薬 天 市 場

薬 天 市 場

『バスターミナル』




 そう、彼女が名古屋に行く日。



 前日の大掃除が終わってしまうと、僕は家に帰ることにした。最後の夜ぐらい、部屋に泊まっても良かったろうし、彼女も僕が泊まって行くんだと思っていたようだった。
 そのためには部屋はあまりに狭くなっていた。ダンボールがいくつも積み上げられて、窓のひとつは完全にふさがれていた。布団だってまともに敷くスペースはなかった。だから、家に帰った。
 実をいうともう一つ理由があった。それは準備をすることがあったのだ。





 次の日、彼女は2回僕に電話をしてきた。もうすることがないから、夜行バスをキャンセルして新幹線でいちゃおうかな?という内容だった。そのたびに僕はいさめた。

「もう引越しも済んじゃったし、することがないのよ。テレビだって見れないし、ほんとなにもないのよ。」

「そうだね。でも、もし今から8時の新幹線で行くことに変えたら、最後の夜ご飯をどこかで食べるってことはできなくなるよ?」

「そっか。でも、ちょっと遅くして9時の新幹線にしたら大丈夫かな?」

「それなら大丈夫かもしれない。でも、向こうに行っても、まだ何も荷物は着いてないんだから、やることがないのは変わらないよ。それに、夜について布団もなく知らない街で過ごすんだよ??」

「う~ん。じゃあ、やっぱ、予定通り夜行バスにする」

 そんな会話だ。
 結局9時に上野駅のパンダ口で待ち合わせすることにした。





 でも、僕は7時半には上野にいた。それは贈り物を探すためだ。なにかはなむけにあげようと思ったのだ。そのためにも、急に新幹線で行かれたり、前日泊まって探せないことは困ることだったのだ。もちろん、高価なものは無理だ。もともと、先日の青森の旅行だって4万かかって、金欠だから。

 丸井に入って、なにか良い小物を探す。手鏡だったり、定期入れだったり、キーケースだったり。いちおう、ひととおり見渡す。だが買う種類は大体決まってるのだ。

 それは、香水。

 もともと、プレゼントを選ぶのが苦手な僕は、ほとんど女の子にする贈り物は香水にしている。なぜなら、デパートなら一箇所で集中的に選べるから、探すほうとしては楽なのだ。それに、消費するものだから、気に食わなくてもなくなるし、とっておきたいなら使わずビンを飾って思い出としてとっておくこともできる。つまり、もらう方の使い方の選択肢が多いんじゃないかと、勝手に思ってるのだ。

 もちろん、いくつも匂いをかいで、その子のイメージと、自分の好みの匂いと、デザインと、ブランド名ぐらいはちゃんと考える。

 そんなわけで、今回も香水をえらんだ。商品名までは知らないが、アナスイのものだから、贈りものとしては悪くないだろう。

 そのあと、地下の無印で便箋を買った。そのまま駅のスターバックスでラテを頼んで、彼女へのいままでの感謝と何もしなかった謝罪とこれからの応援を書いた。
 僕は素直じゃないから、正直な気持ちは言えないことがわかっていた。だから、あらかじめ言葉にしておく方がいいと思ったのだ。具体的にどう書いたのかはあまり覚えていない。何も考えることもなく「つれづれなるままに」というやつだろう。便箋4枚。多いのか少ないのかわからないけど、正直な気持ちの4枚だ。
 それを香水の手提げ袋の中に入れた。

 8時半に彼女からメールが来た。

「パンダ口の橋の上で待ってる」

 まだ30分も前なのに、相変わらず早い。
 スタバを出てパンダ口の前まで行くと、旅行かばんと紙袋を持った彼女が橋のところに一人座っていた。

「30分前だよ?ずいぶん早いね。何時に来たの??」

「7時には着いてたかなぁ」

 つまり買い物をする僕よりも早く着いてたわけだ。そして、待ち合わせの相手が目の先にいるところで、僕はその相手の香水を選び、手紙を書いていた。なにか自分の行動が滑稽に思えてくる。

