Yokko’s Diary

Yokko’s Diary

2004年05月13日
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カテゴリ: つぶやき




田植えも終わり水が張りつめられた田圃からは、
蛙の大合唱が聞こえています。
周囲の山々は日々緑が濃くなり、
一雨ごとに夏に近づいています。
そんな季節に私は生まれました。
おかげで私は5月がいちばん好きです。


さて、今夜は 悠々さん からバトンを受け取った、
リレー日記『心が帰れる場所。』と言うテーマで日記を書きたいと思います。
正直申しますと、楽天日記開始以来、
初めてテーマを持って日記を書くので、
少々緊張気味であります。
数日前に ちゃとさん の日記をいつものように読ませてもらい、
「ええ話やなぁ~」(ウルウル)と、
まさかそのバトンが私にまわってくるとは思わずに感動していたのに・・・。
あぁ~、明日は我が身。
気がつけばまわってきますよ~。
みなさんもどうぞお気をつけくださいね。
それでは『心が帰れる場所。』~yokko編~です。


『心が帰れる場所』と言うテーマをもらった時、
直ぐに自分の『5年間の高校時代』のことを書こうと思いました。
実は私は5年がかりで高校を卒業しました。

私は、小学校6年生の時に、
腎臓病(ネフローゼ症候群)と言う持病を持ち、
以来、今日まで病気と共に仲良く暮らしております。
風邪をひいたり無理をすると再発をし、
ちょうど中学3年生の冬にも、
高校入試直前に最初の再発をしてしまい、
試験当日も病室から受験会場に向かい、
保健室で試験を受けました。
保健室の先生が座る前で一人で受けた試験。
白い部屋で一人で受験する心細さもありましたが、
それ以上に、
「病気に負けてなるものか、え~い頑張るぞ!」と言う気持ちで、
極限状態だったのを思い出します。
よく持ちこたえたもんだ・・・。
(保健室の先生は入学後もずっと優しくしてくださいました。
ありがたかったなぁ~。)

ネフローゼ症候群と言う病気の特効薬は副腎皮質ホルモンで、
副作用も強烈で管理が難しく、
投薬の加減も難しいとされるお薬です。
発病当初に大量服用し、
効果を確認しながら徐々に薬量を減らしてゆくため、
どうしても入院治療が余儀なくされるのです。
そんなわけで、
無事合格したものの約半年の入院のおかげで単位不足となり、
入学しながらも一日も通学できず、
最初の1年は幻の1年生として終わりました。

そして1年間の療養後、
私は気分もあらたに新1年生の仲間入りをし、
本当の高校生活を始めました。
友達できるかな、ひとつ年上だけど大丈夫かな・・・などと、
小さな心配ばかりしていましたが、
友達にも恵まれ悩んだ事も嘘のような明るい心を取り戻していました。
合唱部に入り、放課後はコンクールに向けた練習に明け暮れ、
病気を忘れるくらい青春を謳歌しました。
2年生になって、
固い友情で結ばれたかけがえのない友人を得たのも、
はたまた片思いをしたり、
忘れられない時間を目一杯過ごしたのも、
今思えばこの1年間(2年生の時)だった気がします。

しかし、そんな絶好調な青春も、
受験勉強を開始した高校2年の冬休み明けに、
体調を崩し再発・入院となり、
またまた翳りを見せたのでした。
悪いことは続くもので、
私の入院直後に公務員だった父が、
47歳の若さで職場で急死しました。
青天の霹靂とはまさにこんなことを言うのですね。
どうして生きていったらいいのか、
荒波の海に放り出された心境でした。
そして多分今でも一種のトラウマとなっているのか、
それ以来、
大切な人が突然いなくなってしまわないか・・・と言う不安に、
時として駆られるようになりました。

病状も最悪でした。
2度目の再発と言うことで、
副腎皮質ホルモンの効きが悪く、
病状が一向に良くならなかったのです。
結局、腎生検と言って、
腎臓の細胞を手術で取り出して、
(その時代はまだ内視鏡より、手術が安全な時代だった)組織検査をしました。
結果、単純なネフローゼ症候群ではない事が判明。
免疫抑制剤を使うこととなりました。
これまた副作用のきついお薬で、
頭髪がきれいに抜けてしまいました。
今思えばたいした事はないのですが、
その時の悲しさと言ったら・・・。
そんなこんなで、やっとこさお薬が効き良くなったのでしたが、
結局これまた単位不足で進級できず、
約1年間の療養後、新3年生として復学しました。

