ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2009.01.21
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カテゴリ: 民衆の歴史
マリア信仰の形成(6)

「処女にして母」となったマリアの発見によって、神に仕える修道女達には、魂の救いが与えられました。しかし、これでは人類の存続に貢献している、母なる女性達には、魂の救いが用意されません。特別な女性だけを救ったところで、信仰の広がりは期待できませんし、特別な女性は、一般の女性には関係のない存在なのです。

一般の女性をマリア信仰に惹き付けるには、マリアの処女性ではなく、マリアの母性に注目した「聖母としてのマリア」、母なるマリアの発見が必要でした。女性が母となるからこそ、人類の存続は可能となります。母なる女性こそを豊穣の女神として描く習慣は、原始の時代からあったことは、良く知られています。しかし、西欧のキリスト教世界では、母性の発見は遅れに遅れます。

西欧世界において、マリア崇拝が開花した12世紀においても、既に記したように、それはマリアの母性には繋がらないものでした。結論を先に記しますと、マリアの母性が開花するのは、14世紀後半から15世紀、ルネサンス運動が大きく開花する時期のことです。そしてそれは西欧の一部地域で「家族」が発見された時期と繋がっているのです。

私はおかしなことを書きました。もっとおかしなことを書きます。イタリアを除くアルプス以北のヨーロッパで、幼児としての「子ども」が誕生するのは、実は17世紀から18世紀にかけてのことなのです。勿論、大人たちの意識の世界においてのことですが…。

そうなんです。幼児=子どもは、それまでの西欧世界では、意識されない存在でした。これは下層民から、都市の市民、金持ちの大商人から、王侯貴族にまで共通した現象でした。子どもが意識の対象になるのは、6~7歳となり、労働力として期待される年齢になってからだったのです。そうです。6~7才からの子どもは、小さな大人として社会に受容されたのです。

幼児としての子どもの存在を意識しない、そういう社会でしたから、当然ながらマリアの母性には思い至らなかったのです。

では、当時の幼児はどのように扱われていたのか。何故、その存在は人々の意識に思い至らなかったのか、明日はその点を少し記してみたいと思います。

                           続く





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最終更新日  2009.01.21 11:45:26
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