついにモナコは歴史的勝利を挙げる。モリエンテスは試合を決める得点を決めるなど、大活躍を見せた。そして彼は準決勝でもゴールを決め、チームの決勝進出に多大な貢献を果たす。ニュースを見て、ふと思った。「人生、何が起こるかわからないな」と。ある人が言っている素晴らしい言葉「人生に、失敗という事は無い。あるのは、『成功』と『学ぶ機会』ただそれだけだ」この言葉が鮮やかに脳裏に蘇った。23日のボッキーさんのお話で、「今できる事を精一杯やる」というお言葉を頂いたのだが、フェルナンド・モリエンテス彼こそ、それを実行し、結果を出した「真の漢(おとこ)」である。ちなみにレアルは彼に戻ってもらいたがっているらしいが、本人は「誰が戻るか」と言っているらしい。いいぞ、モリエンテス。決勝戦をモリエンテスはどの様な気持ちで迎えているのだろうか。できることなら、歓喜に酔う彼を見たいものだ。僕達の人生もこれから。さあ、負けの存在しない人生を、共に歩もう。人生の 再インストールまで あと3日-------------------------------------------------速報によると、モリエンテスの所属するモナコは残念ながら敗れ、準優勝に終わったそうです。モリエンテス、お疲れさん。
2004年05月26日
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今日、ひとりの人に「ありがとう」と言ってもらった。嬉しかった。少しでも自分が役に立てた事が。そしてふと気付いた。「ありがとう」と言ってくれた人のお陰で俺が「救われている」事に。「SHINE」という映画がある。ある天才ピアニストの話だ。彼は、そのピアノの音で多くの人を感動させ、そしてその人々により、最後に自分自身、感動で涙する。この映画が上映された時のコピーが印象的だった。「誰かがあなたを輝かす、あなたは誰を輝かす?」(こんな感じだった)俗に言う、「因果応報」というやつなのだろうか。俺は、ある人に輝きをもらった。それは、どんな時でも、キラキラと俺の中で煌き、俺を励ましてくれる。今はもう、その人はいない。しかし、その人のくれたこの輝きは、今なお、俺の中に生き続け、消える事はない。そして今日、その中から少しだけ輝きを分ける事が出来た。そして、その人の輝きがまた、俺を輝かせてくれた。明日はどんな輝きが、俺やあなたを、待っているだろうか?そう思うと、人生もまんざら悪くは、ない。そう、思わないか?人生の再インストールまで、後 4日
2004年05月25日
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人は、もともと潜在意識で何かを感じ取る事が出来ると聞いた事がある。今日、それを実感する出来事が起こった。先日、自分が兄と慕う人に電話をかけた。用事は無かったが、先月「もうすぐ子供が生まれる」と聞いており、「どうかな~」とふと思い、本当に理由もなく、電話をかけた。結果は留守電。特に何も思うことなく、電話を切る。そして、今日の昼。メールが来た。「昨日電話に出られなくてすまん。ちょうど産気付いていてな。無事に生まれた。男の子だよ」偶然?たまたま??なんでもいい。ただこの事実に、こころが、ただ、震えた。この日記を書いている今、お父さんも、お母さんも、こどもも、生まれて初めての夜を迎えているのだろう。この世に生まれてきておめでとう。そして、よろしくね。願わくば、彼らに、この幸せがずっと続きますように。人生の 再インストールまで 後 6日
2004年05月24日
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今日は、ボッキー米谷さん主催の「運命を変えるセミナー」に行ってみた。ネット上から始まるお付き合いなんて、何か「出会い系」みたいだと不安に思いつつ。そんな自分も、1時間後には栢野さんのトリカブトの様な毒舌から繰り出される熱いトークに聴き入り、そのまた1時間後には、ボッキーさんの生きてきた波乱万丈な道に驚き、そのまた更に1時間後にはアラキさんの爽やかな語り口の端々から見え隠れする炎の様な情熱に時間を忘れていた。「背伸びせず、自分の今できることを、精一杯やる(ボッキーさん)」「必要なのはやる気、熱意、執念、そして一歩踏み出す勇気(栢野さん)」「自分の軸をブラさず、色々な視点を持つと幅が広がり、色々な所と繋がってくる(アラキさん)」尊敬している方々は言葉こそ違えど、似た様な事を仰っている。「人と人のつながり(コミュニケーション)はこころ(エネルギー)の受け渡しなんだ」今日、それを改めて強く感じた。俺も彼らのように真剣に、熱く、誠実に生き、そして他の人に、改めてその気持ちを受け渡す事ができるようにしたい。それが彼らへの恩返しだと思っている。スタッフの皆さん、そして作ったばかりの内容の無い名刺を貰って下さった方々、ありがとうございました。またお会いできるのを、楽しみにしています。
