全7件 (7件中 1-7件目)
1
クロニクル 週刊新潮は明日発売です1956(昭和31)年2月5日66年前のこの日、週刊誌『週刊新潮』が創刊されました。「赤トンボ」のメロディをバックに、ラジオから流れ出るコマーシャルが、柔かな子どもの声で「週刊新潮は明日発売されます」と繰り返していました。谷内六郎さんの表紙も、ほのぼのとした温かみのある絵でした。記事の中では、日本特に東京に滞在する外国メディアの特派員という設定で、ヤン・デンマンというペンネームで書かれたコラムが秀逸でした。週刊誌の売り上げが不振に陥って久しいのですが、週刊文春と共に、今でも頑張っていますね。
2022.02.06
コメント(14)
クロニクル インターポール設立1923(大正12)年2月5日99年前のことです。9月1日に関東大震災が発生した年です。この日国際刑事警察機構(ICPO)の前身である、国際刑事警察委員会(ICPC)が発足しました。この組織が1956(昭和31)年に改組されて国際刑事警察機構(ICPO インターポール)になりました。ルパン3世の銭形警部が所属する組織です。1946年以降事務総局はフランスのパリにありましたが、フランス革命200年にあたる1989年以降は、リヨンに置かれています。日本は1952年に加盟し、75年からは事務総局に警察庁職員を派遣しています。1996年~2000年までの4年間、兼元俊徳(警察庁国際部長。退任後は内閣情報官)氏が、ICPOの総裁を務めました。現実のICPOは、各国警察の協議体であり、国際指名手配などは行ないますが、捜査主権は各国警察に委ねられており、ICPO自体は捜査は行ないますが、逮捕権はありません。銭形警部のような恰好の良い捜査官は、残念ながらいないようです。
2022.02.05
コメント(4)
クロニクル ロッキード事件発覚1976(昭和51)年2月4日46年前のこの日、米国上院の多国籍企業小委員会が開いた公聴会で、ロッキード社が日本への航空機の売り込みのために、70年頃から、違法と知りつつ、多額の政治献金を行っていたことが明かになりました。 ロッキード社の秘密代理人だった右翼の大物で、政界に顔の広い児玉誉士夫に21億円、代理店の丸紅に10億円が支払われたリストも示され、児玉のサインのある「100ピーナッツ受領」というふざけた領収書も証拠として提出されました。 さらに、ロッキード社のコーチャン副社長は、児玉に渡った資金の一部は、政商という噂の絶えなかった国際興行社主の小佐野賢治に渡ったと思うし、丸紅への資金は政界工作に使われたと思うと、証言した事も明らかになりました。 ピーナッツが1千萬から1億の隠語であるという、コメディアン顔負けのセリフ回しが受け、お茶の間や夜の盛り場の話題を、しばらくは独占したのですが、小佐野賢治が前首相田中角栄の刎頚の友であることは、知る人ぞ知る周知の事実であり、また児玉誉士夫が後の首相中曽根康弘と入魂の仲でもあったことから、捜査の手が、2人の有力政治家に伸びるのかどうかが注目を集めました。 捜査は、児玉ー小佐野ルート、丸紅ルート、全日空ルートの三方向から進められてゆき、やがて田中前首相が逮捕、投獄され たことは、御存知の通りです。
2022.02.04
コメント(6)
クロニクル マッカーサー憲法草案の起草を指示1946(昭和21)年2月3日76年前のこの日、連合国日本占領軍司令部(GHQ)のマッカーサー総司令官は、GHQ民生局に、日本国の憲法草案の作成を指示しました。マッカーサーは、前年10月に矢継ぎ早に対日統治方針を発表し、その中で日本側に新憲法草案の作成を促していたのですが、日本側の作成した新憲法案(いわゆる松本私案)が、あまりに旧態依然としたものであったため、これを拒否、GHQの考える新憲法案を日本側に示す必要があると判断して、この日の指示となったのでした。日本側でも、民間学者の私的団体「憲法研究会」の憲法草案要綱や高野岩三郎の「改正憲法私案要綱」などが発表されており、GHQ民生局は、そうした案の内容を取り入れながら、象徴天皇制、徹底した平和主義、女性の権利などで、さらに一歩踏み込んだ内容の憲法草案を、2月10日には完成し、日本側に提示しました。この流れから見て、昭和憲法を「おしつけ憲法」とする主張が、「松本私案」を是とする明治憲法体制を古き良き時代とする人々の主張から派生していることが理解できます。
