事を遂げるものは、愚直でなければ。
才ばかりに走つてはイカヌ。
勝海舟の言葉です。
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この頃、新政府は、度々、俺に出仕の要請をしてくれたのだ。
新政府に出仕することにはためらいもあったが、俺は受ける事にしたよ。
明治5年俺は海軍大輔に任じられ、
翌6年参議兼・海軍卿に昇進したのだ。
明治8年(1875年)に、明治政府の中枢部から
離れたが、明治20年(1887年)伯爵を授けられ、
翌21年(1888年)枢密顧問官に任じられ、死ぬまでその職を続けたのだ。
中枢部から離れた俺は、明治政府との関わりを持つ一方、
徳川一門や旧幕臣に対して物心両面で支える世話役をやっていたよ。
息子、梅太郎の妻は、アメリカ人のクララであり、
俺の子孫は今もアメリカに住んでいるよ。
明治になってから、
俺は、旧幕府に関わる史料を収集して「吹塵録」「開国起原」などを編纂したし、
「海軍歴史」「陸軍歴史」も執筆した。
氷川邸で俺が語った数々の談話が新聞。雑誌に掲載される一方
「氷川清話」などが出版されて話題をよんだこともあったよ。
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注
☆ 勝海舟の愛人の一人、
長崎時代から続いた“おくま”との間には男子が生まれています。
名前は梅太郎(後におくまの生家梶家の姓を継いでいます。)といい
海舟の三男として育てられました。
明治19年(1886)、この梅太郎に嫁いだのが、クララ・ホイットニーです。
海舟は、明治32年1月19日 (今日が命日に当たります。)
自宅で、ブランデーを飲んだ後、昏倒して亡くなったのです。
死因は脳溢血。
当時としては長命で、満76歳の生涯でした。
最期の時、海舟の脳裏に浮かんだのは、
盟友 西郷隆盛のことでも、愛弟子 坂本龍馬のことでもなく
苦労を分かち合った、妻、民子への感謝と懺悔の想いだったのです。。。
臨終の言葉は「コレデオシマイ」 まさに海舟らしい最期の言葉でした。
☆ その後、遺族により
屋敷は東京市に寄付され、平成五年(1993年)春まで区立氷川小学校敷地
として使われました。
氷川邸に関連する発掘調査が行われ、建物の基礎にに使われたレンガや
海舟の日常生活に繋がる陶磁器など発掘展示され、
海舟を忍ぶ事が出来ます。
☆ 勝海舟略歴
文政6年(1823).1.30日、江戸生まれ。
旗本勝小吉の長男、名は義邦のち安芳、通称麟太郎、
海舟は号。蘭学を修め、長崎海軍伝習所に学ぶ。
天保9年(1838年)7月27日、家督相続し、小普請組に入り、40俵扶持。
安政2年(1855年)
1月18日、異国応接掛附蘭書翻訳御用となる。
7月29日、海軍伝習重立取扱となる。
8月7日、小普請組から小十人組に組替。
安政3年(1856年)
3月11日、講武所砲術師範役となる。
6月30日、小十人組から大番に替わる。
安政6年(1859年)
5月、伊予松山藩が武蔵国神奈川(現在の横浜市神奈川区)に築造した砲台を設計する。
11月24日、アメリカ派遣を命ぜられる。
安政7年(1860年)
1月13日、品川から咸臨丸出航。
2月26日、サンフランシスコに入航。
閏3月8日、サンフランシスコを出航。
改元して万延元年5月6日、品川沖に入航。
5月7日、江戸に帰府。
6月24日、天守番頭過人・蕃書調所頭取助となる。石高400石取りとなる。
文久元年(1861年)9月5日、天守番頭格・講武所砲術師範役に異動。
文久2年(1862年)
7月4日、二の丸留守居格軍艦操練所頭取に異動。
閏8月17日、軍艦奉行並に異動。役高1000石。
文久3年(1864年)
2月5日、摂海警衛及び神戸操練所運営を委任される。
改元して元治元年5月14日、作事奉行次席軍艦奉行に異動し、役高2000石。
大身となり、武家官位の従五位下安房守に任官。
11月10日、軍艦奉行を罷免され、寄合席となる。
慶応2年(1866年)5月28日、町奉行次席軍艦奉行に復職。
慶応3年(1867年)3月5日、海軍伝習掛を兼帯。
慶応4年(1868年)
1月17日、海軍奉行並に異動。役高5000石。列座は陸軍奉行並の上。
1月23日、陸軍総裁に異動。列座は若年寄の次座。
2月25日、陸軍総裁を免じ、軍事取扱に異動。
3月13日・14日、薩摩藩江戸藩邸にて西郷隆盛と会見。同日、江戸城無血開城。
明治2年(1869年)
7月13日、諱を安芳と改める。
7月18日、維新政府の外務大丞に任官。
8月13日、外務大丞を辞す。
11月23日、兵部大丞に任官。
明治3年(1870年)6月12日、兵部大丞を辞す。
明治5年(1872年)
5月10日、海軍大輔に任官。
6月15日、従四位に昇叙し、海軍大輔如元。
明治6年(1873年)10月25日、参議に転任し、海軍卿を兼任。
明治7年(1874年)2月18日、正四位に昇叙し、参議・海軍卿如元。
明治8年(1875年)
4月25日、元老院議官に異動。
4月27日、元老院議官を辞表を提出。
11月28日、元老院議官を辞す。
明治20年(1887年)
5月9日、伯爵を受爵。
12月、従三位に昇叙。
明治21年(1888年)
4月30日、枢密顧問官に任官。
10月、正三位に昇叙し、枢密顧問官如元。
明治22年(1889年)
5月8日、枢密顧問官辞表を提出するが、翌日却下。
12月、勲一等瑞宝章を受ける。
明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に当選するものの辞退。
明治27年(1894年)6月30日、従二位に昇叙し、枢密顧問官如元。
明治29年(1896年)10月27日、枢密顧問官辞表を提出するが、11月4日、却下。
明治31年(1898年)2月26日、旭日大綬章を受ける。
明治32年(1899年)
1月19日、死去。
1月20日、贈正二位。法名:大観院殿海舟日安大居士。
赤坂氷川町の旧氷川小学校跡(現港区立赤坂子ども中高生プラザ)の角地に大きな樹木があり、その根元に埋もれるように大きな巨岩が立っており、
「勝安芳邸阯」「勝海舟伯爵終幕の地なり」が読み取れます。
☆ 連続講演中です。
17日 福岡県久留米市
18日 福岡県北九州市
19日 東京
20日 東京
21日 宮崎県小林市
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