ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2014.01.25
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カテゴリ: 外国史
クロニクル カノッサの屈辱

1077(承暦元)年1月25日

今から937年前になります。日本で言うと平安朝後期、上皇による院政の盛期にあたります。西洋では中世ヨーロッパの骨格がようやく整ってきた頃でしょうか。ヨーロッパの中世都市が、あちこちに生まれるのは、もう少し後のことになります。

「カノッサの屈辱」は当時存在した「神聖ローマ帝国」皇帝のハインリヒ4世が、ローマ教皇グレゴリウス7世を雪のカノッサ城(カノッサはイタリア、トスカナ地方の女性伯爵マティルダの居城でした)に訪ね、破門の許しを乞うて、素足で3日間城門の前に立ち尽くしたという、有名な事件です。

当時のヨーロッパには、いくつもの王国が存在していますが、まだ強固な王権というものは存在せず、王とは諸侯の中の第一人者で、戦闘となった場合の指揮官程度の意味しか持たなかった時代です。そのためヨーロッパというまとまりの範囲は、ローマ教皇をいただくカトリック教会の勢力範囲を示し、教皇の宗教的、精神的権威によって維持されていました。

こうした世俗の王権に対する教皇権の優越を、象徴的に示した事件が、カノッサの屈辱でした。

事件の発端は、ハインリヒ4世が無謀にも教皇権に挑戦したことから始まりました。聖職者の任免権、これを聖職叙任権というのですが、この権利は当然ながらローマ教皇にありました。それゆえ教皇に任命された大司教や司教といった教会幹部の聖職者は、当然ながら国王ではなく、教皇の意向を尊重します。それゆえ、多少王権が強まり始めていたこともあって、ハインリヒ4世は、聖職叙任権を我が手に納めようという野心を起こしたのです。

そうして彼は行動を起こします。事件の2年前の1075年のことです。ハインリヒ4世は、自ら空席となったミラノの大司教を叙任し、皇帝の権威を示そうとしたのです。怒った教皇は、教会政治への介入に抗議し、ハインリヒ4世に教皇への服従を要求したのです。

ハインリヒ4世は、ウォルムスの公会議に出席し、グレゴリウス7世の廃位を宣告したのです。これは全面戦争の布告にほかなりませんでした。激怒した教皇は、ハインリヒ4世を破門したのです。76年の2月のことでした。カトリックの世界で、教皇に破門された者を、王や皇帝として戴き続ける意識は、当時はありません。諸侯会議は、1年以内に破門が許されない限り、ハインリヒに替る別の皇帝を推戴する事を決定します。



この事件は、世俗権力と聖界権力との聖職叙任権を巡る長い争いの第一幕でした。この事件には、後日談があり、後日の第2幕では、グレゴリウス7世のワンマン振りに不満を持ったドイツ各地の司教たちがハインリヒを支持し、彼が一矢を酬いる形となっています。










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最終更新日  2014.01.25 02:47:46
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