ザビ神父の証言

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2014.12.12
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カテゴリ: 国際政治
クロニクル 張学良、蒋介石を軟禁

1936(昭和11)年12月12日

78年前のことです。時に満州事変の5年後、日中戦争が始まっておよそ半年が経過した頃です。この日、シーアン(西安)を訪れた中国国民政府の蒋介石は、東北軍指導者張学良によって逮捕軟禁され、共産党との内戦を停止し、抗日統一戦線を結成を結成することを求められました。世に言う西安事件です。

当時の中国では、満州事変後も続く日本の侵略に対し、国民党軍と共産党軍が一致して抗日戦争を戦うべきだという世論が高まっていたのですが、蒋介石は頑として共産軍の弾圧を優先して、抗日戦争は後回しとする姿勢をかえようとしなかったのです。

張学良は、蒋介石のこの姿勢を改めさせようと強硬手段に出たのです。逮捕、軟禁した蒋介石に対し、彼は、内戦の停止、愛国的指導者の即時釈放、救国会議の召集などを訴えました。

張学良の実力行使を知った共産党の周恩来が仲介に立ち、最初は頑なだった蒋介石も、張の要求が全国民的基盤に立っていることを認めたため、和議が成立、25日にようやく釈放されるに至りました。

やがて国民党と国民政府は、国共内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を確認、翌年2月第2次国共合作が成立するに至ります。



日本では、こうした観点からの議論、反省が少な過ぎるような気がしてなりません。

ところで、西安事件後の張学良は、どうなったでしょう。日中戦争期~その後にかけて、張学良のその後については、何の情報もなく、日本では処刑されたのだろうと、誰もが受け止めていたのですが、1981年に台湾のマスコミのインタビュー記事が世界に発信され、張学良がなお生きていたことが、驚きをもって迎えられました。

西安事件後、長く国民党政府によって軟禁状態に置かれ、国共内戦に敗れた国民党政府が、台湾に逃れた時も、一緒に台湾につれて行かれ、当地でも軟禁が続いたのですが、1975年の蒋介石お死去後、次第に台湾における民主化が浸透するに連れ、軟禁状態は緩められ、80年代と共に、マスコミの前に姿をあらわすようになりました。

90年には、NHKテレビに出演し、元気な姿を我々も目にすることが出来ました。1991年にはアメリカ合衆国のハワイ州のホノルル市に移住、2001年ホノルルにて、100歳の大往生を遂げました







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最終更新日  2014.12.12 16:53:24
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