 僕たちは改札から近い洋食屋に入った。夜行バスは東京駅を11時40分に出る。食事をするのには、まだ充分すぎる時間がある。
 彼女はオムライスを頼み、僕はハンバーグを頼んだ。
 結局、なんでもないことが思い出。彼女はオムライスが好きで、青森でも食べたし、普段も電車に乗って食べにいったりした。オムライスは僕の中で彼女のイメージが重なってしまう。
 僕は青森の写真をパソコンに落として、プリントアウトしてきたものを彼女に渡す。

「けっこうきれいに撮れてるね」

 彼女はそういって、ひとつひとつ丁寧に見ていった。その間、ここはこうだった、ああだったと話は尽きない。





 店も閉店に近づき、とりあえず東京駅に行くことにした。10時40分には東京駅に着いた。あと1時間ある。
 不思議なものだ。数日前に、この場所から一緒に青森に行き、一緒に青森から帰ってきた彼女が、1時間後に一人で名古屋に行く。

 僕らは八重洲口バスターミナルの近くのフードショップに入って、コーヒーを2つ頼んだ。まずいコーヒーだった。
 会話はいつものものと同じだ。これが部屋の中なら、じゃあそろそろ寝るかとかいいそうなぐらい、平凡なものだ。平凡すぎて思い出しようがない。

 出発20分前になりバスの乗車口に向かった。そこには何人もの人が大きな荷物を抱え、それぞれの旅先へ向かうのを待っていた。女性2人が談笑している。男性が地べたに座って、目を閉じている。乗車案内のマイクがやけに響いている。



 名古屋行きのバスが来た。2階建てのバスだ。ならんで待っている人達が次々と乗車券を渡して入っていく。

 彼女が白い封筒を差し出した。

「これ読んで。」

 彼女も手紙を用意してきていたのだ。7時には上野に着いていたのに、最後の最後まで準備がいい。

「ありがと。おれからも、これ、餞別」

 そういって丸井の手提げ袋を渡す。

「明日朝食でも採りながら、中開けてみてよ。バスの中ではすぐ寝る準備しちゃったほうがいいよ」

「・・・うん。わかった。じゃあ、朝食をとるときに開けるね。」

「気をつけてな」

「ありがと」

「やりたいことなんだから、がんばって」

「うん」

 そういうと彼女はバスに乗り込んでいった。彼女はA列席。つまり、僕がいるほうの席だ。しばらくすると、ひとつのカーテンが開いた。彼女の席だ。
彼女は荷物を足元に置いたり、背もたれをチェックしたり、ケータイをいじったりしている。僕も、彼女のほうを見るより、ほかのなんでもない風景をぼんやり見つめていた。

ブルブルブル。。。。

ケータイがメールを受信した。彼女からだ。
「行ってくるね。ありがと。」

返信。
「気を付けてね。いってらっしゃい。」

バスのエンジンがかかり、乗車ドアはしまる。

彼女は手を振った。そして振り返す。

そうしてバスは走っていった。

 僕はバスが見えなくなるまで、そこにじっと立っていた。なにも考えてなかったし、考えようとも思わなかった。
 バスが見えなくなると、僕は駅に向かって歩き出した。





 山手線に乗ると、いつもの光景だった。会社帰りの人、遊び帰りの人。いつも大学の帰りにみる光景だ。ぼくはドアにもたれかかり、通り過ぎるネオンをぼーっと見つめていた。ときたま、僕自身の顔が鮮明に映った。知らず知らずのうちに下唇を噛んでいるのに気づいた。
 それは、いままで感じたことのない感情だった。最後の野球の試合に負けて悔し涙を流したことがある。好きな人に彼氏ができて、号泣したこともある。
 しかしそれは、静かな悲しみ。まるで、雪が積もっていく過程の静けさに似ていると思った。積もったかどうかわからない静けさ、しかしそれは外気をますます冷やしていく、そういう悲しみだと思った。




















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