2022.02.03
コメント(5)
クロニクル 南アフリカ政府マンデラ釈放を決定1990(平成2)年2月2日32年前のこの日、アパルトヘイト(人種隔離政策)で知られる南アフリカ共和国のデクラーク大統領は、ANC(アフリカ民族会議)の指導者で、終身刑を科されていたネルソン・マンデラ氏ら、ANC活動家の無条件釈放を決定しました。同時に黒人解放運動を続けていることを理由に、非合法化して長期にわたって弾圧し続けてきた反アパルトヘイト運動の諸団体を、全て合法化することも合わせ発表されました。長くかつ苦しかった南部アフリカの黒人解放運動への、静かな支持の高まり、そしてANCに結集した黒人たちの団結と努力が、遂に南アフリカの白人政権を揺り動かした瞬間でした。2月11日、釈放されたマンデラ氏は、ただちに精力的な活動を開始、10月には日本を訪れ、国会で衆参両院議員を前に、人種差別撤廃を訴える演説を行いました。4年後、1994年の4月、南アフリカで初めて全人種参加による選挙が行なわれ、ANCは圧勝、マンデラ氏は大統領に就任し、全民族の融和を推進し、99年に政界を引退しました。2013年、95歳で死去。天国のマンデラさん、昨今の南アの混乱振り、残念がっているでしょうね。昨日の記事、コメントありがとうございました。慣れない家事もろもろで多忙につき皆様のブログに訪問できず申し訳ありません。 今しばらくお許しのほどを…コロナは東京一極集中も変えつつあります。リモートワークの進展で、東京23区の人口は、戦後初めて減少に転じました。都下や近県の都市部人口はまだ増えています(首都圏では千葉県流山市の増加が目立っているそうです)が、時間と共に地方への移住者が増えていく流れに転じたようです。
2022.02.02
コメント(5)
クロニクル 東京1千万人都市へ1962(昭和37)年2月1日60年前になります。この日、東京都は都の常住者人口が、推計ながら1000万人を突破した模様であると発表しました。定住人口が1000万人を突破したのは、世界ではじめての事でした。過密都市トーキョーの名が、世界を駆け巡ったのは、それから間もなくのことでした。
2022.02.01
コメント(5)
クロニクル 江川ー小林電撃トレード1979(昭和54)年1月31日小林繁投手、2010年に57歳で亡くなりましたね。死因は心筋梗塞による急死。細身の横手投げ。しかし強気で内閣にシュートをボンボン投げ込むピッチングでした。その小林投手。ジャイアンツのエース級でしたが、43年前の今日。キャンプインの前日に、タイガースへ電撃移籍されました。例の江川事件、空白の1日を突いたと言う、ジャイアンツのドラフト破りに、コミッショナーーが下した結論が、江川選手はタイガース(その年のドラフトで指名権獲得)に入団し、しかる後に速やかにジャイアンツにトレード移籍させるというものでした。こうしてタイガースが指名したのが小林投手でした。キャンプ地に向かおうとして、突然の行き先変更。何も語らなかった小林投手でしたが、それだけにプロとしての腹の据わり方が見事でした。タイガースに移籍した年は、ジャイアンツ戦に登板した年は、全て勝利で、年間成績も22勝9敗。見上げたプロ根性でした。惜しい野球人の早死。残念です。
2022.02.01
コメント(6)
全7件 (7件中 1-7件目)
1