☆ちきちきレン号猛レース☆

☆流星を亡くしてしまった時の話☆


作った理由はまだ、自分でもよく解りませんが、一人でも私の様な悲しい思いをする人がいなくなる事を祈っている。
そんなページなのかもしれません・・・・。

平成十六年五月二十八日(木)

今日は、昼過ぎから衝撃的な出来事がありました。
ふと、寝坊をしてトイレに行くと、下着がビショビショに濡れていました。
そして股に何かの異物感・・・・・。
もしや・・?と思い膣の中に指を入れて見ると、第一関節のあたりでなにか剥き卵のようなモノが触れるんです。


赤ちゃんが降りて来てる!?


私は今、妊娠18週。明らかに出てきてはいけない時期。慌ててパパに話してレンを連れて病院に行き事情を説明して所、
「とりあえずは、先生くるまで心音確認しましょう」
と言われ、ベットの上に寝かされドップラーで確認。赤ちゃんの元気な心音が聞こえてきた・・・・・!
「赤ちゃんは元気だからね!後は先生に診てもらいましょう」
と促され、別の部屋の内診台に乗る私。けど、この時点で私はなんとなく解ってきていました。ただ認めたくなかっただけ。

もう、助からない・・・・・・・・。


そうこうする内に先生が内診して一言。
「・・・・・・・あぁ・・・・・・」
しばらくの沈黙の後、
「旦那さんと一緒にもう一度エコー撮る部屋に入って下さい」
と言われました。もう、その時は私の中で涙が出ていました。認めなくてはいけない現実を・・・・・。

もう一度エコー室に入りズボンを脱がされてお腹を出される頃には私はもう号泣でした。ただ、泣きじゃくる事しかできない。

なんでこんな事になったの?レンは元気に産まれたのに?なんで?どうして?

ただ、その事だけが頭の中を目まぐるしく回る最中、先生がエコーをお腹に当てながらゆっくり説明を始めました。


「・・・・要はね。子宮口が完全に開いていて羊膜ごとでてしまってる状態なのね。赤ちゃんは今はまだ元気だけど、今の18週という状態じゃ未熟で体外で生きる事は出来ないから、今回は残念だけど・・・。これで完全に破水が始まったら赤ちゃんは間違いなく出ちゃうから。」


と説明され、私たちの選択肢は「今回は諦める」以外の選択肢は与えてくれませんでした。原因としては、膣の炎症+私の子宮頚管無力症による子宮口が開いてしまう状態が今回の原因のようでした。
今まで、そんな状態になった事もないしレンだって何事もなく出産出来た。なのに今回は何故?先生にも詳しい理由が解らないようでした。


二日前の検診では「順調そのモノだね」と言われていたのに・・・。


すぐさま、入院となり私は安静の状態で陣痛か破水を待つ事になりました・・・・。


翌五月二十九日(金)

入院して日が変わった午前0時頃。なんだか、お腹に鈍い張りがきました・・・。


赤ちゃん、出ちゃう・・・。


ナースコールを押して説明すると先生が入ってきて、
「そっか・・・始まっちゃうだろうね。ただ、今夜は他にもお産があと二人今重なってるんだよね」
と言われ、何故だか私は思ってもいないのに
「あ、でもまだ平気ですからそっちを優先してください」
って言ってしまいまいした。惨めだったんです。自分がとてつもなく。私のお腹の中にいるこの子は
「消え行く命」
なのであって、今、陣痛に耐えている人たちは
「これから生まれ行く命」
その大きな差に、私は泣きたい気持ちを堪えてそんな発言をしてしまったんです。けれど、結局は陣痛室に移動する事になり、迷惑をかけないよう陣痛の痛みも痛くないフリをして一人でスタスタ歩いて移動しました。自分の中のプライドなのかよく解らない。でも、誰の手も借りたくなったんです。


陣痛室に入ったのは午前一時頃。鈍い痛みを呼吸法で逃してなるべく声をたてないように、両隣にいる妊婦さん達みたいに普通の出産ではないもん!
そんな考えのせいもあって、必死で一人で痛みと戦いました。この子はこれからもっと明るい未来が待っているはずだったのに、私の体にいれなくなって出てきて終わりを迎えようとしている。それなのに私は何も出来ない。だから弱音は吐きたくない・・・・・・・!

