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December 19, 2006
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テーマ: Jazz(2024)
カテゴリ: Album
自己の音楽を確立したピアニスト、ビル・エヴァンス

孤独な内側を一番占めていた音楽

ビル・エヴァンスは、マイルス・デイヴィスと1959年の春に『カインド・オブ・ブルー』を録音した後、
自分の音楽を演奏したいという思いで、マイルスのもとを離れます。

1959年12月、いよいよエヴァンスはベースのスコット・ラファロ、
ドラムスのポール・モチアンと共に、自己のトリオを結成し、
アルバム『ポートレート・イン・ジャズ』のレコーディングを開始します。
ここに歴史的とも言える伝説のトリオが誕生したのでした。
スコット・ラファロとは、1956年にトランペットのチェット・ベイカーのオーデション会場で、

そのラファロの革命的とも言えるベースは、
エヴァンスの推し進めていた音楽のコンセプトにぴったりと当てはまり、
エヴァンス・トリオの独自のスタイルを確立することができました。

1961年6月25日、有名なジャズの名門クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で、
このビル・エヴァンス・トリオはライヴ・レコーディングを行いました。
ところが、このライヴのわずか11日後の7月6日に、
スコット・ラファロは自動車事故により、25歳の若さで亡くなってしまいました。
サックス奏者のスタンゲッツのグループのライヴに参加したあと実家に帰り、
友人と共に自動車でニューヨークに戻る途中の事故だったということでした。
エヴァンスはラファロの死を電話で聞いたと言います。
ようやく自分の音楽を確立できると確信していたときだけに、その落胆は尋常ではなく、


この時のライヴは、
『ワルツ・フォー・デビイ』と『サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』の2枚のアルバムとして、
約1年後に発表されました。
そして、ジャズ・ピアノ・トリオの新しい境地を切り開いた演奏として、ジャズ史に輝く名盤になりました。

エヴァンスは、ラファロを失ってトリオを解消し、ソロ活動で自己の音楽を追求していきます。

さらに自己の音楽を追求していきました。
しかし、その間には、ドラッグの常用に陥るようになりました。

1973年に初来日し、全国を精力的に回り、優れた演奏でファンを魅了しました。
しかし、その来日公演から帰国直後、妻のエレインは自殺してしまいました。
1977年にレコーディングされたアルバム『ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング』は、
静けさに満ち、なおかつ深みのある素晴らしい作品で、
その中に収録されている「Bマイナー・ワルツ」は亡き妻エレインに捧げられた曲だと言います。

1974年には再婚し、1975年には男の子の父親になるという、
少なくともこのころには、エヴァンスにとってしあわせなときがありました。

このときエヴァンスは、
「人間にとって最も大切なのは精神面を充実させることだ。
私は家を新しく買い、生まれて初めて父親となった。
こうした事柄が全て私の演奏の原動力ともなっているのだ。
私は今、自分がとても張り切っていることを感じる。」
と語っています。

しかし、そのしあわせもつかの間、
1979年春に、ビル・エヴァンスが尊敬し、崇拝していたとまで言っていた、
これまで代えがたい存在であった兄のハリーが自殺してしまいました。
そんな悲しみの中、再婚した妻とは別居状態になり、息子とも別れなくてはなりませんでした。
当時のエヴァンスには、もう音楽しか残っていなかったと言えるのではないでしょうか。
ピアノを弾くことしかない毎日・・・。
現に1979年からのエヴァンスは、何かから逃れるかのように、
がむしゃらにライヴ活動を続けていくようになります。
それは、孤独から逃れるためだったのでしょうか。

そして、次第に周囲の人間から見てもあきらかにエヴァンスの身体は衰弱していきました。
しかし、エヴァンスは周囲の心配をいっさい聞き入れることなく演奏活動を続けたのでした。
1980年の夏にヨーロッパ・ツアーに出たころは、
エヴァンスの健康状態は悪化の一途をたどっていました。
さらに、克服していたはずのドラッグにも再び手を出してしまっていたようです。

すでにこの時期、医者からは病状の悪化を告げられ、入院をすすめられていましたが、
エヴァンスは演奏活動を中断する気持ちは全くなかったようです。

9月の頭にサンフランシスコの「キーストン・コーナー」に出演した時に、
「自分のテクニックの80パーセントは、もうどこかへ行ってしまったが、
プロ意識でどうにかつないでいるのだ。」
と、話していたと言います。

1980年9月9日から始まったニューヨークの「ファッツ・チューズデイ」での演奏の
二日目にあたる9月11日は演奏不能になり、
自宅で親しい人たちにより三日間にわたり看病されました。
14日に、当時のトリオのドラマーだったジョー・ラバーバラに説得され、
ニューヨークのマウント・サイナイ病院へ運ばれましたが、
翌日の9月15日午後5時頃に、ビル・エヴァンスは帰らぬ人となりました。
死因は肝硬変、気管支肺炎と出血性潰瘍による失血性ショックによるものでした。
51歳でした。

ビル・エヴァンスも、
演奏することによって死に向かっていった破滅型ミュージシャンのひとりと言えるでしょう。


私の生活に関わる何ものよりも私の内側を占めている。」
・・・ビル・エヴァンス


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Last updated  December 19, 2006 02:15:10 AM
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