復学にあたり、2つも年上なんだけど大丈夫かなと、
今度はいよいよ不安でした。
それに加えて、お薬の副作用で、
満月のようなまん丸顔になっていたし(副腎皮質ホルモンの副作用)、
髪の毛は生え替わりのチョボチョボしかないし(免疫抑制剤の副作用)、
(まるでひよこのようだった。)
外見的にも最悪だったので不安でしたね。

でもね、みんな優しかったです。
受験校だったのでみんな3年生ともなると必死で勉強してるのに、
学校へ行くことだけが目標のような私にも温かく接してくれて、
仲良くしてくれました。
最初の頃、戸惑ってると必ず誰かが声をかけてくれたり、
助けてくれました。
ふつう2年も留年したら、
学校嫌いになったり辞めちゃうのでしょうが、
みんなのお蔭で私は辞めたいと一度も思うことなく、
無事卒業できました。

この5年間で私が得たもの。
数え切れないです。
この5年間の高校生活が、
今の私のベースであり、宝であり、いざと言う時の底力であり・・・。
例えだしたらキリがないくらい、
私の父のような母のような兄弟のような時間です。

そして何よりも愛すべき友人たち。
みんながいなければ今の私はあり得ませんでした。
現在はそれぞれが各自の人生を全力で歩き、
頻繁に会う事もままなりませんが、
折に触れ再会すれば、
会わなかった時間を埋め合えるものを共有できていることを、
本当に幸せに思います。


そして、この『5年間の高校時代』の後も、
私の病気は一進一退を繰り返し、
平成元年には遂に透析をしなければならなくなり、
その年の9月からCAPDと言う腹膜透析を始めました。
(今年の9月で丸15年を迎えますが、実は病状も良く、
現在は透析を必要とするかしないかと言うギリギリラインでおりますので、
どうぞご安心くださいね。)

しかし今の落ち着いた状態になるまでには、
紆余曲折ありました。
精神的に不安定になったり自暴自棄を繰り返したり。
今から思うと本当に荒くれた時代もありました。
しかし最終的には『5年間の高校時代』があるおかげで、
私は自分を信じることもできたし、
立ち直れることができたと思っています。
そしてこれからも、
私には『5年間の高校時代』があるから、
どんなことがあっても波乗りをするように、
大波小波をスイスイとクリアできるような気がしています。

この5年間こそが私の『心の帰れる場所』なのでしょうね。
愛して止まない5年間です。



ふぅ~~。書いたぞ~~。
今日はめちゃめちゃ自分の事を書いてしまいました。
たまにはこんな長文もいいかな?と。
こんなに自分のことを書くのも珍しいのですが(笑)
失礼しましたm(_ _)m


さて、このリレー日記のバトンを、
次は きんまるさん にお渡ししたいと思います。
漫画家としてご活躍されるかたわら、
温かい目線で書かれた日記にはついつい引き込まれる魅力がいっぱいです。
つい先日の日記(5/1の日記)にも感動したばかりです。
チャンチャン♪とおしまいになる日の日記は、
心がほっこりして明るくなり、
ついつい微笑んでいる自分に気づくのでした。
さてさてどんな日記が飛び出すか。
きんまるさん、よろしくお願いします!







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Last updated  2004年08月13日 22時12分46秒
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ミドリツブコ @ Re:白ごはんLOVE(05/24) 白ごはんスキ! おいしい梅干or少しの…
momo&もも @ Re:白ごはんLOVE(05/24) たきたての白いご飯のおむすび、大好きで…
おすし4 @ Re:白ごはんLOVE(05/24)  こんばんわ。  アスパラご飯?  …
yokko_888 @ ももさん >お誕生日おめでとうございます! →あ…
yokko_888 @ 悠々さん >お久しぶりです。 →ご無沙汰ですみま…

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