そう思って我慢しました。そして両隣のお産の合間にチョコっと顔を覗かせた先生が私を診察して人工破水をしていきました。

「これで、もうすぐ赤ちゃんが出るからね」

そう言い残してカーテンの向こうに消えて行きました。

結局それからピタっと陣痛が嘘のように収まり、私は赤ちゃんが亡くなってしまったんだと体で感じました。だって羊水いっぱい出ちゃったもん。苦しかったんだよね。もっと頑張りたかったよね。
ただ、お腹を擦る事しか出来ません・・・・。

そして午前二時二十三分。長女が死産でこの世に出てきました。
身長22センチ、体重200グラムの私の小さな小さな娘・・・。

その瞬間から嗚咽が止まりませんでした。
私の娘が出る頃から両隣のお産が進みだしたようで、後は私の胎盤搬出で終わりのはずでした。
けど、なぜだか普通なら簡単に出るはずの胎盤が出ないんです。そうこうしているうちに私はそのままの体勢で二時間待たされました(たまに診にきて診察される程度で)その間両隣から
「おめでとうございます!」
・・・・っていう歓声やうめきに必死に耐える声、赤ちゃんの産声。どれも今の私には苦痛でただ、涙を流すだけ・・・・。

午前四時半過ぎ。
ようやく、二人のお産が終わり私の所に来た先生は
「これから、子宮の中に残った胎盤を中絶と同じ様に手術で取るから。もう痛くはないからね。」
そう言われてもただ涙でぐちゃぐちゃな私はただ、うなずくだけ・・・。

手術が終わって麻酔が切れる頃、私はしきりにレンとパパの名前を連呼して看護婦さんに呼んで欲しいと懇願したらしく、はっきり意識が戻った頃にはパパとレンが私の所にいてくれました。

パパは何を言う訳でもなく、ただ傍にいてくれてそれがすごく嬉しかったです。ただ、もう私のお腹の中には赤ちゃんはいない。ただ、鈍いお腹の痛みがつい数時間前まで赤ちゃんがいたって証拠。
・・・・・そう思うしかなかった。

そして、朝になり本当はもう一日入院した方がいいとは言われたけど、もうここにはいたくない、早く家に帰りたい一心で病院を後にしました。退院する際、先生からは当り障りのない説明程度で家路に着きました。
そして家に着いて一時間が経つ頃病院からの突然の電話。内容はこうでした。

要は、赤ちゃんの「後始末」はどうするのか?というお話です。病院にある程度の料金を払えば全て委託してやってくれるという話でしたが、どうしてそんな大事な話を退院の時に何もしないのか?私もパパも疑問ではありましたが退院の際、色々あってイライラしているのもあってそこまで聞かなかったのも私たちの落ち度ではあったんですが、電話での対応に私は激しい怒りを覚え、絶対にこの病院で頼むくらいなら私たちでやる!!!!

・・・・という風にパパに頼んで、火葬所の手配をして、そのまま出かけて遺体の引き取り、書類の手続き等を全て済ませて再び家に戻って我が子と初めて対面しました・・・・。


初めて見た娘は、長い指と足、そして鼻がレンにそっくりな可愛い娘でした。とても小さくて愛しくて涙が止まりませんでした。何度後悔しても全てはもう遅い・・・。
この子はもう生きてない・・・・・・・。

けど、いつまでも泣いてはいられません。夜からパパと二人で名前を付けようと一杯考えて、パパがとてもいい名前を付けてくれました。

「流星」と書いて「ルナ」という名前にしました。ルナというのは「月の女神」という意味だそうです。とてもこの子に合ってると思いました・・・。


五月三十日(日)

午前九時。火葬開始。私達三人と父の四人で流星をお空に返しに行ってきました。三十分程で流星はとても小さな骨に変わって帰ってきました。この頃の赤ちゃんだと骨もあんまり残らないかもと言われていたのに、ちゃんときれいな形で残っていました。
もうこのお腹の中には流星がいないけれど、流星は私達の中でずっと生き続けてるんだと思います・・・。
これからは小さな骨壷の中に入ってしまった流星が、私達の傍で「ずっと一緒だよ」と言っている様な気もしました。













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