2004年05月23日
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「死んだら全て終わり」よく聞く言葉である。俺も個人的にそう考えていた。しかし、ある本がきっかけでそれは全く逆に変わっていく。「いのちのバトン」という本をご存知だろうか。志村季世恵という方の著書である。彼女は癌などで死に逝く人の最後の心のケアをするセラピストである。そんな彼女は著書の中で俺にこう伝えてくれた。「死は終わりではない。死んだ後でも故人の何か尊いもの、願いややりのこしたもの、そんな「いのちのバトン」が残された人に託され、種となり、芽吹き、そして受け取った人と共に前へと進んでいく。」そうか、終わりじゃないんだ。繋がっているんだ。ならば残された俺たちが、逝った人の心を引き継いで生きていく事により、故人はずっと生き続けるんだ。それからだ「俺はこんなんでいいのか?」と考える様になったのは。それから4ヶ月、今俺はようやくスタートラインに立とうとしている。まだ道はなく、ゴールも見えないが。それでも、俺は歩いていく。=======================================================歩いていくと言えば、今日渋谷を歩いていたら「加藤淳さん」に会った。「さんまのからくりTV」という番組で「フフォー!」という妙ちくりんな笑い方でお茶の間を盛り上げているおかしなおっさんだ。今まで芸能人を何人か目撃してきたが、今までになく興奮してしまった・・・
2004年05月22日
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会社を辞めるまで後1週間となった。かっこつける訳ではないが、せっかくなので、人生の再インストール(さっすが、腐ってもSE)までの時間を自分の原点を見つめ直し、未来の自分にエールを贈りたいと思う。俺は格闘技が好きだが、その中でも注目してるのは、ミルコ・クロコップ。クロアチアの闘技士だ。彼が、まだK-1に出たばかりの頃、インタビューでこんな事を言っていた。「子供の頃、内戦で何人も友達を亡くしてきた。彼らへの想いが、俺を強くするんだ」その時は「なるほどね~」と聞き流していたが、実は最近、それを強く実感する出来事があった。会社を辞めると決め、両親に話した時の事だ。父親が言った何気ない一言が、俺を仰天させた。「そうか、頑張れよ。お前の兄貴も応援してくれるだろう」ちなみに俺は4人兄弟の一番上・・・もちろん兄などいない。腑に落ちない表情をしている俺に、父親は語ってくれた。それによると、俺には兄がいたのだが、彼はこの世に生を受ける事ができなかったのだそうだ。そう思うと、4歳の時に遭った交通事故からの復帰、高校生の時の全国大会出場、そして3年前の事件からの復帰もこの兄が俺を助けてくれていたのかもしれない。この時、初めて俺は、ミルコの気持ちが分ったような気がした。知らないうちに、強さを貰っていたのだ。兄さん、あなたの分まで、俺は真剣に、そして楽しく生きていきます。今までありがとう。これからもよろしく。人生の 再インストールまで 後 7日
2004年05月21日
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本来6月に開設する予定だったのですが、前倒しての開設。理由は日曜までに退職後の名刺を作らねばならず、その名刺に入れるURLを早く決めたかったから。何とも情けない始まりですが、最初はこんなもん。(と言い聞かせて)これからが何とも楽しみです。みなさ~ん、宜しくお願いしま~す!!!!
2004年05月20日
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